9

 そこは戦場だった。血生臭い鉄の匂いが漂い、殺伐とした空気が辺りを支配している。そこは元々繁華街であったが、今は二人しか人がおらず、二人は繁華街の中心で睨み合ってお互いの行動を注視していた。


 二人の内、一人は青年だった。名前は新井宗次。彼の右腕と右足には包帯がぐるぐるときつく巻かれており、その包帯には赤々と血が滲んでいた。服装も真っ赤に染まっており、まるでバケツいっぱいの血を浴びたかのように見えた。彼の息遣いは荒々しく、目も血走っていて正気でないのは誰の目から見ても明らかであろうが、それでも静かにじっと相手の姿を目で捉えていた。


 もう一人は二十代後半程のような容姿の男だった。彼の名前は鈩壮介という。彼は片手にチェーンソーを持っており、それは血塗れだった。彼の服にも血が付着していたが、新井と比べてそれは少量で、それが新井の返り血であることは見て取れた。


「……窒息死、君は中々やるようだ。腕や足を切り落としてもそうやって包帯で血を止めて傷を癒す。電気ショックで殺そうものならその瞬間に自分の心臓を貫いてなかったことにする。まったく、君は強いよ。手強いったらありゃしない。でも、そこまでするものなのか? そこまで痛みを堪えて我慢してまで死神に成りたいものなのか? 君にとって死神とはそこまでコストを支払ってでも成りたいものなのか?」


「……っふー、ふー、うるさい、ですね。貴方には関係のないことでしょう? 僕が、なんでこうまでして戦うかなんて」


「……確かに。その通りだ。俺には関係なかったよ。――これから死ぬ人間の思想なんて」

「……っ!」


 先に動いたのは鈩だった。片手に持っていたチェーンソーのエンジンを入れ、新井の下へ走り出した。


「……ただ突っ込むだけなら!」


 新井は両手を前に突き出した。服の袖口からいくつもの包帯が飛び出し、鈩へと向かう。包帯は幾重もチェーンソーに絡まり、チェーンソーの動きを止めた。

「同じ手には何度もかかりませんよ!」


「――そうだね、だから今回はちょっと違う」

 鈩はチェーンソーを投げ捨てた。


「――っ!」


「電気ショックの味は美味いだろう?」

 鈩の両手から電気が迸る。


「それでも……っ!」

 新井は前に出していた両手を掲げ、後方へとジャンプした。袖から出ていた包帯は一旦途切れ、再び飛び出したら次は繁華街のある店の看板に巻き付いた。そして包帯がリールのように巻き上がり、新井の体は浮き上がる。


「ちっ、君の包帯にはそんな使い方もあるのか。でも! 直接当てれないなら投げるまで!」


 鈩は立ち止まり、新井の方を見上げた。そして、電気の迸る両手を新井へと向ける。


「それくらい、こっちもよんでますよ!」

「⁉」


 鈩の体が斜めに傾いた。鈩の両手から電撃が発射されたが、空中を駆けただけで新井に当たることはなかった。


「くそっ、……足に!」


 鈩の足には包帯が巻き付いていた。チェーンソーを止めた包帯がいつの間にか足に絡んでいたらしい。体が傾いた鈩はそのまま仰向けに倒れた。


「いって……。まさか、遠隔操作できる包帯とはね」


 そして、鈩は気付く。両腕にも包帯が巻き付いていた。右腕と左腕が包帯によって雁字搦めに固定されている。解けそうにない。


「それでもう電撃も発射できないですし、刃物も手に取れないでしょう。っふー、僕の、勝ちです」


 新井は地上に降り、身動きの取れない鈩へと歩いていく。足取りは若干おぼつかないが、それでも確かに。


「ショック死。あとは僕が貴方の首を絞めるだけ。それで、終わりだ」


 新井は鈩の横に立った。そして馬乗りになり、鈩の首を両手で掴む。


「あ、が……。ふ、ふふふふふ」

「……? ショック死、何を笑って――」


 新井の言葉はそこで途切れた。鈩の胸から現れた槍が新井の胸を貫いた。


「ば、は……っ」


 鈩の首から新井の手が離れる。離れた手は槍を握っていた。


「な、んで……」

「君が包帯を生み出すのと同じみたいなもんさ。俺はね、体中のあらゆる部分から刃物を生み出せる。惜しかったな。包帯が遠隔操作できるなら遠くで俺の首を絞めればよかったものを。わざわざ直接絞殺するのを選ぶとは。誤ったね」


