Scene9

「すみません。個人的な事情で、しばらく休みをいただきます」

 デスクで耳掃除をしていた谷崎にそう告げると、進は深々と頭を下げた。明日美と福嶋の訪問の一週間後のことだった。

「しばらくってどんぐらいだよ?」

 完全に不意を突かれたようで、谷崎が目を丸くする。

「分かりませんけど、とりあえずしばらくは休みますので、以後の仕事は谷崎さんにお願いします」

「ええっ! 痛てっ! 奥まで刺した!」

 突っ込んだままだった耳かきを放り投げると、谷崎は耳を撫でる。

「いってぇなぁ~。で、しばらくって?」

「だから分かりません。ご迷惑なら、事務所を辞めても……」

 神妙に告げると、谷崎は完全に困惑したような顔をした。

「何で辞める話になるんだよ?」

「だって僕個人のことですし」

 小西は進の恩人だ。進自身の手でより真実に近づきたい。それに複雑な事情が絡まっているこの事案は、警察に届け出ても表向きは器物破損でしか無い。

 現代医療では、脳死は人の死だと認められている。すでに死亡宣告扱いとなった脳死の状態から、記憶を吸い出してヒューマノイドにバックアップすることは禁じられているが、それは倫理面からであって、法律上禁じられたことでは無い。

 事件として送検したって、検察官に起訴してもらえるかも分からない事件だ。手が込んでいつつも収支の見込みも、収益が出る形の解決も考えられない以上、事務所の面々に苦労を掛けるのは嫌だった。

 じっと谷崎を見つめていると、後ろから軽く肩を叩かれた。振り返るとベテラン秋塚の穏やかな笑顔がある。

「進くん。その依頼、我々も噛ませてもらえないかな?」

「秋塚さん……でも……」

「乗りかかった船だ。確かに事務所への依頼ではないが、我々がアドバイザーに雇った人物の失踪だ。協力して当然だろう所長」

 貫禄ある元警察官に微笑まれて、威厳も何も無い谷崎が頬を膨らませた。谷崎は秋塚に敵わない。何しろ秋塚は谷崎の死んだ父の友人で、子供の頃からの付き合いだ。

「所長判断っていうのかよ?」

「そうだ。どうだ?」

 依頼人がいない時の秋塚は、この探偵事務所で一番探偵らしい。ふてくされながら考え込む谷崎に、進は頭を下げた。

「休みを貰うだけでありがたいです。本当に気にしないでください」

 再び告げると、迷う谷崎の後ろに影が差した。あっと思った時には、その身体に亜都子が何らかの技を掛けていた。

「痛い痛い痛いっ!」

「ちょっとね、徹! 進がこんなに困った顔してんのに、あんた見捨てる気?」

 真剣なまなざしで夫を睨み付けつつ、プロレスマニアの亜都子は腕でぎりぎりと谷崎を締め付ける。

「あ、あつ、亜都子っ! し、死んじゃうよ!」

「秋塚さんに返事は?」

「うっ、ううっ、受けるよ、依頼受けるよ!」

「よ~し」

 ようやく亜都子の技から解放された谷崎は、椅子の上に崩れ落ちた。

 死にそうに息を切らす谷崎に反して、亜都子は素知らぬ顔だ。秋塚も助け船を出そうとはしないで、ただ乱暴な夫婦のスキンシップを、穏やかな笑みで見守っている。

 ふと進は思った。

 これが人間なんだ。このくるくると目まぐるしく変わる感情。遅れること無く交わされる、会話のキャッチボール。脈絡が無いようで、それでも繋がっていると実感できる態度。

 やはりヒューマノイドは、人間と限りなく似ていて非なる者、ヒューマン・ダッシュなのだ。

 しみじみと噛みしめた現実に俯くと背中を勢いよく叩かれた。よろめくと乱暴な行動の犯人が、笑顔を浮かべている。事務所一の権力者、亜都子だった。

「私がお茶を入れてきてあげるから、ちゃんと情報をこっちにもよこしなさい」

 彼女の言葉に逆らえるわけも無い。結局小西の件は、事務所総出で当たることになった。

 情報は共有するという約束通り、福嶋からメールが届いたのは今朝のことだった。感情を一切排除し、簡潔に事実だけを淡々とまとめているメールは、感情に支配された文章より遙かにありがたい。

 それを読む限り事態はかなり進行しており、もう猶予はないようだ。

 やはり明日美と福嶋はヒューマノイドだった。二人の記憶は小西によって操作されており、正確な記憶を持っていたのは、小西が渡したアルミの箱に入っていた、二つの記憶回路だけだったという。

 まさか最大の秘密である、それすらも正直に伝えてくるなんて思わなかったのだが、その後に書かれていた小西が残していった文書に進は眉をしかめた。

 小西は試作品がどのような環境にあるのか観察したものを、二人に残していた。

 それによると試作品は全部で十三体あった。そのうちの五体が自殺で、三体が家族に破壊されている。だが一番進を苦しめたのは、試作品の中によく知る状況のヒューマノイドが含まれていることだった。

『試作品四号・自殺 二十代女性 止めた家族を巻き込み、家族は一人を残して全員死亡。人を殺さない安全装置を取り払うべきでは無かった』

 これは笹井佐和の事だ。調べてみたが、他にヒューマノイドが暴走して家族が巻き添えで死亡したケースは無い。

『試作品五号・オリジナルにより破壊 二十代女性。オリジナルと同居。二人暮らし。自分が人間だと思い込み、オリジナルをコピーと思い込んだため自殺を免れた。長く持ったパターンの一つとして記録することとする』

