その部屋には宇宙があった
天野秀作
第1話 モテ期? それともペット?
男と女、どんなに好き合っていてもいっしょになるために必要なものは、愛情でもお金でもない。それは縁だと思う。最終的には縁よりも愛が勝っているとは思う。いや、そう思いたい。けれども、いっしょになれないと言うことは、今世ではその時ではないと言うことなのだろう。
1982年4月。二十二才の私は、生まれ育った大阪を離れ、一人、九州は大分県にある某水族館の門を叩いた。幼い頃から水族館で働きたいと願っていた私の夢がついに叶ったのだ。
水族館と言うのは、本来は希少な水棲生物の繁殖・保護を一番の目的とした、大変アカデミックな研究機関ではあるが、その一方では、例えばイルカやアシカなどに芸を仕込んで、ショーとして観客を楽しませると言ったエンターテイメント要素も強く持ち合わせている。
表向きは夢のある世界、とでも言えばいいのだろうか。裏に回れば地味な世界なのだが、そこらへんが大学の薄暗い研究室に篭って自分だけの世界に没頭するのとは大きく違う所だ。実際、遠くからここへ足を運ぶ人々に取っては、やはり華やかなテーマパークなのだと思う。
私が入った水族館は公営ではなく民間のそれだったので、特にそのアミューズメント要素が強かった。見せる、楽しませる、を第一目的にした完全な営利目的のテーマパークだった。
その意味合いもあってか、水族館には若い女性が数多く勤めていた。コンパニオン、売店の売り子、事務員、大きな水槽に潜って魚を餌付けするマリンガールと呼ばれるショーガールたち。スタッフ全員の男女比率は、男性三に対して女性七ぐらいの割合で圧倒的に女性が多かった。彼女たちのおかげで職場はいつも活気に溢れていた。いつの世だって若い女性はその場の華となり、それだけで人々を惹きつける魅力が盛りだくさんだ。
1964年の開業当時は、世界初と言われた潮流を模した水の流れる大回遊水槽が人気を博していたが、私が勤め出した頃には、日本各地にそれを上回る大型の水槽を備えた水族館が続々と完成して、今やこれと言った新鮮味に欠ける凡庸な施設になっていた。
そのようなありふれた内容であっても、水着を着せた海女を水槽に潜らせて餌付けしたり、魚に条件付けして芸らしきものを覚えさせたり、様々な実験をしてみせたりして設備の凡庸さを奇抜なアイデアで何とかカバーしようとしてはいたが、どれも遠方からの客足を向かせるに至ってはいなかった。
建物も老朽化が進み、バックヤードは水漏れや赤錆だらけで、初めてそれらを目にした時にはその大いなる張りボテ加減に随分とがっかりしたものだ。唯一、日本有数の観光地の中にあると言うことだけが救いとなっていたが、このままではジリ貧状態、入場者数は年々減少傾向にあった。もちろん経営状態は赤字続き。そのため、私が入社する年まで、もう何年も新入社員を採用していなかった。
しかし、外見の劣化とは反比例して、水槽の中の魚たちにはその生育環境は熟成の極み、つまり自然界とほぼ変わらないほど人工の水槽に良く馴染んでいた。当然、そこでは自然界同様、繁殖も行われる。多くの魚たちがある時期になると数多く産卵したが、水槽の中には稚魚が育つために必要な各種の条件がまったく整っていなかった。そのために毎年無数の卵が無駄に流れて行った。その中には、寿司屋で摘めば目の飛び出るような値の張る魚たちもいたわけで、これを無駄にする手はないと、それまでの見せる水族館から、育てる、つまり、水族館としての本来の目的である繁殖保護をメインとした水族館へと方針転換しようとしていた。これも日本初の試みだった。
それが大学で水産増殖を専門に勉強した私が新規採用になった理由だった。しかしながら、現場での実戦経験のほとんどなかった私がそこでどれだけ貢献できたかはかなり疑問だ。申し訳ないが、魚よりも自分の繁殖活動の方が余程盛んだったように思う。
若い女性ばかりの職場は、大卒の頃の私にとっては仕事や研究そっちのけでまさに天国。なぜなら、前述で男性三割、女性七割と書いたが、その三割の男性社員はほとんどが妻帯者で、七割の女性はほとんどが独身だったからだ。
数年ぶりに入って来た二十二才の活の良い大卒男子が、片田舎の独身女性ばかりの職場に放り込まれたらどうなるか? 結果は言わずもがな。
