幕間

「三号の分析結果が出ました。最後の信号から自殺ではないと判断します」

 冷淡な女の言葉に、男は場違いなまでに穏やかに笑う。受け取ったデータを端末で読む。確認を一度しているが、やはり満足のいく結果だった。

「試作品の中では一番長く持ったパターンだな。やはり思い込みの効果は高い」

 現在の自分の状況と近いのは、この試作品三号だ。自分以外のヒューマノイドの存在を実感していれば、自分がヒューマノイドだとは思うまい。

 人は異質なものを差別してしまう性質がある。人種、障害、言語による偏見も、どれほど科学が進んだとしても変わりようが無いのと同じだ。

 ましてヒューマノイドは生き物でも無い。

 こつこつと机を指で叩きながら、目の前に表示されたデータを眺める。

『試作品三号 個体識別名 大江真理 後頭部への打撃により、記憶回路破損。駆動系の起動システム異常により緊急停止。損傷を受けた角度から自死の可能性は低い。家族による破壊が原因と推測される。送られたデータの最終記録に大きな混乱要素あり』

「五号も長く持ったと思いますが?」

「ああ。あれもね。あれは自分がヒューマノイドか人間かの区別が付かなくなったパターンだな」

『試作品五号 個体識別名 島津沙都子 コピー、オリジナルの二人で同居。損傷・前面からの打撃。記憶回路の破壊。オリジナルからの攻撃によるもの。記憶の混乱状態にある段階で、オリジナルに、記憶を操作され、自らがオリジナルだと思い込んだと見られる』

 画面を眺めていた男は、小さく息をつく。

「あと試作品は何体ある?」

「稼働しているものは三体、起動していないものは二体です」

「ずいぶん減ったものだな」

 ほとんどが自らの手で命を絶った。

 男が隣に立って手元を覗き込むと、自信に満ちた笑みを浮かべた女は身体をねじって男を見上げて手を止めた。

 研究所時代よりも紅く塗られた艶めかしい唇が、ゆるりと三日月のように形取られる。一時期は精神のバランスを崩しかけたが、知識への欲望と自負心が彼女を奮い立たせた。

 知識欲を奮い立たせるために、科学者としての知識欲を煽り、研究対象者と彼女を比較し、彼女の女としてのプライドを突くと、彼女は簡単にこの手に落ちた。

 認められることと愛されること。それを望む人間が、どうすればその甘い罠に堕ちていくのか、男はよく知っている。

 他ならぬ自分も同じような人間だからだ。

 知識欲に火を付け、見返りにわずかな愛情への期待と希望を持たせる。それは肉欲を満たせてやりつつ、心は届きそうで届かない状態に置き続けることだった。

 誇り高く自分を繕う人間に、こんなに甘い誘惑は無い。心を奪いたくて、認められたくて、平然としつつも裏で必死に相手のために尽くす。

 いつの間にか、自我すら奪われていることも知らずに。

 まるで彼女は自分の鏡のようだ。愛されたくてもがいているくせに、自分が何なのか見えてすらいない。

 男は女の肩に手を置き、緩やかに首筋へと指を沿わせる。微かに喉を鳴らすその首筋を、なで上げながら耳元に囁く。

「君はあと二体、どうなると思う?」

「おそらく二体は起動されることなく終わるかと」

 甘やかな吐息混じりに吉川が答える。

「根拠は?」

「二体はいずれも年配で、遺産相続の都合上生かされています。起動するとしても他の十三体と違って長くは稼働しないはずです。元々この二体は、金銭を都合する上で重要とされた案件ですので」

 愚かさをあざ笑うかのように、吉川は端末に指を滑らせた。彼女が眺めていたのは、ネット上にある訃報欄だ。そこに確かに依頼人一人の名が載っている。死亡広告が出たと言うことは、もうヒューマノイドは用済みということだ。

「そろそろ返却の依頼がくるはずですわ」

「遺産を望むように相続させれば、あとはお払い箱か。全く、同じ顔をした親族を、よくもののように扱えるもんだな」

 そんな彼らに金のために、ヒューマノイドの超精密な身体に記憶を埋め込んでいる自分は何なのだろう。生命を操る神だと、この老人の親族は男の前に跪いたが、男自身はそんなことに興味が無い。

