第37話 ヒカルの隠し事。

 【探偵斬り】との戦闘を終え、ベッドに潜り込んだのはいいのだが、やっと眠れたと思えば母上に起こされた。規則正しい生活がモットーな母上の起床時間は6時半。我も同じ時間に起こされる。

 昨日、ではなく今日の二時半ごろに眠りについたので我の睡眠時間はわずか四時間程度。

 体力的にも精神的にも子供の身体に耐えられるわけもなく、保育園での時間の大半を睡眠で過ごすことになったことは言うまでもない。幸い、と言っていいのかわからないが、最近は保育士にさえ恐れられ始めているので我の眠りを妨げるような愚か者はおらず、すやすやと安眠することができた。


 保育園の時間が終わり、母上に迎えに来てもらい、徒歩で帰宅する。帰り道では母上と一緒にスーパーでお買い物。

 言えに到着してうがいと手洗いをすませると時刻は十六時をまわっていた。そろそろヒカルが帰ってくる時間だ。なぜわかるのかというと昨日のうちに今日のヒカルの予定を聞いておいたからだ。


「お母さん。ヒカルお姉ちゃんのところに行ってきます」

「……ヒカルちゃんに迷惑じゃないの? やめておいたら?」


「事前にアポイントメントもとってあります。晩御飯までに帰ってきますし、ご迷惑そうならばすぐに帰ってきますので大丈夫です」

「そうなの? それなら大丈夫かな」


 母上は頬に手を当てて悩むしぐさをした。だが、すぐに納得して我を笑顔で送り出してくれた。


「イタズラとかしちゃダメだからね」

「もちろんです。逢坂家の恥にならないよう行動します」


 といったやり取りがあり、我はヒカルの部屋に向かった。



***


 このマンションのインターホンはイタズラ防止のためか、子供の手が届く高さではない。だから、我はいつも持ち歩いている伸縮するアルミの棒を取り出した。これはいつも身長の低さで不便な思いをしている我のために母上が買ってくれたもので、自由に伸び縮みし、最大で一メートルまで伸びる。これさえあれば幼児である我でも高いところにある物を落としたり、インターホンを押すこともできる。

 インターホンの呼び出し音が聞こえるとすぐにドアの鍵がガチャリと外され、扉が開いた。どうやらヒカルは我を待っていたらしい。


「入って」


 簡素な一言でヒカルが我を部屋へと招く。彼女の顔色は悪く、見るからに調子が悪そうだ。眼にいつものような強い意志が感じられない。ひょっとするとあれから一睡もできなかったのかもしれない。


「お邪魔する」


 ヒカルの部屋に入るのはもう十回以上で勝手知ったる場所である。案内されるまでもなく、我はリビングの椅子に座った。

 何を言うでもなく、ヒカルはキッチンから冷たいお茶をガラスコップに注いで我の前に置いた。

 そして、ゆっくりとした動作で我の正面に座った。


「……」


 ヒカルは何も言わない。俯いたまま手の中にあるコップをじっと見つめている。このまま無駄な時間を過ごすつもりもなかったので我から話を切り出すことにした。


「それではヒカルの隠し事を話してくれるか? 晩御飯までに帰る、と母上と約束したのでな。もし破ると明日の晩御飯がカレーになる。それだけは避けたいのだ」


 我の冗談にヒカルはクスリと笑った。

 ヒカルは大きく深呼吸をして、我を見た。その眼には先ほどとは違う、決意した意志が見えた。


「私の隠し事。それを全て、貴方に話すわ」



***


 かりの探偵事務所でヒカルがアルバイトをはじめ、数日が過ぎた頃の話。その頃はここに引っ越してきたばかりの頃で心太にはまだ出会っていない時期だった。

 アルバイトの仕事としてかりの探偵事務所の掃除をしていた時、机の引き出しの鍵がかかっていないことにヒカルは気がついた。普段は閉まっていて開けることができない引き出しだ。

 何が入ってるのか、気になってはいたが、わざわざ鍵がかかっていることから追求してはいけないと思い、洋平に聞くこともためらった場所だ。

 掃除をしていた拍子に衝撃を受けたのか、その引き出しはなぜかほんの少しだけ開いていた。そのほんの少しの隙間からちらりと写真が見える。

 隙間からなので全体は見えないが洋平と知らない女性のツーショットのようだ。想い人が女性と映っている写真。そんなものを見てしまえばもう止めることはできなかった。

 いけないとわかってはいながらヒカルはその引き出しの中を開いて見てしまう。中には複数のファイルと一つの写真立て、そして女性ものの日記が入ってあった。

 写真の中の洋平は髭が生えておらず、若々しい。数年ほど前の写真のようだ。隣にいる女性は長い黒髪をした線の細い、押せば倒れそうな少女だった。とても綺麗な少女で、洋平より若く、今のヒカルと同い年くらいだ。

