第19話
翌日、僕達は列車に乗ってルネの家の方へ向かった。初めて乗る列車はとても新鮮だった。車窓からの景色は目まぐるしく入れ替る。遥か地平線まで続く小麦畑や、大小さまざまな街の風景などは僕に世界の広さを教えてくれた。だけど目的地に近づくにつれ、不安な気持ちがどんどん膨らんでいった。
「ノエル、元気ないけど大丈夫かよ?」
ユタが心配そうに僕に尋ねる。自分からお願いして、あえて寄道して貰っているにもかかわらず情けない。
「うん、大丈夫だよ!」
僕は努めて普段どおりに振舞おうとしたけど、返事とは裏腹に不安な気持ちが動作に現れてしまっているみたいだった。
最寄と思われる駅に着いたのは、午前10時くらいだった。地図を見た限りでは、目的地はここから10マイルくらい行った先だろう。だけど一時間おきに路線バスが走っているみたいなので、それに乗ればあと小一時間で着きそうだ。
僕はサラの家の近くでサラに拾われた。だから川の上流にルネの家はあるはずだった。そしてルネが埋葬された墓所は川の側にあった。調べてみた限りでは、墓所が川の側にあるのは今向かっている場所以外無い。だけど地図に載っていない墓所がある可能性もあった。
幸い目的のバスはほとんど待つこと無くやって来た。バスに乗って40分程行った先の墓所で僕達は降りた。
「ここであってそうか?」
ユタは僕に尋ねた。正直よく分からなかった。墓所はずっと昔に行っただけだし、その時は周りの景色を覚えるだけの気持ちの余裕なんて無かった。
僕はバッグから飛び降りると、墓所に向かって駆けた。そこにはたくさんのお墓が並んでいるけど訪れている人は誰もいなかった。墓所の記憶はほとんど無いけど、ルネの墓はよく覚えている。それに、きっと墓石にルネの名前が刻まれているはずだ。僕は墓をひとつひとつ見て回った。ユタは僕に追い付くと、何も言わず同じようにお墓を探してくれた。
見つけたのは僕が先立った。そのお墓は綺麗に掃除されていて、脇には花が添えられていた。ついさっき誰かが来たのだろう。墓石にはルネの名前が刻まれている。
ここにルネが眠っている。そう思うと胸に迫るものがあった。昔僕はこのお墓を荒らしてしまった。ルネの死を理解できなかったから。僕は心の中でルネに謝り、今までのことを報告した。そしてユタの冥福を祈った。ユタは僕の横で一緒に祈ってくれた。
墓所から河川敷をゆっくり歩くと、10分程で家に着いた。家の窓からは照明の光が漏れている。きっとあの人がいる。
僕は玄関のドアを叩こうと腕を伸ばしたけど、手がすくんでしまった。会いたいけど会うのが怖かった。
ユタが僕の肩を励ますように叩く。不思議な事に、ユタがいてくれると勇気が湧いてくる。僕は思い切ってドアを強く叩いた。家の中から人の足音がし、少ししてからドアが開いた。
「どなたかな?」
家から出てきたその人は、ユタと目が合うと尋ねた。
「今日は!その、私では無くこいつがあなたに用があるみたいなんですが」
僕は躊躇いがちに一歩前に出ると、その人のズボンを引っ張った。
「……ノエル……ノエルなのか?」
「……うん、おじいさん」
優しそうな目元は間違いなくおじいさんだった。だけど、僕の覚えているおじいさんからはだいぶ変わっている。年をとったせいなのだろう、皺や白髪が増えていた。だけどそれ以上に体型が変わっていた。僕の知っているおじいさんはすべてが大きかった。だけど今は、しぼんだ風船のように痩せてしまった。
「……ノエル、もっと近くで顔を見せておくれ」
おじいさんは最初驚きで声を喪った様子だったけど、我に返ると絞り出すような声で僕に話しかけた。僕は思い切っておじいさんを真正面から見て、そしてはっとさせられた。おじいさんの目からは大粒の涙が溢れ出していた。そしておじいさんは、僕に向かって両腕を伸ばすと、強く僕を抱き締めた。
「……おじいさん、ごめんなさい」
僕はそう言うだけで精一杯だった。
僕はルネが死んだとき、喪失感でいっぱいだった。だからおじいさんのことを考えられなかったんだ。サラと出会い、心の傷が癒されていく中でおじいさんの事を思ったこともあった。だけど気付かない振りをした。サラから離れたくなかったし、ルネを喪った悲しみを思い出したくなかったから。
きっとその間、おじいさんはずっと一人でルネの死と向きっていたのだろう。一人でお墓を守り、そして僕の事をずっと心配してくれていた。
「おじいさん、ごめんなさい……ごめんなさい……」
僕は呪文のように何度も繰り返した。
「いいんじゃ……ノエルが無事だったなら、それでいいんじゃ……」
おじいさんは、謝る僕の頭を何度もさすってくれた。その指先は、痩せ細っても昔と変わらず優しく、そして温かかった。
