第11話
ずっと側にいた。だから、毎日の小さな変化に気がつかなかったんだ。だけど確実に、少しずつサラは変化していた。いつの間にか、僕が見上げるサラの目線は高くなっていき、そしてサラの体は大人の女性へと近づいていった。
だけど僕は何も変わらなかった。肉体的な成長なんて無い。でもそれは別に構わなかったんだ。もし僕がサラとずっと一緒にいることができたら。そして、僕とサラの関係が永遠に続くのだとしたら。
でも僕の中の黒い感情は、そんな気持ちとは裏腹に僕の心を蝕み続けていた。そして何かきっかけさえあれば、爆発的に増殖するための準備はできていたんだ。
ユタと初めて会ったのは、染料に使うためサラと花を一緒に摘んでいる時だった。
誰かが花畑に近づいてくる足音が聞こえた。それ初めて聞く足音だった。
「サラ、誰か近づいて来るよ」
「うん。誰だろう……ノエルは動かないでね」
「分かってるよ」
足音はどんどん近づいて来た。その軽やかで快活な足取りからすると、若い男の人だろうか。そろそろ林を抜けてこの花畑に到着しそうだ。
「おっ、ここか!期待以上だ!」
遠くから声が聞こえてきた。やはり若い男の人みたいだ。ここからだと横顔しか見えないけど、サラより少し年上くらいに見える。
その男の人は花畑の中に足を踏み入れて、姿が見えなくなった。
「どうしよっか?」
「悪い人では無いと思うけど……お花はもう十分摘めたし、気付かれないようにそっと帰ろうか?」
サラと顔を見合わせながら、ひそひそ話した。
「それじゃあ、ノエルは籠の上に乗って。歩いて帰る訳にはいかないし」
「サラ、運べる?」
「うん、大丈夫だよ」
サラは小さくガッツポーズをした。確かに今のサラなら問題なく運べるだろう。なんとなくそれが少し寂しかった。
僕は花が摘まれた籠の上に乗ると、サラは籠を背負い、男の人に気付かれないようにそっと花畑を抜け出した。
脇道まで行くと、その男の人の後姿が結構近くで見ることができた。男の人は、ルーペを手にしゃがみながら熱心に花を観察している。こちらに気付く様子は全く無い。
「何やってるんだろうね」
「うーん、そうだね……」
サラは男の人に視線を奪われながら、少しずつその場から離れていった。もし何事も無くサラがここから離れられていたなら、きっと何の接点も無く終わっていたんだろう。だけどそうはならなかった。
「きゃっ」
がくんと籠が地面に転がり落ち、僕は宙に投げ出された。サラは花畑に落ちてしまったようだ。どうやらサラが何かに躓いて転んでしまったらしい。
さすがに気付かれてしまい、男の人は僕達のほうに駆け寄ってきた。サラは無事だろうか。心配だけど、今動く訳にはいかなかった。人形の自分がもどかしかった。
「君、大丈夫?」
男の人はサラに手を差し出した。それが口惜しい。いつもなら自分の役目のはずだ。
「……大丈夫です、すみません」
サラは、地面にぶつけてしまったお尻をさすりながら、照れ笑いを浮かべた。
「……えっ?あ……そう……」
何でだろう。サラと視線が合った後返事するまでに間があったような気がした。返事も何だかぎこちない。
「おっ、頭の上に花びらがたくさん付いてるよ!」
男の人は笑いながらそう言い、サラの頭の上の花びらを指で摘み、取っていった。
「あ、きっと籠に摘んでいた花がこぼれちゃったんだ!」
サラは小さく叫び声をあげた。
「ああ、あの籠か。大丈夫、たいしてこぼれ落ちていないみたいだよ。ところで、どうしてそんなたくさん花を摘んでいるの?」
「衣服の染料に使用するんです。この花は水に浸して少し手を加えると、とても綺麗な紫色が出せるんです」
「へー、そうなんだ!初めて聞いた!」
地面に転がり落ち身動きせず黙っている僕を横に、いつまで二人は話しているつもりだろう。苛立ちが募ってくる。
「あなたは何しにここに来たんですか?」
「ああ、俺は植物学者を目指しているんだ。とは言っても、まだ学生だけどね。今、フィールドワークでこの花を観察しているんだ。この花はね、非常に限られた地域にしか生息しない珍しい花なんだよ。あ、それと自己紹介が遅れちゃったけど、俺はユタっていうんだ。君は?」
二人の会話を横目に、僕はゆっくり立ち上がった。もうこれ以上人形のように黙っているのはうんざりだ。
「あーっ!」
サラは叫んで立ち上がり、走って僕に飛びついた。
「……びっくりした!急にどうしたの?」
男の人は、驚いた様子で声をあげた。
「あの、えっと、用事を思い出したので、急いで帰らないと!途中ですみません」
サラは男の人にぺこっと頭を下げると、籠を急いで担ぎ、僕を抱きかかえながら小走りでその場から逃げ出した。そして駆けながら、男の人が視界から外れるまで何度も後ろを振り返った。
「もう見えない。大丈夫だよ」
僕がそう言うと、サラはやっと走るのを止めた。走りつかれたのか息は少し荒い。
「もうっ!ノエルったらどうして立ち上がったの?」
サラは僕を地面に降ろすと、じっと睨んだ。
「サラが悪いんじゃないか。僕が地面に転がっているのに、あいつとずっと話していたりなんてするから!」
「仕方ないじゃない……話しかけられているのに逃げ出したら、かえって怪しまれるし。もうっ、ノエルはそんな事を怒ってたの?」
サラはあきれたように大きな溜息を付いた。
「……『そんな事』じゃないよ……」
僕は聞こえないように呟いた。自分でもよく分からなかった。どうしてあいつとサラが話しているのがあんなに腹立たしかったのだろう。いや、腹が立っただけじゃない。あいつがサラに笑いかけるのを見たら、胸が締め付けられるように苦しかった。
「ノエル、もうあんな事しちゃだめだからね」
俯いている僕を見て、サラは僕の頭を撫でながら優しく諭した。
「うん……ごめん」
僕は謝った。僕だって分かっているんだ。サラやおばさんの前以外で普通に振る舞うのがどれだけ危険なことなのか。
サラは僕の手を繋ぎ、ゆっくり歩きながら家路を歩いた。サラの手は柔らかくて温かかった。この手を絶対離したくなんて無かった。
「サラ……」
「なに、ノエル」
「ごめん」
「もういいよ、ノエル。私もごめんね、ノエルのこともっと考えればよかった」
サラはそう言い、握った手の力を少し強めた。僕は反対に、握る手の力を弱めた。僕もサラの手を強く握りたかった。でもそうしたら、サラの手を壊してしまいそうな気がした。
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