第36話 探偵斬りとの邂逅。
「現在、午前一時。我はとてもオネムで機嫌が悪い!」
ヒカルに渡した腕輪は所有者に危機が迫った、もしくは所有者が助けを求めた時に我へSOS信号を送るシステムになっている。さらにこの腕輪の凄いところは事前にため込んだ魔力により、我を腕輪のある場所にすぐさま移動させる機能もついている。腕輪と我の距離が遠すぎればその機能は発動しないが、今回はそう遠くない距離だったので正常に作動したようだ。
先ほどまで眠っていた我の頭はまだ靄がかかったように重く、とてもねむい。しかし、そんなこともいってられないので首を振り、意識を集中させる。
敵は目の前のフードの男? もしくは女。顔が隠れているうえにこの暗闇で視界が悪く、標準的な背格好をしているので性別の判断がつけづらい。
敵に意識を集中させながら、我は背中にいるヒカルに声をかけた。
「嶋野ヒカル! 無事か?」
「なんとか、ね。それよりも目の前にいるのは【探偵斬り】よ。気をつけて」
ヒカルの意識はある。我を気遣う余裕もあり、正常な判断能力もあるようなので一安心だ。
どうせ気遣ってくれるのならば昼間に呼び出してほしいものだ。こんな深夜に起きたのは日本に転生して以来、初めてかもしれない。
ヒカルと会話している暇もなく、【探偵斬り】が仕掛けてきた。右手には血に染まったナイフが握られている。
我はすぐに詠唱破棄で魔法を発動させる。
「
我の魔法に従い、実体化した影を自由自在に操ることができるようになる。
この魔法は自分の影が大きいほど威力も効果範囲も大きくなるので今のような真夜中にはもってこいの魔法だ。しかも、火や風の魔法のほうが得意なのだが、ここは住宅街であり、目立つ音や光を出して人を呼んではいけない。それにこの魔法は魔法の余波がほとんどないので、魔法に対する抵抗力がないヒカルにもほとんど影響がない。この状況下では最も適した魔法と言える。
操られし影は我の手足の延長となり、【探偵斬り】のナイフを防いだ。カキンと金属音が響き、【探偵斬り】はバックステップで距離を取ろうとする。
しかし、そんな隙は与えない。
初めて見るはずの魔法を見て、動揺している相手を落ち着かせる時間を与えるほど我はのんびりとしてはいない。
「先手必勝。疾風雷神。不破堂来!」
影の針山を波のように【探偵斬り】に向かわせる。音もなく、襲いくるそれは一瞬で【探偵斬り】を穴だらけにする威力を秘めていた。
さらに、我は影で足をすくい、【探偵斬り】の動きを封じるために転倒させようとする。これで【探偵斬り】はなすすべもなく、影の波に飲まれて終わる。
我はそう思った。
しかし、【探偵斬り】はすぐに反応して、片手でバク転をして、影の波から九十度の方向へ移動することで避けきった。
「ほう。大したものだ」
尋常ではない回避能力。【探偵斬り】の高い身体能力をこの一瞬の攻防で理解する。しかも、魔法という理解不能の現象を目の当たりしておきながら声の一つも上げないあたり、かなりの自制心があるようだ。
あわよくば声から性別の判別くらいしたかったのだが、残念だ。
「ならばこれでどうだ?」
我は右手の指で影を操作する。影が指の形を作り、そして、手の形に変わっていく。真夜中で影が多いおかげか、魔法の調子がいい。普段であれば数十ほどしかできないのだが、今日は百以上の影の手が生成された。
我の思い通りに影の手を【探偵斬り】に差し向ける。
「チッ」
【探偵斬り】が初めて人間らしい反応を見せ、焦ったように舌打ちをした。実体化した影はナイフでは切り裂くことができない。だから、【探偵斬り】は躱すしかないのだ。
【探偵斬り】の服装に少しずつ傷が入っていく。最初は器用に躱していたが、数の暴力の前ではその身体能力も無力である。
