第17話

「ノエル、こんな所で何しているんだよ!」

 振り向くと、あいつの顔があった。嫌な奴に会ってしまった。

 僕はここ数日、サラとほとんど顔を合わせていなかった。日中はずっと、何をするとも無く庭でぶらぶらして時間をつぶした。そして夜、サラの部屋の電気が消えるのを確認してから戻り、部屋の片隅で寝た。

 こいつが話しかけてきたのは、僕が庭でぼんやりと空を眺めている時だった。空の透き通るような青さは、ほんの少しだけ僕の心を癒してくれる。

「一人でいたら、他の人に見られた時まずいんじゃないか?」

 僕はこいつを無視し、再び空を見上げた。

「おいノエル、何無視してるんだよ」

 こいつは後ろから、僕の頭を両手で挟んで持ち上げてきた。そして空中で方向転換させられ、強引に視線を合わてきた。

「もうっ!放っておいてくれよ。お前こそなんでここにいるんだよ。サラに会いたいなら、さっさと家に入れよ!」

 僕は空中で必死にもがいた。

「まあそうなんだけど……ノエル、最近サラの様子どうだ?」

「そんなの自分で確かめればいいじゃないか」

「そうなんだけどさ。そう単純にもいかないんだよ。まあ、お子様には分からない話しだとおもうけどな」

「知ってるよ。サラに無理やりキスしたんだろ」

「えっ……どうしてそれを。でもわざとじゃないんだ!」

 こいつはの顔がどんどん赤くなっていった。

「どうでもいいけど早く降ろしてくれよ」

「あっ……ああ、そうだな」

 こいつはやっと僕を地面に降ろした。粗暴な奴。こんな奴はやっぱりサラに似合わない。

「わざとじゃないんだ!俺はあの時、ただ自分の気持ちを伝えたかっただけなんだ。ただ、サラの瞳を見ていると、どんどん吸い寄せられてしまったんだ。あれは不可抗力だ!あんなの抑えられる訳無いんだ!」

 僕にはよく分からない感情だ。だけど、こいつが自分勝手な言い訳ばかり並べているのだけはよく分かった。 

 この時、僕はこいつにささやかな仕返しをしてやろうと思った。

「ふうん、だからか……」

「何がだ?」

「サラの様子がここ数日おかしい理由だよ。すごい傷つけられた感じなんだ。僕もどうやって慰めていいか分からなくて、もうお手上げ状態なんだ」

「えっ……そうなのか?」

「だからもうサラには近づかないでほしいんだ。それがサラが立ち直る一番の方法だと思うし」

「くそっ。なんてことだ……傷つけたくなんて無かったのに。サラに謝らないと!」

 こいつは大股で家に向かい歩き出した。僕の話しを聞いていなかったのだろうか?

「待ってよ!サラの前から姿を消すのが一番だって言ってるじゃん!」

「何言ってるんだよ。俺が傷つけてしまったなら、俺がなんとかするしかないだろ!」

 こいつは僕に一瞥くれると、威勢よく玄関のドアを叩いた。今さら撤回するのも間に合わなさそうなので、僕はただ成り行きを見守るしかなかった。

 壁に体を隠し玄関の方向を覗いていると、サラが家の中から姿を現した。

 まだあれから数日しか経っていないのに、ずっと会っていないかのような気がする。ちゃんと食事を摂っているんだろうか?少し痩せたように見える。玄関で少しあいつと会話を交わした後、二人で家の中へと消えた。

 僕は、二人が今どんな会話をしているのか気になって仕方が無く、うろうろと家の周囲を歩き回った。あいつは僕よりずっと潔かった。僕にはあの二人について、何も口出しする権利なんて無い。

 小一時間程して、あいつは家から出てきた。僕はまた壁の陰に隠れた。あいつの朗らかな笑い声が聞こえてくる。サラも笑っているようにみえる。そして少ししてから、サラは小さく会釈すると玄関のドアを閉め家の中に消えた。

 それを確認してから、あいつはこちらに方向転換し大股で歩いてきた。僕は急いで庭の中央に戻ると、何も見ていなかったかのような素振りで草をいじり始めた。

 僕の真後ろまであいつがずんずんと近づいて来る。

「おい、ノエル!」

 そう言うと、あいつは僕の頭を両手で掴み、持ち上げた。宙で反転させられ目の前にあいつの顔がある。

「な、なんだよっ!」

「それはこっちの科白だ!おかげで恥をかかされたじゃないかっ!」

「何のこと言っているか分からないし」

 僕はそう言いながらも目を逸らした。ちらっと視線をこいつに戻すと、まだ僕を睨みつけていたので慌てて視線を戻す。

「……サラと喧嘩でもしたのか?」

 こいつは僕をゆっくり降ろすと尋ねてきた。さっきまでとは打って変わり、優しい口調になっていた。サラがこいつに何か話したのだろうか。

「話す義理なんて無いよ」

 僕がそう言って首を横に振った。そうしたら、僕の頭の上にがつんと拳骨が落ちてきた。見上げると、こいつが仁王立ちになって僕を見下ろしている。

「お前がそんなだからサラを悲しませるんだよ!」

「うるさい、関係無いじゃないかっ!」そう思ったけど、口には出せなかった。こいつの言うとおりだと、僕だって分かっていたから。僕は踵を返し、その場から離れようとした。

