第23話 そして、知る。衝撃の事実!
「何をしていたの?」
ヒカルに引っ張られるようにして移動した我は食堂に来ていた。
Q大学の食堂はその敷地に相応しく、とても広く、保育園の運動場よりも大きかった。そこに長細い白い机が等間隔に並んでいて、数百人以上がここで同時に食事を摂れるそうだ。今は昼食の時間ではないので食堂内の人の数はまばらでほとんどいないが、子供である我の姿が珍しいのか。こちらの様子を窺っている人が複数いた。
我は備え付きの丸椅子によじ登るようにして座った。ヒカルは睨むような攻めるような眼で正面にいる我を見ている。
氷点下の視線というのはこういうことを言うのだろう。と我は納得した。
「あ~。何だ。うん」
ヒカルの尾行をしようと思いつき、Q大学に入ったまではよかったが、ヒカルを見つけることができず、大学の講義を楽しんでいるうちにすっかり忘れていた。などと言えるわけがないので、とりあえず言い訳をする。
「Q市に住む一人の市民として、Q市の未来を担う大学の学生がどんな講義を受けているのか、気になったんだ。うむ、将来有望な彼らが真面目に講義を受ける姿を見て、我は感銘を受けた。これなら安心だ」
「それで?」
「我も飛び級したQ大学生という設定で講義に参加させてもらった。ヒカルが邪魔しなければあの後、我が素晴らしい発表を行うはずだったんだ」
「はぁ~」
ヒカルは大きくため息をつき、机に伏せる。
「まずは貴方の知識の訂正から。あのね、日本にも一応、飛び級制度は存在するけど、日本には大学に通う六歳児なんていないわよ。そんな天才なら欧米の大学に行くのが普通よ」
「なんと! では我の演技はバレていたのか?」
「バレるも何も。私が貴方を捕まえに来たのは学生同士で情報交換するSNSで講義を受ける子供が話題になったからよ。みんな面白がって黙っていただけ。六歳児の身長じゃ教授からは隠れて見えないし。本当に気づかれなくてよかったわ」
ヒカルの様子から察するに思っていたより不味い状況だったらしい。
「もし教授にバレたら間違いなく捕まえられる。警備員、もしくは警察に連絡が行って今日子さんが迎えに来ることになってたわ」
「母上の迷惑になることになったのか。それは危ないところだった……」
額に流れる冷や汗をぬぐう。
「ここまで大ごとになれば母上が怒る。それだけは避けなければならない」
「へぇ」
面白い物を見た、とヒカルの眼が輝いた。興味深そうに身を乗り出して我の顔を覗き込む。
「貴方でも母親に怒られるのは怖いのね。けど、今日子さんが怒った時のイメージができないんだけど。『コラッ』とか言って頭を軽く殴って終わりそう」
「フッ……」
なんと安直なイメージだ。普段怒るイメージがない人ほど怒った時が怖いのだ。そんなことも知らないとは。やはりヒカルも小娘に過ぎない。
過去に一度だけ母上を本気で怒らせてしまったことがある。
その時はすごかった。すさまじかった。天地鳴動の時間だった。
衝撃的すぎて、なぜ母上を怒らせてしまったのか、それさえも忘れてしまったほどだ。
母上の怒りから一年以上過ぎた今でもあの時のことを思い出しただけで身震いが止まらない。まるで手が自分の物ではないかのように震えるのだ。
かつて10万の敵軍に対してたった一人で立ち向かった時も顔色一つ変えなかった我が、恐怖に震えた。
あの時に我は誓ったのだ。
母上を決して怒らせはしない、と。
「ところでせっかく、食堂に来たんだから何か頼む? 奢るわよ」
と、ヒカルが嬉しい提案をしてくれる。学生が喜んで食べているのだから食堂には美味しい物がそろっているに違いない。
どうせヒカルのおごりなのだから遠慮をするつもりはない。
我はメニューを見ることなく、即答した。
「ではパフェを一つ」
「ないわ」
「ではおはぎを一つ」
「ないわね」