疲労も見えてきたのか、徐々に【探偵斬り】のスピードが落ちてくる。それに気づいた我はすぐに追い打ちをかける。影の拳が【探偵斬り】の腹を捉えた。痛みで動きを止めた隙を逃さず、【探偵斬り】の右腕を影の手が捕まえた。
「逃げ足が速いようだが、もう終わりだ」
もう逃げられはしない。右腕を捨てる覚悟がなければ影の拘束を解くことはできない。我はすぐに影の先端を変形させ、刃物状にする。影で作った刃物は人を軽く刺せるほど鋭く尖っている。
これで串刺しにする。そのつもりで【探偵斬り】に向かわせようとして
止められた。
「【探偵斬り】を捕まえて!」
ヒカルの言葉に影の操作に一瞬の隙が生まれてしまった。
このままでは【探偵斬り】を殺す可能性が高い。そのことが頭をよぎり、頭に空白が生まれてしまったせいだ。そして、その一瞬の隙は戦いにおいては大きな時間となる。
影の動きが緩んだことにいち早く気づいた【探偵斬り】はすぐさま離脱しようとする。我はとっさに右腕の拘束に力を込める。【探偵斬り】の右腕をへし折った感触が伝わるが、もう遅い。【探偵斬り】は右腕を犠牲にして影の拘束から抜け出た。
右腕を失った【探偵斬り】は無事な左手でこちらにナイフを投げつけてくる。何の変哲もないナイフの投擲に過ぎないが、久しぶりの戦闘で興奮していたことを自覚した我は自分を落ち着かせるためにもクールダウンの時間が欲しくて影でナイフを弾く選択をする。
そして、それが失態であることに気づいたのは数秒後だった。ナイフを投げたのは逃走のための時間稼ぎに過ぎず、気がついたときには【探偵斬り】はすでに背中がかろうじて見える程度の距離まで離れていた。
「逃がすか!」
我はすぐに魔法で追いかけようとする。が、我の服を掴む何かに気づき、我は動きを止める。
後ろを振り返るとヒカルが何か言いたそうな顔をして、我のパジャマを掴んでいた。その手を振り払い、【探偵斬り】を追いかけるのは簡単だ。今ならまだ【探偵斬り】に追いつくこともできるかもしれない。
ヒカルもそれを知っているはずだ。しかし、ヒカルは我のパジャマを掴んだまま放そうとしなかった。
「ヒカル」
我が声をかけるとヒカルはビクンと肩を揺らす。先ほどまで戦闘をしていた影響か、我の声は知らず知らずのうちに低く、冷たいものになっていた。
久しぶりの戦闘であり、興奮していた。無意識のうちに【探偵斬り】を殺そうとしていた。その結果、ヒカルに止められ、【探偵斬り】を逃がしてしまった。先ほどまで自分の行為を振り返り、失態を演じた自分を恥じる。思わず舌打ちが飛び出してしまう。
八つ当たりの意味も含めて我はヒカルを睨みつける。
「貴様は聡い、と思っていたが、それは我の勘違いだったようだ。まさか自ら危険の中に飛び込もうとするとは。我がいなければ貴様は死んでいたぞ」
死んでいた。という言葉にヒカルはショックを受けた表情を見せて、俯いた。我がこの場に移動したときは、自動防壁のおかげでナイフを弾くことができた。しかし、【探偵斬り】の動きはヒカルを害するためのものだった。たとえ死なずとも重傷を負っていたことは間違いない。
「ヒカルが何か隠し事をしていることは知っていた」
我の言葉にヒカルはその綺麗な眼を大きく見開いた。これでも一国の王を務めたことも男である。特殊な訓練を受けていない女子(おなご)の嘘など簡単に見抜くことができる。侮るではない。
「それを知ってなお、我はヒカルに手を貸すと決めた。しかし、その隠し事のために命を危険にさらすのであれば我はこれ以上ヒカルに助太刀することはできない。嶋野ヒカル。貴様がこれからも秘密を持って【探偵斬り】を捕まえようとするのであれば我は貴様との縁を切る」
日本の常識を教えてくれる相手は別にヒカルでなくてもいい。いつ死ぬかわからない協力者など厄介極まりないからだ。今回は運が良かったが、次は死ぬかもしれない。そんな不安定な相手に協力するほど我はお人よしではない。