 どこかの観光地を背景にしてのツーショット。旅行の記念写真だろうか。二人とも楽しそうに笑顔を浮かべている。

 こんな写真を見てしまえばもうヒカルは止まることができなかった。この女性は一体誰なのか。ヒカルはそれが知りたくてたまらず、他の資料を見る。

 まずは日記を開いた。日記が洋平ではなく、女性ものだと判断したのは表紙が薄桃色だったことと日記③と女性特有の丸文字で書かれていたからだ。

 ファイルの整理をしている時に洋平の筆跡を何度か見たことがあるので、これが洋平の物ではないことはすぐにわかった。


 人の日記を勝手に見ることに抵抗はあった。しかし、それ以上にこの女性の正体が知りたいという感情が勝る。そして、ヒカルは日記の内容を見る。

 それでも一応の罪悪感があったヒカルはペラペラと早送りで日記をめくることで内容を凝視しないことにした。

 最初は些細なこと。高校生活の日々の日常。先生に指名されて黒板に答えを書いた。などのことが書かれていた。どうやら日記の持ち主は女子高生らしい。高校三年らしく、大学受験を控えており、受験を前にしたひとならば誰でも不安に思うことなどが書き綴ってある。

 去年までの自分の抱えていた悩みと重なり、ほほえましい気分になった。そして、同時に日記を盗み見している罪悪感に襲われる。


 だが、ある日を境に日記の内容は変わっていく。きっかけは些細なことだった。電車に乗っていると一人のサラリーマンに見られている気がする。気の所為かもしれないし、受験への不安から来る妄想かもしれない。と日記には書かれていた。

 しかし、それは妄想ではないと気づくのには数日もかからなかった。少女が念のために注意していると、その男が駅で電車を降りた後も着けてくることに気づいた。

 もちろん偶然かもしれない。男の帰り道が少女の道と重なっているだけかもしれない。

 そう思って、窓のカーテンの隙間から顔をのぞかせるといたのだ。そのサラリーマンの男が電柱の後ろに隠れて、じっと少女の部屋を見ていた。

 ストーカーに狙われている。気がついた少女の選択は早かった。すぐに親に相談をした。彼女の両親は常識的な人ですぐに警察に相談をしに行った。


 当時はストーカーによる事件がニュースで話題になり、マスコミも騒いでいた。不祥事続きの警察としてもまたストーカー騒ぎで叩かれたくなかったのだろう。少女の被害相談にも丁寧に対応をしてくれた。

 大量の手紙やメールが送られてくることもなく、ストーカーの行動は一日中少女の行動を監視するだけだった。

 ストーカーと言っても直接的な被害がなければ逮捕することもできないので、警察はストーカーに注意をすることにした。ストーカーに対して過剰に対応が求められていた警察の行動は早く、比較的程度の軽いストーカーに対しては異例ともいえる接近禁止命令が出された。その結果、少女に対するストーカーによる尾行はなくなった。

 しかし、今は受験の大事な時期。ストーカーに狙われ、精神的に追い詰められていた少女は両親の勧めから受験までの短い期間を遠い場所で一人暮らしをしている兄の家で過ごすことになった。そこならばストーカーも知らないし、追いかけてこないだろう、という考えだ。出席日数は足りているので後は学校を休んで、卒業式にさえ出ればいい。仲のいい友人にはストーカーのことは説明してあるし、悪く言う人もいない。

 少女は安心して兄と一緒に生活することにした。

 これですべて円満に終わった。はずだった。



 日記は久しぶりの兄との共同生活を楽しむ少女の話で終わっていた。少女の手料理を食べて、美味しいと言う兄。それを喜ぶ少女の感情が赤裸々に書かれていた。


 そして、続きは書かれていなかった。


 少女の日記はそこで終わりだった。ここでようやくヒカルは気づいたのだが、日記は一度、力強く握りしめられ、その後で広げられたようだ。日記のところどころに皺があった。感情の赴くままに力を込め日記を潰してしまい、元に戻そうとした努力がそこから読み取れた。


 ヒカルは震える手で日記とは別に引き出しに入っていたファイルをめくる。そこにはQ市内や周辺の地域に存在する調査事務所や探偵事務所の情報が書かれている。勤めている探偵の素行を調査し、脅迫や犯罪に手を出している人間がピックアップされ、より詳しく調べているようだ。

 少女とは関係ない資料のようだが、何か因果関係があるかもしれない、とヒカルは資料を読み進める。

 探偵の罪状を並べ、彼らの行動パターンなどが事細かに書かれている。十人ほどの探偵たちの日常生活が赤裸々に調べ上げられていた。家族構成から、その人の癖まで、何から何まで、だ。これを調べ上げるまで莫大な時間がかかったことだろう。

 これを調べるのは普通のサラリーマンでは無理だ。専門の探偵にでもならない限り。

 犯罪を犯した探偵の中でも四人ほどの男たちが赤の栞でチェックを入れられている。

 そして、彼らの名前にヒカルは見覚えがあることに気がついた。最近、ニュースで見たことがある名前だ。元々記憶力がいいうえに、事件現場がQ市の近くで心配性な両親が嫌というほど何度も電話してくるのでうんざりして覚えていたのだ。


