16



《安楽死の司者、巳尺治(みしゃくじ)愛(あい)。

 標的により、即死――》



 そのアナウンスを聞いてからどれくらい時間が経っただろう。わからないけれどけっこう経った気がする。


 あの時、俺を拘束していた場所は例の隠れ家の一室だった。俺の行ったことのない左側。左側の通路の突き当りの部屋だった。まさか、こういうことでここに戻ってくるとは思っていなかった。


「……」


 まだ混乱している。なんでこうなったのか。こうなってしまったのか。戸惑っている。でも。


「――止まってるわけにはいかないんだよな」


 俺は、勝たなければならない。この死神ゲームで。……そういえば、勝って何がしたいかなんて考えていなかったな。使命感や責任感だけで今まで戦ってきたんだもんな。願いなんてなかった。欲を言えば元の世界に帰してほしいというのが願いになるのかもしれないけれど、それはおそらく無理だろう。巳尺治からは聞いてなかったけれど、俺はもう既に死んでいる。司者が死者だったんだ。標的の俺だけ生きているなんて都合のいいことはないだろう。巳尺治はそれを俺に告げなった。最後まで。何か目的があったのかそれとも俺に負担をかけまいとする優しさなのかはわからないけれど、俺は後者だと信じている。


「……そろそろ行くか」


 俺は立ち上がった。あの一件の後、俺は隠れ家の中を巳尺治の部屋を除いて調べ尽した。銃火器はハンドガン二丁にマシンピストルが一丁、サブマシンガン一丁といった具合で、俺はこれらを持っていくことにした。弾が若干心もとないが、俺の命中精度なら弾数は関係ないだろう。あまり嬉しくないけれど今の俺は銃の扱いに関してならそこらのヒットマンよりも強いんじゃないだろうか。ちなみにライフルやショットガン、手榴弾等は置いていくことにした。巳尺治からレクチャーを受けてないので扱いに関して素人同然だし、何より持ち運ぶにおいて荷物が多すぎるのでやめた。使おうと思えば使えるのだろうし、車に載せれば運べもするが、使ったことのない物に対する信用度はあまりないし、知識がない故の暴発は避けたい。それに、車やバイクを使うことはやめにした。移動するにはいいのだけれど狙撃された時に対処がしにくい。徒歩で移動する方が何かあった時にすぐに物陰に隠れられるし、そちらの方がいいだろうと考えた。


「荷物の整理も十分。あとは心の整理だけだった。――そして、それも十二分。勝とう。勝って、死神になれれば俺が殺してきた司者達の願いを間接的に叶えられるかもしれない。弔い。俺と同じくこの地獄に巻き込まれた人達に――安らかな眠りを」


 外に出る時がやってきた。守られてきた、箱の外に。






「……よし、誰も居ないな」


 穴の中から外の様子を伺った。同じ場所に長い時間居たため待ち伏せされている可能性もある。恐る恐る注視したが誰もいなかったので少し安心した。


「ふう、さてと。これからどうするか。基本的にはやってきた司者を迎撃することになるんだよな。司者とは違って標的は司者のおおよその場所さえわからないって、バランスおかしくないか? 標的勝てるようになってるんだろうかこれ」


 穴から出て森の中を歩き始める。身を隠せる森の中に居座り続けた方が戦いやすそうだ。でも、まだ焼死がいる。下手したら森ごと焼き払われるかもしれない。そうなったら詰みだ。森には長くいられない。


「んー、とりあえず焼死がいなくなるまでは市街で、か。建物を移動しながら? でもそれだと爆死が怖い。ある程度障害物があって尚且つ袋小路にならない場所……うーん」


 俺は頭を悩ませながら歩いていた。


 そして、暫く森を歩いていると、


「……誰か、いる」


 気配。殺気。異様な何かを感じる。標的は感覚も鋭くなるらしい。けれどもここまで敏感になるとは思ってなかった。……なんか、どんどん自分が化け物じみてきたなあ。相手もそうなんだからとんとんなんだろうけれど、少し怖い。でも、死神に成る為なんだからそれも当然か。人間離れしていくことは仕方ないんだろう。


