23
《即死の司者、雑多遠間。
出血多量死により、出血多量死――》
そのアナウンスとほぼ同時、俺は自分を捕えていた棺から解放された。
「がっ……ごほごほっ」
喉に手を当てる。既に傷はない。しかし、先程まで喉を貫いていた針の異物感が抜けない。傷も痛みももうないが、どうしても全身を拘束された感覚は抜けきらなかった。
「早見……」
視線を前にやる。早見が膝をついて項垂れている。即死の司者の姿は当然見えない。
――勝ったのか。一人で。
「あ……鑑君。良かった、無事で」
顔を上げた早見の表情は疲れ切っていた。満身創痍といった感じで、ぽんと体を押してしまえば倒れてそのまま動かなくなりそうだ。斬られたのか、肘の部分に一線の血の跡もある。
「早見こそ、無事でよかった。……焼死は?」
棺の檻は密閉されていて、音も聞こえない。振動を僅かに感じる程度だった。即死が死んだアナウンスも棺が消えてぎりぎり耳に入ったという程度で、どうして即死が死んだのかも要領を得ていない。
「……」
俺の問いかけを聞いて気まずそうに視線を逸らす早見を見て察した。
「死んだのか」
「……ええ」
そうなる可能性が高いとは考えていたけれど、早見の答えを聞いてやはり胸に来るものがあった。もう彼には会えない。この戦場に来るまでの彼らとの会話が頭の中に過る。二度と、同じ時は来ない。この死神ゲームの中で幾度とも出会いと別れと繰り返していても、慣れはしなかった。
それに、これはきっと慣れてはいけないことなんだと思う。
「相討ち、だったわ。爆死も死んだ。だからもう、私達しかいない」
「……そう。ごめん、あれだけ啖呵を切ったのに、結局俺は何もできなかった。不甲斐ない。全部、二人に任せてしまって……」
「いいのよ。これが私達の仕事。鑑君が勝てれば、それでいいの」
力なく微笑みかける早見を見て反省する。違う。俺が言うべき言葉は謝罪じゃない。
「いつか、もし彼らに会う機会があれば、お礼を言わなくっちゃな」
今まで俺を支えてきてくれた人たち。西条先輩、巳尺治、間宮。
そして――
「早見。ありがとう」
「……」
ぶわぁ、と。
早見の目から涙が溢れ出した。
「えっ、ええ?」
驚く。狼狽える。俺の知る早見のイメージとは違う。普段見れない姿だった。
子供の様に泣き始める早見を見て、俺は改めて自分の考えを正さなければならないと感じた。彼女はきっと、普通の女子の様に笑って、泣いて、そんな日常を送る筈だった。やりたくもないのに人を殺さなければならない状況で、普通の女子の感覚を封じ込めてしまっていたのか。だからあんなに凛として、年齢不相応に背筋を正して、きっと、無理をしていたんだ。
ずっとずうっと、我慢をしていたんだ。
「……っ」
早見は立ち上がり、こちらに近づいて、飛びついてもたれかかるように俺を抱きしめる。
「……」
俺の頬にも筋ができる。あれ? どうしたんだろう。涙が止まらない。おかしい。俺が泣く必要はどこも――いや、そうか。
俺もまた、無理をしていたんだ。
「ああ、ああっ……」
お互いに嗚咽を漏らしながら、力強く握りしめるように抱きしめる。
お互いの息を確かめるように、存在を確認するように、消えてしまわないように、強く、強く。
体の内から底知れない安心感が湧いてくる。早見とはまるで以前から知っていたかのような、そんな感覚。旧知の仲のような、揺るぎのない安心感。
「うっ……くぅ……」
貪るように体を引き寄せる二人。まるで二人の間に真の魂があるかのようだった。お互い体があるせいで一つになれないことを拒むかのように、力強く、抱きしめていた。
「……」
暫くの間抱きしめ合い、そして、落ち着くと俺達は急になんだかよそよそしくなって離れだした。
「……」
お互い視線が合わせられない。恥ずかしい。そういえば、早見は女性で俺は男性。そんな異性間であんな力強く抱き合うことは滅多にないだろう。勿論同性同士でもないとは思うけれど。
とにかく、とてつもなく恥ずかしい気分になって目線を向けることもできないし、話しかけることもできない。それは早見も同じのようで、もじもじとした感じだった。
