12
「……」
俺はビルの陰で息をひそめ、司者が現れるのを待っていた。
「……鑑君、そっちはもう大丈夫?」
耳につけた小型のヘッドセットから巳尺治の声が聞こえた。俺と巳尺治はある一本の街路地で司者を待ち構えていた。巳尺治によると一人の司者がこの道を通るかもしれないとのことで、なら二人で待ち伏せをしてその司者に奇襲をしかけようと俺が提案して、そうすることになった。そして、今俺と巳尺治は二手に分かれて違う場所で司者が訪れるのを待っていた。
「こっちは大丈夫。いつでも撃てるよ」
「了解。こっちはマンションの最上階の一番いい場所を陣取った。オッケーだよ」
巳尺治の応答を聞くと、突然辺りがピリピリとした空気に変わったように感じた。緊張している。当たり前だ。面と向かって司者と戦うのはこれが初めてだ。覚悟を決めて戦うのが、初めてだ。しかも戦う司者が誰かもわからない。即死かもしれないし、早見かもしれない。もし早見だったら――いや、やめよう。深く考えるな。相手が誰だろうと殺す。そうだ。それに変わりはない。
「……本当に大丈夫?」
ヘッドセットから心配げな巳尺治の声が聞こえる。緊張しているのが伝わったのか。
「……やっぱり、少し、緊張してる。これから戦闘かもしれないと考えると、不安になる。どうしても、怖いものは怖いな」
手が震えている。その震えを押さえるので精一杯だ。情けない。自分から迎え撃とうと言ったのに、今はこの嫌な感覚に支配されつつある。
「……そりゃそうだよ。命がかかってるんだから。ねえ、鑑君。やっぱりこれ、役割逆だった方が良かったんじゃないかな? 鑑君の負担が大きいし、危険すぎるよ」
「いや、役割はこのままで、いい。こうもしないと俺の覚悟が決められない。命懸けなんだと自分に言い聞かせなきゃ、ならない」
「気を張りすぎるのも疲れちゃうよ?」
「大丈夫――じゃないけれど大丈夫。大丈夫だと思いたい。大丈夫だ。俺は、戦える」
「……そう。じゃあ、鑑君、深呼吸して。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」
「すぅー……はー……すー、……はー」
「そう、まずは息を落ち着かせて。作戦を振り返るよ。まず、鑑君は司者が来たら正面から立ち向かう。そして、司者が鑑君との戦闘に気を取られている間に私がここから司者の背後を撃ち抜く。挟み撃ちだね。それでできれば司者を仕留める」
「……そして、それが無理なら俺達はその場から離脱して体制を立て直す。事前に打ち合わせしていた待ち合わせ場所で合流して再び作戦会議、だな」
「うん。大丈夫だね。そうだ、装備は大丈夫? 毒死用のガスマスクはある? 防弾チョッキは着た? 逃げる時に乗るバイクは?」
「あるある。大丈夫だって。全部用意してある。チョッキは着てるしマスクは腰に下げてる。バイクは隣に停めてるよ。ヘルメットも置いてる」
「そう、じゃあよかった。ヘルメットはできれば被るんだよ。そのフルフェイスのヘルメット、ガラス部分は撃たれても銃弾が跳弾して顔を守るようになっているんだから」
「そうなのか。……しかし、まさか俺がバイクを操縦することになるとは思ってなかったよ。災難だな」
「あはは。今の鑑君なら大丈夫だよ。学習能力補正ですぐ乗りこなせるようになれるよ」
「とは言っても不安で仕方ないぜ」
と、そこまで話して気が付いた。手の震えが治まっている。巳尺治のおかげか。
「……さあ、あとは司者が来るのを待つだけだ」
「うん、そうだね」
「弾を外すんじゃないぞ」
「そっちこそ」
……よし、これでもう本当に大丈夫だ。
戦ってやる。勝ってやる。司者を全員ぶっ倒してやる――
「鑑君。来たよ。司者が一人、この道に来てる」
暫くして、ヘッドセットから巳尺治の報告が来た。司者が、来る。
「どんなやつだ?」
「えーっと、男だね。アロハシャツを着た短パンの、三十代くらいの男」
