第24話 人間関係の難しさ。

 しばらく落ち込んだ。顔を伏せていたのは数分程度だが、体感では一時間も二時間も過ぎた気がする。

 頭をあげるとヒカルが頬杖をついてこちらを見ていた。我が立ち直るまでずっと待っていてくれたらしい。

 多少の罪悪感があるのか、少し申し訳なさげな表情をしている。眉にかかった髪を人差し指で持ち上げるとその表情はなくなり、元のヒカルに戻っていた。

 ふと誰かがこちらに忍び寄ってくる気配を感じる。一瞬、暗殺者の類かと思ったが、気配は消せていないうえ、間抜けな足音まで鳴らしているのですぐに撤回する。どうやらその気配の狙いはヒカルらしい。

 気配は徐々にヒカルへと近づいていき、そして、飛びついた。


「じゃ~んぷ!」


 そんな明るい掛け声とともに女性がヒカルに背中から抱きつく。突然のことにヒカルも驚いているが、すぐに理解して平静を取り戻した。


「やめて、真耶でしょ」

「せいか~い」


 真耶と呼ばれた女性はそのままヒカルの隣の席に座った。真耶という少女はヒカルの知り合いのようだ。しかも、突然抱きつかれる行為は日常茶飯事のようで、ヒカルは慣れた様子で軽くあしらっている。

 

「この子誰?」


 真耶の視線がヒカルの正面に座っていた我のほうに向かう。ヒカル以外の人間の前なので我は普段の言葉遣いをやめて、いい子ちゃんの振りをする。まずはお行儀よく座った。


「私の親戚よ。名前は逢坂心太くん」

「へー親戚なんだ。かっわいー。私、橘麻耶。ヒカルちゃんとは親友よ。よろしくね。シンタ君?」


 橘麻耶(たちばなまや)。身長はヒカルより少し低いくらい。桃色の長髪だが、前髪の一房だけ赤色に染められている。顔に表情がすぐに出るあたり、天真爛漫な印象を受ける。

 こうした人間には好印象を与えておいた方が後々得である。しかも、ヒカルの友人であればこれからも関わり合いになる可能性は高い。


「よろしくお願いします。真耶お姉ちゃん!」


 我は笑顔で答えた。しばらく幼年期を過ごした結果、こういうわざとらしいくらいあざとい態度が一番受けがいいということに気がついた。

 日本での生活は我のこうした嫌な技能も高めていく。成長とは悲しいものである。もう少し無邪気な子供の生活を送ってみたかった。

 

「かっわいー! この子、私の弟に欲しい!」


 我の魅力に魅了され、興奮した真耶はとびかかるように我に抱きついた。女性とはいえ大学生と六歳児の体格の差は大きく、我は身動き一つとれず、なすがままにされている。

 そんな我をヒカルは冷ややかな目で見ていた。


「真耶。その辺にしておきなさい。シンタ君が嫌がってるわよ」


 別に嫌がっていないのだが。

 ヒカルに諭され、真耶は渋々と言った様子で我から離れ、ヒカルの隣に戻った。


「この子がSNSで騒がれてた例の男の子なの?」

「ええ。私に内緒でついてきたみたいで。大ごとになっても大変だから早い目に家に送り届けないと」


「それは大変」真耶は手を口に当てて大げさなリアクションを取る。

「というわけで私は午後の講義に遅れるから、後でノートの写させてもらってもいい?」


「パンキョだからダイジョブ。これで貸し一」

「今度、昼ご飯を奢るわ。それでチャラね」


「えー。それよりもヒカルの手料理お弁当がいい」

「……わかった。来週作ってくる。中のおかずは晩御飯の残り物だけだけどそれでもいいの?」


「いいに決まってるじゃない。やったー! ヒカルお手製のお弁当ゲット! ヒカルの料理美味しいから好きなんだよね」


 真耶は両手をあげて周りの迷惑も気にせず大きな声で喜んだ。と言っても食堂内の人は少なく、迷惑がる人もいない。

 ちなみにヒカルは週に一度、我が家で母上に料理を教えてもらっている。最初は得意料理、と言えば目玉焼きと卵焼きくらいしかなかったヒカルだが、今では料理のレパートリーを着々と増やしている。これは母上のご助力の賜物である。

 流石、母上である。略してさすはは!