「……落ち着いた?」
「……うん」
恥ずかしそうに早見は答えた。自分の行動を思い出したのか顔が真っ赤だ。珍しい。こんな顔も、するんだな。
「っ」
俺の視線に早見が気付いたようで目を向ける。慌てて視線を逸らしてしまった。顔が熱い。俺も人のことを言ってられない。
「鑑君、こちらこそ、ありがとう。鑑君のおかげでここまで来ることができた」
「うん、どういたしまして。こちらこそ、早見がいなければここまで来れなかった。そして、他の皆も。俺はいつも誰かに支えられて、戦ってきたんだ」
そうだ。そうなんだ。西条先輩も巳尺治も。彼女たちは俺を支えてくれた。結果裏切られたとしても、その事実は変わらない。彼女たちもまた、いなければ俺は立ち上がることができなかった。
「さて、もう死神ゲームも終わりね」
「……そうだね」
死神ゲームが、終わる。
それは、早見との別れも意味していた。標的が勝つには司者が全員死ななければならない。つまり、出血多量死の司者である早見透華も例外ではなく、俺の敵だ。
殺す、相手だ。
「……殺したくない、なんて言わない。俺は早見を殺して次に進む。俺が死神に成るためには早見はもう邪魔だ。ここで、死んでもらう」
「ええ、そうね。約束も、あるしね」
約束。……西条先輩の仇討ちか。ああ、そういえばそんなことも言ったな。
「……早見、俺さ、狂ってるのかもしれないけれど、まだ西条先輩が好きなんだ。だから、もし、西条先輩に殺されかけたあの時、早見が俺を助けるのに間に合っていなかったら、そうなったら西条先輩は死神に成れて自分の願いを叶えられたのかな、なんて思うんだ。俺が死ねば彼女は幸せになれたのかな、って考えるんだ」
「……」
「でもさ、それじゃ駄目だと思うようになったんだ。俺が彼女のために死んだとしてもそれは俺の身勝手で、真に意味のあることにならないんじゃないかって。だから、俺は西条先輩の死を否定しない。彼女には死んでほしくなかった。けれども、きっと、西条先輩が幸せになるためには俺が勝手に命を差し出すだけじゃ、足りないんだ」
「……」
「巳尺治に関してもさ、俺はあんまり悪く思ってないんだ。そりゃあんなことされたら怖いし恐ろしいし、ぶっちゃけ次会うことがあったとしたら面と向かって話すことができないだろうけれど、それでも、巳尺治にも感謝してるんだ。彼女がいなければ、早見と協力する前に俺は死神ゲームから脱落していた。だから、本当、皆に感謝してるんだ。なんか、傍から見て気持ち悪いし狂っているとしか言い様がないかもしれないんだけれど、それでも。俺は、二人とも――嫌いにはなれないんだよ」
「……そう。確かに、気持ち悪いわ。優しすぎる。なんでそう思えるのか、不思議なところもある。けれど、分からなくもないわ。だって理性ではどうしようもない気持ちは、理解できるもの」
早見はそう言った。遠い目で、何かを見るように。
俺は続ける。
「だからさ、彼女たちのためにも、俺は死神に成るよ。死神に成って、死神ゲームそのものを終わらせる。俺が感謝してもしきれない人たちと同じ境遇に遭う人をなくすために。俺は戦うって、決めたんだ」
早見を見る。相手もこちらを見た。視線が合う。今度は顔を逸らさない。お互い、真っ直ぐに相手を捉えている。
「じゃあ、いよいよね」
「ああ、いよいよだ」
「それで、鑑君。それについて少し、私のお願いを聞いてくれないかしら」
早見が言いにくそうに訊く。
「うん、いいよ。何?」
「――私の首を絞めてほしいの」
「……え?」
「いや、あの、その、これから鑑君は私を殺すのよね、だから、その殺し方で、私を絞殺してほしいって……駄目?」
「いやいや駄目じゃないけれど。駄目ではないけれど? なんで? 絞殺って、苦しいじゃないか。もっと楽な死に方があるんじゃないの?」
「それはそうなんだけれど、そうなんだけれど……その、とても言いにくいのだけれど、鑑君に疵をつけてほしいの。拭っても取れないような、深い――疵を」
「……」
絶句。言葉が出ない。早見は何を言っているんだ?
