第34話 探偵とは何なのか。

「お茶はまだか?」

「はいはい。今お持ちしました」


 給湯室から出てきたヒカルは我の前にアツアツのお茶が入った湯呑みを置いていった。

 春ももうすぐ終わり、夏に差し掛かった時期でもあるのに、気が利かない娘である。

 ここは『かりの探偵事務所』。洋平がおらず、ヒカルと二人っきりだ。留守の間は自由に使っていい、と洋平に許可をもらうことに成功した我はソファに寝転がっている。

 ここは人気のないビルなので、物静かで本を読むのに最適な場だ。家で読むのもいいが、いつも家にいるとマンネリ化するので時折外に出て本を読むことで気分転換をしている。

 そのことをヒカルに言うと、「結局、本を読むんだから一緒でしょ」と言われてしまった。


 イラッとしたが、だからと言って嫌がらせのつもりでここに来たわけではないこと我は主張したい。

 これは気分転換であり、リラックスである。


「のう。ヒカル」


 事務所内の掃除をしているヒカルに我は話しかけた。


「何?」


 返事をしつつもヒカルは掃除をする手は止めない。心なしか、口調もきつめだ。


「洋平はいないのか?」

「洋平さんは最近、特に忙しいみたい。事務所に来るのも週に一、二度くらいで数分しか会話してないんだから」


 ヒカルの機嫌が悪い原因がようやくわかった。要するに洋平と会えなくて寂しいのだ。


「暇だなぁ」

「私は忙しいんだけど……」


「掃除をしているだけだろう? それだけでお金がもらえるのだから、洋平サマサマだな」

「……掃除と受付、書類整理もしてるんですけど」


 受付と言ってもほとんどお客さんも来ないし、電話番をしていても一度間違い電話があったくらいである。

 別にサボっているわけでもなく、ヒカルの掃除機を動かす手は止まっているので会話をしていても問題はないはずだ。

 それにヒカルが掃除をやめても咎める洋平の姿はこの場にないので、サボってもいい。それなのにヒカルは熱心に掃除をしていた。真面目なことだ。

 これ以上の会話は仕事の邪魔になる、と判断し、我は黙って本を読むことにした。

 近くでコボルトが唸るような掃除機の騒音が聞こえてくるが、本を読むことに集中すればそんなものは気にならない。我は最近気になっていたアガサクリスティの作品を読み始めた。



***


「おうぁっ?」


 物音に反応して、我は目が覚めた。起き上がると毛布が体に乗っていたことに気づく。ヒカルがかけてくれたようだ。

 古びた毛布は毛玉がついており、上等なものではないが、ヒカルの気づかいが伝わってきた。


「我は寝ていたのか……」


 こういう時、我が日本に馴染んだことを実感する。

 前世では気が休まることはなかった。いつも人に命を狙われ、備えていた。寝ていても人が接近する気配さえあれば防御魔法を展開し、すぐに戦闘態勢を取れるようにしていた。それが前世での日常だった。

 しかし、気配を消せる凄腕の暗殺者ならともかく、素人のヒカルが近づいても我は寝ていたらしい。前世で生きていた頃は想像もできないほどの緩みっぷりだ。これでは敵が現れた時に、前世のように屠るどころか、返り討ちに会うだろう。

 これではいけない。と思っているのだが、これでいい、と思う自分もいる。

 日本という平和な国に生まれ、何不自由なく、暮らす。夢にまで見た世界である。

 しかし、前世での闘争の世界を恋しく思うこともある。日本を退屈だと思うこともある。

 我は一体どちらの世界を望んでいるのか。

 それはまだ自分の中でも答えが決まっていない問いであった。


「起きたの?」


 起きたばかりでボーっとする我にヒカルがお茶を差し出す。また暖かいお茶であるが、我は有難く、それを頂く。

 寝起きの頭にはこれくらいのほうがちょうどいい。


「誰か来たのか?」


 我が目を覚ました物音は階段を上る音だった。それはつまり、『かりの探偵事務所』への客か、洋平の可能性が高い。他の部屋への用がある人かもしれないがこのビルを利用する人は限られていて、自ずと選択肢は絞られる。