この家は、ルネがいなくなった今でも昔と全然変わっていなかった。ルネと一緒に寝たベッド、ルネが料理を作っていたキッチン、ルネが編み物をしていた揺り椅子。全部ルネがいた頃のままだった。僕は思わずベッドに寝転んで顔を埋めた。微かにルネの匂いが残っているような気がした。きっとおじいさんが一人で掃除して、この状態を維持しているのだろう。
「ノエル、話しをゆっくり聞かせてくれんか。さあ君も入りなさい。たいしたおもてなしもできず残念じゃが」
「はい、それじゃあ……」
ユタは遠慮がちに家の中に入る。おじいさんはキッチンで紅茶を注ぎ、ユタと僕の前に置いてくれた。
僕はおじいさんに、今までの事をたくさん話した。僕が川の下流に流されたこと、サラと出会ったこと、そしてサラと過ごした日々。そしてユタのことも少しだけ。話し出したら、色々な記憶が鮮やかに思い出され、僕は一人で話し続けていた。だけどおじいさんは、目を細めながらとても楽しそうに僕の話に耳を傾け、頷いてくれた。
気がついた時には、いつの間にか日が暮れて外が薄暗くなっていた。
「もう夜か、すっかり日が短くなってしまったのう。ノエルもユタ君も、今日はこの家でゆっくりしなさい。今日はわしが腕によりをかけて料理を振舞って差し上げよう」
おじいさんはユタのために、たくさん料理を作った。だけど美味しくなかったのだろう、ユタは料理を絶賛するその口振りとは裏腹に、ずっと顔が引き攣っていた。
その日の夜は、ユタは客室で、僕とおじいさんはルネの使っていたベッドで寝た。ベッドで仰向けになって寝ると天井が見える。昔、ルネと一緒に見た景色だ。今はルネの事を思い出しても苦しくは無く、ただ懐かしかった。そして妙に目が冴えてしまった。
「ノエル、起きているか?」
暗闇のなか、おじいさんが僕に話しかけた。おじいさんも眠れないのだろうか。
「うん、起きてるよ」
「そうか……少し話しをしてもいいか?」
「うん」
「真実の実を探してると言っておったが、本気か?」
「……おじいさんは何か知っているの?」
「詳しい事は何も知らんし、信じてもおらん。そんな噂話を信じるのは、現実から目を背けようとする弱い人間だけじゃよ」
おじいさんは大きな溜息をついて言った。暗闇の静寂の中、その音は大きく響く。おじいさんが何を意図しているか分からず、僕は返事できなかった。
「ずっと寂しい思いをさせてすまなかった。わしはずっとお前に詫びたかったんじゃ」
何を言っているのだろう。おじいさんは何も悪くない。おじいさんを一人にして出て行った僕が悪いのに。
「……わしはルネを止めなければいけなかったんじゃ。死んだ人間は生き返ったりなどせん。そんなこと分かっていたんじゃが、夫と息子を喪った娘の姿があまりにも不憫で、止められんかった。ルネがそこに行き何を持ち帰ったのかは分からん。じゃが、わしが止めなかったせいでお前を悲しませることになってしまった。それもルネと同様、一番大切な者を喪うという悲しみを」
僕はルネを喪った時、絶望しこの世界から消えて無くなってしまいたいとさえ思った。だけど今思うと、いいことだってたくさんあった。おじいさんと会えた事だってそうだし、おばさん、そしてサラに出会えた事もそうだ。ユタとの出会いだっていつかは良い思い出になるかもしれない。
「おじいさん、そんな事無いよ。僕はルネにとても感謝してる。それにルネは心は弱かったのかもしれないけど、とても優しかったんだ……僕はルネが大好きだったし、今もそれは変わらない。だから自分やルネを責めないで」
返事の代わりに、おじいさんは大きな音で鼻を啜った。
「おじいさん、僕はあの樹のもとに行きたいんだ。おじいさんの言うとおり、真実の実は存在しないのかもしれない。だけどそこに行けば、何かが分かりそうな気がするんだ。だからその……ごめん」
「ノエル、お前は優しい子だ。わしを一人にしてしまう事を気に病んでいるのかもしれんが、そんな必要なんて無いんじゃ」
僕の気持ちを分かっていたんだ。おじいさんは寝返りを打ち、僕の方を向きながら話を続けた。
「ノエルはわしにとって孫みたいなものじゃ。だからノエルがいなくなった時心配じゃった。悪い人間に捕まって酷い目に合わされているんじゃないかと思って気を揉んだ。じゃがこうして元気な姿を見せてくれた。そしてとても立派に成長しておった。それが分かっただけで本当に十分なんじゃ。ノエル、行ってきなさい。そしてまた、お前のさらに成長した姿を見せておくれ」
おじいさんが僕の頭を撫でてくれた。おじいさんの手は、その気持ちと同じくらい温かかった。僕はその温かさに包まれながら、いつの間にか眠りについていた。それは久しぶりの深い眠りだった。僕は夢を見た。起きたらもう内容は忘れてしまったけど、ルネも、おじいさんも、おばさんも、そしてサラもみんな夢の中で楽しそうに笑っていた。
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