 これはおそらく島津沙都子のことだ。進と小西で会いに行った後、こんな事になっていたなんて、進は今まで知らなかった。

『試作品三号・家族により破壊。図らずも破壊の直接原因に関わった。実際に見たところ、ヒューマノイドには、他にヒューマノイドがいると思わせる方が、自分の異変に気がつかれない可能性が高い。この状況を考慮すると、現在の我々は一番安定していると思われる』

 これは大江真理のことだ。直接小西が関わったというのだから間違いない。死の原因を作ってしまったのはあくまでも進だが、それはどこにも記されていない。

 そして現在の我々とは、ヒューマノイドである明日美と福嶋と小西の関係だろう。

『試作品十三号・起動中 六十代女性 自殺および破壊の可能性は低い。末期がんの夫の介護をして看取るつもりでいるようだ。自らの存在意義と死の期限が定まっていれば、自殺への欲求は無くなるらしい。最も理想的なパターンだと思われる』

 そしてこれは最後に二人で訪れたあの老夫婦だ。二人は穏やかに笑って『お迎えが来るまで、現世でのんびり暮らしますよ』といっていた。

 この書類が小西の手元にあったと言うことは、吉川の裏にいた黒幕は小西に間違いないだろう。笹井にネット上で声を掛けたんじゃ無い。小西は吉川を使ってプライマル社を立ち上げさせ、人体実験のようにヒューマノイドを再生していたのだ。

 そしてこちらの状況を知るために、進を利用して探偵事務所から信頼を得ていたのだ。

 まんまとしてやられたわけだが、進は正直に怒りをぶつけられそうに無い。一緒に過ごした、あの少し陰のある小西は、いつも何かに惑っていたようだった。笑みの陰に隠された闇は、決して人を陥れるためのものでは無かった。

 だから裏切られたと言うよりも、信用してもらえなかったことが少し寂しい。

 福嶋はメールにかなり長々と分かったことを書き記し、その後に進の情報を家で待つと書かれていた。情報の詳細さはまるで福嶋が進の部下になってしまったかのような書きようだった。事務所で会った福嶋は、なかなか気むずかしげで、こんな風に全ての手の内を明かしてくるようなタイプには見えなかったから意外だった。

 事務所できつく言い過ぎたから、協力を求めるのに下手に出ているのだろうかとも思ったが、どうもそうでもなさそうだ。メールの文章を見ていて気がついたのだが、ひたすらに単調でまるで論文のようだ。ここまで平淡な文章は珍しい。

 そこでふと気がつく。確かヒューマノイドには、強制回路が付いていたはずだ。人の命令には絶対服従とか、人に命じられた場合、相手の命に危険が及ばない限り、それに従うという回路だったと思う。

 ヒューマノイドの自殺を調べるに当たり、この回路の存在について調べずにはすまない。笹井佐和の場合、この回路が切れていたから、家族全員を巻き込んだ心中事件になってしまったのだから。

 それに福嶋に貰ったメールには笹井佐和は安全装置を解除されていたと書かれている。しかもそれを書いた当人、小西は後悔していると記している。ならば福嶋と明日美にも安全装置は備わっているだろう。

 その安全装置と、強制回路の存在は切っても切れないものだ。人に危害を加えないことと、人の命令に絶対服従することは、結局同じような指示系統になるからだそうだ。つまり福嶋は知らず知らずのうちに進の命令を受け入れて実行していることになる。

 それを教えてくれたのは……小西だった。

「それで、小西がどこにいるのかのデータは、来てるのかね?」

 黙ったままタブレットにある文章を読み返していると、秋塚に問いかけられた。進は小さく首を振る。

「分からないようですね。どうやら明日美さんの記憶回路を頼りに場所を特定しようと試みたようですが、場所の特定に全く至らなかったようです。ただ明日美さんは以前に探偵を雇って探したことは分かりました」

 明日美の消された記憶を入れられたという、完璧な記憶を持ち合わせる彼女。曖昧な記憶しか残らないのに、正しい情報を思い出すことが出来るのだろうか。それを元に小西を追わねばならないのだろうか。それはあまりに不確定すぎる。

 そもそも小西は何故二人を、ヒューマノイドとして再生したのだろう。そして完璧な記憶を持った記憶回路を渡したのだろう。親友たちを失った罪の意識だけだろうか?

 だとしたらどうして姿を消した?

 何故ここに来て失踪する必要があったんだ? 

