第13話
「それじゃあ、行って来るよ」
「行ってらっしゃい」
「今日、確か例の人が来ることになっているんだろ。しっかり対応しな」
「……うん」
サラが返事する。おばさんを玄関で送るいつもの風景だ。僕は、サラから少し距離を取っておばさんを送り出す。サラは心あらずといった感じで、おばさんが玄関のドアを閉める前に自分の部屋へ戻った。
「ノエル、行って来るよ。何も無いとは思うけど、何かあったらサラのこと頼むよ」
「うん」
僕は力無く頷いた。
「二人とも元気ないけど、まだ喧嘩しているのかい?」
おばさんの問いかけに、僕は黙って俯いた。
「はあっ、ノエルの反応も同じかい。サラに聞いても『何でもない』としか言わないし、これじゃあ対処のしようが無いよ」
おばさんが眉間に皺を寄せてそう言った。サラもおばさんにほとんど話していないみたいだ。だけどそれは仕方無いだろう。どうしてこうなってしまったのか、サラは分からないのだから。
「ノエル……いつでも相談にのるから、一人で思い悩むんじゃないよ」
おばさんは僕の耳元でそう囁き、寂しそうに笑って玄関を後にした。僕の事を心配してくれている。当然サラの事も。僕は、サラだけではなくおばさんにまで心配をかけてしまっているんだ。だけど相談なんてできない。僕がサラを壊してしまうかもしれないなんて、おばさんに言える筈が無い。
部屋に戻ると、サラは服を着替えて仕事の準備に取り掛かっていた。もうサラは仕事を覚え、裁縫の腕前はおばさんに引けを取らない。そういえば、前は僕が勉強を教えていたけど、いつのまにかそういう機会も減っていた。
「掃除と洗濯しとくね」
僕はサラの目を見ないで言った。
「うん、ありがとう」
サラが返事する。今も事務的な話はできる。だけどそれだけだ。そういえばもうずっとサラの笑顔を見ていない。いったいどれくらい見ていないんだろう。
「ねえ、ノエル……今日どうする?」
漠然とそんな事に思いを巡らしていたらサラから問い掛けられ、はっとした。
「えっ何が?」
「今日あの人が来るけど、ノエルはどうするのかなって……」
「僕も一緒にいる。おばさんにも頼まれているし」
「そう、分かった」
サラは少し安堵した表情を浮かべた。気まずくなったきっかけがあいつだから、僕が一緒にいる事を拒否すると思ったのかもしれない。でも、あいつと顔を合わせたくなんて無いけど、二人きりにするのも嫌だった。
「ノエル、あの人の前で動いちゃだめだからね」
「そんなの分かってるよ!」
僕の声は苛立ちを抑えられていなかった。サラが僕を心配してくれているのは、よく分かっているのに。だけどもし何かあった時、動いてはいけない自分がいていったい何ができるんだろう。そんなジレンマを感じないではいられなかった。
あいつが来たのは、午後2時を少し回った頃だった。
「こんにちは!」
あいつの大きな声が玄関から聞こえてくる。インターホンがあるのに大声で呼ぶなんて、がさつな奴だ。サラはぱたぱたと走り、玄関へと向かう。僕は作業場の部屋にある椅子にあらかじめ座り、あいつが来るのを待つ。
「このお菓子、街で買ってきたんだ。口に合うか分からないけど」
「そんなに気を使わなくて結構です。いつもしている事を、ユタさんに横で見学して貰うだけですし」
「いや、でももう買ってきちゃったし。受け取って貰えないと困るんだ」
「……それじゃあ、ありがたく頂戴します」
サラとあいつのやり取りが玄関から聞こえてくる。「いつまで話しているんだ、早く来いよ!」僕はそう叫びたくなるのをこらえた。
「この部屋です」
サラの声が、部屋の前にやっと来た。
「それじゃあ、失礼します」
あいつが部屋の中に入ってきた。そういえば、こいつを正面から見るのはこれが初めてだった。日に焼けた褐色の肌や、サラよりも頭一つ分以上大きい体はとても頑強に見える。意思の強そうな瞳や、すっと通った鼻筋、きらっと輝く白い歯はおそらく美男子の部類に属するだろう。
「適当に椅子に腰掛けてください」
「うん、それじゃあ……ってどうしてここにベッドがあるの?」
「母の寝室も兼ねているからですけど……なにか?」
「ああ、そうなんだ。いや、別に驚くことでは無かったね!」
こいつはよく分からない挙動不審な動作をしている。サラは怪訝な表情であいつを見た。「よし、いい調子だ」僕は心の中で呟いた。
「それじゃあ、ここに座らせてもらおうかな」
こいつはそう言って僕の隣の椅子に座った。「僕の隣に座るな!」そう思ったのが伝わったのか、こいつは僕に視線を向けた。僕はどきっとしたが、ぴくりとも動かずただの人形のふりを続けた。だけど、こいつは視線を僕から外そうとしなかった。そして、僕に手が伸びようとしたその瞬間、サラが口を開いた。
「前に摘んできた花は、すでに水にさらした上で外で乾燥させています。今からやるのは、樽の中に乾燥させた花を入れ、水に浸して衣類に染色させる作業です」
「なるほど、了解」