我の宣言を聞いたヒカルは小さな口を開いた。しかし、そこから言葉は出ない。ヒカルの中で大きな葛藤がせめぎ合っているのが見て取れた。話すつもりはある、が今は決心がつかない。いや、覚悟ができず、踏ん切りがつかない、と言ったところだろう。
ここは(精神的に)年上である我が助け舟を出してあげたほうがいいのだろう。
「明日だ。ヒカルも疲れただろうし、今日は我も眠いから明日、聞く。事情を、真実を話してもらうぞ」
「……わかった」
ヒカルはコクリと頷いた。今はそれで十分だ。
ヒカルは生きていて明日がある。死んでしまってはそんな考える時間さえないのだから。
***
「さて、バイクを運ぶから手伝ってくれ。
魔法でマンションのすぐそばに繋いだ扉を作り出す。魔法でバイクを動かしてもいいが、今は
「ごめん。立てないみたい」
と、ヒカルは口を引きつらせながらも精いっぱい笑って見せる。殺される恐怖に晒されながらも弱いところを見せたくないのだろう。そういう強がりを我は嫌いではない。
「面倒くさい娘だな」
「悪かったわね……」
「ところで」我は自分の服装を見た。「汚れた我のパジャマはどうすれば母上にバレず処理できると思う?」
魔法による転移と同時に靴も一緒に持ってきたのだが、上着を持ってくる余裕はなく、そんな考えもなかった。パジャマ姿のままで戦闘を行ったせいで我のパジャマは砂まみれになり、若干汚れてしまっていた。
このままでは母上に夜中に出かけたことがバレてしまう。母上の雷が落ちることだけは避けなければいけなかった。唐突なピンチに我は慌てる。
「やっと余裕ができたから気づいたんだけど、そのパジャマは何?」
ヒカルは我の服を指さした。
「ペンギンである」
そう、我のパジャマは動物の姿を象ったものであり、今日はその中でも母上のお気に入りのペンギンのパジャマを着ている。だから、我がこのペンギンを汚したと知れば母上の怒りもさらに大きくなることを恐れていた。
「ちなみに我のお気に入りは『仮面ライ●ー』のパジャマである」
魚肉ソーセージを食べ続け、やっと懸賞に当たった逸品である。その『仮面●イダー』はなんと夜になれば光る。
もし今日はそのパジャマを着ていたならば汚れることを恐れて我はここに来なかったかもしれない。それくらいお気に入りの逸品だ。
「子供ね」
「六歳児だからな」
いつものやり取りにヒカルは笑う。先ほどまでの緊張感が嘘のようにヒカルは大きく口を開けて笑い出した。ここは夜中の住宅街であり、騒げば人が来る可能性もあることも忘れてヒカルは笑っている。
このタイミングだろう。と、我は無詠唱魔法で治癒魔法と精神安定を与える魔法をヒカルにコッソリとかける。
ひとしきり笑い終えたヒカルに我は声をかける。
「それほど笑ったんだ。そろそろ立てるだろう?」
我に言われてヒカルは立ち上がった。その足取りはしっかりとしており、これならバイクを運ぶこともできるだろう。
倒れているバイクを持ち上げ、ヒカルは魔法の扉の前に立つ。
「ありがとう」
「何のことだ?」
「助けてくれてありがとう」
「助けたのはヒカルが協力者だからだ。ヒカルが死んでは日本の常識を知ることができないからな」
「励ましてくれてありがとう」
「それは何のことだか、わからぬが、とりあえず我を賛美するのであれば受け取っておこう。我をもっと崇めてもいいのだぞ」
「……そのパジャマだけど私の部屋の洗濯機なら乾燥機能もあるから汚れをとってすぐに着れるわよ」
「なんと! さすが洗濯機。素晴らしいな!」
そんなやりとりをしながら我々はマンションに戻ったのだった。
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