13

 俺は森の中を走っていた。待ち合わせ場所まであともう少しだ。早く合流しないと。でも、


「……くそっ」


 変死と戦わなきゃならないというのに、俺の頭の中は早見のことでいっぱいだった。


「なんで、引き金が引けなかった? なんで殺せなかった? 絶好のチャンスだったじゃないか。でも、できなかった。撃てなかった。わからない。理解できない。早見だってそうだ。なんで俺を殺そうとしないんだ? 司者じゃないのか? なんで、なんで……」


 まだ早見のことを引きずっていた。変死のことは頭の片隅に追いやられていた。変死のことは忘れていたかのように考えていなかった。

 だからなのかもしれない。俺はそれに気付けなった。


 爆風。


 とんでもない勢いの風が俺の背中を襲った。まるですぐ後ろに爆弾が投下されたかのような、轟音と衝撃。俺はバランスを崩して横転してしまう。そしてバイクと俺は何かに引き摺られていくかのように地面の上を滑っていった。


「あばっ⁉」


 木にぶつかってバイクは制止した。全身が痛い。強く地面に打ち付けられてそこから引きずられたんだ。かなりの痛みがある。でも、これくらいならすぐに治るだろう。


「な、何が起こって……」


 俺はヘルメットを外して後方を確認した。砂煙が上がって見えにくいが、そこに人がいた。それは先程まで俺が戦っていた人物――


「よう。置いていくなんてひどいじゃないか。追いつくまで時間かかっちゃったぜ。探すのに苦労したんだぞ? なあ、標的」


 変死、だった。


「っ!」

 咄嗟に俺は発砲した。しかし、やはり弾丸は変死に当たらず、何かに弾かれたように軌道が逸れる。


「やっぱり駄目か!」


 俺は立ち上がって逃げようとした。バイクはもうダメだ。走るしかない。今の俺の走るスピードなら変死から逃げられるかもしれない。そう思った。だが、


「おっと、逃げるのはもうナシだ。正々堂々戦ってもらうぜ」


 前方にブラウン管テレビが落ちてきた。そして、恐ろしいほどの量が積まれた。テレビの壁は俺の退路を塞ぐように立ちふさがった。


「……っ!」


「さあ、勝負といこう。とはいっても俺がお前を殺すのはもう決定しているが。まあ、あれだ。すぐに終わってしまうんじゃ勿体ないっていうヤツだ。けっこうこの能力は気に入ってるんでね。遊べるならもうちょっと遊びたいってだけだ」


「変死……」


「まあまあそんなに睨むなよ。ちょっとばかりさっきのセリフはクレイジーだったが、俺はそこまで頭のおかしい奴じゃあない。人殺しが好きってわけじゃあない。まあ、あまりにも強いこの能力を貰って気が大きくなっているのは事実だが、これでもかなり死神になりたいクチなんだ。できれば大人しくここで倒れてくれないかっていう話だ」


「そんなの、受け入れられるか」


「そうだろうな。そうだろうとも。それは知ってる。俺だって同じだ。わかるよ。さっぱりわからないが、わかる。標的も標的で勝たなきゃならない理由があるんだろう。だけど、こればっかりは運がなかったとしか言い様がない。お前はここで死ぬ。俺に殺される。非道だが、現実だ。悲しいが、真理だ。力の差がありすぎる。この死神ゲームってやつを考えた奴は頭が悪いんだろうな。まるでバランスがなってない。このゲームは変死が強すぎる。レベルが違いすぎるんだよ」


「……」


「だから、同情、とは言わないが、せめてもだ。お前の望むように殺してやろう。どうやって死にたい? どのような死に様がお望みだ? この能力が能力なもんで全く同じ様には殺してやれないかもしれないが、善処しよう。お前の望む死に方を、させてやる」


「望む殺され方なんてあるものか。俺は――死にたくない」


「……やれやれ、往生際が悪いな。俺が折角、望みを叶えてやろうっていうのに、勿体ない。むごい死に方をしても知らないぞ? 記憶にも残らないようなショックな死に様は嫌だろう?」


「……」


「これでも譲歩しているんだ。この能力があれば今の状況、お前を殺そうと思えば三十回は殺せる。それをわざわざ待ってやっているんだ」


 こいつに撃っても弾は当たらない。当たりそうにない。……どう考えても正攻法は駄目か。正面から戦うのには無理がありすぎる。なら、今の俺にできることは――


「――なあ、変死。お前が死神に成りたい理由って、なんだ?」


「うん? 知りたいか? 教えてやってもいいが、お前の目的はそれじゃないな? 仲間が駆け付けるのを待っているのか。さっき町で俺を後ろから撃ってきた奴が来るのを待っているのか?」


