第31話 野間洋平との出会い。

「洋平さんのこと呼び捨てにしてた。あの女……」

「うんうん、そうだな」


 まずはミートスパゲティの塊にフォークを突き刺す。そして、一気に巻き上げる。そうすることでフォークにスパゲティが絡みつき、大きな団子ができあがる。それを我は一口で口の中に放り込んだ。

 

「ちょっと聞いてる?」

「もごもご(聞いてる。聞いてる)」


 

 野間洋平と羽鳥とかいう女性がいなくなった後、バイクで移動し、ファミレスに来たのだが、それからずっとヒカルは同じようなことを我に問いかけてくる。内容は全てあの金髪女の話だ。まるで酔っ払いに絡まれたような気分であり、非常に鬱陶しい。

 ちなみにヒカルが頼んだ料理はカルボナーラで、先ほどからフォークで突いてばかりで量は一向に減っていない。


「あの女、洋平さんと親しげだったなぁ……」

「うんうん、そうだな」


「ひょっとすると彼女とか?」

「いや、それはないだろう。あくまで情報の売買をする関係に見えた」


「本当に? 本当にそう思う?」


 顔が近い。興奮しているヒカルは我の目と鼻の先まで詰め寄ってくる。

 こんなことで嘘を言ってどうするのか。

 我は心の中でため息をついた。普段は落ち着いていて、大人じみているヒカルだが、洋平のこととなると年相応になる。

 恋愛、それは神聖なる狂気である。

 誰の言葉なのかは知らないがいい言葉であり、今のヒカルにはぴったりであった。

 とはいえ、動揺しているヒカルにちょっぴり悪戯したくなるのもまた道理である。


「だが、長い付き合いではあるようだったな。気が置けない友人のようで、仲がよさげに見えたのはたしかだ」

「……」


 墜落したようにヒカルは頭を机に押し付けた。当たらないようにカルボナーラの容器を横に置いてあるあたりは冷静なようだ。

 洋平のことがそんなに好きなのか。

 ちょっと興味が沸き、質問をしてみる。


「ヒカルの洋平との出会いは中学校だったか?」

「いいえ。私が高校生で洋平さんがOBとして吹奏楽部に来たの。私と洋平さんの使用する楽器が同じで、指導をしてくれたのが出会いよ」


「たしかトロールの骨を用いた楽器だな。大きくて腹に響く音が鳴りそうだな」

「トロンボーンね」


 ヒカルは顔を横に向けて、机に頬っぺたを引っつけた状態でカルボナーラを食べ始めた。落とすこともなく、器用に食べているが、行儀が悪い。


「洋平のことを好きになったのはその時か?」

「う~ん。どうなんだろ。わかんないな」

 

 好きだ、好きだと言う割に淡白な反応だった。


「なんだ。つまらない」

「つまらないって何よ。どんな話があると思ったのよ?」


「洋平が雨の中、捨てられた猫にエサをあげる姿を見た。とか暴漢に襲われそうになったところを助けてもらった。とかそんな面白いエピソードはなかったのか?」

「漫画か!」


 前世で長い時を過ごしておきながら、我は恋というものを語ることができない。貴族や王族にとって夫婦は愛情よりも地位や血筋が重要視される。誰かを好きなる、という感情からは剥離した人生だった。それゆえ、ヒカルの恋の話に興味があったのだが、ヒカルは曖昧な反応ばかりで我が求めていた物とは違うようだった。これならばまだ少女漫画を読んでいた方が参考になりそうだ。


「……いつの間にか好きになってたのよ。気がつけば目が洋平さんを追ってた。」


 そういうものなのか。と呟くとヒカルは小さな声でそういうものよ、と答えた。


「洋平がトロンボーンをヒカルに教えていたのならば、ヒカルより上手だったのか?」

「もちろん上手よ。というより、洋平さんの演奏は凄かった。もちろん男性だから肺活量が多い、という理由もあるけどそれ以上の何かがあった。誰かの演奏を聞いて感動したのはあの時が初めてだったかも」


「それほどのものだったのか。洋平は今でもトロンボーンを吹いているのか?」


 トロンボーンという楽器を見たことがない。一度演奏しているところを見てみたい。今度、ヒカルに頼んでみようか。楽しみだ。


「いいえ。辞めたわ。私が高校二年生になったころに突然……」

「とつぜん?」


「ええ。それと同時に勤めていた会社も辞めて、今は探偵事務所をやっていると聞いたときはさすがに驚いたわ」


 探偵でもないヒカルが独自にそこまで調べたという事実に我が驚いた。

 しかも、洋平と同じ大学に入り、洋平の探偵事務所にアルバイトとして働き始めるその行動力は凄まじい。

 この娘。ストーカーの素質は十分にあるようだ。いや、本人は気づいていないだけで実はストーカーに片足を踏み込んでいるのかもしれない。


「羽鳥という女は初めて見たのか?」

「ええ。探偵事務所でバイトを始めてから何人かのお得意様と顔を合わせることはあったけど、事務所に来たことはないわ」


 羽鳥はとても派手で一度見たら忘れないようなインパクトがあった。ヒカルも人目でも見ていれば覚えているはずだ。では探偵事務所に来たことがないのは偶然か。それともヒカルに会わせたくなかったのか。

