第18話

「ノエル、気をつけてね」

「うん……サラもね。身体には気をつけてね」

「サラ、大丈夫さ!俺が一緒に行くんだから!」

「ユタさん、ノエルの事よろしくお願いします」

 出発する日は天気が良かった。秋が深まり、周囲の樹木も少し色付き始めている。冷たい風が吹き、サラの薄い長袖では少し寒いかもしれない。

 サラには、ユタと旅に行く事を前日の夜に伝えた。目的地がノエルの樹である事や、往復で2ヶ月くらいかかる旅であることは伝えたけど、真実の実については伝えなかった。

 なかなか言い出せなかったのは、サラの反応が怖かったからだ。サラが何でも無いように承諾するのは嫌だったけど、強く引きとめられても困ってしまう。だけど本心では、サラが止めてくれる事を期待していたんだろう。だから、サラが迷った挙句に承諾した時は、少し悲しかった。

「ノエルが自分の過去を知りたいのは当然だよ。だから、私の事は気にしないで思う存分旅をして来て」

 サラはそう言って僕を励ましてくれた。僕はただ黙って頷くしかなかったんだ。

 

「サラ、必ず帰ってくるから待っててね!」

 僕は玄関で見送るサラに、思わず言った。僕の寂しい気持ちと同じくらい、本当はサラも寂しがっている事が伝わっていたから。

「お前は大袈裟なんだよっ!それじゃあかえってサラが心配するだろうが!たかだか2ヶ月の旅ぐらいで」

 ユタは僕の頭を掴み、拳でぐりぐりしてきた。それを見たサラは笑い声を吹きだしている。サラの見送る顔が笑顔になったことで、僕は少しほっとした。

 家から離れる時、僕は何回か振り返った。そしてこいつも僕と同じくらい後ろを振り返っていた。その都度サラは、僕達に手を振り返してくれた。

「おい、何回振り返るつもりだよ。これじゃあ全然進めないだろ!」

 こいつは、自分の事を棚に上げて僕に言った。

「それは君だって同じだろ!だいたい、サラは君との別れなんて惜しんでない。僕にはそれが分かる。だけど僕との別れは惜しんでいるんだから仕方無いじゃないか!」

「は?何言ってるんだよ。サラは俺との別れを惜しんでいるんだよ!だからあんなに何度も手を振り返してくれるんだ。どうやらお前は、人の表面的な部分しか理解できないようだな」

 そんな下らないやり取りを途中でしていたら、気がついて振り向いた時にはもうサラの姿は見えなくなっていた。

「サラが見えなくなっちゃったじゃないか!」

「いつまでも未練がましいんだよ。お前は!」

 僕がこいつを睨みつけると、こいつはまた拳で僕の頭をぐりぐりしてきた。こんな粗暴な奴と2ヶ月も一緒にいないといけないかと思うと少しうんざりする。

「そうだノエル、おまえいつも俺の事よそよそしく呼んでいるよな。これから2ヶ月相棒になるんだから、名前で呼べよ。そうだ、『ユタ様』とかで構わないぞ」

 そういえばこいつの事はずっと「きみ」と呼んでいた気がする。深い意味は無いけど、なんとなく名前で呼ぶ事に抵抗があったからだ。

「なんで敬称をつけないといけないんだ。ユタで十分だろ」

「それじゃあユタでいいよ。よろしくな、相棒!」

 そう言ってこいつは屈託の無い笑顔を僕に向け、拳を突きつけてきた。なんだろうこいつのことなんて嫌いなのに胸が温かくなる。

「仕方ないな、分かったよユタ」

 僕は拳をこつんと合わせ、ぷいと視線を逸らしてた。


「ノエル、そろそろ人通りのある道になるから、俺のバッグの上に乗れよ」

 一つ目の街に近づいてきた頃、ユタが僕にそう言って腰を下ろした。

「ほら、ちゃんとお前が乗りやすいように、少し改造してやったんだからな」

 確かにユタのバッグは普通と少し違っていた。バッグの上が平たいクッションになっている。また、クッションにはベルトがついていて、そこに足を通しさえすればバッグが揺れても、振り落とされにくい構造になっていた。

「へーっ、なかなかやるじゃん」

「違うだろっ!そこういう時は、まず『ありがとうございます』だ」

 ユタの言葉は無視し、僕はバッグの上に乗ってみた。クッションは柔らかくて、人のお尻には負担は少なそうだった。人形の僕にとっては関係無いけど。ベルトの中に足を突っ込んでみると、しっかり固定されていい感じだった。

 ユタは僕を乗せたバッグを背負い、勢い良く持ちあげた。バッグと僕を合わせると結構重いはずなのに、そんな素振りは全然見せなかった。

「ねえ、ユタ……」

「なんだよノエル」

「あのね、花を摘みに行く時とかに、籠に入ってサラに背負ってもらって、よく一緒に行ったんだ」

「ああ、今のこんな感じか?」

「うん。サラが僕を背負った姿は、きっと傍目から見て絵になっていたと思う。サラはどんな恰好しても可愛いし。だけど、ユタが僕を背負っている姿って、傍から見るとちょっと無様そうだね!」