その頃の私は、幼い時に父を亡くし、女手一つで育ったせいか、同性、異性の分別はまるでなかったように思う。年齢は二十二才だったが、まだまだ精神的には幼かった。
『健全な男性は、いつもお腹を減らしている』
これはずばり、男の性について適格に言い表した言葉だ。一般的に女性は、男性の本能から沸き起こる性欲の衝動――時として、四六時中その悪魔と戦っている――がどれほど強いものかを理解できない。また逆に、男性は、女性の性に対する感覚というものは、肉体的にももちろんそうなのであるが、とりわけ心理面でも驚くほどセンシティブなものであることをわかっていない。
もちろん、私も例外ではなく、その頃の私は、それを理解するためにはもっともっと経験を積む必要があった。私はそれまで女性とまともに交際したこともなかったし、第一、女性に対して、異性を意識することはあまりなかった。
たとえば、何かで女性の手を握る機会があったとすると、私にとっては、それはただ“手を握る”という自然な行為であって、決して“女性の”という言葉が前に付くことはなかった。私が女性に触れたその手に、性的な意思がほんの少しでも入っていたなら、きっと私はその時点で異性であると認識されて、拒絶されるか、受け入れられるかのどちらかであったはずだ。
しかし私の触れたその手からは、まったく性的なものは伝わらない、ユニセックスの子供や、もっと言うならまるで愛玩動物に触れるような感覚でしかなかった。つまりは、良く言えば、とても「爽やか」な若者、悪く言えば、いつまでたっても子供から大人の男に成り切れずにいる甘ちゃんだった。
そんな性的精神年齢のとんでもなく低い私が、逞しい九州女子の園にポンと放り込まれた。それまで決して訪れなかった、いわゆる「モテ期」が怒涛のごとくやって来た。まああくまでもかわいいペット並みの扱いだったのでモテ期と言うのか甚だ疑問ではあったのだが。
――ある日の昼休み。
今日も私は女子社員の休憩室にいた。元々その部屋は、時間交代制で大水槽に潜るマリンガールの専用控え室であったけれど、マリンガールだけではなく、ほかの仲の良い女子スタッフたちもちょくちょく顔を出す女子社員憩いの場となっていた。男子禁制。本来なら男子社員は入ることはできない休憩室でもあったが、私だけはなぜかその場にいてもお咎めは受けなかった。
古株の女性社員たちは、私がその部屋にいるにも関わらず、「こっち見たらいけんよ!」と方言交じりに軽くたしなめられて平気でその場で着替えを始めた。つまりは子供扱い。一人前の男性であると見られていない、本当はちょっと情けない(いや、羨ましい、か?)立場だったけれども、私自身はやましい気持ちもなく、昼休みなどは女子たちに混じって、そこでお菓子をもらって食べたり、お茶を飲んだりと、まあ可愛がられていたわけだ。ペット並みに。
勤め始めの頃は、館内の宿直室に間借りで寝泊りしていた。しかしそこにはプライベートと言うべきものが限りなく無かった。念願かなった初めての水族館勤めと言うことで当初はその緊張感も手伝って疲れを感じる余裕すらなかったのだが、少し慣れてくると、夜中も設備の異常を知らせる警報が鳴ったりしてゆっくり休むこともままならなかった。
生き物相手の仕事なのだから当たり前と言えば当たり前なのだろう。そして館側としては私にそこに居てもらった方が何かと安心だ。夜警の代わりにもなるだろうがこちらは溜まったものではない。これでは二十四時間勤務だ。
そこで私はそのことを上司に相談したところ、上の方もそれはそうだと快く了承してくれて、暫くして、私は、別府の歓楽街から車で十分ほど山を登ったところにある賃貸マンションを借りて一人暮らしを始めることになった。
その部屋の窓からは別府の街と別府湾が一望できた。夜になると、宝石が散りばめられたような美しい別府の街と漆黒の別府湾の夜景が見える素晴らしいロケーションだった。おまけに湯の街と言うだけあって、すぐ近くにある公共浴場は天然温泉で住民は入り放題、水道の蛇口を捻れば、いつでも熱い温泉のお湯が出るという至れり尽くせりの住まいだった。今、一度どこに住みたいか? と人に聞かれたなら、私は間違いなくここを選ぶだろう。
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