そう言うとこいつは僕に向けていた手を引っ込め、サラの座っている方向に体ごと向けた。間一髪だった。こいつに触られたからって何か感付かれる事は無いとは思うけど、一抹の不安は感じていた。
サラは染色の作業を始めた。とても真剣な眼差しで作業をしている。きっと、こいつが見学していることなどもうほとんど気にかけていないだろう。
こいつの方をちらっと見ると、サラに負けじと真剣な眼差しでじっと一点を見つめている。だけど、その視線の先に衣類は無かった。そこにはサラの横顔があった。「この野郎!」心の中で罵倒し、僕は両拳をぎゅっと握って怒りをひたすら抑えた。
「はあ……」
サラが額の汗を拭いながら、大きく息をついた。どうやら、染色作業がひととおり終わったみたいだ。
「後は衣類を干すだけです。その後、裁断などをしますけど染色はもう関係ないです。あの……何もお相手できていませんが、こんなので大丈夫だったでしょうか?」
サラがこいつの顔をちらっと見て言った。
「ん……あ、ああ、十分!染色作業、初めて見させてもらって感動したよ。染色ってとても大変な作業なんだね。何気なく着ている衣服も、こういうふうに一枚一枚丁寧に作られているんだ。これからは、衣服を作ってくれている人に感謝しながら着ないと!」
感想を求められ、こいつは少し焦っていた。サラの横顔しか見てなかったんだから当然だろう。
「いえ、たいていの衣服は工場とかで大量生産されている物ですよ!」
サラは、こいつのずれた感想に対し思わず笑っていた。
サラが笑った顔を見るのはどれくらい振りだろう。でもその笑顔は、こいつに向けられたものだ……僕に向けられたものではない。それが悲しかった。
「ところでさ、話しは変わるけどこの人形って何かな?」
こいつは、僕の方を見ながらサラに尋ねた。僕はどきっとしたけど、屈託の無いその笑顔は他意は無さそうだった。
「……どういう意味でしょうか?」
サラが明らかに警戒した声で、こいつに聞き返した。そんなに警戒したらかえって怪しまれてしまいそうだ。だけど、サラに演技力を求めるのは無理だろう。
「いや、純粋に、すごい精巧にできている人形だと思って。関節は指一本まで動かせるようにできているみたいだけど、操り人形ってわけでも無さそうだし不思議だなって」
「ただの人形です。ユタさんの思っているような特別なものではありません」
「ふーん……」
こいつは納得のいかない感じで、僕の事をひょいと持ち上げた。そして、いろんな角度から僕の事をじっくり見る。僕は屈辱を感じながらも、されるがままの状態になった。横目で見るとサラの表情が強張っていた。
「ねえ、この人形少しだけ借りられないかな?絶対乱暴に扱わないからさ」
こいつは、サラの表情の変化に全く気付かない様子で尋ねた。
「だめ!」
サラは間髪をいれずこいつの依頼を拒否した。そしてその大きな声に自分自身で驚いてはっとした様子だった。
「ごめんなさい……その、この人形は特別なものなんです。だから人に貸したりはできません。ごめんなさい」
「いや、全然構わないよ!こっちこそ何も知らず無神経なお願いをしてしまったみたいでごめん」
こいつは申し訳なさそうな表情でサラに詫びた。そして、僕を椅子にそっと戻した。やはりこいつは悪い奴では無いんだろう。
「思い出の詰まった人形なのかい?」
「いえ、思い出というか……ノエルは大切な友達みたいな存在なんです」
適当に相槌を打てばいいだけなのに、サラは生真面目に答えた。少し頬を紅らめているのは、人形遊びを未だにしているように思われるのが恥ずかしいからだろうか。
「え、ノエルって言うのかい、この人形は?」
こいつは、なぜか驚いた表情を浮かべた。
「そうですけど」
「だとすると、この人形はノエルの樹から作ってるのかい?」
「いや、それは……分からないです」
「それじゃあ、なんで『ノエル』っていう名前をつけたの?」
サラは困りきって何も言えなくなり、俯いた。さすがに、僕が自分の事を「ノエル」って紹介したなんて言える筈が無い。
そういえば、僕はどうして「ノエル」と言う名前なのだろう。ルネがつけてくれたということ以上には、今まで考えたことは無かった。二人の会話からすると、おそらく樹の名称からとったのだろう。だけど、「ノエル」という樹がどういった特別な意味を持つかまでは分からなかった。
「君はノエルの樹は知ってのかい?」
サラは俯いたまま頭を振った。
「そうか……ノエルの樹はね、普通の樹ではないんだよ。さっきの白い花のように、特定の地域にしか生息しない樹で、どのような条件で生息するのかは、未だに解明されていないんだ。だけど、普通の樹では無いと言われる一番の理由は別なところにある」
そこまで言ったあと、こいつは言いよどんだ。何だろう、嫌な感じがする。だけど僕は聞かなければいけない気がした。
「特別な理由ってなんですか?」
サラは焦れてきたのか、こいつに尋ねた。
