第5話
「よく寝られた?」
陽射しの眩しさで僕が目を覚ました時、サラは珍しい事にすでに起きていた。
「うん……」
僕は指で目を擦りながら言った。こんなにぐっすり寝たのは、いつぶりだろう。サラは鏡台の前に座って髪を梳かしている。なんだか、いつものサラらしくない。
「サラがもう起きているなんて珍しいね」
「うん……今日からしっかり朝起きようと思って。もっと、お母さんのお手伝いたくさんしたいし」
サラは、少し頬を赤らめながら言った。お母さんとしっかり向き合おうとしているんだ。なんだか嬉しい。
「サラ、頑張って!」
「うん、ありがとう。朝ごはん行ってくるね。後でお水持ってくるから待ってて」
サラははにかみながら、部屋を後にした。
サラがいないごはんの時間は、いつもやることが無くて手持ち無沙汰を感じる。僕ももっとサラのお手伝いができないかな。そう考えながら部屋を見渡すと、本棚に埃が少しかかっているのが見えた。そういえば、サラの部屋には本が結構あるけど、サラが読んでいるのを見た事が無かった。どうしてだろう、今度サラに聞いてみよう。そう思いながら本棚の掃除をした。
掃除が終わった頃に、サラが部屋に戻ってきた。
「へへ、お母さんのこと怒らせちゃった……」
目が合うと、サラは少し顔を引きつらせながら笑った。
「どうして怒ったの?」
「分からない……『足手纏いにしかならないし、そんな暇があるならもっと勉強しろっ』て言われちゃった」
「そんなのって酷いよ!サラの気持ちを全然考えてくれてないじゃん!」
「でもお母さんの言うとおりなんだ。私、もう8歳なのに本だってほとんど読めないし」
「えっ、でも部屋に本はたくさんあるのに」
「お母さんが街に行った時に買ってくるの。でも、私には分からない単語がたくさんあってあまり読めないの。お母さん、いつも忙しそうだから聞きにくいし……」
なんとなく分かった。サラは、いつも忙しそうにしているお母さんに遠慮ばかりして甘えることができないんだ。サラのお母さんにしたって、サラが好きなはずなのに上手くそれを伝えられない。
「サラ、僕は、少しは読めるよ。だから一緒に読もうよ」
「そうなの?ノエルすごい!」
サラは感嘆の声をあげた。たとえサラが本を読めるようになったとしても、お母さんとの仲が修復される訳ではない。だけど、そのきっかけにはなるかもしれなかった。
「掃除と洗濯早く終わらせないと。その後、本読むの付き合ってくれる?」
「うん。サラは最初、何読みたい?」
「ええっとね……これ読みたい!」
サラは本棚から一冊の本を抜き出した。
「昔、お父さんがよく読んで聞かせてくれたんだ。これ、自分で読めるようになりたい」
その本だけ、他の本と比べてすこし汚れていた。サラはその本をぱらぱらめくると、中から何か抜き出した。
「これ、私のお父さんなんだ」
そう言って僕の前に差し出したのは、写真だった。覗き込むと、そこには今よりずっと小さいサラと若いサラのお母さん、そして知らない男の人が写っていた。サラを膝の上に乗せ、愛しそうに目を細めながらサラの頭を撫でている。体が大きくて、優しそうな人だ。サラのお母さんは隣で笑顔を湛えながら座っている。笑っている顔は初めて見る。
「お父さん、私が小さい時に病気で死んじゃったんだ」
サラは寂しそうに笑った。
「サラのお父さんってどんな人だったの?」
「えっとね、記憶はあまり残ってないんだ。だけどすごく優しかったのは覚えてる。私はいつもお父さんの膝の上に乗って甘えていたんだ。あと、もともとはお父さんが洋服の仕立て屋だったみたい。お母さんは街で人気の踊り娘で、お父さんがお母さんのこと一目惚れしたんだって。お母さんのために、洋服を仕立ててプレゼントしたのが知り合ったきっかけだって、昔お母さんが話してくれた。お父さんは結婚しても変わらずお母さんのこと大好きだったみたいで、お父さんがお母さんや私のために仕立ててくれた洋服ってたくさんあるんだ」
「いいお父さんだったんだね」
「うん!」
サラは嬉しそうに笑った。サラの思い出話を聞かせてもらえて、すごく嬉しかった。サラと大切なものを共有できた気がしたから。
今度、僕がサラにルネやおじいさんとの思い出を話そう。今はまだ、笑って話す事はできないけど。
