第6話 手のひらの月
小さな頃の思い出をひも解く日々。
懐かしくも在り、苦しくもある。
思い出とは善いものなのか。
郷愁とは人には必ずあるべきものか。
ただ一つ、彼の笑顔だけは善き日として思い出せる。そして、その引き金はいつも金色のコイン。
『気持ち悪い』
そう言われることは、他人が想像するよりずっと多かった。
カラの手のひらに、いつも何を持とうかと苦悶する。もっと他に悩むべきものがあるだろう。だが僕の悩みはカラの手のひらだった。
「失うのが怖い。だからこの手はいつもカラなんです」
失わないようにと考えるうち、何も持てなくなった。そう打ち明けると、彼は笑い声を殺した。
「一日でも、一時間でも、考えることやめてみたら?」
眉間に深い皺が走る。彼の癖だ。必死に笑いをこらえると数本の溝ができるのだ。
指摘されたように僕には考えすぎる傾向があるようだ。そう言われるのも今日が初めてではない。そのことを思い出し、反省する僕の姿に、彼はまた笑いをこらえた。
「まあまあ」
僕の肩がわずかにでも下がると、彼はお決まりのパターンで僕を連れまわす。取得したばかりの二輪免許を活用したいだけかもしれないが、この行為ばかりは、僕も好しととらえている。
三時間もバイクを走らせ、最後に辿り着くのは隣町にある高原だった。
道を縁取る灯かりもなく、もちろん、車はおろか人の姿もない。真っ暗な道を駆け上り、頂上のキャンプ場付近でバイクを降りた。
キャンプ場の灯かりもまだ少ない。灯が燈された照明は、シーズン前の微調整のためのものくらいで、夜空を満喫するのに邪魔にならない程度にひそんでいる。
バイクを降りると、走行中の風とは一味違う冷たい風が首筋を撫でた。
「まだ少し寒いね」
メットをはずし、彼は空を見上げた。そのしぐさを真似て空を見上げる。
流石の仏頂面も自然と穏やかな表情に変わった。この道から見る星空は、どんな景色よりもお気に入りなのだ。
所々に描かれた星座が、隙間なくちりばめられた星の欠片の上を泳ぐ。一段と強く輝く星々は僕らの足元を照らす街路灯の代わりだ。小さな星は今にもこの身に降り注いで、星の恩恵を授けてくれそうだ。
「ほら! 流れ星だ」
彼の言葉を待って星が流れる。
彼は星が流れることを知っていたのだ。
そして僕は、彼の言葉どおりになることを知っていた。
彼には特別な力がある。けして万能な力ではないが、他の人にはない特別な力だ。彼はほんの先の未来が見えてしまう。
彼はその力を見せびらかすようなことはしない。けれど隠しもしない。だからだろうか。彼はいつでも人の中心にいる。
「次はあの辺」
彼が指差した方向で、たくさんの星が流れた。本当にたくさんの星が流れた。やがて彼が指差す以外の場所でも星が流れ始め、天上の星が全て飛び交っているように見えてくる。
彼のその特別な力を気持ち悪いと思ったことはなかった。
僕にも似たような力があるせいではない。
彼という人間の魅力を、僕は知っていたから。だから彼の全てを受け入れられたのだろう。彼のように、僕も回りの人間から認められる存在だったなら、きっと「気持ち悪い」などと言われることはなかっただろう。
「また、何か考えてるの?」
彼が笑った。皺のできる笑顔ではない。呆れたように笑う。
何故彼が僕といるのか、いつも考えてしまう。哀れに思っているのか。彼にとって僕はどんな存在なのだろうか。
そんな迷いを振り払うように星が流れる。
僕はそっと手を差し伸べた。冷たい指先にその星の欠片を絡め取れたなら、現状から抜け出せるきっかけを得られるような、そんな気がした。
「カラの手のひらに、この星を得ることができるなら、僕は少しでも変わることができるのでしょうか」
「星なんて、そんなちっぽけなこと言わないでさ」
彼は同じように手を差し伸べると、拳を握った。
「僕の友達は両極端だ。マイペースな奴に、君みたいな奴」
彼は声を上げて笑った。
「どちらも嫌いじゃない。でも僕はマイペースな奴を友達と認められなかった。無意識に周りの目を気にしていたんだ」
彼が僕の目を見つめた。
初めて見えた、彼の負の感情。
「僕は偉くなんてない。だからそんなに遠慮しないでよ。今度は、君のことは、ちゃんと友達だって認めたいんだ」
そうあってほしいと、ずっと望んでいたことだった。それなのに、何を言っていいかわからない。首を大きく振り、僕は空を見上げた。相変わらずの流星群に、僕は恥じらいもなく声を上げて泣いた。
「あ~あ。泣かしちゃった」
彼が笑う。
僕は笑顔を返す余裕などなく、ただただ泣きじゃくった。
「それでも、不安になると言うなら、これをあげる」
彼はそう言って自分の拳を僕の手のひらに乗せた。
「この空にないもの、何だ?」
彼は微笑みをつくる。
涙に濡れたままの瞳を空に向けた。
何もかもが涙に滲んで、空の星の数は倍以上に膨れ上がった。慌てて涙を拭い空を見つめる。この空に、いったい何が足りないと言うのだろう。これだけの星がありながら、それ以上に何を望むと言うのだろう。
「わからないみたいだね」
彼は握っていた手をそっと開いた。
手のひらに宿る感触は、少し温かく、そして金属の匂いがある。
手のひらにあずけられたのは、小さなコインだった。どこの国のものだろう? 見たことのない文字に、女性の肖像が彫られている、金色のコイン。僕の手におさまる。
「この空には月がないだろ? 僕がコインに変えたのさ」
僕は空を見上げる。
確かに空に月は見当たらない。星だけが瞬いているのだ。たぶん、この空のどこかに月は存在しているのだろうが、星の存在感に邪魔されて、月の光すらこの目には届かない。
だが、彼の能力では月をコインに変えるなどということは不可能なのだ。
それとも、彼にはまだ他の能力もあると言うのだろうか。
その疑問の全ては無意味であると言わんばかりに彼は微笑みを見せた。
「そのコインは月の恵み。君のからだから、君の手からけして離れず、……いや、けして消えず、ずっと共に在り続けるよ」
彼は僕の手からコインを取り上げる。
「手のひらを握ってごらん」
言われたとおりに、カラの手のひらを握った。手の中に冷たい感触が甦る。からだから、生まれ出でるコイン。
「なくならない。そのコインは君の希望となり、他の誰かの希望となる」
「僕が誰かの希望に?」
「そう。この空に浮かぶ月のように」
そう言って見上げた空には、見失っていたはずの月が、いつの間にやら姿を現していた。
僕が誰かにとっての月となる。
おこがましい気もするが、それでも、その言葉は僕の支えである。彼が言ったように僕はあの星よりも強く輝く月のように、誰かを照らしているだろうか。
善い思い出も、苦い思い出も、思い出すきっかけはこのコイン。そして、これからの僕を支えるのも、見知らぬ誰かの笑顔を引き出すのも、この手のひらのコインなのだろう。
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