「……ごめんなさい。変なことを言って」
「……いや、いいよ。わかった。早見がそれがいいって言うのなら。そうしよう」
「……ありがとう」
そう言って、早見はまた俺に近づいてきた。そして、手が届く距離になる。
「……」
早見は顎を上げて首を差し出す。俺は首に手をかけた。
「鑑君、それで、これも私の我儘なんだけれど、鑑君が私を絞める時、私は全力で抵抗するわ」
「ええ?」
思わず声が漏れる。早見の言っていることがわからない。
首にかけた手の首を早見は掴む。
「全力で抵抗する。この手首を思い切り握りしめる。もしかしたら骨くらい折っちゃうかもしれないわね」
「えぇ……」
さっきからずっと、早見の言っていることが俺の理解の範疇を越えている。戸惑いしかない。
「それと、首を絞める時はゆっくり、真綿を絞めるように、やってほしい。いきなり首の骨を折るんじゃなくて、気道を塞いでゆっくりと殺してほしい」
「……苦しい。そんなの、苦しいよ。なんで自分からそんなことを」
「私でも、わからないの。でも鑑君に殺してもらうなら、これしかないと、思うの」
「ごめん、いくらなんでもそれは早見が苦しすぎる。そんなの、見てられない」
「……そう。それじゃあ――」
どすっ、と。腹部に何かが刺さった。
「――え?」
視線を下ろすと俺の腹に刀が刺さっている。きっと例の刀だ。それが俺の腹を見事に貫いている。
「ごめんなさい。本当はこんなことしたくないんだけれど、こればっかりは……譲りたくないの。だから――」
「ゆっくり、殺せと」
「ええ、急所は外したけれど、このままじゃ鑑君は死んでしまう。私が死神に成ってしまうわね。鑑君が私を殺さない限り」
早見が申し訳なさそうに、けれども芯は強そうにそう言った。
「はは、全く――早見には敵わないな」
俺は早見の首にかけた手に力を入れる。ゆっくりと、首を締め上げるように。
早見がわざわざこんなことをするくらいだ。俺からではわからないことも早見には何かあるんだろう。そう信じて。
「……ぐっ」
早見が苦しそうに顔を歪ませる。それに合わせて俺の手首にかかる圧力も大きくなった。本当に骨が折れそうだ。痛い。けれどもきっと、俺より早見の方が――
「がっ……はっ……」
ぎりぎりと。ぎりぎりと。首を締め上げる。痛い。何処が痛い? 全部だ。腹も手首も心も何もかも――痛い。
「……っ」
早見の首には既に痣が見て取れる。様子も本当に苦しそうで顔を見ていられない。その苦しさは手首にかかる圧力からもひしひしと伝わってくる。
「……」
そして。
だらん、と。早見の腕が垂れた。体も力が抜けたようで、いきなり人形になってしまったようだった。
「……」
俺は早見を抱き寄せた。早見の顔が見たくないのもあったけれど、これを地面に倒してしまうのは嫌だった。
《出血多量死の司者、早見透華。
標的により、窒息死――》
アナウンスが鳴ってもじんわりとまだ体温が残っている。しかし、それも束の間、早見の体はさらさらと宙に溶けるように消えてなくなった。
《――以上。
司者全員死亡により標的の勝利。
これにて死神ゲームを終了します――》
そのアナウンスと共に、景色が一変した。周りにあった建物もさらさらと溶けるように消えてなくなり、やがて何もないただ白いだけの世界となった。
「やあ、おめでとう」
背後から声をかけられる。振り向くと、青年の男がいた。若い。二十前半だろうか。いや、容姿は若く見えるが三十手前と言われても納得できる。
「初めまして、になっちゃったね。僕の名前は早見皐月。妹がお世話になりました」
「あ、どうも……。鑑境谷です、こちらこそ妹さんにはお世話に……」
慌てて頭を下げる。早見皐月は柔和な笑みを浮かべながら「いいよいいよ」と制した。
「時間がそこまであるわけではないからね、できるだけ手短にいくよ。まず、謝るよ。ごめんね。本当はデモンストレーション期間に僕が君と打ち合わせする筈だったんだけれど、上手くいかなかった。僕が忙しいのもあったけれど、これは巳尺治愛というイレギュラーが存在したから発生した問題だった。ゲームが始まってからも干渉できるタイミングがなかったのは彼女の所為だ。まさか彼女の行動があそこまでの妨害行為になるとは気付かなくてね。それについては本当に申し訳なかった。そして、ありがとう。それでも君は勝ち残った。これで僕のミスが帳消しになったわけではないけれど、こうしてなんとかなった。本当に感謝するよ」