 謎ばかりが増えていき、小西の姿が遠く霞んでいく。進が見ていたのは、小西由幸の幻だったかのようだ。

「以前、探偵に依頼して小西の行方を捜し当てたなら、その探偵は小西の情報を持っていないか?」

 冷静な秋塚に、進は顔を上げた。

「……確かにそうですね」

「探偵のネットワークから、その情報を収集してみよう。小西のことは伏せ、谷月明日美がそこを尋ねたきり行方不明になっていると書き込むんだ」

 秋塚の言葉が終わるよりも早く、進はタブレットをタップしていた。いつも情報収集に使うページを立ち上げて、探偵業種専用のSNSに、素早く秋塚に言われた文章を打ち込む。

 瞬く間にあちらこちらから書き込みがなされていく。いくつもの文章を目で追っていくと、ようやくお目当ての文章が書き込まれた。

『宮本探偵事務所です。お尋ねの件を引き受けたのは、当事務所だと思われます。

 依頼時期はお尋ねの通り六月上旬、結果をお渡ししたのは六月下旬になります。姿を消した依頼人を探しておいでだということですが、当事務所では七月に規定額のお支払いをいただいており、無事に解決したと確信しております。

 よって依頼人の守秘義務があり、あなたが探偵であっても信頼に値するかは未知数ですので、答えることを拒否します』

 あまりに当然の結末に言葉も無く、進はため息をついた。探偵業務の中で一番重要なことは、守秘義務だ。そんなこと分かっているというのに、何をやっているんだろう。

 落ち込む進の目の前で秋塚は立ち上がり、自分の席から夏物の背広を掴み袖を通した。

「秋塚さん?」

「いくぞ、進。宮本探偵事務所だと分かっただけで十分じゃ無いか」

「え?」

「ネットワーク上のやりとりに一喜一憂するな。宮本探偵事務所を訪ねて、十分信用できる人間であることを証明できれば、この先の展望が開ける。事務所の場所は?」

 そうだ。その通りだ。昔も今も、探偵は足を使ってなんぼの世界だ。安楽椅子探偵など、物語の中だけの話なのだから。

 進は宮本探偵事務所を探偵組合のネットワークで検索した。場所はすぐに明らかになる。どうやら少し規模の大きい老舗の探偵事務所らしい。

「世田谷区です。最寄り駅は小田急線千歳船橋駅」

「ここからなら電車ですぐだな。所長、電話番よろしく。それから溜まってる報告書もな」

「へ~い」

「よし、行こう」

 秋塚の背中が頼もしい。普段着の進は、サマージャケットを引っかけてその背中を追った。

 谷崎探偵事務所最寄りの荻窪駅から、中央線で新宿へ。新宿から小田急線に乗り換えて千歳船橋駅で降りる。

 都会のただ中だというのに、そこには広大な住宅密集地が広がっていた。

 ここは東京のベットタウンで、学生の街だ。コンクリートの照り返しと人の多さで、この辺りは初夏のように暑い。サマージャケットの中は、微かに汗で湿ってきた。

 来る途中にネット上で宮本探偵事務所の評判を拾ってみたのだが、驚くほどに苦情が少ない。トラブルが裁判にまで発展することも少なくないこの業界では珍しいことだ。

 信頼できる確かな実力を持った事務所なのだろう。創業も探偵法が出来るよりも、遙かに前らしかった。

 商店街を抜け、静かな住宅街の一角に、目当ての探偵事務所はあった。ビル一つ分もある探偵事務所は老舗だが入りやすい。ぼろアパートの中にある、谷崎探偵事務所とは雲泥の差だ。

 清潔なオフィスでは、幾人かの探偵たちが忙しく働いていたが、突然の来客にも全く慌てること無く対応してくれた。

「直接尋ねてくるなら、情報を開示しようと準備はしておきました。ネットワークだけで済ませようとする、最近の若者はどうも信用できません。そもそも信頼とは、顔を合わせてこそのものですから」

 専務の阿部と名乗った五十代ほどの男性は、笑みを浮かべて手にしていたタブレット上に、幾重ものパスワードを入力して、ファイルを呼び出した。

「本当にいいんですか? あの、守秘義務は?」

「当然ありますが、命がかかっているような重要事は臨機応変です。それにこの事件は気にかかっていました。最初に依頼を受けたのは私ですからね」

『ファイルNO.201579

 依頼日:六月五日

 依頼人:谷月明日美

 依頼内容:失踪した友人・小西由幸の居場所の捜索

 経緯:六月六日より、調査開始。新人二人で当たるも、なかなか見つからず。やむを得ず、対象者の車のナンバーから、Nシステムを使って特定。五月末より頻繁に中央高速八王子インター利用を確認。

    六月十六日、インター出口にて張り込み。三台の車を使用し、探偵六人体制で尾行。対象者の住居を発見。地図データを依頼人に引き渡し確認を要請。 

   七月三日に依頼料の振り込みがあり、入金確認後、依頼完了。』

「こちらがその詳細地図です」

 データに付随したその地図を開くと、そこは八王子市郊外にある、森の深い場所だった。過去に病院だったらしいその場所は、幹線道路から少し離れており、現在の所有者は不明だ。

「依頼をしてきた時の谷月さんはどのような様子でしたか?」

 率直な秋塚に、阿部は軽く拳を握って顎の下に持ってきた。

「憔悴しきってましたね。事情を聞いたら、初めは黙っていましたが、そのうちに『ここで友人が死んでいるかもしれなくて』といい出しまして。追い詰められた上での妄想ならばいいんですが、それにしては妙に疲れ切っていらっしゃった気がします。ですが谷月さんまで行方不明とは、やはり何かあるんでしょうかね」

 淡々と語る阿部に、進は俯いた。

「すみません。ファイルを提供してくださったのに何も話せなくて」

 今の状況では何も話せることが無い。この先、ヒューマノイドの自殺という事態に歯止めがかかるのか、小西が二人の元に戻るのか、明日美と福嶋がヒューマノイドである自分を受け入れて、自殺しないでいてくれるだろうか。