 立ち止まった。辺りを見る。特に変わった様子はない。


(そこまで遠くない。気の陰から覗いている感じ。見られている感覚。殺意はある)


「……」


 どうするべきか。思わず立ち止まってしまったが、動くべきか。それともこのまま相手を誘うべきか。


(特に何もないところで立ち止まった時点で気付いたと判断されているはず。なら、このまま相手の出方を見た方が賢明か?)


「……」


 森は静かだ。鳥の鳴き声と風が木の葉を撫でる音だけが聞こえる。


「……」


 ……。


「……」


 …………。


「……」


 ………………。


「……ッ!」


 右斜め後ろ。咄嗟に俺は発砲した。


(っ⁉ 何もない。まさか、撃たされた⁉)


「くっ!」


 足首に何かが巻き付いた。布。いや、これは――包帯?


(しまった! 注意を逸らされた!)


 俺は慌てて足元から地面に伸びる帯に発砲する。包帯に穴が空くのを見て、俺は足に力を込めて蹴り上げるように包帯を引き千切った。


(よし、とりあえず動きは封じられずに済――むぐっ⁉)


 今度は首に包帯が巻きついた。包帯に引っ張られ、近くの木に磔にされる様に縛られる。


(手まで、いつの間に⁉ 足元の包帯もフェイクだっていうのか⁉)


「うぐっ……」


 やばい。このままだと絞め殺される――


「あああああああああ!」


 思い切り力を込め、手首に絡みつき木と接着させていた包帯を強引に千切る。無理矢理だったため手首が本来曲がらない方向に折れ曲がった。くそう、力技ばっかりだな俺は! 


「こんのっ!」


 折れた手が元に戻る。そして、腰に差しているナイフを掴んで引き抜き、依然縛られたままの手首に突き刺した。


「あああああ⁉」


 ナイフ思い切り引き、自分の手首を切り取った。包帯から解放されたが手首から先がなくなった。俺はナイフを腰に戻して血が噴出する手首を握りしめた。血さえ止まれば死亡判定は出ないはず。


(よし、元に戻った。これでやっと首の包帯に対処できる)


 首に巻き付いた包帯を掴んで引き千切る。そして、俺は木から離れて落下した。


「げほっ、がっ、あっ、……はあ」


 死ぬかと思った。なんで毎回毎回こんなに苦戦するんだ司者との戦闘は! 一回くらい楽に倒させてくれ!


「……絞め殺すのは無理でしたか。うーん、ツイてると思ったんですけどねえ」


 木の陰から青年が現れた。


「っ⁉」


 その青年の姿を見て驚く。その青年は血塗れだった。頭の先からつま先まで。赤黒いものがべったりと貼りついている。まるで血液のプールに頭の先まで暫く浸かった後のような、そんなイメージを抱くほど彼の姿は赤々としていた。


「うっ――」


 思わず吐き気を催してしまうくらい強烈な血の匂いが漂ってきた。


「こんな姿で申し訳ありません。洗っている暇などなかったもので。いやーここで会うなんて僕は運が良い。ゲームが始まって暫くは即死や出血多量死に追いかけられて踏んだり蹴ったりでしたが、やっと運が回ってきたようです」


「……は」


「では貴方にはここで死んでいただきます」


(このゲームにはヤバイ奴しかいないのかよっ⁉)


 窒息死がこちらに向かってくる。包帯の強襲の出来から見て何のかしら策はあるだろう。だけれど、


「先手必勝!」


 俺は銃を引き抜いて即撃った。先に殺してしまえばこちらのものだ! 俺が放った弾丸は窒息死の眉間の間を貫いた。


「っ⁉」


 しかし。


 しかし、確実に死んだはずの窒息死は足を止めることなくこちらに近づいてくる。


(死なない⁉ そんな馬鹿な! 確実に頭を撃ち抜いたはず、ならなんで――)


 と、そこで気付いた。


(死亡判定の上書き――)


 そうだ。俺は知っている。この現象を。だって散々これを使って俺達は勝ってきたんだから――


(なら駄目だ! タネがわかるまで勝ち目はない! 一旦引いて作戦を考えよう!)