「……」


「図星か。まあ、でもいいさ。そいつが来たところで状況は変わらない。結果は同じだろう。変死というやつは、残念ながらその程度では死なない。だから、話してやってもいいだろう。俺も話したい気分だった。この機会がなくなったら誰かに話すこともないだろうしな。冥途の土産にはあまり面白くないが、聞かせてやろう」


 変死は半ズボンのポケットから煙草の箱を取り出した。そして、煙草を一本、箱から出して口に咥える。その後変死は煙草の先端をこすって火を点けた。変死はそういうこともできるらしい。


「……っふー、司者っていうのには、それぞれ死因がある。転落死とか、窒息死とか、司者としての分類があるな。その死因は司者になる前の生前の死因と同じになる。俺は変死の司者だから死因は変死。俺は変死で死んだことになる。だが、変死とはなんだ? 変な死に方? 変死とは本来そういうモンじゃない。死因が不明。何故死んだのかがわからないのが変死だ。そう、俺はどうして自分が死んだのかがわからない。自分のはっきりとした死因を知らない。というか、俺にはそもそも生前の記憶がない。自分がどう生き、そしてどう死んだのかを知らない。全くだ。俺は、この死神ゲームが開始した時からしか記憶がない。ゲームが始まった時はゲームに関する知識とこの異様な能力しか俺の頭の中にはなかった。だから俺は自分が何者であるかも知らない。きっと記憶喪失になればこんな感じなんだろうな。もっとも、周りに俺のことを知る人物なんて一人もいなかったから違和感はなかったが。……だが、喪失感はあった。何か大切なものを失ってしまったかのような気がした。何を失ったのかは知らない。何も失っていないのかもしれない。だが俺の中にはただただ空白だけがあった。自分がからっぽであることだけを知っていた。そう、自分が何の為に生まれ、そして何の為に死んだのかも俺は知らない。でもそれは、その記憶だけは、人間に許された権利なのではないかと俺は思う。無為に生きた人生でも、惰性に過ごした一生でも、どんな人間でも最後には胸に抱えていられるようなものではないか。最後に思い出だけを抱えて消えて逝く。それがちっぽけな人間一人に許された最後の権利なのではないか。俺はそう思う。だが、俺にはそれがない。何も覚えていない。何も知らない。世界が五分前に生まれたかのように、俺もまた、死神ゲームが始まる五分前に生まれた存在であるかのように、俺は俺を証明できない。俺が俺だと主張できない。俺という存在は確かにこの世にいたのだろうか。それすら俺にはわからない。何故なら、俺は何も知らないから」


「……」


「無知の知。誰かがそう言った。無知を知ることは大切なことだと。確かそのような意味だったと思う。だが、本当にそれはいいことなのか? 自分が無知であることを知ってどうしろという。絶望しろとでも? 無知であることは、幸せなことじゃないか? 恐怖もなく、不安もない。それが一番じゃないか? 無知であることに気付くのは――地獄だ」


「……」


「俺は何も知らない。知らないことを知っている。だから、知りたいだけだ。全知というわけじゃない。無知でいいんだ。ただ、俺の人生にも何かしらの意味があったことを。何かしらの記憶があったことを。知りたいだけだ。必要最低限の情報を胸に残したい。ただそれだけだ。たとえ俺が死神ゲームの五分前に生まれた存在であったとしても、その事実を知ることができれば、俺は楽になれる。自分が何者かを知れば、楽になれる。ただ俺は楽になりたいだけだ」


「……」


「死神に成ったら、生前の自分を知る。それが俺の願いだ。変死なんて雑な枠組みに追いやられた自分の人生を見るんだ。それで、俺はやっと自分の人生に幕が下ろせる」


「……」


「ほら、標的。好きな死に様を言え。せめて俺と同じ苦しみを与えぬ様、自分の死因を選ばせてやろう」


「……悪いけど、俺は死ねない」


 俺は銃を構えた。銃口を変死へと向ける。


「まだ言うか。実力差はもうわかり切ってる。お前の協力者が来れたところでこの戦力差はひっくり返らない。変死とは、そういうものだ。俺でさえ恐ろしい、巨大な力だ。大人しく、死んでおけ。形が残るかどうかもわからないんだぞ?」