 それを実験するというのなら、明らかに小西はやり過ぎた。

「そうですね。捜査中の事件ではまだ話すことも出来ないでしょう。もしも何か問題が起き、何らかの手が必要な時は手を貸しますよ。実はうちの所長は、警視庁ではちょっと名の知れた名探偵なんです」

 冗談めかし、穏やかな笑みを浮かべてウインクした阿部に、本当に頭が下がる。信頼される探偵は、こうあらねばならないだろう。

 対象者がヒューマノイドであっても、口を滑らせて死なせた進は、まだまだ半人前だ。

「ありがとうございます」

「いえいえ。解決したら報告書を見せていただきたいですね。やはり気がかりな事件は、ずっと引っかかり続けてしまいますから」

「分かりました。では解決したらこちらの報告書を持って伺います」

 この人物なら信用できそうだ。もしこれから起こる事件が、弱小探偵事務所の手に負えない事態に陥ったら、老舗事務所の探偵である阿部に相談してみてもいいかもしれない。

 弱小探偵事務所は、どうしても警察とのパイプラインが細い。秋塚の交番勤務のおかげで、面倒ごとにも対処できるにすぎないのだ。

 感謝の思いで深々と頭を下げて、宮本探偵事務所を後にした進と秋塚は、登りの小田急線に乗り込んだ。世間はもうおやつ時。この時間の電車は登りも下りも空いていて快適だ。

 電車の中で申し訳ないが、タブレット上に地図を呼び出して眺める。

 資料上の住所は八王子駅からも西八王子駅からも離れた場所にあるが、どちらかと言えば西八王子の方が近いだろう。いずれにしろいったん事務所に戻って車を取ってこないと、問題の場所にたどり着けない。

 タブレットのメール機能を呼び出して、福嶋に場所が明らかになったとメールを送るための文書を作り始める。

「これから事務所に戻っても、ここにたどり着くのは夜になりますね。明日の早朝に出かける方向でいいですか?」

「ああ。それが一番いいだろうね。夜は人を狂わせる。朝の光の中では人はあまり悪事をしたがらないそうだ」

「そうなんですか?」

「らしい。昔の人は更に時間を限定してたな。夕暮れ時が一番危ないそうだ。逢魔が時といって、一番魔が差す時間だそうだ」

 どこから持ち出してきたデータか分からないが、秋塚はひとりしたり顔で頷いている。実は秋塚の楽しみは、暇な時のワードショーだから、そこから得た知識かもしれない。

 笑みを返しながら、進は本日の捜査結果の最後にメールに一文を添えて送信した。

『明日朝八時に、八王子インターを降りた場所で合流しましょう。地図と住所はこちらが持って行きます。朝は人を素直にするそうですよ。本音を聞き出すのに夜は向かないらしいです。もっとも夕方が一番危険な時間らしいですが(笑)』

「送信っと」

 これで少し福嶋と明日美の気持ちがほぐれるかなと考えてから、小さくため息をつく。果たしてヒューマノイドが下手な冗談で笑ってくれるだろうか。

 するとすぐに返信が来た。場所が分かったなら住所を教えて欲しいというのだ。戸惑いつつも彼らだけでは危険すぎると判断し拒絶する。だが彼らは諦めずに再び住所を要求するメールを送ってくる。しかもかなり高圧的で、依頼人として命じてくるのである。

「秋塚さん……」

 矢のような催促に困惑しつつ尋ねると、秋塚も肩をすくめた。

「仕方ない。教えてやれ。俺たちもすぐに向かえば彼らだけで事態が進むことを避けられるさ。彼らは今まだ家だろう?」

「ええ。全く場所が思い出せないから家で待機しているそうですから」

「それならば急げば俺たちの方が先着できるはずだ」

 福嶋の家は青梅の山間部にある。そこから八王子に出るのと、レンタカーで中央高速を飛ばすのは、時間的に同じかこちらの方が短いぐらいだ。新宿で小田急線を降り、中央改札地下に降りる。

 すぐに車を出してくれる探偵業種と提携しているレンタカー会社に連絡を入れようとしていると、ざわめきと共に人の流れが変わったことに気がついた。顔を上げると人々が恐怖を顔に浮かべて、みな小走りに駅の改札へと急いでいるのだ。

 まるで一刻も早くこの場を離れたいみたいに。

 進はタブレットを閉じ、人々の逃げてきた方向を見る。それは西口地下通路を都庁、新宿中央公園に向かう方向だった。

「進くん!」

 秋塚の声に振り返る。

「秋塚さん、なんか変です!」

「そうだな。何かあったみたいだ。この感じだと、命に関わることだ」

 進は確かめるように鞄に触れた。この中には探偵の許可証と共に、必要最低限の武器が入っている。探偵の資格を得たと同時に、この武器の携帯許可も出ている。秋塚を伺うと、渋い表情で秋塚も自分のコートの胸ポケットに手をやったのが分かった。そこにも進と同じ武器が入っているはずだ。

「使うようなことにならないといいが、とりあえずすぐに出せるところに入れておけ」

「……はい」

「俺もそうするしかねえだろうな……」

 独り言じみた秋塚に、小さく頷き返す。

 二人の持つ武器は、先端からスタンガン並みの電流を出し、相手の意識を失わせることができる、電磁警棒だ。未だ進はこれを一度も使ったことはない。手入れだけは欠かしていないが、積極的に使いたいと思わない。