「はあ、それは、どうも」
「これで見事君は死神ゲームの勝者となり死神に成る権利を得たわけだけれど、妹から話は聞いているね?」
「……はい」
「よかった。確認だけど、こうして君がここまで来たということは――」
「覚悟はしてるつもりです」
俺ははっきりとそう答えた。
「……だよね。無粋な質問だった。申し訳ない。君も理解しているだろうけれど、僕からも説明しておくよ。君はこの死神ゲームに勝利し、死神に成る権利を得た。そして、今の君は魂だけのエネルギー体だから、死神としての体を死神協会日本支部長である僕が与える。その器は規格外のもので、君が死神に成ると同時に拒絶反応が起き、魂と器が分離し始める。それだけ一人の人間が背負うには大きすぎる力を僕の権限で君に与える。いいかい、君は死神に成った瞬間から消え始める。きっと最期は魂の一辺も残らない。君という存在は、完全にこの世あの世共に消えるだろう。その分離現象が起こっている間に、君がまだ生きていられる間に君にはこの世界を変えてもらう。そこまで難しいことじゃない。君はここで暴れる。それだけでいい。手あたり次第ここにあるものというものを壊してくれればいい。そして君の行動は火種となり、他の支部での暴動を呼ぶ。そっちが本命だ。日本に手がかかりきりの状態を作って手薄な本丸で革命を起こす。これが一連の流れだ」
「つまり、俺はきっかけを作るだけ。それだけでいいんですね?」
「そうだよ。それだけでも大変な仕事になる。何せ君は、生きていられる保証はおろか、死ぬ保証なら容易にできる状態にまで、落ちる」
「……落ちてなんか、ないですよ。最初から、殺人鬼には相応しい最期だ」
「……ごめんね」
「どうして謝るんです? これは、俺にしかできない仕事なんでしょう? だから俺がやる。それだけのことじゃないですか」
「……そうだね。君の命は、魂は無駄にしないよ。この僕が、絶対に」
皐月さんが力強くそう言った。きっとこの人にも背負ってきたものが、あるんだろう。
「質問、いいですか?」
「なにかな?」
「これも無粋な質問かもしれません。……こんなことになる前にどうにかならなかったんですか? 皐月さんは日本のトップなんでしょう? なら、死神ゲームを終わらせることくらい自分の立場でできたんじゃないんですか?」
「……それは最初に考えたよ。だから、僕は地道に頑張って今の地位まで築いた。でもね、ここまで来てわかったんだ。日本程度のトップじゃどうにもならないんだ。――そうだな。説明しよう」
そう言って、皐月さんは右手をある方向へ伸ばした。
「見て」
指し示された方へ顔を向ける。いつの間にか、そこには地球があった。大きい。実際の地球をスクリーンか何かで映し出しているようなものだったけれど、立体感がある。精巧な地球の模型があるようにも見えた。
「これは……」
「まず、死神の特異性を説明しないといけないだろうね。鑑君、君は死神をなんだと考えている?」
「? 聞いた限りでは、死者の魂を運ぶ機械のようなもの、ですね」
「そう。そうなんだ。つまり僕達は厳密に言うと死神ではない。死神と呼ばれるに相応しい「機関」だ。形象が死神という手段しかないというだけで、僕達は神様というわけではない。でも例えがそれしかないんだよ。何かごちゃごちゃとした名称より死神という名前の方がわかりやすいだろう? だから死神を名乗っているだけに過ぎない」
「はい」
「では実際の僕らは何者か。それは、イメージだ」
「イメージ……?」
「人間が思想や思考、もしくは宗教観によって構築される「魂を運ぶもの」。そのイメージが僕達死神の本質。実際に形が存在するわけじゃない。質量があるわけではない。人間一人一人の思想の重なり、その普遍的な共通点の中に存在する概念的存在。それが僕達、死神だ」
「……はあ」
「ではこの地球儀を見てほしい。ところどころ穴があるだろう? これはブラックスポットといって、死神が存在できない場所だ。死神は人間の魂を運ぶものという人間が作り出した概念。つまり人間が生息しない部分には存在できない。大西洋や太平洋のあちこち、そして成層圏辺りの上空。ここに僕達が立ち入ることは殆どない。そもそも人間がいないのだから僕達が存在する必要がないんだ」