「それでも、俺は退けない。約束があるんだ。たとえ、ここでバラバラにされても、粉々にされても、俺は退けない」


「……良い目だ。そっちがその気ならこっちもやるしかない。手は抜いてやる。だから――考えを改めてくれ」


 突然変死の背後からカーペットが飛び出した。そして、巨大な巻物のようなそれは俺に向かって飛んでくる。


「カーペットに突き刺されて死ね」

「……っ!」


 撃ち落とせるものじゃない。俺は後ろに飛んでそれを避けた。勢いよく飛び出したカーペットは地面に突き刺さる。流石変死、意味不明だ。意味不明な威力を持っている。


 俺は変死に向かって射撃した。だが、当然のように一発も変死には当たらない。くそっ、こちの攻撃が全く当たらないんじゃ勝負にもならない。どうにかしてあいつに当てる方法はないだろうか。考えろ。考えなきゃ本当にここで死んでしまう――


「そら、そらっ!」


 変死は次々にあらゆる物体を俺に向かって投げ飛ばしてくる。本に携帯電話にトランプまで、色々なものが飛び交った。しかし、その多くは当たらない。俺が必死になって避けていることもあるだろうけれど、変死は本当に手を抜いている。投擲されている物の殆どがただの直線軌道を描いている。それに、それが当たったとしても急所を外しているためすぐに傷は回復する。


 ……手を抜いてくれているのは有り難いけれど、攻撃ができないんじゃ一方的だ。巳尺治が間に合うとも限らないし、なんとかして打開策を考えないと――


 と、そこで俺はある疑問に気付いた。


 そういえば、変死はどうやって身を守っているのだろう、と。


 今まで変死は銃弾やその他諸々を完全にしのいできた。なんでそんな芸当ができるんだ? 巳尺治から聞いた限りでは変死は死因が強いために同じ殺し方は使えないらしい。でも防御面での話は聞いたことがない。だから巳尺治自身も弾が効かなかったことに驚いていたんだろう。じゃあなんであれだけ完璧な防御ができるんだ? ……待て、そういえば、俺と変死が初めて対峙した時、あいつは俺の銃弾をコンパスで弾いていた。つまり、あいつの防御の仕組みは攻撃と同じ、一度使ったやり方は使えない! なら延々と撃ち続ければ防御が切れる! でもその前にこっちの銃弾が切れる。弾のストックは多くない。こっちが息切れしたらどうしようもない。駄目だ。他に何か気付いてないことは……あ、そうだよ。巳尺治に提案したあの案のようにやれば――って、そんなことができたら苦労はしない! それは一人じゃ物理的に不可能だ。だって、別の角度から攻撃しないといけないんだから――別の角度? 別の角度、別の角度、別の角度……あった! 別の角度! ううん? でも、そんなことができるのか?


「あー、もう試すしかねえ!」


 俺は変死に向かって発砲した。当然、弾は当たらない。


「おっ、何か思いついたようだな。でも、残念ながら当たらない。当たりはしない」


「まだだ!」

 今度はあらゆる場所に向かって発砲した。変死の左斜め上、左斜め下。右斜め下。正確に。変死には向かわずある場所に向かうように。


「おいおい、どこに撃って――あ」


 変死が、自分の足元を見る。変死のふくらはぎに、赤い血の跡がついていた。


「な、んで、どこから……っ!」


 今度は脇腹に、血の跡ができた。軽薄なアロハシャツに血が滲む。


「ふぐっ……、標的、お前、何を……っ!」


 変死が脇腹を押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。そして攻撃の手が止まる。


「まだ!」


 俺はリロードして再び撃ち続けた。変死本体ではなく、地面に転がっていたバイクのヘルメットに。


「これかッ!」


 変死はヘルメットを薙ぎ払った。ヘルメットは木々の中へと消えていき、俺が放った弾丸は地面に刺さっていく。


「転がっていたヘルメットに向かって発砲し、その跳弾で俺に攻撃か……。常人離れしているな、標的。素直に感心したぜ」


「まさか、自分でもできるとは思っていなかったけれどな」


 延々としていた銃の練習が役に立ったみたいだ。でも、計算したわけでもないのに跳弾を変死の体に当てられるなんて、標的の身体能力補正はえげつないものだと思う。自分でも怖いくらいだ。


