エピローグ

 放課後、僕は薫と校舎の裏側にいた。クラスメイトに見られたら、恋人同士がこっそりと会っていたかと誤解されるかもしれない。

 あの事件のあと、ふたりで何気なく学校に戻ってきたわけだけど、変に勘ぐるやつは誰もいなかった。ふたりそろっての欠席もなんの問題視もされなかったわけだ。まあ、僕らはつきあうようなそぶりを見せたこともなかったし、帰ってきてからもとくに目につくように接触はしなかったから、誰も僕らを関連づけようとはしなかったためかもしれない。

 なんだかんだいって、あの事件に巻き込まれたことはけっこう楽しかった。人が死んだのにこんなことをいうのは不謹慎なのかもしれないけれど。

 この先も薫についていれば、こういう事件に遭遇するのかもしれない。なんせ僕は名探偵の助手として売られたのだから。

「ふふ、一郎君。僕に買われてよかっただろう? 君は部活もやってないし、平凡で退屈な青春が待っていたはずなのが、これだけエキサイティングになってしまってさ」

「はは。冗談じゃないよ。僕は平凡な生き方が大好きなんだ。名探偵に振り回されるのなんて、まっぴらごめんだ。まあ、契約だからやるけどね」

 もっとも本心を薫に打ち明けるつもりはない。変に恩に着せたくはない。

「まあいいさ。そんな減らず口をたたくのも、名探偵の助手の定番だからね」

 薫はうれしそうに笑う。

「もっとも事件が起きなかったら、君はもんもんと悩んでいただろうね。なにせボクと同じ部屋でふたりっきりで夜を明かす羽目になったはずだし、どうしよう、手を出すべきか、出さないべきかってね」

 こいつもしかして、ほんとうは僕に手を出してほしいんじゃないのか?

 もっとも薫の僕をからかってるとしか思えない顔からは、その内面はわからなかった。

「もっとも手を出したら契約違反二十億だけどね」

 そのとき、僕は二十億払ってでも、好きな女を奪える男になってみろといわれた気がした。

 いや、ひょっとして、それは正解なのか?

 いや、待て。それはきっと地雷だ。ほんとうにやったら大変なことになる。きっと。

 正直、どちらが正しいのか、僕にはわからない。

 ……まあいい。なんにしろ、この状態がしばらくは続くはずだ。その間に、なぜ薫が僕をわざわざ買ったのか、その謎を探ろう。

 僕に限らず、女の子がなにを考えてるのかわからない。それが思春期の男の宿命のはずだ。いや、思春期どころか、男にとって生涯の謎に違いない。

 地元の警察が乗り込んできたときのことを、ふと思いだした。

 あのときの刑事たちの顔といったら傑作だった。なにせ、一見中学生にも見える女の子が偉そうに推理を披露するのはいいが、その内容ときたら「犯人はイルカ」だ。しかも周りの大人たちが馬鹿にするどころか、みな賛同する。この島の住民全員が頭がおかしくなったと思ったかもしれない。

「なにがおかしいんだい、一郎君?」

 どうやら無意識ににやついていたらしい。

「いや、べつに……。ところで薫、僕にはあの事件のことでまだわからないことがある。島田さんはどうしてあんなに逆上しなきゃならなかっんだ? けっきょく殺人犯じゃなかったのに」

「はぁ、一郎君。君はそんなこともわからないのか?」

 薫があきれた顔でいった。

「わかんないよ。そもそもどうしてあのふたりはラニの敵をとろうとしたんだ?」

「いいかい? 綾ちゃんは、ラニのことなんか知らないふりをしていたけど、何度もあそこに遊びに行ったことがあるに決まってるよ。そうなれば、綾ちゃんとラニは仲がよかったって考えるのが自然じゃないか」

 いわれてみれば、そうかもしれない。父親が支配人をしているホテルなのだから融通も利くだろうし、過去何度か遊びに行っているのが普通だ。そうなれば、似た年頃のラニと友達になっていても不思議はない。

