第32話 被害者の元へ。
パフェを食べ終えた我々は今度は被害者の元へ話を聞くことになった。ヒカルの調べでは第一の被害者と第二の被害者はすでに傷を治し、退院しているそうだ。二人とも傷は浅く、命の別状はない。後遺症もなく、通り魔に刺される前と同じ生活を行っているそうだ。
「第一の被害者。名前は丸井崇。年齢は四十三歳。興信所の所長だそうよ」
「同じ探偵でも言い方はいろいろあるんだな」
興信所。調査会社。探偵事務所。どれも違う言葉を使っているが本質は同じで【探偵斬り】が狙う探偵である。日本語はこういう風に色んな言い方がある点が嫌いである。
「格はこちらの方が断然上のようだが」
丸井崇が営む『まるい興信所』は駅前のビルの三階を陣取っている。人通りも多く、目立つ位置に看板も立っている。ビルも新しいようでガラスは太陽の光を反射させてきらきらとしている。テナント料も馬鹿にならないはずだ。
寂れたビルの一室に座する『かりの探偵事務所』とはえらい違いだ。
「アポイントはすでにとってあるから、行くわよ」
我を引っ張り、ヒカルはエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの中でヒカルはカバンから眼鏡を取り出す。
黒縁の大きな眼鏡だが、ヒカルの視力は悪くない。これは変装のためである。
エレベーターはすぐに三階に着き、自動で扉が開く。流石は文明の利器。階段と違って全く疲れない。
エレベーターの案内ではこのビルの三階はまるまる『まるい興信所』が使っている。
エレベーターを降りるとすぐに受付カウンターで女性が待機していた。そして、見事な姿勢で我々に頭を下げる。
「いらっしゃいませ。どういったご用件でしょうか?」
「今日の二時に約束をした島川と申します。所長さんはいらっしゃいますでしょうか?」
ヒカルの苗字は嶋野であって島川ではない。わざわざ偽名を使ったようだ。かなりの念の入れようだ。
「所長の丸井ですね。少々お待ちください」
そう言って女性はそばの受話器を触り、連絡をする。所長を呼び出しているようだ。
我は『まるい興信所』の内部を見渡した。エレベーターを出てすぐに受付があり、その奥にはパソコンが乗った机が並んでいる。何人もの人が静かにキーボードを叩いている姿が見えた。
右側の壁はガラス張りで、奥が見えるようになっている。左側はしっかりとしたコンクリートで固められて中の様子は確認できない。
右側の大きなスペースにはダンベルや筋力トレーニングの道具が置かれている。音楽を聞きながらランニングマシーンで走っている人もいる。まるでスポーツジムのようだ。
ここが興信所だと事前に知っておかなければどんな会社なのか全然予想がつかなかったであろう。
「お待たせしました。奥の応接室へどうぞ」
受付の女性に案内されるまま左側のほうへ向かう。見えない壁の向こうは応接室となっているらしい。壁を軽く叩くと普通とは違う鈍い音が鳴った。ひょっとすると防音機能もあるのかもしれない。
応接室と書かれたプレートがついたドアを女性はノックする。
「所長。島川様がいらっしゃいました」
「通してくれ」
中から野太い声で指示があり、女性はドアを開ける。
中には黒の大きなソファに座る恰幅のいい男が座っていた。この男が丸井のようだ。
「失礼します」
ヒカルは一礼して中に入る。その後ろに引っ付くように我も入った。ヒカルの後ろからついてきた我の姿を見て、丸井は一瞬だけ眼を丸くし、すぐに平静を取り戻した。
「はじめまして。丸井崇です」
「このたびはお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。島川リョウコと申します」
二人は握手を交わし、名刺交換を行う。
ヒカルの手にある名刺を見ると肩書はフリージャーナリスト。名前は島川リョウコになっている。電話番号も書かれているがおそらく偽物だろう。
「お若いですね。大学生と間違えられたリしませんか?」
実際、嶋野ヒカルは大学生なのだから、丸井の指摘は間違っていない。どう反応するかと思っているとヒカルは堂々と微笑んだ。
「ありがとうございます。こう見えて歳はけっこういってます。単純にメイク上手なんですよ」
「ほう。そうは見えませんが、本当にお若く見えますよ。そこまで言われると年齢を聞きたくなりますが、やめておきましょう。女性に年齢を聞くのはタブーです。それが初対面であるなら尚更」
「それは有難いです」
どうぞ、お座りください、と丸井に勧められ、ヒカルと我は丸井に向かい合う形でソファに座る。
丸井は高級そうなスーツを着ているが、サイズが合っていないように見えた。丸井が屈むだけで前のボタンが飛んでいきそうなほどだ。丸井の大きな体格をスーツで無理やり押さえつけている。まるで拘束具だ。