「さて、もう感心している場合でも余裕ぶっこいてる場合でもないな、俺は。俺は標的と違って身体能力補正はないんでね。傷も回復しない。このままじゃ出血多量で死んでしまう。中々やるな。標的。まさかお前にヒヤッとさせられるとは思ってなかったぜ」


「……」


「さあ、最後に訊かせてもらおう。望む最期を言え。その通りにしてやろう。これが最後の警告だ。早く言ってくれ。俺もできればこんなことはしたくない。これをやると恐らく――お前は微塵も残らない」


「……言った筈だ。俺は退けない」


「……そうか。そうだろうな。そう言うと思ったよ。だから俺を憎んでくれるな。俺だっておそらく人の子だから、情というものがあったんだ。死んだ後に何も残らなくても、怒らないでくれよ? では、覚悟を決めてもらおうか。もう手加減はできないぞ」


 変死が両手を広げた。何か、来る!


 俺は変死に向かって撃ち続けた。しかし、これはもう効かない。やっぱりどう来るかわかっている攻撃は防がれてしまうようだ。


「…………………………………………」


 変死が何かブツブツと呟いている。……⁉ その呟きに呼応するかのように変死の頭の上に何か黒い球体が現れた。そして、それはどんどん膨らんで大きくなっていく。


「…………………………………‼」


 変死の呟く声がどんどん大きくなってきた。変死が何を言っているのか聞き取れるくらいに声も膨らんでくる。


「砂漠の上で溺れて溺死砂漠の上で凍えて凍死海の中で燃えて焼死海の中で凍えて凍死海の中で爆死海の中で毒死海の中で車に轢かれ轢死海の中で落ちて転落死消しゴムに潰され圧死消しゴムに潰され即死消しゴムに潰され窒息死消しゴムに潰され出血多量死消しゴムに潰されショック死ボールを呑んで窒息死ボールを呑んで毒死バナナの皮で転んで即死バナナの皮で転んで転落死バナナの皮で転んでショック死炎の中で溺れて溺死炎の中で凍えて凍死三輪車に轢かれて轢死三輪車に轢かれてショック死三輪車に轢かれて即死三輪車に轢かれて出血多量死三輪車に轢かれて圧死三輪車に轢かれて窒息死笑い転げてショック死冷蔵庫の中で凍えて凍死冷蔵庫の中で焼かれて焼死爆竹に埋もれて爆死爆竹に埋もれて窒息死爆竹に埋もれて圧死爆竹に埋もれて出血多量死爆竹に埋もれてショック死魚に噛まれて出血多量死魚に噛まれてショック死マシュマロに潰され圧死マシュマロに潰され即死マシュマロに潰され窒息死マシュマロに潰され出血多量死マシュマロに潰されてショック死コタツの中で焼死コタツの中で凍えて凍死コタツの中で窒息死コタツの中で溺れて溺死飴を舐めて毒死バッヂを呑んで窒息死バッヂを呑んで毒死布団の中で溺れて溺死布団の中で窒息死一輪車に轢かれて轢死一輪車に轢かれてショック死一輪車に轢かれて即死一輪車に轢かれて出血多量死一輪車に轢かれて圧死一輪車に轢かれて窒息死豆腐に潰されて圧死豆腐に潰されて出血多量死豆腐に潰されてショック死豆腐に潰されて窒息死ガムを呑んで窒息死ガムを撃たれ即死ガムを撃たれ出血多量死シールを呑んで窒息死発泡スチロールに潰され圧死発泡スチロールに潰されて即死発泡スチロールに潰されて出血多量死発泡スチロールに潰されて窒息死発泡スチロールを呑んで窒息死紙で切られ即死紙で切られ出血多量死紙で切られショック死髪に巻き付かれて窒息死髪に巻き付かれて圧死髪に巻き付かれて紙を呑んで窒息死ショック死爪で切られ即死爪で切られ出血多量死爪で切られショック死髪を呑んで窒息死グミを撃たれ即死グミを撃たれ出血多量死カイロに包まれて焼死カイロに包まれて凍死カイロに包まれて窒息死カイロに包まれて圧死カイロに包まれて窒息死カイロを呑んで窒息死カスタネットで殴られ即死カスタネットで殴られ出血多量死カスタネットで殴られショック死箸で刺され即死箸で刺され出血多量死箸で刺されショック死箸を呑んで窒息死プリンに潰され圧死プリンに潰され即死プリンに潰され出血多量死プリンに潰されショック死プリンを詰まらせ窒息死ネジが刺さって即死ネジが刺さって出血多量死ネジが刺さってショック死」