 しばらくして足音が大きくなり、ヒカルもようやく階段を昇ってくる音を認識する。驚いた顔をしてこちらを見た。


「よくこんな音が聞こえたわね。もしかして、階段に差し掛かった瞬間から音が聞こえてたの?」

「耳はいいほうなんだ」


 足音はどんどん『かりの探偵事務所』に近づき、ドアの前で止まった。ドアにある小さなすりガラスからボサボサ髪のシルエットが見える。これは洋平確定である。


「やあ。ヒカルちゃん。掃除をしてくれてたんだね」


 事務所の主である洋平は部屋に入ると定席である一番奥にあるデスクに座った。


「おかえりなさい。洋平さん」


 おかえり、と言ったヒカルの頬はほんのりと桃色に染まっている。恥ずかしいなら言わなければいいのに。


「ただいま。それに逢坂君、こんにちは」

「こんにちは。野間さん。お邪魔してます」


「相変わらず礼儀正しいね。小学生とは思えないよ」

「洋平さん。シンタ君は小学生ではなく、保育園児です。小学校は来年ですよ」

「ああ。そうだったのか。ごめんね。大人びているから勘違いしてしまったよ。失敗だなぁ」


 と、洋平は頭を掻く。そんな彼を見て、ヒカルはくすくすと笑う。


「洋平さんはどうして事務所へ? 今日はお休みだと聞いていましたけど」

「ちょっと書類を取りに来たんだ。ヒカルちゃん。頼んでいた資料をまとめてくれた?」


「はい。言われた通りに事故と事件に区別してファイルを分けています。資料は机の上に置いています」


 ヒカルの言う通り、机の上には二色のファイルが置かれている。それの中身を洋平は簡単にチェックしてカバンに入れた。


「ありがとう。感謝するよ」


 と、立ち上がろうとするので我はその前に洋平に声をかけた。


「野間さんはお急ぎですか?」

「いや、急いでいないけど、どうしたんだい?」


「それなら少し、おしゃべりしていきませんか? 探偵さんの仕事について聞きたいことがあったんです」


 洋平は少し考えて、すぐに椅子に座りなおした。


「別にいいよ。時々くらい若い子と会話しないと自分がどんどん老けていく気がするからね」


 ヒカルがこちらを睨むが、我は無視する。ヒカルとしても洋平と同じ空間にいてお喋りするのは嬉しいはずだ。これは半分、彼女のためでもあるのだから、感謝してほしいくらいだ。


「別に子供の言うことですから、洋平さんは気にせず帰っても大丈夫ですよ。ゆっくり休んでください」

「大丈夫。今日はもう家に帰って休むだけのつもりだったから、問題ないよ。それよりも逢坂君が聞きたいことに興味があるな」


 洋平は机に肘を立てて聞く態勢になった。


「ヒカルちゃん。お茶をもらえるかな?」


 はい。と言ってヒカルは給湯室へと向かった。


「それで聞きたいことって何かな? おじさんに答えられることならいいけど……」

「―――探偵とは何でしょうか?」


「えらく抽象的だね。もう少し砕いてくれるとおじさんは嬉しい」

「最近、探偵に関することを調べる機会がありました。そして、現代における探偵の仕事について疑問に思いました。フィクションと現実の違いは理解しているのですが、あまりにもかけ離れていて、わからなくなってきました……」


 我は手元にあったアガサクリスティの小説を見た。この小説にはポアロと呼ばれる探偵が現れ、難事件を華麗に解決する。

 颯爽と現れ、推理し、難事件を解決に導く。それが小説の中での探偵の役割だ。

 そして、【探偵斬り】の被害者も探偵。しかし、その被害者たちはみな脅迫や暴力に手を染めており、我の知る探偵とは大きく乖離していた。

 どちらが本物の探偵なのか。どちらも本物なのか。わからなくなっていた。


「君と話していると、大人と話してる気分になってくるよ」洋平は軽くため息をついた。「小説に出てくるような事件は現実では警察が解決してくれるから、探偵の出る幕なんてないんだ。探偵の個人の知能よりも集団による捜査で情報を集めたほうが圧倒的に早い。それが現実だね」


