第33話 お守り。

被害者に記者だと嘘をつき、事件について知っていることを聞き出してから三日ほど過ぎた。

 今日はヒカルが母上から料理を教えてもらう日で、ヒカルが我が家に来ていた。いつも通りヒカルは晩御飯を我が家で食べていく。

 今日のメニューは鮭のムニエルにみそ汁とほうれんそうの煮びたし、それに納豆とひじきの煮物となっている。

 ヒカルの担当はみそ汁と鮭のムニエルだ。

 母上が作った料理が美味しいのは当然だが、最近のヒカルの料理もなかなか行ける。一か月前は火をつけるだけでも母上に許可を取ったりと緊張していたのに、今では母上の指示がなくとも勝手に味付けをするほど上達していた。

 元々ヒカルは物覚えがよく、頭がいいので応用もできる。手先も器用で料理に向いていたのだろう。毎日、自炊してお弁当を作っているのでこの短期間でもめきめきと腕を上げている。

 そのうち母上のようにお手製のレシピを考案し、披露するようになるかもしれない。

 この間、母上がヒカルの料理の腕の成長があまりにも早いので教えることがすぐになくなってしまう、と嘆いていた。誰かに教えるという行為は母上にとっても楽しいことだったようだ。

 そんな母上のために我も料理を手伝う、と申し出たことがあったのだが、子供用のプラスチックの包丁で指先を切って以来、我は台所への侵入が禁止されている。


「さて、母上がお風呂に入ったことだし、【探偵斬り】に関する情報を整理するか」


 母上は今、お風呂に入っている。母上は長風呂が好きなのでお風呂に入ると三十分、長い時は一時間以上出てこない。いつもお風呂の間は鼻歌を唄っていてこちらから声をかけてもなかなか反応してくれない。だから、内緒話をするにはもってこいの状況だった。

 後片付け担当のヒカルはお皿を洗いながら我と会話する。


「ひとまず今日までに分かった情報を用紙に箇条書きしておいたから、新しい情報があれば付け足していいわよ」


 先ほどまで料理が置かれていた机は片づけられ、代わりに大きな紙が一枚置かれている。補助線も書かれていない用紙なのに、文字は斜めになったりせず、規則正しく横一列になっている。ボールペンで書かれたヒカルの字はとても上手で読みやすかった。


・【探偵斬り】は探偵だけを狙う通り魔である

・犯行時間は深夜のみ、犯行場所は人気のない場所

・目撃者はいない

・被害者はナイフによる刺し傷、切り傷のみで命に関わる傷ではない

・今のところ被害者は三人。全員が男。

・犯行があった日は二月十日。二月二十三日。三月二十日。

・犯行現場はQ市にほど近い場所である。

・第一の被害者、丸井崇(43)とある興信所の所長。

・第二の被害者、細田直樹(51)とある探偵事務所の所長。

・第三の被害者、塚山藤治(27)とある調査会社の社員。

・被害者の共通点は男、探偵であること。

・【探偵斬り】の手口は被害者の背後から静かに近づき、刺して、逃げる。

・いずれの被害者も【探偵斬り】の顔はおろか、後ろ姿すら見ていない。

・被害者がなぜ、深夜に人気のない場所を歩いていたのか、などの疑問が残る。

・三人の事務所はいずれも悪名高い探偵事務所として有名だった。


「わかりやすくていいな。ところで最後の情報は初めて聞いたのだが、確かなのか?」

 

 一つずつ食器を丁寧にスポンジで洗い、食器洗浄機へと投入していく。我が家では食器洗浄機に入れる前に食器を手洗いしておくことになっている。食器と食器がぶつかる音が規則正しく鳴っていた。


「ええ。あの羽鳥って女性が洋平さんと話しているのを聞いて、気になったから調べてみた。三人とも基本はもめ事処理、と称して脅迫や恐喝を行ってたようね。時には暴力団関係者の名前を使ったりして警察の厄介になってるみたいね」

「丸井崇の会社は普通の会社に見えたけどな……」


 外見は真っ当な仕事をしているように見えたが、そうではないらしい。


「探偵なんてそうそう儲けが出る職業じゃないもの。悪いことの一つや二つしないとあれくらいの会社は経営できないんでしょ。あ、もちろん洋平さんは違うわよ。そんなことする人じゃないから誤解しないでね」


「わかってるさ……」


 それにしても、と我はヒカルの書いた用紙を手で持った。ここには書かれていない情報がいくつかあるが、それはヒカルが意図的に隠している物である。つまり、我に教えたくない情報であるはずだ。それを追求するのに迷いが生じる。

 ヒカルと契約をして以来、いろいろと話をし、互いのことはある程度分かったはずだ。十分な信頼関係を築けた、と我は思っている。

 しかし、その上で隠し事をするのであればそれは我が口出しすることではない。そう判断することにした。


「これらの事実を総合すると【探偵斬り】の動機は怨恨の可能性が高いな」

「……おそらくね。あくどい探偵に脅され、探偵を恨んでいる。だから、同じような行為をしている探偵に制裁を―――。そう考えるのが自然ね」


「だが、【探偵斬り】の行為は被害者に対してそこまで効果があったとは思えない。実際、彼らは数日入院しただけで今はぴんぴんしている。あくまで運が悪く通り魔に襲われた、と思っているから怯えることなく探偵業務に勤しんでいる」