 なんだ、これは。変死が死を唱えている。数多くの、死。そして、その死の呼びかけに応じるかのように黒い球体は大きさを増して――


「あ……」


 それはまるでブラックホールのようだった。渦を巻きながら膨らんでいく。死のブラックホール。形容のしがたい存在。まるで死という概念そのものかのような、全てを終わらせるかのような、巨大な渦。なんだこれは。なんなんだこれは。異常。その言葉しか頭に浮かんでこない。こんなの、到底避け方がわからない。いや、避けられるのか? これは。死そのものかのようにも見えるこの黒い何かはそもそもそういうものなのか? そう思わさせられる程に圧倒される。足が動かない。全身の震えが止まらない。ただの恐怖だけで氷漬けにされた。


「あ、あ……」


 これが変死の真の能力? ならそれはとんでもない。奴の言っていた通り、レベルが違う。変死本人ですら恐れる力。格が違いすぎる――


「これが、俺の全力だ。標的、お前はここで――死ね」


 変死が広げていた両腕を前に突き出した。すると、変死の頭上の黒渦は俺に向かって――


「鑑君!」



「……変死。俺の負けだよ。これはもう、死ぬしかない」



 そう言った瞬間、俺の体は弾け飛んだ。上半身がバラバラに吹き飛んで、跡形もなく、消え去った。








「……はっ」


 目が覚めた。起き上がって辺りを見る。台風に荒らされたかのように乱れる木々、崩れ落ちたブラウン管テレビの壁。そして、その壁の向こう側に巳尺治がいた。


「間に合ったみたいだね。鑑君」


 巳尺治はそう言いながら壁を乗り越え、駆け寄ってきた。壁の向こうには大砲のような何かがあった。あれで壁ごと俺を撃ち抜いたのだろうか。


「よかった……俺、死んでない。いや、死にはしたけど。復活できたみたいだ」


 自分の胸に手を当てて安堵する。上半身の服は弾けてもうない。ズボンしか残っていなかった。


「一か八か、上手くいったみたいだね。鑑君が変死に殺される瞬間に鑑君を殺す作戦」


「試してなかったからいけるかどうかはわからなかったけれど、なんとかできたみたいだ」


 立ち上がる。体にはもう異常はない。完全に回復したみたいだ。


「ところで、変死は?」

「あ、あー、あれ、じゃないかな……」


 巳尺治が指を指す。


 指を指した方向には肉塊があった。元変死の、塊。下半身はまだ綺麗に残っているけれど、上半身はもう残ってない。周囲にぶにぶにした真っ赤ななにかが散乱しているだけで、もう人だとは思えなかった。


「うっ……俺もこうなったのか……」

「……」


 巳尺治は直視していなかった。視線を逸らして気まずそうにしている。


「ところで、俺はもうすっかり回復したけれど、変死も放っておけば回復するんだよな?」


「私は司者を殺せないからそうだと思う。鑑君もそうだったし。でも、多分全快は無理だと思う。変死は回復速度がかなり遅いし、このままほっといてももう起き上がることはないと思うよ」


「これでまだ生きてるのかこいつ……。でも、どうすればいいんだ? こいつは死んでいるけれど、ゲーム上ではまだ死んでない扱いなんだろ?」


「そうだね……やってみたはいいものの、どうすればいいんだろ……」



《変死の司者、加木屋(かぎや)小水(こみず)。

 ゲーム続行不可により脱落――》



 アナウンスが鳴った。


「あ、これでいいみたいだね」


「ふう、ひょっとしたら回復するまで待ってそこから再戦、なんてこともあるかと思ったけれどさすがにそれはなかったか。よかった」


 胸を撫で下ろした。もう、変死との戦いは、終わった。

 地面にぶちまけられた変死に向かって、言う。


「――変死、お前は強いよ。とんでもない。化け物のようだった。結局俺は何もできなかった。傷を負わせることしかできなかった。俺一人じゃ絶対に勝てなかった。俺一人じゃな」


「これで、やっと一人」


「本当に、やっと一人、なんだよなあ。無茶苦茶だ……」


「さ、じゃあ行こうか。武器と足も確保しておかないと。――あと、服もね」


「……そうだな」


 俺は変死に背を向ける。これから、こんな戦いが何回もあるのだろう。でも、全部乗り越えなくちゃならない。乗り越えて、生き残ってみせる――




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