その本は、少年が小さい冒険をしながら友達を増やしていく話しだった。難しい単語は出てこなかったけど、サラにはいくつか読み取れないフレーズがあった。だけどサラは、僕が読み方や意味を教えると、声を出しながら楽しそうに読んだ。
本を読んでいたら時間があっという間に過ぎてしまい、気が付いた時にはもうお昼を過ぎていた。気が付いたのは、サラのお腹がなったからだった。サラのお腹は便利だ。サラのお腹の空き具合をすぐにおしえてくれるから。
「もうこんな時間なんだ。そういえば、お腹空いちゃった……」
サラは頬を紅らめて言った。
「サラのお腹は、時間を教えてくれていいね!」
「ノエルのいじわる!」
素直に思った事を口にしただけだった。だけどサラは、語気を少し鋭くして僕を睨む。
「えっと……ごめん」
「ううん、冗談。ほんとは怒ってないよ!」
サラはいたずらっぽく笑った。僕は安心して胸を撫で下ろした。なんだか、サラは初めて会った時よりも、表情がどんどん豊かになっている気がした。そして僕は、初めて見るサラの表情のひとつひとつに振り回されて、慌てたり喜んだりしている。
「お昼ごはんにしましょ。ノエルもそろそろお水が必要だろうし。あっ、そういえばまだ掃除と洗濯してないわ。本を読む前にするつもりだったんだけど。
サラは小さく溜息をついた。
「僕も手伝うから早く終わらせよう。その後、本の続きを読もうよ!」
「うん、ありがとう」
僕はサラと一緒に食堂に向かった。ご飯の時間の中で、お昼だけは嫌じゃない。この時はサラと一緒にいられるから。
サラはキッチンでパスタを茹でだした。たぶん好物のクリームパスタを作るつもりなのだろう。サラは何も言わないとこればかり食べている。
「サラ、野菜も食べたほうがいいよ!」
「ちゃんと朝と夜食べてるもん。大丈夫よ」
「でもサラ、前にお母さんに怒られてたじゃん。野菜も食べろって」
「……部屋まで聞こえてたんだ。ノエルってお母さんみたい」
「でも、野菜を取らないと体に良くないんでしょ?」
サラは茹でている鍋を見ながらしばらく考えこんだ。
「分かったわ……今日は野菜パスタにする」
サラは諦めたように言い、野菜を冷蔵庫から取り出した。なんか悪い事を言ってしまったみたいで、申し訳ない気持ちになった。
「野菜を食べろなんて、お母さん以外に言われたの初めて。ありがとう、ノエル」
僕の気持ちを察してかサラはそう言ってくれた。僕は黙って口をへの字に結んだ。
野菜パスタは思ったよりも美味しかったらしく、サラはしっかり完食した。
その日もサラのお母さんは、夕方頃に仕事を終えて家に戻ってきた。
「サラ、あんた野菜知らないかい?」
サラのお母さんは、夕飯の準備をしている時に野菜が減っている事に気が付き、部屋にいるサラに聞きに来た。
「その……ごめんなさい……お昼に勝手に食べちゃった」
怒られると思ったのか、サラは謝った。
「自分で野菜食べたのかい?」
サラのお母さんは最初怪訝な表情をしていたが、サラがこくりと頷くのを見て、何も言わずに部屋を後にした。
「怒られるかと思った……」
サラは胸を撫で下ろしながら言った。
「サラは何も悪いことして無いじゃん」
「でも、野菜が無くなっちゃったから、夕飯のメニュー変えなくちゃいけなくなったかもしれない」
サラはお母さんに対し過剰に反応しすぎな気がする。もしかしたら二人が上手くいかないのはサラの態度にも問題があるのかもしれない。
「夕飯できたから、早く来な!」
お母さんの声が食堂から聞こえてきた。
「お水、後で持ってくるから待っててね」
サラはそれだけ言うと急いで部屋を後にした。
そしてしばらくしてから、サラが部屋に戻ってきた。
「サラ、食堂でお母さんに何か言われた?」
大丈夫だろうと思いつつも、念のため聞いてみた。
「私が野菜食べちゃったから、メニュー変えなくちゃいけなくなったって……」
「え、本当に言われたの?」
「でも、でもね……お母さん怒っていた訳じゃないと思う。今日の夕飯、私の好きなクリームシチューだったし」
「それって、サラが自分で野菜を食べたご褒美っていうこと?」
「分からないけど……そうかもしれない」
「きっとそうだよ!」
「でも、偶然かもしれないし」
サラは頑なだ。どうしてお母さんに対してもっと素直になれないのだろうか。
だけど、言葉に反してサラの表情は少し緩んでいた。
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