丸井の視線が正面に座るヒカルの全身を舐めるように捉えた。顔は微笑んでいるが人を値踏みする見下したような眼をしている。
散々ヒカルを観察して満足したのか、丸井の目がようやく我のほうへ向いた。
「ところでこちらのお子さんは?」
「親戚の子なんですけど、学校で職業見学の課題がありまして。今日は一日私に密着取材です。大人しいので問題はないと思いますが、不都合があれば外で待っていてもらいましょうか?」
「それならば構いません。私は子供が大好きですから」
「ありがとうございます」ヒカルは丸井に頭を下げる。そして、我のほう見た。「ヨウちゃん。静かにしておいてね」
「はい。島川さん」
我はここでは小学生の設定なので行儀正しい小学生の振りをして、頷いた。ここからは黙ってヒカルと丸井のやり取りを観察するつもりだ。
今回、ヒカルはフリージャーナリストとして、興信所を経営する丸井のインタビューをする、という形で約束を取りつけた。
掲載される雑誌はQ市のある県内で人気の情報誌の名前を騙っている。フリーペーパーなので今回はインタビュー代を無料にしてもらう代わりに広告費無料で『まるい興信所』を宣伝する、という形にしてある。
当然、嘘のインタビューであり、現役大学生のヒカルにとっては嘘で固めた形になっているが、ヒカルは落ち着いていて、今のところボロを出す気配はない。
ヒカルはメモ帳とボイスレコーダーを用意して丸井とのインタビューに臨んでいる。
最初は他愛無い日常会話から、この興信所を立ち上げた当時の話や苦労話などをして、徐々に丸井の口を滑らかにしていく。
元々丸井は自分の自慢話をするのが好きな部類なようで、ヒカルが持ち上げれば持ち上げるほど口を動かしていった。
丸井に疑いの目を向けられないよう、慎重にヒカルは本題へと切り替えていく。
「そういえば丸井所長は最近、通り魔に刺された、とニュースで見ましたけど、大丈夫だったんですか?」
「ああ。後ろからざっくりやられたよ」
後ろを向いて、丸井はヒカルに背中を見せる。まるで風船のように膨らんだ背中を人差し指でなぞり、刺された傷を説明する。
「これでも興信所の所長として体は鍛えているから、すぐに体をひねらせたおかげで軽傷だったよ。足をくじかなければ捕まえることもできたんだが、実に残念だ」
どこから見ても鍛えているとは見えないだらしない身体をしているが、本人が言うのだから、鍛えているのだろう。腹筋五回もできずにダウンしそうに見えるが。
「後遺症などは?」
「大丈夫だった。三日ほど入院していたが警察の質問攻めのほうがきつかったね。こっちは被害者だっていうのに何なんだろうな、あの態度は。本当にいけ好かない奴らだ」
「警察にどんなことを質問されましたか?」
「犯人の顔は見たか? とか、覚えていることは何でもいいから言え、とか聞かれたな」
「見たんですか?」
「いいや」丸井は首を横に振る。「後ろ姿さえ見なかった。背中に誰かがぶつかった、と思ったら気を失っていた」
ナイフが刺さった瞬間に体をひねったのではなかったのか。先ほど言った言葉も忘れるほど丸井は饒舌だった。
「丸井さんはその日、どんな目的であの場所へ?」
「う~む。散歩だったかな」
ヒカルの質問に丸井の饒舌が不意に止まる。先ほどまで聞いてもいないことでもほいほい話していたのに丸井の顔が一瞬だけ歪む。
しかし、一番聞きたい部分に差し掛かり、興奮しているのか、ヒカルはそんな丸井の様子に気づかない。
「あんな夜遅くに散歩ですか? 丸井さんの家はあそこから近いのですか? 」
「近くはないが、遠くもない。別に私がいつ散歩しようと勝手だろう。警察にも聞かれたが私はただ散歩をしていたのだ」
それだけだ。と言い切り、この質問を断ち切る。ここまでくると流石にヒカルも丸井の異変に気づいた。これ以上刺激してはいけない、とヒカルは別の質問に切り替えた。
「ある日突然、事件に巻き込まれたわけですが、その後の生活への影響などはありましたか?」
「特にはないな。傷が完全にふさがるまで酒が飲めなかったのが辛かった。こんな大変な思いをしたのだから犯人は早く逮捕されてほしいね。警察は何をしてるんだ、まったく」
「犯人に心当たりは?」
「あるわけないだろう。通り魔なんだから、深夜に人気のない場所を歩いていた私を見つけ、無差別に襲ったに決まっている。私の後に二人も刺されたそうだが、男ばかりを狙うとは異常性癖の持ち主なのかもしれない」
この男も【探偵斬り】の異名を知らないらしい。自分はあくまで通り魔の被害者であって、探偵だから狙われたということも耳に入っていないようだ。他の二人の被害者もニュースになった時は会社員といった肩書きで、実名をぼかして報道されていたので探偵だとはわからなかったのだろう。