アロハシャツに短パンの男……見たことないな。焼死でも即死でもなさそうだ。なら、可能性があるとすれば、爆死、窒息死、変死、毒死、凍死、か。毒死用のガスマスクがあるから毒死は近づかなければ大丈夫として、あ、窒息死も大丈夫そうだな。距離を取ったら向こうの攻撃は届かないだろう。問題は爆風で巳尺治の視界を遮るかもしれない爆死と何をするかわからない変死と凍死か。できればまだこいつらとは出遭いたくないな。
「でも、いやむしろやっかいな奴らから処理した方が楽か。巳尺治が背後から頭を撃ち抜いてすぐに終わらせてくれるだろうし、そんなに深く考えることじゃない」
それに、何かあっても待ち合わせ場所まで逃げて作戦をたて直せばいいしな。時間稼ぎは巳尺治がやってくれるらしいし、いけるいける。大丈夫だ。
「そろそろそっちに着くよ。十秒数えるね」
「おう」
「十」
カウントダウンが始まった。零になったら俺が司者の前に出て司者の気を引く。
「九」
そして、気を引いているうちに巳尺治が司者を撃つ。
「八」
当たっても巳尺治の弾は司者を殺せない。しかし、相手の動きを完全に止めることができる。
「七」
相手の動きが止まったらその隙に俺が司者を撃つ。それで終わり。
「六」
万が一、巳尺治がそれを外しても大丈夫。二対一で戦闘するだけだ。
「五」
挟み撃ちの状態で隠れる場所の少ない一本道。戦況は有利。
「四」
巳尺治の援護射撃で相手の注意を削ぎつつ俺の的確な射撃で司者を仕留める。
「三」
それでも司者が殺せないならバイクに乗って俺は撤退。
「二」
その時間は巳尺治が射撃で稼いでくれる。巳尺治は俺の撤退を見てから離脱。司者との距離は十分にあるからそれでも巳尺治は逃げられる。
「一」
よし、作戦は完璧。どう転んでもいける。大丈夫だ!
「零」
行くぞ!
「うぉぉぉおおぉぉぉぉぉ‼」
ビルの陰から飛び出した。そして、銃を構えながら司者の方を向く。
「……へえ」
男は、笑っていた。上半身アロハシャツに下半身短パンの男は薄ら笑いを浮かべて俺の前方に立っていた。
「まさか、標的が堂々と目の前に出てくるとは。驚いたぜ。その気概や良し。だが、ちょっと不用心だな。殺気くらいは隠すもんだぜ」
「不用心なのはお前だぜ!」
巳尺治がお前を撃って終わりだ!
「……へえ」
男は笑っていた。笑ったままだった。笑ったまま――倒れなかった。
「……え?」
男は、言う。
「言っただろう? 殺気くらいは隠すもんだぜ。背後からこうもビンビン感じるんじゃ避けてくださいと言っているようなモンだ」
「逃げて!」
ヘッドセットから巳尺治の声がした。
「――コンパスを呑んで死ね」
男のその言葉と共に男の周りに大量のコンパスが出現した。
「おいおい……マジかよ」
目の前にいる司者は間違いない。――変死だ。
「うぉぉぉぉおぉおぉぉぉ⁉」
俺は横に転がるように避けた。しゅだだだだとコンパスが投擲され、地面に突き刺さってゆく。くっそ、こんなのばっかりじゃねえか!
「だが、反撃ができないわけじゃない!」
俺は変死に向かって発砲した。よし、この軌道なら眉間を貫く!
「うん? 何だって?」
しかし、弾は変死に当たらなかった。銃弾が、宙に浮いていたコンパスに弾かれた。
「はああ⁉」
俺は再び発砲する。しかし、その全てが当たらない。頭を狙っても腕を狙っても腹を狙っても足を狙ってもその全てが弾かれた。
「銃が効かない! 何故か弾が跳ね返されるの! 鑑君、もうそこから逃げて! 頑張って注意は引いてみる!」
巳尺治がそう言った。確かに、銃弾がかすりもしないならこの作戦には無理がある。撤退して待ち合わせ場所まで逃げるしかない。
「いきなりかよ! くそっ、仕方ないな!」
俺は隠れていたビルのもとへ駆け出した。
「おっと、逃がさないぞ。リモコンに殴り殺されろ」
変死がまた新たに能力を使ったようで、今度は俺の頭上に色々なリモコンが浮かび上がってきた。
「ふざけんな! そんな死に方してたまるか!」
なんとかバイクまで辿り着いた俺はすかさずヘルメットを被った。そして、バイクに跨る。