「そうだ! 次の講義までまだ時間もあるし、もう少しシンタ君とおしゃべりしたいんだけど」

「え。それは……」


 ヒカルの顔が少し歪む。ヒカルとしては真耶と会話することで我がぼろを出さないのか、心配なのだろう。それにヒカルとしては我を友人とあまり関わらせたくない、という考えもあるのかもしれない。

 しかし、断る言葉が見つからず、ヒカルは仕方なく了承する。

 と言っても真耶と我との間に共通の話題などは少なく、おのずヒカルの話になる。ヒカルとの親戚関係や同じマンションに住んでいることなどを説明する。そして、それを保育園でどんなことをしたのか、などの話をする。

 しばらく会話をしていると真耶が何かを見つけ、顔をあげた。


「あ、遠坂先輩だ」


 視線の先には食堂に入ってきたばかりの男がいた。きょろきょろと食堂を見渡し、誰かを探している様子だ。

 遠坂、とやらは茶髪と金髪を混ぜ合わせたような髪色をしていて、遠くからでもすぐにわかるほど目立っていた。。ワックスで整えられた髪は頭を揺らしても全く動いていない。高身長の青年で爽やかな雰囲気があり顔も整っている。

 ここに来るまでに様々な大学生を見てきたが、彼が一番イケメンだろう。

 野間洋平も顔は整っているのだが、ボサボサ髪で手入れをしておらず、自分のことに無頓着なイメージがあるので、自分の魅力に気づき、それを存分に生かしている逢坂とはある意味対極に存在する。


「ヒカルのことを探してるのかも」

「変なこと言わないくれる?」


 真耶は肘でヒカルを小突き、それをヒカルは体で跳ね返す。ヒカルと真耶は仲がよく、日ごろからスキンシップが盛んなのだと、雰囲気から察することができた。気の合う友人もおり、ヒカルが順風満帆な学生生活を送っていて何よりだ。


「ほら、やっぱり来た」


 ヒカルと真耶を見つけた遠坂は笑顔でこちらに手を振る。そして、小走りでこちらにやってきた。人によっては間抜けな動きになるはずなのに、逢坂の動きはスポーツをしているような華麗なものだった。


「やぁ。二人でお茶かい? 僕も混ぜてもらっていい?」


 こいつ。我を頭数に入れなかった。ヒカルたちと我が一緒の机に同席しているのは誰の眼から見ても明らかである。それをスルーして遠坂は会話している。つまり、六歳児である我は人数に入れるまでもない、ということだ。

 うん。我はこいつが嫌いである。


 遠坂が椅子に座ろうとするのと同時にヒカルは立ち上がった。そして、我の手を引く。


「ごめんなさい。この子を家まで送らなきゃいけないので。また今度」


 この場からいなくなるいいタイミングだと思ったのだろう。我が食べ散らかした机の上を綺麗にし、ヒカルはもう帰り支度を始めていた。


「そうなのか。それは残念」


 肩をすくめる遠坂は実に憎たらしいほど絵になっており、テレビに出てくる役者のようだった。


「嶋野さん。そろそろ僕たちの音楽サークルに入らないの? 友達の橘さんもいるのに」

「あたしも勧誘してるんだけどねぇ。ヒカルちゃんは中々頷いてくれないのよねぇ」


 サークル。聞いたことがある。中学校・高校で部活動と呼ばれていたものの延長線で一つの趣味を持った大学生同士が集まって作る仲間だ。これに入らないと入ったのでは大学生活が全然違う。という話を聞いたことがある。


「私は吹奏楽部だったころ、楽器はトロンボーンだったのよ。普通に合わないでよ」

「大丈夫。僕はギターで橘さんはキーボード。他の人はヴァイオリンにアフリカの民族楽器だよ。色んな楽器を持ち寄って曲を弾くだけのお遊びサークルだから。嶋野さんも入ればきっと気に入るよ」


「でも、バイトも忙しいから」

「サークルも時間に関してルーズだし、普段は好きな時に集まって話をするだけで、規律がない。バイトをしても暇な時間くらいあるでしょ?」


 遠坂はずいっとヒカルに一歩近づく。ヒカルの背には机があり、それ以上下がることができないので遠坂の接近を許してしまう。我の前では別だが、普段のヒカルは感情をあまり顔に出さない。そんなヒカルではあるが、我には彼女が困っているのがわかった。強く拒絶して人間関係を崩したくない。どうすれば穏便にこの場を納めることができるのか、悩ましている。

 誰もが人間関係で悩むのは前世でも日本でも同じである。

 我はヒカルのズボンを強く引っ張る。


「ヒカルお姉ちゃん。早くおうちに帰りたい」


「そ、そうね」

 ヒカルは伸ばした我の手を掴んだ。

「シンタ君を送るから。遠坂先輩も真耶も、また明日」


 遠坂の視線がようやく我に向けられた。今までヒカルしか見ていなかったから、我が目に入らなかったようだ。どうしてこんなところに子供がいるのか、と驚いている様子だった。