「……サラ、泣いていたぞ」

 背中越しに言われ、僕は思わず立ち止まった。そんなの簡単に想像つく。言われなくたって、サラは泣き虫だからきっと泣いていると思っていた。だけど、直接聞くとやはり胸が痛い。

「どうして好きな子を泣かせてるんだよ。お前男だろ、それでいいのかよ。男だったら、好きな子には笑っていて欲しいものだろ……サラを笑わせるの大変だったんだからなていうか半分苦笑いだったし」

「うるさいっ!何も知らないくせに!」

 僕は大声で怒鳴った。何も分かっていないくせに好き勝手に言いやがって。僕がどれだけサラを大切に思っているか、どれだけ傷つける事を恐れているか知らないくせに。

 溜まっていた鬱憤が一度に溢れ出し、僕は夢中で全ての思いを吐き出していた。

 どうしてだろう、サラに思いを告げる事にはあんなに臆病なのに、こいつにには包み隠さず何でも話す事ができた。こいつは僕の敵のはずなのに。


「ノエルもいろいろ大変なんだな」

 こいつはぽつりとそう呟いた。僕は怒鳴り疲れ、息をぜえぜえさせながら、その言葉に少しだけ満足していた。同情して欲しい訳では無かったけど、全てを吐き出せたことでこいつに対して少し素直になれたんだと思う。

「それで、ノエルはどうしたいんだ?」

「……サラと仲直りしたい。サラの側にずっといたい。だけどこのままじゃいつかサラを壊してしまうかもしれない……もう僕には、どうしていいか分からない」

「うーん、そうか」

 じっと上を向き、悩ましそうにしている。どうしてこいつは僕のためなんかにこんなに悩むのだろう。不思議な奴。

「ノエル、実は前に話したノエルの樹について、話しの続きがあるんだ」

「続き?」

「ああ、ノエルの樹って言う巨大樹があるのはお前も聞いていたんだろ?これもあくまで噂に過ぎないんだが……その巨大樹は、百年に一度果実を成らせるっていうんだ。『真実の実』と呼ばれていて、その果実を手に入れたら、どんな願いも叶うって。まあ、都市伝説みたいなもんだとは思うけどな」

「ふーん、そうなんだ」

 こいつはどうしてそんな話を引き合いに出したのかだろうか。僕だってそんな話しを信じるほど楽観的では無いし、そこに行けという話しでは無いだろう。そんな僕の思いは完全に裏切られた。

「なあノエル、一緒にそこへ行かないか?」

「……えっ?」

「俺も信じている訳では無いけど、そこにいけば何か分かるかもしれない。それにノエルだって、サラと少し距離を置くいい機会になるだろ。きっと、近くにいることで見えなくなってしまっていたものだってある。それに気がつくいい機会だろ」

 確かにその通りかもしれない。だけどなんでこいつと一緒に旅しないといけないんだ。

「いいアイデアかもしれないけど、なんで一緒に行かないといけないんだ?君となんてお断りだね」

「ほーっ!そんな事言っていいのか。だいたいからしてノエル、お前どうやって一人で旅するつもりだよ?お前みたいな不審な人形が外を出歩いていたら、あっという間に警察に掴まるぜ?それに、ノエルの樹への行き方だって全然知らないだろ?」

 こいつは意地悪な顔で僕に言った。すごく腹は立つけど、言われてみるとその通りだ。言い返せないのがもどかしかった。

「分かったよ。だけど君はいいの?サラのそばにいたくて、ここにずっと滞在しているんだろ」

「……どうして分かったんだよ」

「僕は耳が普通よりいいだけじゃ無い。人の気持ちが分かるんだ。上手く言えないけど、相手の喜びや悲しみみたいないろいろな感情が伝わってくる。だから、君のサラに対する下劣な気持ちだって分かるんだ」

 別に気持ちなんて感じ取ら無くても、こいつの動作や態度を見ていたら誰だってすぐに分かる。だけど嫌がらせで言ってみた。

「俺の気持ちは純粋だ。下劣な気持ちなんて全く無い!ことも無いが……」

 こいつは慌てた様子で否定と取れるような、取れないような言い訳をした。単純な奴。嫌いなはずなのに、伝わってくる気持ちはなぜかサラの気持ちと同様、心地よかった。

「ああ、そうだよ!サラといたいから、ここにいるんだよ。それが悪いかよっ!」

 こいつはもう完全に開き直っている。

「だけど悲しんでいるサラを見るのは辛いんだよ。その理由がノエルにあるんだったら協力してやるしかないだろ。それに植物学者の端くれとして、もともとノエルの樹は興味あったしな」

「サラの悲しい顔を見たくないのは僕だって一緒だ」

「ああ、利害が一致してるな!」

 にやっと笑ってこいつは言った。利害は一致しているだけど、僕のほうがずっと利がありそうだ。だけどそんなことあまり気にしないんだろう。心底こいつが羨ましかった。もし僕にこいつみたいな広い気持ちがあれば、なんの憂いもせず、サラと一緒にいられるんだから。

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