 警察官時代に、現場で言葉以外の武器を使ったことがないのが自慢の秋塚もそうだろう。

「どうする進?」

「どうするって……」

「時間は限られているぞ?」

「……でも……」

 小西のことは気にかかる。もしかしてあちらに先着されると小西に会えなくなるかもしれない。でも探偵として、この混乱と恐怖にある人々を放っておく訳にはいかない。自分の感情で動くよりも、人の命を優先した方が探偵として後悔が少ない気がする。

「行きましょう、秋塚さん」

 電磁警棒を縮めたまま後ろポケットに収め決意を込めて言うと、秋塚はいつもの顔に更に男らしい笑みを浮かべて頷く。

「そうだな」

 恐怖に怯える人々と、逆方面に走り出す。その合間に、人々が怯えたように口に乗せる言葉が耳に入った。

 逃げ惑う彼らは間違いなく『ヒューマノイドが襲ってくる』と口にしていたのだ。

 ヒューマノイドが人を襲う……。

 普通のヒューマノイドは決して人を襲うことなど無い。人を襲う前に機能停止になるようなプログラムが組まれているからだ。

 だとすれば暴走しているのは、万が一の事故であるよりも、十中八九自分たちが探していた記憶を移植されたヒューマノイドだろう。彼らは人を殺した事実があるのだから。

 本当にそうだとしたら、記憶を移植されたヒューマノイドを探している進には、すでにそのヒューマノイドが自我を崩壊させ、機能停止に陥りかけていると分かった。急がねば彼らは自らを破壊してしまう。そうなる前に何とか話を聞ければ、更なる被害を防げるかもしれない。

 自分に何ができるかなんて分からない。だがもう大江真理のような悲惨な終わりを迎えるヒューマノイドに出て欲しくない。 

 恐怖に戦く人々の波に逆らいつつ走り、ひたすら前を目指していると、突然に目の前が明るく拓けた。地下街を抜けたのだ。

 光と共に視界いっぱいに広がるのは、見上げるほど高く圧迫感を持って迫る超高層ビル群だ。青い空を無情に埋めるが如く、昭和の時代からそこにあるビルは老朽化しつつあるが、未だに絶対の存在感を示している。