「ノエルの樹はね、その……人や動物の気持ちを感じる事ができるみたいなんだ。ノエルの樹はとても優しい樹でね、悲しんでいる人が側にいると優しく包み込むような癒しの香りを出したとも言われている。また、生き物が好きで、甘い蜜や果実を作り、周りには常に何かしらの動物が側に寄り添っていたみたいなんだ」
「そうなんですか」
サラが驚きで目をぱちくりさせながら聞いている。僕も、初めて聞く話しに興味を抱かずにはいられなかった。だけど、それ以上に「これ以上聞いてはいけない」というアラームが僕の頭の中で鳴っていた。嫌な予感で胸の中がいっぱいになる。
「だけど、どうして過去形なんですか?」
サラが尋ねた。それは僕も気になっているところだった。
「もうノエルの樹は世界に一本しか存在しないんだ。そしてその樹はもう、さっき話したような樹では無くなってしまっている。これはあくまで言い伝えで、真偽は定かではないんだけど……」
まだこいつは言いよどんでいる。だけど、最後まで聞かない方があるいは良かったのかもしれない。僕達は聞き、そして後戻りできなくなってしまったのだから。
「お願いします。教えて下さい」
サラが真剣な眼差しでこいつに頼んだ。
「うん、あくまで言い伝えなんだけど……昔ノエルの樹で人形を作った人形作家がいたみたいなんだ。どうしてかは分からないけど、ある日その人形に魂が宿った。人形作家は魂が宿った人形を、自分の子供のように愛したんだって。だけどその人形作家は、ある時病気にかかり死んでしまう。そして人形はある商人の手に渡った。魂の宿った人形は、商人が行く街の先々で見世物にされた。人形はこれに対してどう思ったかは推測しかできないけど、商人の欲望や街の人々の興味と嘲笑の的にされ続けてとてもつらかったんじゃないかな」
「そんなの酷すぎる……」
サラは涙目になって呟いた。
僕には、もうほとんどサラを気に掛ける余裕は無くなっていた。これは今初めて聞く話しだ。だけど僕はそれを知っている。いや、知っているというより、むしろ心の底に蓋を閉じて封印していたものが、どんどん溢れだすような感覚だった。これ以上聞きたくない。だけど、耳を塞ぐこともできなかった。
「うん、酷い話だね。その人形は、人への憎しみが募っていったんだろう。だけど人形はずっと耐え続けたんだ。ある事実を知るまでは」
「ある事実ってなんですか?」
「人形を唯一心から愛してくれた人形作家のことさ。その人は、実は病気で死んだ訳ではなかった。商人に殺されたんだ。商人はどうしても人形が欲しかった。だけど、人形作家はどんな条件をつけても、首を縦には振らなかった。だから人形作家を殺した。そしてその事実が、ある時人形にばれてしまった」
「それで、どうなったんですか?」
サラが固唾を飲んでこいつに尋ねる声が、頭の遠くで聞こえる。僕の中で黒い何かが溢れ出し、それを抑えるだけで一杯一杯だった。
「その人形はその商人を殺した。いや、取り込んだというべきなのかな。今まで抑えこんでいた感情が一気に爆発し、それが樹としての際限無い成長へと繋がった。その場所で根を張り樹へと形を変えた人形は、周囲の全ての生物を見境無く吸収したんだ。商人だけでなくその街の人々、動物、植物、全てを吸収し、巨大な黒い樹になった。でもそれだけじゃない。それからしばらくして、それ以外のノエルの樹は全部枯れてしまったんだ。理由は分からないけどね。そして現在残っているノエルの樹は、唯一その黒い巨大樹だけで、その樹は未だに成長を続けているんだって。まあ、あくまで言い伝えだから、どこまでが本当か分からないけど」
僕はもう、自分の中の黒い何かを抑える事ができなかった。自分の意思に関わらず、体がびくびくと痙攣し、椅子から転がり落ちた。
「ノエル!ノエルしっかりして!」
サラの声が遠くから聞こえる。目の前にいて僕を抱き締めているようだけど、僕の感覚は完全に麻痺していた。そして、自分の意思ではどうしようもなく、両方の手足から幹が伸び出して部屋の中にあるものを取り込もうとした。
「サラ、危ない!早く離れるんだ」
こいつは何が起こったったのか分からなく。最初呆然としていたようだが、我に返り僕からサラを引き離そうとしているみたいだ。
「離してください!」
サラは叫び、こいつの手を振り解こうとする。
「だめだサラ、僕から離れて」そう言いたいのに声にならなかった。このままでは僕がサラを壊してしまう。そんなのは絶対嫌なのに。
「お願い、いつものノエルに戻って!」
サラがおそらく、僕を強く抱き締めている。だけど何も感じなかった。こんなにサラが近くにいるのに、そして僕がこんなに強くサラを感じたいと願っているのに何も感じられない。
僕の頬に、何か温かいものがぽたぽたと流れた。それはサラの涙だった。サラの両目から、大粒の涙が零れ落ちている。何でだろう、僕の体は何も感じないのにサラの涙の温かさだけは、はっきり感じた。「サラ、泣かないで……」僕は心の中で呟いた。そして、意識が途絶えた。
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