「……では何があると?」
「貴方としては甘いものがいいのよね」
うむ。
この食堂は大学生が利用する場所であることから、値段の割にボリュームが多いことはすぐに予想できる。そして、六歳児である我がそんな量を食べきれるわけもない。だから普通の料理ではなくデザートを頼みたかったのだが、パフェもおはぎもないというのであればなにがあるというのか。と逆に問いかけたくなる。
食べ物を残すことは母上が嫌いなことのベストスリーに入るので我は絶対に食べ物を残さないようにしている。
たとえそれが嫌いなカレーだとしても。
「ケーキならあるわよ。イチゴのショートケーキ。一口サイズの本当に小さい物だけど」
「……フッ」
ヒカルのつまらない嘘に我は鼻で笑ってしまう。するとそれを見たヒカルは不思議そうに首を傾げた。
しまった。ひょっとするとこれはヒカルのジョークだったのかもしれない。ヒカルが冗談を言うのは初めてだ。つまり、これは我とヒカルがだんだん打ち解けてきた証である。腹を抱えて笑ってあげるべきだった。と今更ながら後悔する。
「ヒカル。我がこの世界の常識を知らぬのだから、つまらない冗談をされても困る。笑いどころがわからず、失敗してしまったではないか」
「冗談? 何のこと?」
まだとぼけるのか。冗談が受けなかったからと言って、引っ張るのはよくないのだが。仕方ない。親睦を深めるためにもこの漫才に付き合ってあげよう。
たしか、ボケにはツッコミが必要だ。
我は仕方なくツッコミ役をしてあげることにした。
「ケーキはクリスマスや誰かの誕生日という特別な日にしか食べられない特別な食べ物だ。それくらい我でも知っている」
「……え?」
せっかくツッコミを入れたというのに、ヒカルは淡白な反応しかしなかった。おそらく最初の時に我が気づかなかったので、引っ込みがつかなくなったのだろう。内心では失敗した、と恥ずかしがっているに違いない。
優しい我はそのことをわざわざ指摘したりはせず、淡々と話を続けてあげることにした。
「いや、クリスマスはキリストさんの誕生日だから問題ないのか。―――つまり、誰かの誕生日にしかケーキは食べられないのだよ」
「何を言ってるのか、よくわからないけど。ケーキは一年中いつでも食べられるわよ」
「はははっ。冗談がきつい。今のボケは面白かったぞ」
「……いや、本当だから。ほら、あれを見なさい」
ヒカルが指さした先にはケーキを食べる女性学生たちの姿があった。一口交換などして和気あいあいと楽しんでいる。甘い物を食べると皆幸せになる。とても良い光景だ。
「あの集団の中に誰か誕生日の少女がいるのだろう。そんなこともわからないのか?」
と、言うとヒカルは可哀そうな子を見るような眼をする。
「その話。誰から聞いたの?」
「母上だ。毎日でもケーキを食べたい、と我が言ったときに、母上が誰かの誕生日以外はケーキを食べられない。とおっしゃったのだ。ケーキは誰かを祝福するときだけ食べられる神聖なものなのだ」
「いろいろと修正したい点があるんだけど」
「母上から聞いた話だぞ、ヒカル。貴様は母上が嘘つきだと愚弄するつもりか?」
「論より証拠ね。ちょっと待ってなさい」
そう言ってヒカルは注文カウンターへと向かう。
そして、しばらくして戻ってきた。その手にはお盆があり、その上には一口サイズのケーキを数種類が乗った皿がある。
それを我の目の前に置いた。
「どう?」
「今日はヒカルの誕生日なのか?」
「違うわよ。いいから食べなさい」
「いや、誰かの誕生日ではないのだからケーキを食べるのは駄目だ。法律で禁止されている」
「法律も憲法にも普通の日にケーキを食べてはいけない、なんて記述はないわ。いいから食べなさい」
ヒカルは我にフォークを差し出した。それを使って、ケーキを食べろ。とヒカルは言っているのだ。
食べていいのか?
