第12話 祭りの熱
祭りの熱気にあてられ、君の手をとった。
年に一度のお祭りは、古い町にあるような伝統や文化を感じられるものではなかったが、この街に住んでいる人間にとっては、唯一無二のものだった。
一番の規模で、誰もが知っていて、誰でも参加したことがある。
メインイベントにいたっては『港まつり○万人パレード』などと名前がつけられていて、○に入る数字は、少しずつ増えている。減り続けている人口よりもいつか多くなるのではと心配になるが、10代の小娘が心配してみたところで何もかわりはしないと見て見ぬ振りをする。
それが正解だと言わんばかりに、電飾で飾られた市役所提供の山車と、職員で構成された踊り子軍団が目の前を通り過ぎていった。
大音量の盆踊り唄。
電飾をギラギラと光らせた、山車という名の大型車。
まだ明るいうちから始まったパレードは日没を迎え、熱気も人手もますます膨れあがる。
飛び入り参加を誘う声をすり抜けて、出店が並ぶ沿道に入った。
人で埋めつくされた歩道は、進もうにも退こうにも立ち止まろうにも、思うようにはいかなくて、君にかける言葉も怒号や歓声にかき消される。
君の手をとればそれで済む話なのに、引け目感じて、細い腕伸ばしては引き戻し人ごみのせいにする。
「この街に、こんなに人がいたんだね」
慌ててとなりに並んだ君が、私の顔をのぞき込む。
夏の熱気。祭りの熱気。
身体がほてり、頬が熱を帯びる。
目眩さえ感じて、よろけるようにして君の肩に自分の肩を当てた。素肌の感触。浴衣なんて可愛げのある格好はお互いに選択しなくて、普段着のままで、日常を失ったいつもの歩道を歩いた。
人に押されながら。人を押しながら。
私と君が祭りの熱気の中、どこを目指すでもなく歩くのだ。
「あっちに興味はないの?」
君が悪気なく尋ねる。
「人前で何かするのは、今は苦手なんだ」
言いながら、自然と手のひらを握り開きして、指先の感触を確かめていた。昔、音楽をやっていた時のクセだ。ピアノを弾いていた時のクセ。弾けなくなって、友達も何もかも失って、それでもクセだけがこの身に残った。
「じゃあ今は何に興味があるの?」
「今は、君かな」
「私の何に興味があるの?」
「全部。君の全部に興味があるの」
「興味だけ?」
「欲望もある」
「どんな?」
「全部。君の全部が欲しい」
君は笑う。
……ずるいよ。知っているくせに。
それでも互いの距離を縮めずにいるくせに。
こんなこと躊躇しないくらい、強気と勝ち気がモットーだった。
それなのに、今、『手を伸ばすだけ』が出来なくて、人ごみの中を延々と歩いている。
同性愛者というわけではない。
だけど、君を好きになった。
女の私が、女の君を好きになった。
言葉にするとあまりに陳腐で恥ずかしくなるけど、たしかに君を好きだと思った。
『人前で何かするのは、今は苦手なんだ』
そう、『今は』苦手なのだ。
ピアノを弾いていたときはそんなこと思いもしなかった。誰かの前で演奏して、拍手喝采を浴びるのがたまらなく好きだった。弾き終えたときの胸の高鳴りはどんなだったろう。きっと目の前のパレードのようにわくわく浮き足立っていた。
それが突然。指の怪我のせいで私は何もかも失った。
多少の反発のあと、仕方ないさとうそぶいてみせても、あの胸の高鳴りを失った動揺は隠せはしなくて、『なにも持たない者の顔』をして回りの同情に身を委ねるしかなかった。
でも君が現れた。
君も私と同じだという。
同じような高揚を知っていて、同じように挫折して、同じように失って。
だから私はこれからも君と同じように生きてみたいと思った。
同じ時間を過ごし、同じ日々を見送って。
それで近づいたと思ったのに、君は私を拒絶することもせず受け入れることもせず、宙ぶらりんのままでそばにおく。
私に許されている距離感はそこまでだと言わんばかりに、心を開ききらずにただ笑うのだ。
ここでまた『仕方ないさ』と口にしてみようか。
君に聞こえないように、雑踏に隠れてこぼした言葉。言った自分がしっくりこない。しっくりこないどころか、言った自分に言葉そのものに腹が立って、八つ当たりしようと辺りを見まわして気がついた。
どうして私だけ、こんな顔で歩いているの?
潮風が鼻をくすぐった。
祭りの熱は少しずつ冷めていく。
沿道を埋める人の波のその端がもう目の前に迫っていた。そこまでたどり着いてしまえば、この手はいったいどうなるのだろう。
何度『むすんでひらいて』を繰り返したって、何も解決しないのはわかってる。いつまでも空のままでいいだなんて思わない。
「引き返す?」
たずねてみても、君はただ笑うだけ。
「もう少し、先に行ってみる?」
それでも君は、ただ笑うだけ。
パレードのスタート位置。最後の踊り子の出発を見送った。
余韻を待たずに人々は帰路につく。あるいはパレードの列にお供して、もう少しだけ熱気の只中に身を置く。
どちらにせよ、いずこかに向かって歩き始めた群衆の波は巨大で、その思いやりのない満ち引きで私に選択をせまるのだ。
誰もが知っている祭りの中で。
誰かが見ているかもしれない祭りの中で。
熱気にあてられ、君の手をとった。
ローカル感全開の地元企業の広告アナウンスが響いても怯まずに、君の手をとった。
「もう少し、先に進ませて」
笑うだけ。拒まない。
だけど今日は君も祭りの中にある。
そっと握り返してくれた手のひらは、どちらの汗か知らないがじっとり濡れていて、だけど不思議と不快ではなかった。
大きなスピーカーを積んだ山車は見る間に遠ざかっていく。
私を酔わせた祭りの熱気は薄れていって、やがて夜風の涼しさが残さずすべて奪い去ってしまう。
後押しを期待してはダメ。自分にそう言い聞かせた。
「ねえ、もう少し」
もう少しどうするの?
君の目がそう言っている。
もう少しどうしたいの?
私の心がたずねてる。
もう少し……いや違う。
「もっともっと君が欲しい。ずっとずっと君といたい。もっとずっと、」
唇に君の指が触れた。イタズラな笑顔。
「その先は、祭りの熱が冷めてから」
疑り深い君はそう言って私の手を引く。
「ねえ、もう少し歩こうよ!」
有無を言わさずに進んだ先は熱狂の渦とは逆方向。静けさを取り戻したようで、だけどどこかそわそわしている夜の道。
「この先の浜辺が私の好きな場所なの」
「はじめて聞いた」
「これからもっと『はじめて』を味わってもらうからね。……覚悟してね」
「はい。喜んで」
照れ隠しでわざとおどけた口調で言ってみせる。だけど隠しきれない。嬉しくて嬉しくて、君の手を強く握ってしまった。
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