「そ、んあ……。痛、い……」


 新井は立ち上がったが、バランスが取れずによろめいて尻もちをついた。


「苦しいだろう。今すぐその首を撥ねてやろう、と言いたいところだけれど残念ながら腕がこんな状態じゃあできない。すまないね」


「……」

「ふう、馬乗りにされるのは気分が悪い」


「……」

「ところで、この包帯は何時になったら解けるのかな? 君の死亡判定が出たら解けるのかな?」


「……」

「おいおい、もう声も出ないのか?」


「……まったく」

 新井は口を開いた。



「まったく、こんなに痛いなら別の方法で殺せばよかった」



「っ⁉」


 瞬間、鈩はその場で蹲った。新井は立ち上がる。そして、胸に刺さった槍を両手で引き抜いた。


「あああ、いったいなあもう。死ぬかと思ったじゃないですか」


「かっ、はっ、ひぐっ、っふー、ふー」


 鈩の体は小刻みに震えていた。口を金魚のようにぱくぱくさせながら苦しそうに眉をしかめている。


「筋弛緩剤」


 新井はそう言った。


「薬というのは判定が急なのかそれとも薬自体がそういうものなのかはわかりませんが、変に間がありましたね。おかげでこっちも死ぬところでしたよ」


「ひふっ、ふっ、はー、」


「窒息死、というのは喉を絞めればいいものじゃない。それは貴方もわかっているでしょう。呼吸とは肺が筋肉の働きによって動いてできるもの。ならばその筋肉を止めてしまえば肺も止まり呼吸ができなくなる。そして――死ぬ」


「ひっ、ひっ」


「首を絞めた時、首筋に注射をさせてもらいました。その瞬間に貴方が死ぬのは確定しましたが、薬が効くまでに僕が殺される可能性があった。実際、殺されかけましたしね」


「はっ、はっ」


「気になりますか? 僕が心臓を貫かれても死ななかった理由。それはですね、僕が窒息死で、貴方がショック死だからですよ。僕は窒息死でしか殺せないし、貴方はショック死でしか殺せない。つまり、貴方が出血性ショックで僕を殺す前に僕が僕自身の心臓を潰して即死させれば死亡判定は出ない。だって、貴方に殺される前に死んでますからね、僕。ですが、僕は窒息死の司者だから僕は僕を即死では殺せない。つまり、僕は僕を殺しても何度でも蘇る。窒息死以外ならね。そうやって僕は貴方に殺される寸前に僕を殺したんですよ。まさか、槍が突き刺さったまま蘇える所為で自分を延々と殺し続けることになるとは思いませんでしたけど。でもショック死という若干死ぬのに時間がかかる死因のおかげで即死の方が優先されたみたいでよかった。こればっかりは運でしたよ。自分の体に包帯を埋め込み、それで自分の心臓を潰し続けた甲斐がありましたね。激痛というレベルじゃありませんでしたけれど」


「……」

「おやおや、もう声も出ませんか? それは仕方がない。全身の筋肉が動かなくなっていくのですから。貴方はもう、苦しい表情を出すことすら、できない」


「……」

 鈩はもう動いていない。ただ、静かに、静かに死を待っている。


「そうだ、何故僕がこうまでして勝ちたいのか、教えてあげましょう。それはですね、決して死神に成りたいわけじゃあない。僕は、僕は――あんたのような、人を見下して調子に乗ってる馬鹿が心底嫌いなだけですよ」


 新井は言う。


「ショック死というそこそこ強い死因なら他にもいっぱいできた筈だ。でもあんたは出血性ショックと電気ショックだけで殺そうとしてきた。怠慢ですよ。驕り。自分は既に強いから努力しないというスタンス――それが、嫌いなんですよ。実際、この勝負で僕が勝てたのも僕がこの死神ゲームの死亡判定の穴を利用できたこと、そして、筋弛緩剤という窒息死の可能性を考えていたことに尽きます。あんたはそれを怠った。戦いのために考えるということを。だから、僕はここまでしてあんたを葬った。ただ、それだけです」



《ショック死の司者、鈩(たたら)壮介(そうすけ)。

 窒息死を司る者により、窒息死――》


 新井は鈩に背を向けた。


「雑魚は。安らかに眠らせない」







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