 そのビルの合間に、この時間には大勢いるはずの通行人の姿がほとんど無い。いつの間にか逃げてくる人の数が減り、まだ昼下がりだというのに、妙に殺風景で静かだ。

 人の気配がない。それ以外はいつもの見慣れた光景、いつもの新宿の光景だった。だがそのたった一つの違いが、異様な闇の気配を高層ビルの谷間に闇をもたらせていた。

「静かですね……」

 周りを見渡しながら進は呟く。秋塚もいつでも武器を取り出せるようにスーツの前を開けながら辺りを見渡している。

「静かだな。新宿じゃないようだ」

 ワシントンホテルを過ぎ、都庁へと差し掛かった時、目の前にある光景に一瞬、脳が機能麻痺を起こした。

 何故、みんな……地面に寝転がっているんだろう。

 次の瞬間、その光景は現実となって進の脳裏にあふれ出した。人体のパーツが、マネキンのようにちりばめられている。

 都庁の前は極彩色に色づけされていた。

 赤……紅……朱……。

 進は吐き気を必死で堪えた。

「なんてこったい……」

 隣にいた秋塚が状況にそぐわない、妙に間が抜けた言葉を口にした。

「あんなにばらばらにするなんざ、やはり人間の仕業じゃねえな」

 秋塚の呟きに、進は小さく頷く。

「……どうしてこんなことに……」

 進は点々と続く血の跡をじっと目で追った。その先にも悲惨な光景が広がっている。 

 東京都庁のエントランス広場は、夥しい血に染まり、血と石畳の白で、まだらに染まっていた。人々は皆、ばらばらに引きちぎられていて、一人として動く者などいない。

 みんな死んでいる。

 その時、一人の男が立ち上がった。

 おもちゃのようにちぎり取れた人の腕、足、頭部に囲まれ、血に塗れたその姿は、禍々しくも妙に空虚だった。

 だがすぐにその男が泣いていることに気がつく。

「……ヒューマノイド」

「だろうな」

「何故……こんなことに……」

 男の視線がこちらを向いた。その目の異様な輝きに、進は圧倒される。

「お前たちは……人間なのか?」

 そう、男は問いかけてきた。

「人間です」

 相手を刺激せぬように、穏やかに微笑みかける。だが電磁警棒をいつでも抜けるように、そっと手を後ろに回しておく。

「……何故分かる? 僕は分からなかった。自分が人間だと思っていた」

 絶望的な口調で言葉を紡ぎ出しつつ、でも男の表情は妙に空虚なヒューマノイドの顔だった。いくつかにプログラミングされたという表情で、男は絶望していた。

 それが痛ましくて、あまりに悲しく、進は真剣に言い聞かせるように男を見つめた。

「あなたも人間です。だからもうやめてください」

「僕は! ヒューマノイドだ! 人間であるわけがない! 僕は死んでいる!」

「あなたが自分の記憶をお持ちなら、あなたは人間です!」

「何故そう言えるんだ!」

「記憶も人間の命だからです!」

 命の定理は学問によって違う。記憶があれば命があると考えることもある。小西はそう進に言った。ならばこのヒューマノイドは、記憶という人間の命を宿している。

 進が死ぬきっかけを作ってしまった大江が人間だったなら、この男だって人間だ。

「だからもうやめてください! あなたのご家族が悲しみます。あなたを再生したのはあなたを愛しているからなんですから!」

 空虚な目がこちらをじっと見つめた。黙ったまま人間のように目をぎらつかせることもなく、興奮に頬を振るわせることなく、男がこちらを見ている。

 得体の知れぬ恐怖が、じわじわとわき上がってきた。救いたい。それは本気なのに、自分の本能が逃げろと告げている。

 この状況は異常だ。

 感情を高ぶらせながら、それでも滑らかに男は問いかけてきた。

「愛しているなら……何故僕を化け物にした?」

「……え……?」

「何故化け物にした!」

 それは一瞬だった。

 数十メートルも離れているはずだった男が、あり得ない動きを見せたのだ。

「何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故だ!」

 叫びながら、男が一瞬で目の前に迫った。

 距離を取ろうとした進の目の前に、血に塗れた男の顔があった。

 唇がぱくぱくと動くのに、眉一つ動かない。

 激高しているのに、皮膚はつるりと滑らかで皺も寄らない。

「何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故?」

 幾度も幾度も狂ったように、同じ言葉が繰り返される。

 間近で進を覗き込んだそのグレイの瞳が、緩やかにシャッターを切るように、光彩を縮める。

 機械音の幻聴が聞こえる気がした。

「どうして僕には、お前のような暖かな腕がない?」

 目の前の男が表情を変えずに首を傾げる。途端に腕に激痛が走った。

 腕をねじ切られる……!

 必死にもう片方の腕で電磁警棒を取り出そうともがくと、目の前で男が無表情に痙攣した。

 人形のように揺れる首と、何の感情も読み取れないのっぺりとした顔面に、進は全身の毛穴があわだった。

 そのまま男は、木が倒れるように真っ直ぐ地面に倒れた。仰向けのまま、目を見開き、がくがくと揺れている。

 離された腕は、幸いにも折れてはいない。痛みはあるがまだ立っていられる。

「大丈夫か進くん?」

 電磁警棒を剣道の構えでしっかりと握り、秋塚が立っていた。助けてくれたのは秋塚だ。

「ありがとうございます、秋塚さん」

 礼を言いながらも少しづつ後ずさった。まだ男は完全に動きを止めていない。

「家族はどうしているんです? どこにいるんですか?」

 男の人間としての理性に呼びかけるべく、進は再び祈るような気持ちで問いかけた。

 だが地面で人間ではあり得ない動きを見せていた男が、オイルを刺していないブリキの人形のようにぎこちない動きで起き上がった。

「もういない」

「何故……?」

「一番に、中身を確かめたから」

 男の言葉が理解できず、進は言葉に詰まる。進のことなど気にせずに、男は言葉を続けた。

「僕のような化け物になっていないか、中を開けて確かめた」

「中を……開けた?」

「そうだ。大丈夫だった。ちゃんと機械じゃなくて、内臓が詰まってた。よかった。家族は化け物じゃなかった」

 進の中でこの惨状が何故起きたのか、全て理解できた。

 この男は、自分がヒューマノイドだと言うことの恐怖から錯乱し、回りの人間がちゃんと人間かどうか確かめたのだ。

 おそらく彼は、ヒューマノイド排斥主義者、もしくは恐怖症だったのだ。だから回りの人間もヒューマノイドであるかもしれないという恐怖に怯えた。

 だから、愛する家族が化け物……ヒューマノイドになっていないか、確認したのだ。

 そして今、周りに散らばる人々も、自分が恐れるヒューマノイドではないか確認していたのだ。

 バラバラにしてから、腹を割いて内臓を開けて。

「ここに居る人たちはみんな……確認したんですか?」

「そうだ。これで安全だろう? ヒューマノイドはいなくなった。奴ら化け物は、もういないんだ」

 男は笑ったようだった。電磁警棒で表情を作る機関がショートしたのか、声はしても表情は変わらない。

「僕は人間だ……いや、違う……化け物はここにも一体いるじゃないか……」

 男はそう呟き、ゆっくりと右手を上げた。

「みんな人間だったのに、化け物がここに居たら、駄目じゃないか」

 躊躇いもなく男は自らの左腕を掴み、その力でゆっくりとねじ切ってゆく。

「やめてください……」

 制止したいのに、自らの声が弱々しい。

 恐怖だ。恐怖が進の身体を震わせている。こんな恐怖を感じたことは今まで無かった。

 不意に両親が殺されたことを思い出した。両親が殺された時、進は家にいなかったから直接どう殺されたのかを知らない。

 だが死体を発見したのは進だった。

 脳裏にあの光景が甦る。薄暗くなったリビング、床に広がる赤黒い血痕の水たまり、うつろな目をしたまま、人形のように白く手足を投げ出して、瞬きもしない人形のような両親の身体。

