第15話
「こんにちは。昨日話した事、ちゃんと考えてくれたかい?」
そう言ってユタさんは家に入って来た。もう一週間くらい続けて家に来ている。
「また来たんですか……」
私はうんざりしたように返事した。心は少し痛むけど、ここで気を許すわけにはいかない。そうしたら今までの努力が無駄になってしまうから。
「そんなに邪険にしないでよ。俺は決して冗談で行っている訳じゃないんだから」
「正直、迷惑なんですけど」
「サラ、君はあの人形がどれだけ危険な代物か理解できていないんだ。正直、俺は最初ノエルの樹について噂レベルでしか知らなかった。だけど昨日大学の教授に連絡とれて、いろいろ確認したんだ」
「何か言ってましたか?」
「ああ、少なくとも事実確認はできた。ノエルの樹はやはりもう世界に一本しかない。そして、その樹はいまだに成長し続け、辺り一面を草一本生えないような不毛地帯に変貌させている。その樹がもとは人形だったっていう伝承が本当かどうか分からないけど、少なくともノエルの樹は非常に危険なんだ。あの人形も君に危害を与えるかもしれないんだよ!」
「そうですか。でも前に説明したとおり、私の人形はその樹と関係ありません。私の父がこの辺りの木を伐採して作ってくれた形見なんです。前はその人形に付いていた植物の種子がたまたま発芽してしまっただけです」
「いや、そんな訳無いだろ!どうして君はそんな頑なに嘘を付くんだ!」
どうやら無理があったみたいで、結局ユタさんを納得させる事はできなかった。だからといって、ノエルの事を告白することはできない。
「だとしても、ユタさんには関係無いですよね」
「うっ、それはそうだけど……」
ユタさんが言い淀んだ。上手くすると、あと少しで退き下がってくれるかもしれない。
「よく分からないけど、学生さんってそんなに暇なんですか?もっと別にやるべきことってあるんじゃないですか?」
「俺の研究は一切関係ないよ……ただ、君の事が心配なんだ。それは理由にならない?」
思ってもいなかった言葉が出た。ユタさんの何かを訴えるような真剣な眼差しは、決して冗談で言っている訳では無い。そんな目で見詰められた事は無かったので、身体が硬直し、思考回路も完全にショートしてしまった。
「えっと……それは理由になります……かね?」
「……また明日も来るよ」
ユタさんはそれだけ言うと、私から目を逸らして家を後にした。どういう意味だったんだろう。ユタさんは優しいから、私が危険な目にあうかもしれないのを放って置けないということなのだろうか。けど、あの時の眼差しはそれだけとは思えない。けど、私の単なる自意識過剰かもしれない。けど……。
胸が熱かった。こんな気持ち知らない。ただ分かっているのは、今はそんなこと考えているいる場合では無いということだった。
私はあることを決意し、ノエルに話すために部屋に戻った。部屋に戻ると、ノエルと一瞬視線が合った。だけどノエルはすぐに視線を逸らす。最近はずっとこんな感じ。前みたいに険悪では無いけど、なんだかぎくしゃくしてしまう。ノエルはずっと思い詰めた表情をしていて、何か私に言いたそうにしているけど、結局何も言ってこない。
「ねえ、ノエル」
「……なに?」
ノエルは気の無い返事を返した。
「あのね……ユタさんにノエルの事を話そうかと思うの」
「えっ!」
ノエルが驚いた様子で振り向いた。やっぱり怒るだろうか。
「ごめんなさい、結局ユタさんにノエルのこと上手くはぐらかすことができなくて……でも、ユタさんは悪い人では無いと思うの!ノエルの事だって、ちゃんと話せば分かってくれるし、他の人にだって黙っていてくれる!……と思うし……」
少し言い訳がましく、私は口を畳み掛けた。ノエルからはなかなか返事が聞こえてこなかった。ちらっと見ると、ノエルは腕を組んでじっくり考えているようだった。少なくとも怒っている様子は無い。
「うん、いつまでもあいつに付き纏われるのも嫌だし、仕方ないか……」
ノエルが呟いた。
なんだろう、承諾してくれたのに胸がもやもやした。確かにユタさんに説明して納得してくれれば、もう家に来る事は無いだろう。だけど、私はそこまで考えていなかった。
「サラ、次あいつと会う時は、僕も同席するよ」
「そう……ありがとう」
「あと、話しは僕がするから。その方があいつに対しても説得力ありそうだし。サラは一切口を挟まなくていい」
「うん……」
ノエルの有無を言わせない口調に私は頷くしかなかった。確かに私よりノエルのほうが上手く説明できるし、その方が理にかなっているのかもしれない。
