8
間宮大貴は迷っていた。このゲームで自分が一体何を成すべきか。間宮大貴は迷っていた。死神に成って自分の願いを叶えて、会いたい人間に会って、それからどうするのか。間宮大貴は悩んでいた。死神になってまで自分が叶えたいそれは意味があることなのか。他の司者全ての夢を踏みにじってまでやるべきことなのか。間宮大貴は悩んでいた。ゲーム開始直後は何も迷っていなかった。何も悩んでいなかった。ただただ目的の為に動いていたはずだ。でも、時間が経てば経つほど深い後悔と罪悪感に苛まれる。何故俺はこんなものに参加してしまったんだろう。これに勝って死神に成ってあいつに会ってあいつに謝って、それで一体何になるって言うんだ? そんなことをしても俺の過ちは消えるわけでも許されるわけでもない。なのに、俺はそれでも死神に成りたいっていうのか――?
「はあ……」
右手で頭を押さえる。頭痛が酷い。くらくらする。間宮は森の中をさまよっていた。何かに引き摺られるかのように。何かに引っ張られるかのように。間宮は前のめりに俯きながら森の中をただただ歩いていた。
「……」
間宮は頭を押さえていた手を放し、自分の顔の前に出す。掌。そしてその掌が唐突に燃え上がった。炎に包まれる右手。めらめらと風になびく赤い炎。あの時も見た赤い赤い炎――
「うわァァァァ!」
間宮は右手の炎を振り切った。しかしいくら振っても炎が離れることはない。右手に纏わりついたまま離れようとはしない。これは皮肉なのか? 誰よりも炎を嫌った筈の自分が今はこの世界にいる誰よりも炎と身近な存在にある。全てを燃やせと。そういうことなのか? 過去も記憶も思い出も全て自分自身でさえも――
「燃やす……。全部、燃やせば……」
でも。
じゃあ、何故。
何故俺はあの時にとどめを刺さなかった? 標的と肩がぶつかった時、俺はあいつの腕だけを焼いた。やろうと思えば全身黒焦げにできた筈だ。それに、すれ違う前に殺すこともできたし、あいつが転げた後にもすぐに焼き切れた。それだけの力がこの焼死にあることは俺も知っている。だがそうしなかった。できなかった? 何故? 何でできなかった? 殺せるタイミングは無数にあった。あいつがいた学校ごと炭にすることもできた。なのにそうしなかった。どこかで自分はわかっていたのだろうか。こんなことをしてもどうしようもないと――
「……そうだ。そうだぜ。こんなことをしても何にもならねえ。全て燃やしたところでどうにもならねえんだ。そんなことをしたところで自己満足で終わっちまう。じゃあ、俺は。俺がやるべきことは――」
間宮は拳を握った。
もう、無理にこのゲームに干渉するのはやめよう。能動的に動くのはやめよう。死神に成ってやりたいことはある。叶えたい願いがある。でも、それは、その願いは俺自身が自力で叶えるべきのものだ。他人の力を借りてやるものじゃない。自分の力ではできないことかもしれないが、それでも、そうだとしても俺はやるなら自分自身の力で、自分の願いを叶えたい。
「狂ってまで俺がすることは死神に成ることじゃない。死に物狂いであいつを探してあいつに謝ることだ。……そうなんだ。俺が誰かを燃やす必要はない」
すうっ、と。
肩の力が抜けた。
「……ふう」
やるべきことは見つかった。俺がすべきことは『何もしない』だ。何もせず、ただ、ゲームが終わるその時まで静かにしていよう。今も右手の疼きは止まらない。早く燃やせと全てを燃やせと俺を急かしてくる。だからこれから俺がやることはこの疼きに耐えることだ。気を抜けば理性を失うかもしれない。狂ってしまうかもしれない。それは、それは嫌だ。俺だって死神に成りたい。願いが叶うというのなら叶えてほしい。だけれど、それは、俺の大嫌いな炎を使って狂って燃やし尽くしてまでやり遂げるべきではない筈だ。手を真っ赤に染めた俺ではあいつに会えたとしてもあいつの手を握ることは出来ない。誰かを踏みにじって願いを叶えた俺があいつに顔向けできるわけがない。だから、だから。
間宮は顔を上げた。間宮の目には以前の鋭さが戻っていた。
「よし、とりあえず方針は決まった。俺も我慢強くならなきゃなんねえな」
体を起こす。頭痛ももうない。
「んじゃま、寝首かかれない程度にリラックスしながらぼうっとするか。ここはちょっと寝にくいから町の方まで行って」
と間宮がそう言っている途中だった。木の陰から女が現れた。その女は左手に異常に刀身の長い刀を握っていた。
「自問自答は終わったかしら」
「……おっと、いきなり敵に見つかるとは運がないなあ。しかし俺を待っててくれるとは中々優しい嬢ちゃんじゃねえか」
「さっきまでかなり荒れていたみたいだけれど、その様子だとすっきりしたみたいね」