「この野郎……俺が敢えて考えない振りしていたことを……覚えておけよっ!」

「ユタ、僕達相棒なんだからそんな呼びするなって」

 ユタは怒りながら、背負ったバッグを揺さ振ってきた。僕にはそんなの全然聞かないのに。僕はユタが嫌いだ。だけど少し好きだ。僕はユタに対しても、サラへの気持ち同様、相反する複雑な感情を持ち始めていた。そして僕は、この気持ちをどうすればいいか分からなかった。


 宿に着いたのは、夕方を少し過ぎた頃だった。街中の外灯のネオンが灯り、レンガ敷きの道路をオレンジ色に照らしていてとても幻想的に見えた。この街は相当大きいみたいで、船や列車のターミナルになっているらしい。

「ふーっ……疲れた、もう一歩も歩けない!」

 ユタはベッドに寝転がって言った。無理も無い。今日一日で20マイルくらい歩いている。バッグと僕を背負いながらなんだから、相当疲れたはずだ。

「ユタ、大丈夫?」

「大丈夫じゃない……だけど明日からは列車になるからな……なんとかなるだろ」

 ユタは息も絶え絶えといった感じで言った。

宿に着いたばかりだけど、ユタに一つ頼まなければいけないことがあった。ずっと胸の奥にしまっていたけど、ずっと忘れることができなかった、いや、忘れてはいけないことだった。

「ユタ、実は僕、明日寄りたいところがあるんだけど」

「……寄りたいところ?どこだよ、あまり寄道はしたくないんだが」

「僕を作った人の家。もう死んじゃったけど、行って確かめたい事があるんだ」

「えっ、誰だよそれ!言われて見ると、ノエルにも産みの親みたいな人がいるんだよな。俺もすごい興味あるんだけど!」

 ユタはがばっとベッドから跳ね起きて聞いてきた。さっきまでの様子が嘘のようだ。

「ルネって言うんだ。知らないだろうけど」

「えっ、ルネ博士?あのルネ博士か?でもノエルみたいな人形を作れるとしたら、あの人以外考えられないよな……本当かよ……知っているに決まっているだろ!あの人を知らない植物学者なんて、モグリみたいなもんだよ」

 ユタは目を輝かせて話している。思わぬ事態に僕は途惑った。ユタの反応もそうだけど、それ以上にルネがそんなに有名だなんて思ってもいなかったから。

「ユタ、ルネはそんなに有名な人だったの?」

「ああ、すごい人だよ。幼い頃から神童と呼ばれていて、いろいろな研究機関からオファーをもらっていて、将来を最も嘱望されていた研究者の一人なんだ。それなのに、全てのオファーを蹴ったっていうのが彼女の凄いところさ。さらに凄いのが、徹底したフィールドワークや研究によって、様々な未知の生態系について明らかにしていったところさ」

 ユタはまるで自分の事のように、自慢げにルネの事を話し出した。嬉しいような、嬉しくないような複雑な気分だった。そこには自分の知らないルネがいた。

「そしてワクチンの発見!俺が子供の頃、世界中で疫病が大流行したんだ。疫病に対して効き目のあるワクチンが無くて、大勢の人が亡くなった。だけど、彼女はある植物の根にその疫病に耐性がある成分が存在することを突き止め、そしてワクチンの大量培養に成功したんだ。彼女のそのワクチンで多くの人が救われた!……まあ、一番救いたかった人は救えなかったみたいだけどな……」

 急にユタの歯切れが悪くなった。僕はユタの袖を引っ張って、続きの催促をした。

「……ルネ博士の旦那と息子も、その疫病に罹っていたんだ。彼女はきっと最愛の家族を救いたい一心だったんだろう……だけど間に合わなかったんだ。そして彼女は研究の世界から姿を消した。その後の彼女については、俺も全然知らない」

 ユタの話しで納得いった。ルネの部屋に飾ってあった、3人で写っている写真は旦那さんと二人の子供のものだ。ルネはずっと大切そうにその写真を持っていたけど、その理由も今だったら分かる。そして、僕がその子に似ている理由も。

「やっぱり僕はそこに行かないといけない。ユタ、僕に付き合ってくれない?」

 ユタは即答しなかった。どうしてだろう、あんなに興味を持っていたのに。

「ノエル、お前の気持ちは分かるけどあまり過去に囚われるなよ。ノエルは前に進まないといけないと思う」

「ユタ、違うんだ。もうルネの事は大切な思い出として心にしまっている。僕は他にしないといけない事があるんだ」

 ユタは溜息を一つついた。どうするべきか、少し迷っているように見える。

「分かったよノエル。相棒の依頼なら仕方ない。だけど場所は分かっているんだろうな?お前しか知らないんだから」

「うん、だいたいの場所は分かっている!ユタ、ありがとう」

 ユタが僕のお願いを聞き入れてくれたこと、そして僕が初めて素直にユタに「ありがとう」と言えたことが嬉しかった。ベッドの方を振り向くと、ユタは夕飯も取らず、すでに熟睡していた。

 少し早いけど僕も寝る事にした。電気を消し部屋が真暗になると、いろいろな事が頭を過ぎった。一番最初はサラのこと、そして二番目は明日のことだった。明日の事は、考えると不安で胸がいっぱいになった。行きたくない気持ちはあるけど、逃げてはだめだ。ユタの気持ち良さそうな寝息と反対に、僕は結局朝まで寝られなかった。

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