「どうせ狙うなら女性を狙うのが普通だろう」
「普通、でしょうか?」
「それはそうだろう。女性のほうが力が弱く、犯罪に巻き込まれやすい。島川さんも夜道には気をつけたほうがいい。美人なんだから」
「……ありがとうございます。お世辞がお上手ですね」
「お世辞ではないよ。本当に綺麗だと思ってる。島川さんさえよければ今度夕食でもどうだい?」
「プライベートな話はインタビューが終わってからでよろしいですか? まだボイスレコーダーも動いてますから」
「おお。これはすまない。どうぞ続けてくれ」
「それでは~~~」
あくまで通り魔の話は世間話程度と思われなければならない。それが目的だと丸井にばれてはまずい。だから、ヒカルはより聞きたかったであろう通り魔の話はここで打ち切り、再び『まるい興信所』の話に戻った。
***
一通りにインタビューが終わり、一段落したころに誰かが部屋をノックする。
「所長。そろそろお時間です」
受付女性が部屋に入ってくる。
「もうそんな時間か。楽しくてすっかり時間を忘れて話し込んでしまった」
「本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます。いい記事が書けそうです」
応接室を出て、外へと向かう。ヒカルのことをよほど気に入ったのか、丸井はエレベーターの前まで見送りに来てくれた。
そして、最後に握手を交わす。
「何かあれば名刺の連絡先に電話をくれ。島川さんならどんな予定よりも優先させるよ」
「ありがとうございます」
エレベーターが閉まるまでヒカルは手を振り続けた。その顔に笑みを張りつけたまま。
そして、ドアが閉まり、丸井が完全に見えなくなった瞬間、崩れた。
「はぁ~、疲れた」
先ほどまで仕事ができる女性を演じていたのが嘘のように脱力し、ヒカルはエレベーターの壁にもたれかかる。その拍子に眼鏡もずり落ちるが、疲労困憊のヒカルに眼鏡をかけなおす余力は残っていなかった。
「たいしたものだな。女優に向いてるんじゃないか?」
「もう二度としたくないわ。笑顔が顔に張りついてる」
ヒカルはマッサージするように顔を両手でもみほぐす。頬が痙攣している。相当無理をしていたようだ。
「私、あの丸井って男苦手。なんだか人をやらしい目で見てる気がする」
たしかに丸井はヒカルのことを性的な目で見ている節があった。帰り際も連絡をくれ、と迫ってくる場面もあり、ヒカルのことを気に入ってることは間違いない。四十三歳で奥さんと子供もいるはずだが、節操のない男だ。
「なんにしてもお疲れ様だ。ご苦労だったな」
「ありがと」
そんなやり取りをしているうちにエレベーターは一階に到着し、ドアが開いた。先に出ようとするヒカルの後ろから出ようとし、鼻をぶつけた。
前を歩くヒカルが急に止まったせいだ。ヒカルの背中にぶつかり、我はたたらを踏む。
「何をしている。早く歩け」
と、ここでようやくヒカルが何かに気を取られ、歩みを止めたのだと気がついた。
動かないヒカルの脇を進み、我もそれを見る。
「大丈夫?」
そう我に問いかけてきたのは金髪の女性。一度見たら忘れないインパクトのある派手な女性。
羽鳥だ。
なぜここにいるのか。
声に出そうになるがすんでのところでこらえる。我は羽鳥を知っている。しかし、羽鳥は我を知らない。初対面であるはずの羽鳥に不自然に思われないよう我は笑顔で応じる。
「大丈夫です」我はヒカルの足を軽く蹴った。「お姉ちゃんボーっとしてないで早く行くよ」
先ほどまで丸井相手にインタビュアーの振りをしてヒカルは長時間の緊張感に晒されていた。それがやっとエレベーターで解けたばかりなのでヒカルの頭はオーバーヒートした状態だった。まだ頭の切り替えができていないようだ。
洋平と会っていた羽鳥がなぜここにいるのか。丸井の関係者なのか。
予想外の出会いに混乱して、動きが停止しているヒカルの袖を引っ張り、早くここを離脱することを勧める。
「ええ。そうね。早く行きましょう」
できる限り不自然に思われないようなやり取りをして、我とヒカルはその場を離れた。
無言のまま我々はビルの出口でしばし待機する。そして、羽鳥がエレベーターに乗り込むとエレベーター前まで戻った。口裏を合わせたわけでも打ち合わせがあったわけでもないのに我々は同じ行動に出ていた。
そして、エレベーターのランプが止まった場所を確認する。
「三階だな」
「ええ。そして、あの階は『まるい興信所』しかないわ」
我とヒカルは顔を見合わせる。
あの女はいったい何者なのか。その疑問が膨れ上がった。
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