だけどなぜだろう、胸のもやもやが鈍い痛みに変わっていた。
「ねえサラ、顔色悪いけどどうしたの?」
ノエルに尋ねられ思わずはっとした。いつの間にか物思いに耽ってしまっていたらしい。
「ううん、なんでもない。これで全部上手くいくね!」
私は笑顔を作って言った。だけど、顔は少し引きつってしまっていたと思う。
「こんにちは」
ユタさんの声が玄関の外から聞こえてきた。立ち上がろうとする私を、ノエルは手で静止した。そして代わりに、ノエルが立ち上がり玄関へと向かう。きっとノエルの私に対する「一切口出しするな」という意思表示なのだろう。しばらくして、部屋のドアがかちゃりと動いた。
「こんにちは!」
ユタさんが部屋に入ってきて私に挨拶した。私は小さく会釈で返した。
「さっきあの人形が僕を迎えてくれたよ!いったいどうなっているの?本当に信じられない!」
ユタさんは興奮を抑えられない様子で私に尋ねた。その横を、素知らぬ顔でノエルは通り過ぎ、そして私の横に座った。
「あなたも適当に腰掛けてください」
ノエルは、ゆっくりとした口調で席をすすめた。ユタさんの方を見ると、完全に体が硬直し、目が大きく開いている。
「どうしたんです?座ってくれないと話が進められませんよ」
「あっ……どうも……」
ノエルの再度の勧めで、やっとユタさんはぎくしゃくとさせながら腰を下ろした。ノエルは驚くほど自然体だ。もし私だったら、きっと話しを切り出すまでに相当時間がかかっただろう。
「つまり、こういうことです」
「えっ……?」
思わず声を出てしまったかと思ったが、それは私ではなくユタさんの声だった。声を出していたらシンクロしていたと思う。
「分かりませんか、仕方ないな……」
ノエルは大きく溜息を吐いた。自分の口から話しをすると言っておきながら、どうやらノエルはユタさんに細かい説明をする気は無かったようだ。いや、本当は口を聞くのも嫌なのかもしれない。
ノエルは簡潔に、私との出会いから今に到るまでの話しをユタさんに話した。ユタさんは最初、ただただ頷くばかりだったが、そのうち平常心が戻ったのか、相槌を打ったり、合間に質問を挟んだりし始めた。
「いやあ、そんな事が起こりうるのか……目の前にいなかったら、絶対信じないよ!」
ノエルの話が終わっての第一声はそれだった。ユタさんの目は好奇心で輝いており、まだ聞きたい事がたくさんあるのか、そわそわしていた。
「これで少なくとも、僕にはサラを危害を加える意思は全く無い事だけは理解いただけたと思います。だからもう、あなたがこの家に来る必要は無くなりましたよね?」
意味が分かるまで、私もユタさんも少しだけ時間がかかった。同じくらいのタイミングに理解したようで、私がはっと気付いた時に、ユタさんが私を見詰めてきた。私は否定するため、必死に頭を振った。
「サラは僕に何も言ってませんよ。僕は人よりずっと耳はいいんです。だからドア越しに全部聞こえいただけです。サラの事をずいぶん心配してくれているみたいで、ありがとうございます」
ノエルが皮肉交じりの口調で言った。まさかこんな言い方もできるなんて知らなかったので私は驚きを禁じえなかった。
「いやあ、そんな……ははっ」
ユタさんは気まずそうに頭を搔きながら笑った。
「それでは、もうサラの安全は確認できたと思うのでお引き取りください。あっ、あとこの事は他言無用でお願いします。世間に知られたら、僕だけではなくサラにも迷惑がかかってしまうので」
ノエルは最低限言いたいことだけを言って追い返そうとした。
「ちょっと待ってよ!聞きたい事はまだあるんだ」
無下に扱われている事をさすがに感じたようで、ユタさんは少し怒り気味に言った。
「まだ何かあるんですか?」
「あるさ!そもそも前に君は発作みたいな症状起こしていたけど、あれは何なんだい?君がノエルの樹で作られた事による副作用じゃないのかい?」
「あれは、あなたが僕自身知らなかった過去を無神経に掘り起こしたせいです。だけど、あの時だって、結局発作を抑える事はできました」
「次に同じ発作が起きた時、大丈夫だって言い切れるのかい?」
「大丈夫だよっ!……そう、大丈夫さ……」
ノエルは自分に言い聞かせるように言った。だけどその言葉とは裏腹に、俯き加減のその表情は、今にも泣き出しそうに見えた。
「本当に大丈夫って言い切れるのかい?君自身も本当は、自分がサラを傷つける事を恐れているんじゃないかい?」