「……成程」
とりあえず相槌をうつ。話の内容は半分も理解できているだろうか。わからない。それは皐月さんも分かってのことだろうけれど、それでも彼は話を続けた。
「この地球は実際の地球を映したものではないんだ。いわば死神の世界。死神が立ち入れる範囲を映した地球を覆う膜のような物――勿論実際には存在しない。あくまで人間の思想の中にしか存在しない。ここらへんを物理的に探しても何もない。こういう場所に僕達はいる。人間の思想の外側、想像の範囲外。わかりやすく言えば、目を閉じて世界を想像した時、どうしても想像がつかない暗闇の世界が存在するだろう? それが僕達の世界だ。何処にでもあって何処にも存在しない。いつだって人間の意識を越えた暗闇の場所に僕達はいる」
「……」
「それがどうして人間に干渉できるのか。実はそれは僕にもわからない。多分それは死神という概念そのものがそもそも人間に干渉するものだから、なんだろうけれど、実際のところはさっぱりだ。ただ、人間から死神へのコネクションは存在せず、死神から人間へのコネクションは実在する。それは明確な答えだ。人間が死神への接触を可能にするとするならば、それは人間の思想の変化、死神は実在するという確かな認識が必要になる。特殊な思想や宗教観を持っていれば片鱗を見ることは可能だろうけれど、本質を見ることはできない。死神そのものを捉えるには人間という種全体が死神の存在を肯定し理解の内側に置く必要が存在する。概念の完全な定義化。そういったことが必須条件にあたるだろうね」
「……あの、それで、それが現状にどう関与するんですか?」
「ああ、ごめんごめん。不思議な話だよね。僕も理解したフリをするのに長い時間がかかった。えっとね、つまり、死神は人間に強く縛られるものなんだ。人間が存在しなければ僕達は存在できない。由来が人間であり性質が人間であり可変範囲が人間なんだ。人間の思想によって生まれた僕達は人間の思想によって行動し、人間の思想の範囲で変化する。だから――死神の立場は人間世界の立場がそのまま直結する」
「……ああ」
ここでやっとおおよその話が理解できた。皐月さんの言いたいことがなんとなくわかった。
「だから、日本での立場は低い。アジアの中では高い方なんだけれど、欧米諸国には到底及ばないな。死神の概念に関しては日本よりそちらの方が発達している。元々あちらの国の概念だしね。日本にも似たような存在はあるけれど、どうしても死神という名前にする以上そっちに引っ張られる」
「皐月さん一人ではどうしようもないと」
「そうだ。日本のトップとはいえ、所詮その程度でしかない。死神協会理事の席があって発言権があっても決定権が僕にはない。僕が泣こうが喚こうが上に握り潰される。だから、僕はこうすることにしたんだ」
「成程、わかりました。死神も案外、世知辛いものですね」
「所詮人間が生み出したものだしね。こう考えると実際の神様と呼ばれるような存在も、きっとそれほどまで大したものじゃないんだろうさ」
皐月さんは自虐めいた笑いをする。死神の世界での内情がよく分かっているのだろう。限界を、よく知っているんだ。
「……実はね、僕でさえ死神が何なのかわかっていないんだ。死者の魂を運ぶ存在、それはいい。しかし、僕達はその魂をどこに運んでいる? 勿論ある一定のルールは存在する。例えば、ある魂が生前にキリスト教を信仰しているならば神の御許へ送らねばならないし、仏教を信仰していたのなら仏の道へ案内しなければならない。生前の思想や宗教観に合わせて魂を適切な場所へ運ぶのが死神の仕事だ。多種多様な思考の中、僕達はそれぞれの場所へと運んでいる。しかし、その運んだ場所が本当にそういう場所なのかを僕達は知らない。神の御許と呼ばれる場所があるのはわかる。けれども、それが本当に神の御許に運ばれているのか、仏の道へ案内できているのかはわからない。僕達が魂を神の下へ運んだからといってそれが神様や仏様の証明にはならないのさ。僕達は結局のところ魂を運ぶための機関でしかない。だから僕達はある一定の範囲を超えることができない。あくまで死神世界に生きることしかできない。神にも仏にも会うこと敵わず、運ぶべき場所があるから存在しているのだろうという想像しかできない。人間世界における死神がそうであるように、また、僕達もこの世界に縛られているのさ」