「それはたしかにそうね。通り魔の狙いが探偵だというのは報道規制が敷かれてるみたいだし」


 犯人の目的が悪の探偵に正義の鉄槌を下すことであれば今のままで満足できるわけがない。【探偵斬り】は現状に不満を抱き、焦れている。被害者にはもっとダメージを受けてもらわなければ困るのだ。

 そうするためには


「通り魔の狙いが探偵である。とニュースで報道されること。そうすれば被害者たちの悪事にも注目され、マスコミの取材が殺到する。当然、探偵という業界全体にも大打撃を与えられる」


 皿洗いを続けながらもヒカルが我の話をしっかりと聞いている気配がした。


「三回までは偶然でも四回目は偶然にはならない」


 ガタンと皿が床に落ちる音が鳴る。ヒカルが誤って落としてしまったようだ。運よくその皿は強化ガラスだったので割れなかったが、しっかり者のヒカルにしては珍しい失敗だ。

 慌ててヒカルは皿を持ち上げてひびなどがないか、確認する。


「それってつまり、もうすぐ次の通り魔が発生する、ということ?」

「我はそう考えている。最後の事件から一か月以上経過しているのは気になるが忘れかけた事件を思い出すのにちょうどいい時期でもある。この時期にもう一度事件が起こり、その被害者に共通点が見つかれば、マスコミも黙っていないだろう」


 そうなれば情報規制も意味はない。今はインターネットという便利な道具があるので情報は瞬く間に広がり、憶測が憶測を呼ぶ。

 【探偵斬り】という異名は人の目にインパクトを与える。日々、非日常に飢えている人々はここぞとばかりに調べ始める。そして、【探偵斬り】は一気に有名になり、その被害者の素行にも目が行く。そうなれば探偵の行う悪事にも注目されることになる。


「考えてみると一か月という期間は様子見の時間だったのかもしれない」


 ヒカルの紙に我も書き込みを入れる。


・一か月の様子見。


 最後の事件は三月二十日。今は五月の前半。一か月以上事件が起きていない理由はいくでも推測はできる。

 【探偵斬り】のプライベートが忙しかった。

 次のターゲットを探していた。

 通り魔に対するパトロールの監視が厳しく、事件を起こすのを自粛していた。

 単に飽きてしまった、満足した。

 などいろいろだ。

 一瞬で思いつくだけでこれだけあるのだからこれ以上の推測は無意味である。


「通り魔の被害者は三人。最初は人を斬ることに抵抗があっても三人も斬っていれば流石に慣れてくる」

「……」


 沈黙が漂う。ヒカルは黙って我の次の言葉を待っていた。



「【探偵斬り】が【探偵殺し】になるかもしれない」


 ヒカルの息をのむ音だけが鮮明に聞こえてきた。




***


 母上がお風呂から上がり、次にヒカルも我が家のお風呂に入った。ヒカルは一人暮らしであり、どうせお湯を使うのなら三人で順番に入った方がお金が浮く、と母上に説得されたのだ。だから、夕食を一緒にする日はヒカルも我が家のお風呂に入ることになっている。

 お風呂の最後は我だ。この順番は順不同であり、我が一番最初に入ることもあるが、ヒカルは一番に入ることだけはない。ヒカルにとっては家の主でもないのに一番風呂に入るのは抵抗があるらしい。

 前に母上が三人で一緒に入ることを提案したが、その時は全力で拒否していた。死んでもあり得ない。とまで言っていた。

 我が家のお風呂は大きいので三人くらい入ろうと思えば入れるのだが、変わった娘である。


 ヒカルは今日は早めにお風呂を終え、帰り支度を始める。いつもはもう少しゆっくり湯船につかっているのだが、今日は心なしか焦っている雰囲気があった。

 支度と言ってもヒカルの家は我が家の一つ下の階で歩いて数分もかからない場所である。持ってきたのは着替えと料理勉強用のノートくらいで大したものは持ってきていない。


「今日子さん。いつもありがとうございます」


 玄関でヒカルは頭を下げた。

 別にいいのよ~と間延びした声をしながら母上は手を両手を振る。


「次はいつにする? 平日ならいつでもいいわよ」

「では来週の火曜日でお願いします」


「わかった。それじゃあ、次はちょっと変わった料理に挑戦してみましょう。楽しみにしててね」

「はい」


「では今日子さん、また今度」

「ばいば~い」


 と、いつものやり取りを行ってヒカルは家を出た。

 ヒカルは料理を教えてもらった日はいつもお礼を言って帰っていく。時々、実家から送られてくる特産物なども手土産として持ってくる。母上はいつも遠慮しなくていい、というのだが、ヒカルはそれをやめなかった。律儀というか、融通が利かない。それがヒカルのいいところでもあり、悪いところでもあった。