ノエルの泣き出しそうな顔が見えていないのだろうか?ユタさんは詰問するような口調でたたみかけてきた。
「やめてください!」
私は思わず口を挟んでしまった。ノエルとの約束を破ることになってしまうが、ユタさんのノエルを責める口調にどうしても我慢できなかった。
「ユタさんにノエルの何が分かるんですか。ノエルは絶対そんなことしません!それは幼い頃からずっと一緒にいる私が断言できます。何も知らない人が、勝手な事を言わないで下さい!」
「ごめん……確かに言い過ぎたよようだ」
ユタさんはノエルの方を向いて素直に謝った。だけどノエルの泣きそうな表情に変化は無かった。ノエルはしばらく俯いたままだったが、いきなり立ち上がるとドアへと駆け出した。
「待って、ノエル!」
私の声も届かなかったのか、ノエルはそのままドアをばたんと閉めると部屋を後にした。
「サラ、ごめん。君にも迷惑かけてしまって」
「いえ、そんなことは……」
ユタさんの謝罪に、なんて返していいか分からず途惑った。ノエルを傷付けたのは確かに腹が立ったけど、ノエルの対応も良くない部分はあった。それに、ユタさんの言葉は私の事を心配してくれてものであったのだから。
「俺、今日はもう帰るから」
「分かりました、玄関まで送ります」
玄関までの距離は短いけど、その間の無言の時間は息苦しく感じた。話すことはあるはずなのに、どの話題もこの場に似つかわしくないと感じた。
「サラ、少しいいかな?」
玄関に着くと、ユタさんはドアを開けて親指で外の方向を指して言った。
「大丈夫ですけど、ここではだめなんですか?」
「少しだけだからさ」
ユタさんは私から視線を逸らした。きっとノエルに聞かれたくない話しなんだろう。
ユタさんは何も言わず歩き家の裏手に回った。ここは家の中からは死角になっている。ノエルからは見えない場所だし、さすがに声を出してもノエルまでは聞こえないだろう。
「あの、話しって何ですか?」
私は少し警戒気味に聞いた。
「いや、その……ノエルとは関係無い話しなんだけど、もし聞かれちゃったらすごい恥ずかしくてさ……」
いつもの快活口調ではなかった。ユタさんが何を話したいのか分からず、私は首を傾げた。
「その……こんな事になっちゃったし、俺がまた来たら迷惑かな?」
「いえっ!全然迷惑じゃないです」
私はとっさに否定した。ノエルはきっと、ユタさんが家を訪れるのを嫌がっているだろう。だけど、「迷惑」なんて言ってしまったら、もう二度とユタさんに会えなくなってしまうかもしれない。
「良かった!」
ユタさんは心底嬉しそうな表情で大きく息をついた。
「どうしてそんなに喜んでいるんですか?」
私はユタさんのそんな様子を見て思わず笑ってしまった。
「君に嫌われてしまったんじゃないかと思って、とても心配してたんだよ」
ユタさんは急に真剣な顔になった。こんな真剣なユタさんの顔は初めてだった。
「君が心配だからこの家に通っているのは事実だ。だけどそれだけじゃない。君にただ会いたくて来ているという部分もあるんだ」
「えっ……」
「初めて会った時のこと覚えている?」
「はい……」
「花畑で君が転んで、籠に摘んだ花を頭から被っていた。笑っちゃうような出来事だったけど、俺はその時笑う事できなかった。君がまるで、花の妖精のように見えたから。俺はその時からずっと、君が頭から離れないんだ。気がつけば、君のことばかり考えている」
胸が張り裂けそうになるくらい苦しかった。ユタさんは変わらず真剣な表情で私を見詰めている。苦しいのに、なぜか視線が張り付いてユタさんから逸らす事ができない。
ユタさんは私の両肩を不器用に掴んだ。ユタさんの手は少し震えていた。顔がどんどん近づき、そして少ししてから遠ざかった。唇に何かが触れた気がした。だけど最初は、何が起きたのかよく分からなかった。
「ごめん……また来るから」
それだけ言ってユタさんは走り去った。ユタさんの後姿がどんどん遠ざかっていき、やがて見えなくなった。ユタさんの姿が見えなくなってから、私はその場にへたり込んでしまった。胸が熱くなぜか分からないけど涙が溢れだした。
こんな気持ち始めてだったから、どう扱えばいいのか自分でも分からなかった。だからこの時は、ノエルの事を考えてあげられなかった。この時、もし私がノエルの事をもっと考えてあげられていたなら、そしてノエルにもっと優しくできていたなら、あんな別れをしなくて済んだかもしれないのに。
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