「……そんな、それでは、死神は救われない――」
「そう、救いなどない。僕達死神は神や仏には絶対に救われない。救えるのは同じ死神達だけさ。だから僕は救いたいんだ。退廃的なこの世界を。死神達を。これ以上悲しみを重ねないように。死神ゲームの撤廃はその一つなのさ」
「わかりました。だから俺がやらなきゃいけないんですね」
「ああ」
「じゃあ最後にあと一つだけ、いいですか」
「なんでも訊いて。答えられることは答えよう」
「死神ゲームでのことです。巳尺治愛を俺は知りません。でも彼女は俺を知っているようでした。早見透華もまた。ですが俺は二人をよく知らないんです。なんで、俺は覚えてないんでしょう」
「……それか。それに関しても僕は謝らないといけない。ごめん。それは僕が消去した。妹に――透華に頼まれたんだ。君の生前の友好関係の記憶を消去した。口止めされているからこれ以上言えないんだけれど、妹に頼まれてのことだ。多分巳尺治さんに関してはそのとばっちりを受けたんだろう」
「……そうですか。なら、これ以上は訊きません」
「助かるよ。妹のたっての願いなんだ。これを破ったら僕は透華に怒られる」
ははは、と頬を軽く掻きながら皐月さんはそう言った。透華に頼まれることが滅多になかったのだろう。嬉しそうに微笑んだ。
「さて、俺はもう、大丈夫です。実情も必要性も理解できました。やっぱりこれは、俺がやらないと駄目ですね」
俺の返答を聞いて皐月さんの表情が強張る。皐月さんも覚悟を決めたようだ。
「いいかい。今から君には死神に成ってもらい、そして、死んでもらう。革命の為に。君にはここで消えてもらう」
「はい」
「これを飲んで」
皐月さんは俺に杯を差し出した。平べったい杯には液体が張っている。
「御神酒だよ。ここは日本だからね。死神も神様の名を騙る以上、そのルールにも縛られる。日本式の神に成る儀式だ。アルコールを摂取することで神に近づく。これで死神の力の接続もスムーズに済むはずだ。分離の際の痛みには、気休めにしかならないだろうけれど」
俺は杯を受け取った。そして、それを口に運ぶ。未成年だから、なんて言ってられない。
「目を閉じて。力を抜いて。出来るだけクリーンな思考でいこう」
俺は目を閉じて仰向けに倒れた。倒れた先には何もなかった筈なのに、優しい感触の何かが俺を抱きとめる。それが俺の力を受け止めて、力を抜くよう促してくる。俺はそれに素直に従った。
思えば、長い戦いだった。西条先輩に救われ、巳尺治に助けられ、早見に導かれた。そうだ、俺は彼女達の為にも、戦い続けるんだ。
「いいかい、接続するよ」
皐月さんがそう言った。そして、瞬間、俺の体に電流が走る。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああッ‼」
全身を迸る衝撃。痙攣する肉体。上がる悲鳴。
「ぐうううううううううううううううッ‼」
耐えろ。俺はまだ、こんなところで倒れてられない――
激痛に耐える中、俺の頭の中には今までにあった司者達の姿が思い浮かんでいた。
思考の中の視界も霞む。途切れ途切れになり、雑音が混じる。
それでも俺は、彼らのことを思い浮かべるのをやめなかった。
彼らが行った地獄が、彼らが受けた屈辱が、消えてなくなりますように。願いを込めながら。
まるで夢のようだった。夢の様に思考がまとまらず断続的に情景が頭の中を流れ始める。
そうか。これは夢なんだ。悪い夢。そうでないといけないんだ。
こんな地獄があってはならない。だから、俺はこれを夢にしなければならない。
悪夢。どうしようもない、救いのない夢の果て。
俺がこれを悪夢のままで終わらせる。
現実のものに、させてたまるものか。
彼女の儚い笑顔も、遠く。
彼女の流した涙も、遠く。
彼女と歩いた道も、遠く。
全てを遠い、夢の中に――
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