いや、駄目だ。母上の教えに反することになる。
我にとって母上は絶対であり、無二の存在である。そんな母上の言いつけを破るなど。できない。
「食べないなら私が食べるけど?」
「食べないとは言っていない!」
我はフォークを掴んだ。我の手にあるフォークは重く、ずっしりとのしかかる。まるで我の罪の意識を具現化したかのような重みを感じる。
では、ケーキを食べるのをやめるか。否。ここで我がケーキを残してしまってはもったいないことになる。ヒカルは小食なので(勝手に決めた)この数種類のケーキを全て食べることはできない。だから、我はもったいない精神でこれを食べるのだ。
これは決してケーキを食べたいがために言い訳をしているわけではない。ケーキを捨てるのはもったいない。それだけだ。
仕方がないので、我はケーキに手を伸ばす。
ゆっくりと。
「ちなみに私はそれくらいの量なら数分でペロンと食べられるわよ」
「余計なことを言わないでくれ……」
ヒカルがこのケーキを完食できるのであれば我の心の言い訳が成り立たないではないか。
ケーキに向かっていくはずの手が直前で止まる。このままでは我が欲望に負け、ケーキに手を出したことになってしまう。
さて、言い訳をどうしよう。
考えろ、我。負けるな、我。
我は前世では何度も命の危機に瀕しようともそれを乗り越えてきた王である。そんな我ならばこの程度の逆境、乗り越えてみせる!
「ヒカルの好意を無下にするのはよくない。だから、我はこのケーキを食べる! 我がこのケーキを食べるのは勧めてくれたヒカルに申し訳ないと思ったからだ!」
言い切った勢いでケーキに手をつける。
そのまま一つ、二つとケーキを平らげる。
「美味い。美味いぞ。ケーキは人を幸せにする力がある。これさえあれば世界は平和なのだ!」
パクパクパク
気がつくと目の前にケーキは残っておらず、何も乗っていない白い皿だけが残されていた。
しまった。ヒカルの口車に乗せられてケーキを食べてしまった。逮捕されてしまう。
警戒態勢をとり、防御魔法を展開する。同時に気配察知の魔法を発動して半径五十メートル以内に存在する高速移動する物体をすぐに補足できるようにして備えた。
「……」
しかし、しばらくたっても誰も襲い掛かってくる気配はない。これは一体どういうことか。
戸惑っているとヒカルが楽しそうに笑う。
「ほら、周りを見てみなさい。誰の誕生日でもないのにケーキを食べた貴方を誰も咎めはしないし、逮捕しに来たりはしないでしょ。それは今日子さんの嘘よ」
たしかに我は逮捕されそうにない。つまり、ケーキが誰かの誕生日でなければ食べられないという言葉は母上の嘘である。ということになる。ヒカルが言うことは正しかった。そして、母上が間違っていた。
しかし、それを認めてしまう。ということは。
「母上が我に嘘をついた、というのか。母上に騙されてしまうなんて。我はこれからいったい誰を信じればいいのだ……」
ショックのあまり、フォークが手から滑り落ちた。甲高い金属音が響く。
もう誰も信じられない。疑心暗鬼に陥ってしまう。
「いや、そこまで落ち込まなくても」
心が荒んだ我の肩をヒカルが軽く叩く。
「ほら、ああ見えて。今日子さんってけっこうお茶目だから。嘘、というより冗談のつもりだったんじゃない? きっと貴方を騙したつもりはなかったのよ。ほら、サンタクロースはいるわよ。って大人が子供に言うのと一緒よ」
「……」
我はヒカルを見る。じっと見る。我に見つめられ、彼女はなぜか動揺する。そんな彼女は我のことを純粋に慰めていることがわかる。我を騙している雰囲気はなかった。
それは我にとって嬉しくもあり、とても悲しい事実でもあった。
「な、なによ?」
「―――サンタクロースもいないのか……」
もう誰も信じられない!
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