「シンちゃん、お風呂に入りなさい」


 母上の声に、は~い、と返事をした。そして、今初めて何かを見つけたかのように大げさに声をあげる。


「あ、お母さん。ヒカルお姉ちゃんが忘れ物をしたみたいだから、ちょっと届けてきます」

「本当? ヒカルちゃんにしては珍しいわね。わたしが届けましょうか?」


「いえ。お母さんの手を煩わすほどではありません」


 そう言って我は急いでヒカルを追いかける。

 ドアが閉まる間際、母上が気をつけてね~、と我を心配する声が聞こえてきた。

 歩いて数分の距離なのに、心配性の母上である。


 一階分降りるだけなのでエレベーターを待つより、階段のほうが早い。そう判断した我は階段のほうへ向かう。

 するとヒカルが階段を下りる姿が見えた。すぐに家を出たのでヒカルが帰る前に間に合ったようだ。

 その後ろ姿に我は声をかけた。


「ヒカル!」


 ヒカルは振り返り、我を見て目を丸くして驚いている。


「どうかしたの?」

「忘れものだ」


 そう言って我は階下のヒカルに向けて手の中にあった物を投げた。それは綺麗な放物線を描き、ヒカルの手元に吸い込まれるように入った。

 ヒカルは掴んだ物を広げて、眺める。


「ブレスレット?」


 我が投げたのはブレスレット。大きな水色のガラス玉を加工し穴をあけて金属の輪で固定したものだ。


「私の物じゃないわよ」

「これからお前の物になるんだ」


 我は無詠唱魔法でブレスレットを動かし、ヒカルの左腕にそれを装着させた。ひとりでに繋がったそれをヒカルは無理やり取ろうとするが金属でできているので人の力では曲げることもできず、取れない。


「なにこれ? いったい何をしたの?」

「お守りだ。急造の物だから一回限りの使い捨てであるが、祈れば守り神が其方を助けてくれるだろう」


 これが? とヒカルは疑わし気な目をブレスレットに向ける。引っ張ってもブレスレットは動かず、取れたりしない。


「魔法を込めるには綺麗な球体のガラス玉が望ましい。前世ではそれを作るのがまず大変だったのだが、この国は簡単に手に入るので有難い」


 他には宝石などが魔法を吸収することができるが、高価で手が出せないのでガラス玉を使用している。

 前世ではガラス玉を作っても歪んだ球体が基本なので、限りない球に近づくほど値が張る。その分、魔法の力も籠めやすく、効果も大きな差があった。

 そんな品物が日本では子供のお小遣いで買える程度の値段なのだから驚きである。


「そういえば今日子さんも似たようなペンダントをしてたわね」


「ああ。あれは母上を守るための特別製だ。ありとあらゆる魔法と衝撃を防ぎ、自動で反撃する我の最高傑作だ。作った我であろうとあれを着けている母上を傷つけることは不可能なほどの逸品。あれほどの物はもう二度と作れないだろう」

「……マザコン」


「ほっとけ」


 ヒカルの表情が緩む。そして、楽しそうにくすくすと笑った。


「ありがとう。お礼を言うわ」

「どういたしまして」


「私のことを心配してくれてるんでしょう?」

「別にヒカルの心配はしていない。ただ魔法具を開発していて失敗作ができたからヒカルにあげようと思っただけだ」

 

「そうなんだ」


 半眼の呆れたような疑うような眼でヒカルは我のほうを見る。

 我はその視線から逃げたりせず、堂々と答えた。


「そうだ」


 我の答えにヒカルは面白そうに微笑む。

 そして、もう一度腕輪を見て、首を傾げた。


「ところでこのガラス玉。どこかで見覚えがあるんだけど……」

「それは口の中がシュワシュワする飲み物の中に入っていた物だ」


「……」

「……」


 ヒカルが半眼でこちらを見る。きっと我の優しさに感動のあまり、泣きそうになっているのだろう。感極まったあまり、言葉も紡げずにいるに違いない。

 

「なんか手がベタベタしてる気がする。やっぱりいらない」

「我の宝物を使用した品だぞ! 失礼な!」


 なんという文句の多い娘だ。我がお気に入りとしてとっておいた後、毎日のように磨いたビー玉である。それに三日かけて魔法を込めて作ったというのに。

 前世の国であれば我が魔法を込めた品というだけで高値で取引され、奪い合いにも発展する品物である。

 

「冗談よ。ありがたくもらっておきます」

「それならいい。これだけ文句を言われても返せと言わない我の寛大な心に感謝するといい」


 我が胸を張り、ヒカルを見下ろすとヒカルはクスリと笑い、手を振った。我のあげた腕輪がきらりと光るのが見える。

 さすが我、センスがいい。

 ヒカルは余計な装飾品を嫌うだろうと思い。シンプルなデザインにしておいた。腕輪は本人の意思に反応して取り外しが可能になっていて、本人以外には外せない仕組みになっている。今は言わないがヒカルが自分で邪魔だと思えばすぐに外れる。しばらくすれば自分で気づくことなので我はわざわざ伝えたりはしなかった。


「また明日」

「ああ。また明日会おう」


 そう言ってヒカルは自宅に帰っていった。

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