「では探偵は何をしてるんですか?」

「浮気調査やいなくなったペット探し。他にも探偵と名乗っておきながら何でも屋みたいなことをしている同業者もいるね」


「ちなみに洋平さんが今している仕事は人探しよ」


 給湯室からヒカルが戻ってきた。お茶を洋平に渡し、我の向かい側のソファに座った。


「詳しくは言えないけど、自分の両親を探してくれ、という依頼でね。ヒカルちゃんには当時、近辺で発生した事件や事故を調べてもらっていたんだ」

「なるほど。蜘蛛の糸を辿るような作業ですね」


 自分の思い描いていた探偵とは違い、我は少し落ち込む。探偵とは知能が武器で優雅で自由な職業だと思っていた。

 聞き込みや調査などの地味な作業が実を結ぶと分かってはいるが、つまらないと思ってしまう。


「そう落ち込むことはないよ。僕たちは一般的に私立探偵と呼ばれているけど、それがどういう意味か、わかるかい?」 


 我が首を傾げると代わりにヒカルが手を挙げた。


「公立の探偵が存在していたんですか?」

「今も存在してる。公立探偵は警察のことだよ。昔は警察のことも探偵と呼ばれていたんだ。推理小説の探偵の役割は警察が今も受け継いでいる、と考えればいいよ。流石にやり方は違うけどね」


 へー。と思わず我は感心する。流石探偵だけあって豆知識も豊富らしい。ヒカルも初めて知った、という顔をしていた。


「しかし、探偵を名乗りながら、犯罪行為に手を染める人もいますよね……」


 我がそう言うと洋平の顔に陰りが入った。心なしか湯呑みを握る手に力が籠ったように見えた。

 ヒカルもこれ以上喋るな、と目が訴えているが我は無視して、話を続ける。


「どうしてそんなことをするんでしょうか?」 

「探偵という職業は儲からないからね。だから、犯罪まがいの行為でお金を稼ごうとする人もいる。そういう人を僕は許すことができない」

「同じ探偵だからですか?」


「いや、同じ人間として許すことができない。探偵であろうとなかろうと、やってはいけないことはある」


 まるで犯罪を行う探偵を知っているかの口調だった。実際に、洋平は【探偵斬り】について調べており、その被害者が犯罪を行う探偵であることも知っている。


「そんな儲からない探偵になったんですよね。野間さんは元々一部上場企業に勤めていたんですよね。お給料もいいはずなのに、わざわざ収入が不安定な探偵になったのはなぜですか?」


 洋平はちらりとヒカルを見る。有名な企業に勤めていたという情報を我に教えたのはヒカル以外考えられないからだ。

 洋平の視線に耐えられず、ヒカルは申し訳なさそうに顔を伏せている。

 洋平は小さく息を吐き、答えた。


「やらなければいけないことがあるから、だよ」


 先ほどまでの受け答えとは違い、洋平は簡潔に答えた。これ以上この件に関しては話すことはない。という意思表示だ。仕方ない。話題を変えたほうがよさそうだ。

 こちらを睨むヒカルの吊り上がった目がもはや限界を超え、鋭角になろうとしていた。


「これくらいでいいかな」洋平は笑顔を浮かべ、すぐに重苦しい雰囲気を振り払った。


「聞きたいことはまだあるかい?」

「え~とそうですね。そういえば、この間、派手な女性と野間さんが歩いているのを見かけたんですが、恋人ですか?」


 ちょ、何聞いてんの。とヒカルが慌てて止めようとするが、もう遅い。あまりに慌てたのか、ヒカルは机に膝小僧をぶつけて無言で悶絶していた。


「派手な女性……。おばあちゃんじゃなくて?」

「金髪のド派手な女性です」


「たぶん羽鳥のことだね。ハハハ。そうか見られてたのか」


 と、照れくさそうに洋平は頬を掻く。まるで恥ずかしい場面を見られたかのような反応にヒカルの表情は失い、目に光がなくなった。

 さっきから百面相のように忙しなく表情を変えるヒカルはまるでおもちゃのようで見ていて飽きることがない。


「ただの友人だよ。僕は今、恋人は募集中なんだ。残念ながらね」

「そうなんですか。とても仲よさそうに見えましたけど」


「昔からの付き合いだからだよ。幼馴染とは違うけど旧友だね。けど、それだけの関係だ」


 我々は羽鳥が情報屋だということを知っている。しかし、洋平はそれを明かそうとはしなかった。古い付き合い、という言葉に嘘はないが仕事上の付き合いに関しては一切洩らさなかった。

 子供である我に全てを話すほど洋平はお人よしでも間抜けでもない。ということだ。

 これ以上の情報を集めることは難しい。洋平はこう見えて話すべきことと話してはいけないことの分別がついている。

 我が子供だからと言って口を滑らせることはないだろう。

 我の話はこれで終わり、この場はお開きとなった。

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