 丸井崇。細田直樹。塚山藤治。


 三人とも最近発生した通り魔の被害者だ。あと一人、大山勝也の名前もあったが彼はまだ被害にあっていない。

 偶然かもしれない。もしくは探偵である洋平が通り魔を調べるために被害に遭った男たちの調査をしたのかもしれない。そんなことを思い、ヒカルはさらにファイルの中を読み込む。

 資料を調べた人はかなり几帳面らしく、男たちの調査をした日付がはっきりとわかる記述が残っていた。調査は去年や一昨年に調べられたものだった。

 通り魔が最初に発生したのは今年の二月十日。ヒカルが住むところを探し始めたばかりの頃だったので覚えている。ちょうどその頃に発生し、治安が悪いからやめておこうと父親が言い出し、説得するのが大変だったのだ。


 つまり、野間洋平は通り魔の被害に遭う探偵たちを事前に調べており、生活パターンを把握していたということになる。

 通り魔はいまだに捕まっておらず、目撃者もいないことから捜査は難航しているとニュースで報道されていた。

 偶然かもしれない。しかし、ヒカルは頭の中で描いた絵が勝手に動き出すのを止めることができず、最悪の想像をしてしまう。


 恐ろしくなったヒカルはすぐに引き出しの中を元に戻して閉じた。そして、見なかったことにして全てを封印することにした。



***



「私はその後、日記が最後に書かれた時期に発生した事件を調べた。すると、日記の終わった次の日にストーカーによって殺された少女の新聞記事を見つけたわ。年齢は18歳。今の私と同じ年齢よ」


 掠れた声でヒカルは言った。握りしめるコップの中身は彼女の心情を表すかのように小刻みに波紋を描いている。

 話している間、ヒカルは一度もその手の中にあるお茶に手をつけていない。ずっと喋りっぱなしで喉も乾いているだろう。 


「そうか……」


 ストーカーを刺激したりせず、少女の対応は迅速で適切だった。彼女の両親も少女のことを最後まで心配し、最善を尽くした。警察も仕事を全うし、ストーカーに対して問題のない行動をとれていた。

 みんな自分にできることを最大限に行い、少女を守ろうとしていた。


 日本は平和である。これは前世の世界と比べては言うまでもなく、この地球という範囲の中でも言えることだ。

 それは日本が法治国家という秩序ある社会を土台として作り上げた城であり、犯罪者は法によって裁かれるというシステムが成り立っているからである。

 しかし、秩序というものはたった一つの小さな悪意で簡単に崩れ、人に牙をむく。

 自衛もできない人々は悪意に対して無力である。


「犯人はすぐに特定されたけど、逮捕される直前で気づき、自殺したそうよ。犯人に親族はおらず、親しい友人もいなかった、と新聞には書かれていたわ……」


 犯人に親や兄弟がいればマスコミも追いかけて取材という名の吊し上げが行われたのだが、生贄もおらず、盛り上がりに欠けると判断したマスコミはすぐにこの話題を止めた。ちょうど大物芸能人の浮気報道があり、そちらに世論の注目が向けられた影響もあり、このニュースは大々的には報道されなかったそうだ。

 だから当時のヒカルも知らなかった。


「けれど探偵との関連性がわからなくて私はその事件について詳しく調べることにした」

「そんなことをよく調べられたな」


「これでも大学生の一歩手前で探偵のアルバイトだからね。伝手くらいはあったのよ」


 ヒカルはその気になれば変装してフリーライターの振りをして取材をする度胸もある。 本人は人見知りだと言っているが、行動力もあるのでそれくらいの情報を手に入れる術はあるのだろう。


「事件を調べているうちに疑問が出てきたの。少女は用心して遠くにいる兄の家に引っ越していた。少女は居場所を友人にも告げなかった。そのことを知っているのは両親などのごく一部だった。それを接近禁止令が出されていたはずの犯人が知っているはずがないのよ」


 しかし、犯人は少女の居場所を特定し、殺害に至った。殺害現場は少女が住んでいる兄の部屋でナイフで刺されて死んでいたそうだ。第一発見者はその家の住人である兄。


「そして、調べた結果、ある結論に達したわ。犯人は少女の住所を探すために調査事務所。つまり、探偵に依頼したらしいの」


 点と点が繋がり、線になる。ありがちな表現だが、ヒカルの話を聞いていれば誰でも結論が見えてくる。

 【探偵斬り】の動機でヒカルと話し合った時に一番最初に上がった意見。【探偵斬り】は探偵を恨んでいる可能性。

 ここまで話を聞けばもうわかっているが、我は聞くしかなかった。


「その殺された少女の名前は?」


 我の問いに答えるためにヒカルは肺の中の空気を全て吐き出すような大きな深呼吸し、閉じていた眼を開いた。


「被害者の名前は野間晴海。殺された彼女の兄は野間洋平。今は『かりの探偵事務所』で探偵をしているわ」

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