 俺は青年の足を撃った。青年が倒れる。今がチャンスだ!


 俺は走り出した。逃げる。勝ち目の見えない敵と無理に戦う必要はない。弾の数も無限じゃないしな!


「しっかし、あちらこちらと忙しいな!」


 逃げる先々に包帯の塊が落ちていた。俺はそれを避けながらひたすら走り続けた。


「よし、大分離れたぞ! これならもう逃げきれ――」


 少し気を抜いた瞬間だった。


 ばしゃ、と。


 空から液体が降ってきた。


「……?」


 頭からその液体を被る。……なんだ、これは。右手でその液体を拭ってみる。


「血……っ」


 赤黒いその液体は血だった。また強烈な鉄の匂いを嗅ぐことになった。


「……」


 見上げる。俺の頭上には空のバケツが浮いていた。包帯によって吊るされた、バケツが。


「⁉」


 そこで何が起こったのか気付いた。


「あがっ、おぼっ、ぼぼぼぼ」


 被った血が意志を持ったかのように口や鼻に集まり気道を塞ぎ始めた。跪く。


「窒息死。わざわざ首を絞めて殺す必要はありません。専門ではありませんが、溺死だってできる」


 追いついたのか、窒息死が目の前に現れた。


「僕は溺死と違って水を生み出す能力は持っていないので、。痛い目にあってばかりですね。僕も、貴方も」


(じゃあ、まさか、最初からこれが狙いで――?)


 そういえば、道中の包帯はあえて見える位置に配置してあった。それで俺が逃げるコースを誘導していた――



「いやー、僕はツイてる。貴方が思ったより単純で。僕は運が良い」



(――勝てない)


 負けを悟った。ここから相手を殺そうにも死亡判定の上書きで帳消しにされる。ではこの口と鼻に張り付いた血をどうにかしたらと考えてもそれもできない。血は触れない。千切ることも、離すことも、できない。


「ぼぼっ、ばばばばっ」


 溺れる。まさか血で溺れるなんて。というか血を被ってばかりだなあ、俺。


(……負け、か)


 結局、俺は何だったのだろう。何の為に、戦ってきたのだろう。あんなに、あんなに人を殺してきて――


(俺は何を為せたのだろう)


「――まだゲームはこれからよ。鑑君」


 声が、した。


(早見――)


「やっと見つけたわ。窒息死。貴方はこれで――おしまいよ」


「ガッ、……そんな、何故……」


 早見は窒息死の背後に立っていた。そして、窒息の左胸から例の刀が生えていた。


「心臓を意図的に潰して死亡判定を消す。中々考えたわね。でも、タネが割れればなんてことはない。要は心臓が元に戻れる場所を塞げばいいのよ」


 早見は刀を引き抜き、その後自分の腕を窒息死の左胸にねじ込んだ。窒息死の左胸から今度は早見の手が生える。そして、その生えた手は窒息死の心臓を掴んでいた。


「……はっ、ははは。成程。これは、これは僕が弱かった」


 窒息死は微かに笑いながら、絶命した。



《窒息死の司者、新井(あらい)宗次(そうじ)。

 出血多量死を司る者により、出血多量死――》



「ごほっ、ごほごほっ」


 纏わりついていた血がただの液体になり、俺はそれを吐き出した。うっ、血の匂いが鼻孔と口腔にへばりついている。最悪の気分だ。


「――また、溺れそうだったわね、鑑君」


 早見が、俺を見下ろしながらそう言った。



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