「うがっ⁉」
リモコンが胸に突き刺さった。頭に当たるのは回避できたみたいだけれど、とても痛い。激痛が体の中を駆け巡る。
「このっ!」
胸に刺さったリモコンを引き抜いて投げ捨てた。傷はすぐ癒える。死ななければいいんだ。俺は痛みを我慢しながらバイクのエンジンをかけた。
「くそ、やっぱり散々だ!」
飛んでくるリモコンを銃で撃って軌道を逸らしながら俺は逃げた。変死の注意はなんとか巳尺治が引き付けているようで、ヘッドセットから銃声や爆発音が聞こえてきている。でも、それでも全く当たりはしないし、おそらく俺が撃っても弾かれる。変死の奴は注意が引けているからどうのうこうのっていう次元の敵じゃない。
「バケモンじゃねえか……」
俺は猛スピードで走った。とりあえず体制を立て直さないと。立て直して、立て直して勝てる敵かどうかはわからないけれど、とにかく今は逃げなければ。
「くそっ、くそっ……」
結果、最初の戦闘は散々だった。考えている通りのようには全くいかず、敵に擦り傷を負わせることすらできなかった。逃げることに精一杯で、それ以外は何もできなかった。
ただひたすら俺は逃走に専念していた。
「鑑君、こっちも離脱に成功。なんとか撒けた」
必死になって走っていると、巳尺治から通信が来た。
「了解。今こっちは待ち合わせ場所に向かってる」
「……鑑君、ごめん。一発も当てられなかった」
「それはこっちだって同じだ。立場が逆でも結果は同じだっただろう。変死が強すぎる。化け物かあいつは」
「多分、能力のせいだね。身体的能力は一般人と変わらない筈なんだ。だから逃げることは簡単だった。向こうはこっちと違って足がないから。でも戦って勝つには……無理がある」
「殺気がどうのって巳尺治に気が付いていたしな。不意打ちすら効かないんじゃどうやって――ん、殺気?」
「どうしたの?」
「……いや、何かが引っかかって。殺気。殺気か。変死は殺気に気付いたから巳尺治の弾を弾くことができた、んだよな」
「そうだろうね」
「じゃあ殺気を感じさせなければ奇襲ができる?」
「そうだろうけど……どうするの? 殺気の隠し方なんてわからないし、できるかもわからない」
「そうなんだよな。それができたら苦労しない。だから、殺気を隠さなくても感じさせないようにすることができれば――お?」
「何か案が?」
「……いや、待てよ。あるにはある。あるけれど、これ、大丈夫なのか? 下手したら死ぬかもしれない」
「ねえねえ、どんな案なの?」
「巳尺治、これを話す前に訊きたいことがある。
巳尺治は――俺を殺せるか?」
俺はまだ走っていた。変死を倒す作戦は決まった。通用するかどうかはわからないけれど、もうやってみるしかなかった。あの化け物を殺すには、腹をくくるしかない。俺は巳尺治と合流するために待ち合わせ場所までひたすら走っていた。
「完全に撒くためとはいえ、離れすぎたかな。まだ着かない」
一応、俺がつけているヘッドセットにはGPSのような機能がついているらしく、巳尺治がそれで辿れば合流はできるみたいだけれど、合流地点に多くの武器や装備を置いてきている。できれば装備は整えたい。それは巳尺治だって同じ筈だ。
「走るしかないか……ん?」
俺はスピードを緩めてバイクを止めた。前方に人が見える。司者だ。まずい。今戦闘を行うわけにはいかない。せめて巳尺治と合流しないと――
俺がUターンしようとした瞬間だった。
気付いた。
その司者は、刀身がとても長い刀を肩に背負っていた。
「早見――」
全身に悪寒が走る。そして、体が一瞬硬直した時だった。早見がとんでもないスピードでこちらに向かってきた。速い。速すぎる。ただ生身で走っているだけなのにこれほど速いなんて――
「……っ!」
一瞬で間合いを詰められた。もう振れば刀が当たる距離までのところに早見はいた。
「誰かは知らないけれど、運がなかったわね」
早見は言う。そして、刀を振り上げて――まずい! 応戦しないと!