「つまり、綾ちゃんが友達であるラニを殺した男の正体を探ろうとして、島田さんがそれに協力しようとしたってこと?」

「綾ちゃんはきっとそう思っただろうね。でも、島田さんにはそれ以上の思惑があったはずだよ」

「それ以上の思惑?」

「鈍いな、君はほんとうに。まあ、証拠は一切ないけど、普通に考えればラニは島田さんの娘だったとしか思えないじゃないか」

「えええ?」

 僕は思わず叫んだが、よく考えればそうなのかもしれないと思う。

「まあいろいろあったんだろうね。でも、島田さんはそのことを綾ちゃんには知られたくなかったのさ。おそらく日本にいる奥さんも知らないことなんじゃないのかな。だからさやかさんが動機をつっこもうとしたときにキレたんだよ。そうでなくても、あのときの島田さんは不安でしょうがなかったはずさ。自分たちの仕掛けた罠以上のことが勝手に進行していって、ポールは殺されてしまう。あげくに無関係の美奈子さんまで殺されて心底恐ろしかっただろうね。ものすごいストレスがかかっているところへ、ボクに計画を見抜かれ、おまけに綾ちゃんには知られたくないことまで暴かれそうになったから、理性がすっ飛んじゃったんだよ」

 薫のしたり顔の説明に、僕は納得してしまった。

 あるいは日本とフィリピンの二重生活で、人にいえない間違いもあったのかもしれない。

 島田にとって、それは他人が触れてはいけないことだったのだ。

「まあ、あの事件で、ボクがわからないのは、むしろポールがどうしてラニを殺したかなんだ。でもまあ、ポールにはそういう異常な欲望があったってことなんだろうね。そういうのは理由を考えても、まともな人間には理解できるはずがないからね。そもそも本人が死んじゃったんだから、いくらもっともらしい理由をでっち上げても、しょせん推測に過ぎないよ」

 薫はそういって、ラニ殺しの動機を切り捨てた。

「あ、もうひとつわからないことがある。君にラニの事件の調査を依頼した匿名の人物は誰だったんだい?」

「そんなの島田さんに決まってるじゃないか。ラニ殺しの真相を一番知りただっていたのは彼だよ。それにしてもボク以外にふたりも頼むなんてね」

「やっぱりさっちゃんも依頼された探偵だったのか?」

「どうやらそのようだよ。あれからすこし調べたんだけど、彼女も私立探偵らしいね。あの馬鹿のふりは演技らしいけど、まあ、実態もけっこう馬鹿だと思うよ」

 さんざんないわれようだ。僕もそれにはちょっとだけ賛同する。

「それに獅子宮さやかもボクのライバルにはほど遠かったね。まあ、さっちゃんよりかはましだと思うけど、ボクが巨乳探偵ごときに後れをとるはずもないだろ?」

 さやかさんも相手にされていないらしい。薫にとっては巨乳というだけで格下なのだ。じつに名探偵らしくない非論理的な発想だけど。

「それにしても島田さんは三組もの探偵を頼んでおきながら、なおかつ自分自身でもラニ殺しの犯人をあぶり出そうとした。それが間違いのもとだね。やりすぎだよ。そんなことをするからあんな事件が起こる。まあ、おかげでボクは楽しめたけどね」

 なんだかんだいって、薫は名探偵だ。僕は今度の事件でそれを実感した。

 それにしても……。

 なんでこんな女があの事件を解決できたのだろう?

 オランウータンが犯人のミステリーもあったが、あれは人間が犯人だと不可能だが、オランウータンが犯人なら可能という状況だった。僕が犯人をチンパンジーと思ったのはその延長だ。だけど薫は人間にも不可能だが、イルカにはもっと不可能としか思えない状況で犯人をイルカだと断定した。

 そもそも密室状態の室内で撃たれた男を、イルカが殺したと思うか?

 あるいは密室状態の室内から、イルカが中の女を海に引きずり込んだと思うか?

 そんなことを思い付くやつは、天才というより馬鹿なんじゃないだろうか?

 そう思うと急におかしくなった。

「なにがおかしいんだい、一郎君?」

 薫が不思議そうに僕を見る。

「いや、なんでもないさ」

「ふん。まあいいさ。とにかく君はこれからも僕の助手を務めてもらうよ。そういう契約だ」

「ああ、いいさ。僕に選択肢はない」

 そういいつつ、僕は少し楽しみにしている。薫とふたたび怪事件に巻き込まれることを。

 なにせ僕は名探偵助手が似合う男らしいからね。


 了

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僕の名探偵様 南野海 @minaminoumi

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