 我は無邪気な子供のふりをしてヒカルの手を引っ張る。


「やったー。ヒカルお姉ちゃん。帰ろう」

「はいはい。落ち着いてね」


 ざまぁみろ。遠坂。六歳児を舐めるなよ。

 最後に我は遠坂にだけ見えるように自信満々の笑みを見せて、その場を後にした。



***



「助かったわ」

「そうか。イケメンに言い寄られたところを邪魔をしてしまった、と後悔していたのだが。そうではなくて安心した」


 食堂から離れ、周りには我とヒカルの会話を聞く人がいなくなったので我は普段の言葉遣いへと戻した。


「逢坂先輩ね。二回生で私の一つ上。悪い人じゃないんだけど。ちょっと女性との距離感を掴むのが苦手みたいね」

「フッてやればいいのに。そうすれば彼も諦めて他の女性を狙うであろう」


「まるで遠坂先輩が私を狙ってるみたいに言わないでくれる?」

「違うのか?」


 我には逢坂とやらが積極的にヒカルにアプローチをかけている様に見えた。恋愛感情でないとしてもヒカルに近づきたい。接点を持ちたいと思っているように見えたが。


「逢坂先輩はあの容姿でしかも、元サッカー部だから爽やかスポーツ選手フィルターがついていてモテモテ。私なんかを好きになるわけないでしょ」

「……」

 

 冗談ではなく、ヒカルはこれを本気で言っているようだ。ヒカルは我の目から見ても美人の部類に入っている。もちろん母上には遠く及ばない、と注釈はつく。真耶からヒカルは高校時代に何人かの男子から告白されたこともある。と言う話を聞いた。洋平という想い人がいたヒカルは当然、断ったのだが、そんなヒカルであっても自分に向けられる恋愛感情については全然だめらしい。

 野間洋平以外は男性として見ていないのかもしれない。


「洋平がいるし、な」


「う、うん……」


 我の手を握るヒカルの手に力がこもる。少し痛いくらいだ。

 てっきりそんなわけないじゃない、と照れ隠しをすると思っていたので洋平のことをヒカルがあっさり認めて我は驚いた。

 恥ずかしいのか、ヒカルの歩幅が大きくなる。結果、手を握りしめられている我は小走りをする羽目になる。


「真耶とは仲がよさそうだったな」


 大学生は高校がバラバラで高校時代からの知り合いは滅多にいない、と聞いたことがある。それにヒカルは大学生になってからまだ一ヶ月もたっていない。つまり、真耶と知り合ったのも一ヶ月以内だ。友人ができるのはわかるが、その短期間でここまで仲良くなれるのか、とふと疑問に思い、聞いてみた。


「真耶も高校生の時に吹奏楽部だったの。その関係で前から知ってたのよ。同じ学部の顔合わせの時は驚いたわ。知らない人の中から顔見知りがいてちょっと安心した」


 そういえば真耶も逢坂の所属する音楽サークルに所属しているようなことを言っていた。

 真耶がそばにいる以上、逢坂との接点もあるはずだ。毎日のように勧誘され、ヒカルも大変そうだ。


「さて、そろそろ失礼する」

「送っていかなくていいの?」


「ここに来たのは魔法の扉で来たからな。帰りも魔法の扉で帰るさ」

「やっぱり魔法って便利ね。私も使えるようになりたいわ」


「それは難しいだろうな。移動の魔法は高度な技術が必要で素質のあるものでも十数年の修業が必要だ。ヒカルが習得するには老婆になっても無理だろう」


 

 我は周囲の気配を探り、誰もいないことを確認してから目の前に|繋ぐ扉(コネクトゲート)を作り出した。精巧に作られた巨大な扉が出現し、背後からヒカルの感心するような声が聞こえる。


「我はこれで帰るが、母上に何か伝言はあるか?」

「う~ん。特にないかな」


 そう言って、ヒカルは何かを思い出す。

「そういえば貴方が大学に来た理由って―――」


「あー。そろそろ|繋ぐ扉(コネクトゲート)の魔力が消えそうだ。消滅すると不味いので帰る。それではな」


 我は急いで扉をくぐって閉めた。

 扉の向こうでは半眼でこちらを睨むヒカルの顔が見えた気がした。





***




 余談


「おはようございます。心太さん」

「お、おう」


 我が大学を探検している間、我の性格をコピーした簡易人形に保育園のほうを任せていた。それはたった一日の数時間のことだ。しかし、なぜかその日以来、恐れられるようになり、保育士までもが我に敬語を使うようになっていた。

 なぜなのか。

 トモやタクヤに聞いても眼をそらして答えてくれない。我が歩くとモーゼのように保育園児や保育士が道を作る。我が手をあげるだけでささっと我の周辺に誰もいない空間ができる。


「はぁ」


 人間関係は年齢も関係なく大変なのだということを今更ながら学んだ。


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