「くそっ!」
俺は腰から銃を抜いて発砲した。弾丸は早見の額にめがけて飛んだが、早見は咄嗟に刀で弾丸を弾いた。
「……?」
早見の動きが止まる。
「……鑑君?」
早見はそう呟いた。
「鑑君、鑑君なのね。ヘルメットをしているから気付かなかったわ。誤って殺してしまうところだった」
「……はあ?」
「こんなところで会うなんて。でもよかった。この近くに司者がいるようなの。早くそいつを殺しに行かないと。早速行きましょう」
「待て待て。何の話だ? お前は何を言っている」
「……」
早見が固まった。
「鑑君、貴方、何も知らないの?」
「……は?」
「……もしかして、そう。そう、なのね。わかったわ。司者は私一人でやる。鑑君はここで待っていて」
早見は少し考え込んだ後、何かに納得したようで、俺に背を向けた。
「待て」
後ろを向いてここから去ろうとする早見に、銃を向ける。
「……何?」
早見が振り向いた。
「お前を……殺す」
引き金に指をかける。ここで会ったが百年目というやつだ。ここで西条先輩の仇を、討つ。
「私は鑑君に敵意はないわ。殺す気はない。……それでも?」
「それでも、だ。それでもなんだ。お前は西条先輩を殺した。だから、だから、俺はお前を殺さなきゃならない」
「……西条柚野は司者だった。溺死の司者だった。鑑君の敵だった。あの時私が彼女を殺さなければ鑑君は死んでいた。それを分かっているの?」
「わかってる。わかってるよ。わかっているんだ。実は早見が俺を助けてくれていたことも、西条先輩が俺を殺そうとしていたのも。西条先輩が初めから殺そうとして俺に近づいたのも、全部。全部わかってる。全部、わかっているんだ」
「じゃあ何故――」
「それでもッ! それでも――俺は西条先輩が好きなんだ! 好きなんだよ! わかっていても好きで仕方ないんだ! 騙されても殺されかけてもそれでも――好きなんだ!」
あの時の、西条先輩が俺を襲う前の言葉が忘れられない。
⦅……本当にごめんね。本当に、ごめん⦆
まったく、何も言わずに殺せばよかったのに。あの人らしい。言葉だったと思う。
「あの人は……西条先輩は、どれだけ憎もうとしても恨もうとしても、忘れようとしても、無理だった。自分でも呆れてしまうよ。自分でも馬鹿げてると思うよ。でも、どうしようもないんだ」
「……そう。なら、いいわ。私を殺すといい」
早見は刀を下ろした。
「撃ちなさい。私はそれでいい。それでもいいわ。それでもう、納得できる。私の役目はそうだったんだと、言える。さあ、鑑君。復讐を果たしなさい。貴方が好きな人を殺した私を殺しなさい。……でも、ただ、これだけは。復讐を果たした鑑君の心が晴れることを。私を殺した罪悪感を抱かないことを。――鑑君が、幸せでいられることを」
「……っ」
引き金が……引けない。
「どうしたの?」
「なんでだ。なんでお前はそんなことが言えるんだ。ただのクラスメイトじゃないか。ただの敵じゃないか。なのに、なんでそう簡単に差し出せる。なんで俺のことを気遣える。なんでだ。なんで――そんなことができる」
「……理由があるとすれば、それは、鑑君と似たようなものかもしれないわね。私も、どうしようもないのよ」
「……」
俺は銃を下ろした。
「鑑君?」
「……意味が分からない。意味が分からない。なんでだ。なんでなんだ。俺はお前を殺したい。恨みを晴らしたい。でも――殺さなくてもいいかと思ってしまった。このままでいいと思ってしまった」
「鑑君……」
「でも、俺が、標的がゲームに勝つには司者を全員殺さないといけない。いつか早見も殺す。だけど――それは今じゃない」
俺は銃を腰に刺した。
「早見。もう俺の目の前には現れるな。次会った時、次会った時にお前を殺す。敵意はないんだろうけれど、構いはしない。俺は巳尺治のためにも――勝たないといけない」
「巳尺治? 巳尺治って、誰なの?」
「……巳尺治は、俺の仲間だ。今、巳尺治と二人で戦っている。そうだ、早く合流しないと。こんなことをしている場合じゃない」
そう、今は変死と戦っている最中だった。作戦も決めたし、早く合流して装備を整えないと。
俺はバイクのエンジンをかけなおした。
「待って」
「待てない。早く行かないと」
「じゃあ一つだけ。司者は合計十四人いる。その内の何人かはもう死んだけれど、鑑君は何と戦っているの?」
「……? 変死だけれど」
「そう。分かっているならいいわ。分かっているのなら」
「? とにかく、俺はもう行く。早見、俺はお前のしたことを忘れないし、許す気もない。だけど、今は見逃そう。気持ちの整理が今はまだついていない。だから、次に会った時は覚悟しておけ」
「……分かったわ。次会った時、ね」
アクセルを踏み、俺は早見を通り過ぎた。
……気持ちの整理がつきそうにない。体の中身がぐちゃぐちゃにされたかのような気持ち悪さがある。なんでこうなってしまったんだ。これから変死と戦いなおすっていうのに。
俺はそんな嫌な感情を抱えながらも、待ち合わせ場所まで走っていた。
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