「まあ……これからの方針っつうか目的っつうか。やるべきことが見つかってよ。だから今はけっこう気分がいい。戦う気分になれない。だからよ。ここは見逃してくれねえか? 嬢ちゃんの邪魔はしない。俺だって二度死にたいわけじゃねえ。できることなら生きた状態でこのゲームを終えたいんだ。っつってももう死んでるけれどな。まあ、二度も死ぬのは気分が悪いということだ。だから、ここは見逃してはくれねえか」
「……言われなくても私も戦うつもりはないわ。ただ貴方の様子を見ていただけよ。その様子だと大丈夫そうね」
「……? お、おう」
女は間宮に背を向けた。
「そのうち、また会いに来るかもしれないわ。その時は戦うことになるかもしれないわね。でも、私はできることなら貴方と共に戦えたらと思っている。力を貸してもらえたら、そう思っているわ」
「……力は貸せないわけではないが、内容によりけりだな。悪党に力を貸してやるほど俺はお人好しではないからな」
「そう。じゃあいい返事が期待できそうね。……じゃあ、私はこれで。また、いつか」
「おう、じゃあな」
「そういえば」
忘れていたかのように女は言う。
「……そういえば、ここは少し寒いわね。早く森から出た方がいいかもしれないわ」
「? そうか? まあ、森からは出るつもりだが」
「そうした方がいいわね。……失礼したわ。協力の件、考えておいて」
女はそう言って木々の間へと消えていった。変わった女だ。不意打ちができたのにしなかったし、それに共に戦えたらだって? 中々甘えたことをぬかす女だった。でも何故だろう。不思議と力を貸してやろうと思えた。それは今の俺の気分がいいからだろうか。……しかし、協力、か。その方向について考えたことはなかった。死神になるつもりがない俺だったら確かに他の司者に全力で協力できるかもしれない。俺がお人好しであったならな。司者と戦うことになったら傷を負うだろうし、死ぬことになるかもしれない。それは勘弁だ。人の願いの為にそこまでしてやれるほど俺は優しくも甘くもない。あの女に力を貸すことがあってもそれは標的の移動を誘導するくらいのもんだろう。
「んー、まあ、今はそんなことは置いといて。森からは抜けないといけないよなあ。まったく、なんでこんなとこに来たんだか。こんなとこでぶっ放したら火が燃え移って自分の場所をわざわざ自分から晒すようなもんだ」
間宮はそう言って、歩き始めた。
「……ところで、どこに向かえば森から出られるんだ?」
それからしばらくした後もまだ、間宮は森の中をさまよっていた。
「……やばい。やばいぞ。そもそも迷って森から出れねえ。このままじゃマジで俺だけゲームからハブられちまう。いや別にそれでいいんだがなんかこれでハブられるのは癪だ。っつーか寒っ。うー、冷える冷える。森の中って案外風通しがいいんだな……って、あれ? 寒い?」
寒い。
間宮は寒さに震えていた。両手でそれぞれとは違う方の腕を掴んで寒さを堪えていた。
そう。七月下旬という、夏が既に始まっているこの時期に。
「おかしい。今は設定じゃ夏の筈だ。こんなに気温の差が出るのはどう考えても――」
と、そこまで間宮が考えたところだった。
ぱきっと音がした。
足元を見る。
地面は僅かに白みを帯びていて、少しだけ雪が降った後のようになっていた。そして、間宮の足はその辺りに転がっているカチカチに凍った葉っぱの一つを踏みつけていた。
「ありえねえ――」
瞬間、暴風が間宮に襲い掛かった。恐ろしいほど冷たく激しい風。皮膚に小さな針でチクチクと刺されるような痛みが走る。
「ぐぐぐ……やべえ、早く逃げないと。逃げねえとヤバイ」
間宮は両腕で風から顔を守りながらそう言った。そして、前を向くと腕と腕の隙間から何か人影のようなものが見えた。間宮は注視する。
「……」
その人影は若い女性のようだった。白いワンピースを着た長い黒髪の女性。この寒さにもかかわらずそれだけの服装だった。靴も履いていない。黒髪は雪の結晶がいくつもくっついている所為か所々が白く輝いていた。そんな女性が見えた。女性はゆっくりと歩きながら間宮の方へと向かってきていた。
「……」
女性は何かをぶつぶつと呟いていた。
「……寒い」
間宮の耳に届くことができたのはその言葉だけだった。
「寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒いッッッ‼」
風が吹き荒れる。とうとう間宮は女性に背を向けて走り始めた。
「くっそ! 見てる暇なんてねえ! 言葉も通じなさそうだし、マジで逃げるしかねえじゃねえか!」
そこで間宮は思い出す。自分に協力を求めてきたあの女の言葉を。
『ここは少し寒いわね。早く森から出た方がいいかもしれないわ』
「もっと直接的に言えや! なんでそんな言い方なんだ畜生! 手伝ってやんねえからなオイ!」
しかしそんな間宮の叫びは虚しくも吹き荒れる風の中へと消えていった。
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