 

「そういえば探偵事務所にバイトとしてよく雇ってもらえたな。探偵というの薄給で経済的に厳しいと聞くぞ」


 聞く、というか読んだ本の受け売りなのだが。


「初めての一人暮らしだから心細いんです。と交渉したら雇ってくれたわ。だいぶ渋ってたけど」

「業務内容は?」


「基本掃除ね。事務所に入るのが禁止の日が時々あるけどそれ以外の日は来客の相手をしたり、とか電話番をしたり、書類をまとめたり、いろいろしてるわ」


 けっこうヒカルは役に立っているらしい。見た目もしっかりしているので大人相手でも気後れすることなく対応できるようだ


「アルバイトを雇って経済的には大丈夫なのか?」

「経理に関してはバイトの業務外だから知らないけど、時給850円よ。毎日通ってるわけでもないし。それに、洋平さんはしっかりしてるはずだから、厳しいのであれば私なんて雇わないわよ」


「しっかりしてる、とはヒカルの感覚でだろう?」


 ヒカルは洋平の全てを知っているわけではない。しかも、恋というフィルターにかかっているのであまり信用はできない。実は火の車で借金の自転車操業なのかもしれない。


「大丈夫よ。洋平さんは探偵事務所をする前は一部上場企業に勤めていたのよ。凄いんだからね」


 まるで自分のことのように嬉しそうにヒカルは胸を張る。

 一部上場企業とはよくわからないが、きっと凄いのだろう。しかし、それにしても一部上場くらいでそんなに偉そうにできるのか。

 どうせなら一部ではなく全部上場くらいで自慢してほしいものだ。


「洋平さん。あの女の人のこと好きなのかな?」


 我が黙っているとヒカルの中でいつの間にか話が戻ったようだ。またあの羽鳥とかいう女性の話が始まる。


「知らんよ。いっそ、洋平本人に好きな女性のタイプを聞いてはどうだ?」

「そんなの聞けるわけないじゃない。恥ずかしい」


「そういうものなのか……」


 好きな相手の職場に直接押しかける度胸があるのに、好きな女性を聞くことはできないのか。

 乙女心はよくわからない。これは前世でも今世でも共通事項であった。


「あの人。ピアスつけてたよね」

 

 耳元の髪の毛を押さえ、ヒカルは耳を露わにさせる。小ぶりの可愛らしい耳が見えた。

 ヒカルは自分の耳たぶをふにふにと触る。

 それにつられて我も自分の耳たぶを触ってみた。

 なんだかこうしていると落ち着く。母上が熱い物を触った時に耳たぶを触っていたことを思い出した。これは耳たぶは体の中で最も温度が低いかららしい。


「ピアスとは耳たぶに穴をあけるものか?」

「ええ。そうよ」


 ピアスの文化は前世でも存在していたが我の国では宗教上、あまり好まれていなかった。身体に自らの意思で傷をつけるという考え方が許されず、拒絶する者も多い。

 前世でのピアスは日本においての入れ墨と似たような反応を示す。

 逆に前世の世界では日本と違い、入れ墨に対して寛容であった。これは入れ墨で魔法陣を体に描き、すぐに発動できるようにしている魔法使いが多かったからだ。

 たとえ魔法使いでなくてもあらかじめ魔法陣を体に埋め込むことで魔力を込めるだけでその魔法が発動できる。それゆえ、冒険者にとっての切り札として人気が高く、体に絵柄が書かれている冒険者も多い。

 もし入浴施設が入れ墨禁止にとなればその施設は一ヶ月も経たずに畳まなければいけなくなってしまう。それくらいの度合いである。

 人によっては全身を魔法陣で埋め尽くした稀有な者もいたそうだ。


「そういえばピアスは日本では宗教上、受け入れられているようだな」

「宗教上?」 


「うむ。日本は仏教であろう?」

「信教の自由だから何とも言えないけど仏教が多いのはたしかよ」


「仏教の神様である大仏はピアスをしているではないか。神様が推奨しているのだからピアスも流行っているのだろう?」

「え、大仏ってピアスしてるの?」


 驚いたヒカルはすぐにスマホを取り出し、検索する。数秒ほどで結果は出た。


「本当だ。大仏がみんな福耳なのはピアスの穴が大きくてそう見えるだけなんだ……」


 スマホをカバンの中に片付け、ヒカルはこちらを見た。


「どうでもいい豆知識をありがとう」

「どういたしまして。ところで、そろそろパフェを頼んでも構わないか?」


「どうぞ」


 こうしてようやく我は念願のパフェにたどり着いたのだった。

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