 進は震える拳を握りしめた。

 駄目だ。今ここでフラッシュバックなど起こしたら、立ち向かえなくなる。

 殺されてしまう。

 ただただ今は怖い。根源的な命の恐怖に震えている。

「もう、やめてください……」

 男の左腕はゆっくりとあり得ぬ方向に回され、やがてもぎ取られた。

 投げ捨てられた腕は、重たい鉄の塊だった。叩き付けられたその音は明らかに人間とは違う。

 その音に進は歯を食いしばり、顔を上げ、男を真っ直ぐに見据えた。

 男の手は自分の服を裂き、皮膚をも裂いていた。

「もうやめろよ!」

 喉の奥から、悲鳴とも怒りとも付かない声があふれ出た。

「身体は機械でも、人間だったのに。どうして……どうしてこんな事になるんだよ……何でだよ」

 進は痛む肩を庇いつつ、男に近づく。

「何故、どんな形でも生きようとしないんだよ!」

 後ろから羽交い締めにされた。それを振り払おうともがく。

「進くん、よせ!」

「でも秋塚さん!」

「お前の声は、もう聞こえんよ」

「何故ですか!」

「……もうすでに、壊れているからだ。理性なんてもう残っていないさ」

「そんな……」

 男の手はすでに自らの腹部に潜り込んでいた。回線がショートしているのか、じりじりと何かが焼けるような匂いがする。

「これは、いらない」

 男は腹から大量の金属をつまみ出す。それは細かなコードによって血管のように繋がれた、無数の機械類だった。

「これも、いらない。これも、これも、これも……」

 無造作に男は自分を分解していく。

 血だまりの中に落ちた鉄くずのような部品は、まるで人間の内臓のように血に塗れていく。

「ああ、そうか」

 男は小さく呟いた。

「こんな面倒をしなくてもいいんだ」

 男は真っ直ぐに指を揃えて、腕を自分の首の高さに揃えた。

「この化け物は僕じゃない。僕じゃない僕はいらない」

 満足げにそういうと、男は手刀を自らの首に突き立てた。男の指は自らの首を突き抜け、逆側に抜ける。再び男の指は首から離れ、何の感慨もなく突き立てられた。

 首が斜めに傾いた。それでも男は自らの破壊をやめない。

 進は耐えられず目を背けた。

 幾度も首に指を突き立てる音が響き、がしゃり、と重い音の後、首が地面に落ちて転がった。振り向くと、ヒューマノイドと目が合った。何故だか満足そうな顔に見えて、唇を噛みしめる。

「何で……!」

 身体はその場に出来損ないの芸術品のように直立したまま、煙を上げていた。

「……哀れな……」

 秋塚の心からの言葉が、この男の引き起こした事件の幕切れを告げた。

 自分の無力さにくずおれそうになった時、パトカーの音と、駅方面から走ってくる警察官の姿に気がつく。

「行け、進くん」

「え……?」

「小西の所に行け。時間が惜しい」

 秋塚の顔は怒りに燃えていた。秋塚は怒っているのだ、命を弄ぶ結果にしかならないこの一連のヒューマノイド事件を。

「俺はな、警察官だった。俺は人の命を守るために、日夜努力をしていたつもりだ。なのに機械を操れることで、俺が守ろうとした命を奴は簡単に消してしまう。小西が黒幕だとしたら、俺は決して許さない」

「秋塚さん……」

「この事件はすぐに報道される。報道され、小西が怪しいと言うことになれば逃げられる。今ならまだ奴はこの事件に気付いていないかもしれない。今すぐ行って、小西を確保するんだ」

「ですが……」

「行くんだ、進くん」

「この処理を秋塚さん一人にはさせられません!」

「いいから行け、進!」

 進は奥歯を噛みしめ、電磁警棒を鞄に突っ込んだ。

 時間の猶予がない。確かに警察官に対応している時間はなさそうだ。

「……秋塚さん、後はお任せします」

「任せておけ。タクシーを拾って、中央高速をぶっ飛ばせ」

「はいっ!」

 進は駆けつけてくる警察官たちを尻目に、タクシーを拾うべく駆けだした。警察官が追ってくる気配を感じたが、次の瞬間、秋塚の怒声が響く。

「あいつは犯人を追ってる探偵だ。邪魔をするな!」

 振り返り秋塚に礼を言うこともできず、夢中で進は走った。

 中央公園前で止まっていたタクシーに飛び乗り、端末にあった住所を告げると、タクシーはスムーズに走り出した。

 タクシーの中に流れるニュースが、新宿の事件の第一報を告げている。

「怖いですねぇ」

 運転手の呟きに、進は頷いた。

「怖かったよ」

「お客さん、見たんですか?」

「遠くからね。遠くからでも怖い」

 軽く誤魔化しながら進はタブレットをしまわず、小西が残したヒューマノイド十三体のメモデータを呼び出した。その中から先ほどのヒューマノイドに合いそうなものをみつけた。

『試作品八号・起動中 四十代男性 ヒューマノイド排斥主義者。現在混乱状態。自殺は近い。理由は二号と同じ』

 通話用で秋塚に電話を掛ける。コール一回で秋塚が出る。

『どうした?』

「先ほどのヒューマノイドは試作品にありました。僕が調べた情報では、入江義則さん四十五歳が有力だと思います。まだ本人の居場所を確認できていない上、会えてはいませんでした。ヒューマノイド排斥主義者で、妻と娘の三人家族です。裕福な家庭だったらしいです」

『……そうか』

「現場は、どうですか?」

『鑑識が気絶しそうだ。処理には時間がかかる。終わり次第に行く』

「はい。あの秋塚さん」

『どうした?』

「この事件、僕らでは手に余りそうです。警察とのパイプを持っている宮本事務所に協力要請をしたいと思うんですが」

 しばらく黙った秋塚を、じっと待つ。やがて納得したように秋塚が溜息をついた。

『確かにそうだ。我々では弱小すぎる』

「はい」

『では宮本事務所に連絡をしておく』

「お願いします。それから宮本事務所には、福嶋さんと明日美さんがヒューマノイドであることは内密にお願いします。この二人の件は、ヒューマノイドの自殺事件と関係ない」

『……そう思っているのか?』

 秋塚の問いかけに、進は唇を噛んだ。思ってなどいない。関係があるに決まっている。でもそれはきっと世間にさらしていいことでは無い。

 それにもう進は、ヒューマノイドであっても自らを破壊する姿を見たくない。もうあんな悲しみは十分だ。

「あの二人は生きているんです」

『ヒューマノイドだぞ?』

「それでも彼らは生きてる。記憶を持ち、悲しみ、怒り、そして自ら死を選ぶ。自殺できるのは人間と鯨だけだって聞いたことがあるでしょう? 自らの絶望で命を絶てる彼らは、人間なんだ!」

 押し殺した感情に、秋塚は小さく息をついて苦笑した。

『了解した。二人のことは伏せて、笹井さんの依頼と今回の事件のことだけを宮本事務所に説明し、救援を請う。それでいいな?』

「お願いします」

 大手の老舗で、警視庁で名の知れた人がいる事務所に、事後処理を頼むしか無い。

『了解した』

「僕はこのまま地図の場所に乗り込みます。何かあったら後をお願いします」

『何かないようにしてくれ。奴は危険だ』

 警戒感と不快感をあらわにした秋塚に、進は小さく苦笑する。

「それでも彼は僕を救ってくれた恩人です。もうこれ以上の罪を重ねて欲しくない」

 孤高の人だった小西に、憧れていた。

 たった一人でも強くいられるその横顔が羨ましかった。

 幼なじみ、先生たち、養護施設の人々、学校の友人。そのどれもが進を強くしてくれる存在だったが、それでも進は、全てを達観したような小西に憧れ、あのように強くなりたいと思っていた。

 きっとそんな進の気持ちを、小西は察していた。だから小西にとって進は何の救いにもならなかったのだ。きっと進を弟だと思っていてくれたから、頼ってくれることも無かった。

 だからこんな風に、小西はずっとずっと、孤独の幻影に怯えていたのだ。親友と出会っても、愛する人に出会っても。

『無茶だけはするな』

「はい。ありがとうございます」

 手配を終え、ようやく一息つくと、タブレットにメールが二通届いていることに気がついた。

 福嶋と明日美からだった。

『情報をありがとう。君には世話になった。ユウも私たちも、君の真摯な態度をとても頼もしく思っている。感謝してもしきれないぐらいだ。

 君の提案はありがたく思う。朝がいいとは初めて聞いた話だが、心理学的にも理にかなっている。

 だが私たちは、明日の朝まではとても待てそうにない。

 君にこの気持ちは分からないだろう。

 我々は、彼の意図を理解できずに苦しみながらも、彼をただひたすらに愛している。何をしたいのか、何に苦しむのか、憎むことすらできないならば、何故我々をヒューマノイドにしてでもそばに置いたのか理由が欲しい。

 我々はすでに死んでいるのだから。

 死者として、俺たちを再び再生したユウと向き合い、けりを付けねばならないだろう。君には明かさなかったが、明日美の記憶で俺たちは八王子周辺に来ていた。黙っていてすまなかった。

 君にはすまないが、俺たちはどうしても彼と共にありたいと思う。何があっても、例え全てを失っても、俺たちには最も彼が大切だ。兄のように彼を慕っている君を欺くのは本当に申し訳なく思う。

 だが俺たちは、俺たちのあるべき姿を見つめるために、もう一度やり直さなくてはならないことがある。

 詳しい住所をありがとう。君のこれからの人生が幸多き物になるよう祈っている』

「そんな……」

 これでは間に合わないでは無いか。呻くともう一通を急いで開く。

『明日美です。

 高円寺の舞台を見てくれて、印象に残ったと言って貰って本当に嬉しかった。ありがとう。

 ヒューマノイドになった私はもう役者には戻れないけど、私は私なりに決着を付けるつもりです。

 願わくば、あなたの心に私の演技が永遠に残っていきますように。

 手を煩わせてしまってごめんなさい。心配してくれてありがとう』

「何だよ……何だよこれ……。遺言なのかよ……」

 小さく呻くと、進は下唇を噛みしめた。二人のまるで死への誘いを甘い誘惑と取り違えているような遺書は、到底許せる物ではない。

 記憶があればまだ命はある。進の尊敬する小西がそう言った。彼は犯罪者だが、それでも進は彼の言葉を受け止めている。

 だから彼らが死ぬようなことは許されない。

 タクシーが中央高速の国立府中インターを過ぎる頃、ニュースが事件の詳細を告げ始めていた。

 膝の上に置いたままだったタブレットに指を滑らせ、メール機能を立ち上げる。

『幸兄、何してるの? 何をしようとしているの?』

 当然のことながら返事は帰ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る