 自分が神だとしたら、何故親友は死んだのだ。殺すつもりなど毛頭なかったのに。もし生死を操るのならば、死神かもしれない。

 男はふと、数ヶ月前の光景を思い出した。ここに彼女がやってきた。行方不明になった親友を捜していた。この場所は大手の探偵社に探し当てて貰ったと、彼女は言った。

 だが親友は、この時すでに死んでいた。何も言えない男は、問い詰めてくる彼女の前で沈黙するしか無かった。

 だが彼女の口調に、吉川が怯えた。誰よりも殺人犯であることを恐れていた吉川は給湯室から持ち出してきた包丁を、無防備な彼女の背中に突き立てた。

 買ったばかりだった包丁はよく切れた。刃先が深々と彼女の身体をえぐり、彼女の心臓を突き破ったのだ。血だまりにくずおれた彼女は即死だった。

 男は彼女の身体を抱き上げ、親友と同じ機械に掛けた。脳だけを生かすために、必死の処置をした男は、親友と同じように記憶だけをその手に取り戻すことに成功したのだ。

 愛するものを二人も失った男は、それまでの実験を加速した。どうすればヒューマノイドが更に人に近づくのか、その反射速度をどれだけ上げれば自らに違和感を感じなくなり、自分の未来に絶望しなくなるのか、それが知りたかった。

 それと同時に、少しづつ設定を変えた記憶を持ったヒューマノイドが、死の欲求から逃れられるかの実験を始めた。吉川を使い、様々な家庭記憶を持ったヒューマノイドを送り込み、詳細にデータを取った。

 その間もメインの研究所は運営されていた。研究員は数が少なく、ほとんどはネットワークで独立したラボラトリから繋がっている状態だったからこそ、出来た技だったのかもしれない。

 誰にも知られること無く、誰にも怪しまれること無く、全てが進んでいるのは男にとって幸運だった。だがこの状態は長く続かないだろう。それだけの覚悟はある。

「残りの三体はどんな状況だ?」

「一体は、記憶回路が不具合を起こしつつあります。おそらく家に閉じ込められている状況を奇妙に思い始めているのでしょう。壮年男性でしたので、理解と死は早く訪れるものと思われます。残る二体は、未だ正常に稼働中です。うち一体は子供ですので、理解は遅いかと思われます」

 男は目を閉じる。

 壮年男性は、妻が再生した。せめて娘が嫁ぐまで夫に見せてやりたいと、妻は言った。だがヒューマノイドにそれを見せたとしても、死んだ夫本人が喜ぶとは思えない。彼はヒューマノイド排斥運動をしていたからだ。

 子供は、まだ小学校の低学年だったはずだ。交通事故だったから親は山奥に引っ越して、ひっそりと人知れず暮らしているようだ。年を取らない自分に気がつき、絶望するのはいつのことだろう。彼女が大人にならない自分に絶望した時、親は彼女をどうするのだろう。

 もう一人は、老夫婦の妻だった。年老いて、車椅子に座った夫は自分の妻と自分が死ぬまでの時間を過ごしたいのだと言った。もしかしたらヒューマノイドであっても、相手を看取るまで生きるのではないかと、男は期待している。

 大切な相手が死ぬまで生きているのならば、共に生きる相手もヒューマノイドだったなら、お互いに永遠に幸せになってくれはしないだろうか。

 そんな実験も全て、愛する人たちが幸福になるための実験だ。例えそれが倫理を超えた人体実験であっても、もう後戻りは出来ない。

 首筋を辿った指は、吉川の襟元から入り込み、柔らかく肌を撫で回す。吐息に甘さが混じりだし、触れている肌が熱く熟れてくる。

 愛されていると……思っているのだろうな。秘密の共有は愛では無く、損得勘定だと何故気がつかないのだろう。

 そう思うと可笑しすぎて、いっそ哀れになる。

 もし男のやっていることが悪魔の所行ならば、喜んで地獄に堕ちよう。それでも笑ってくれる人がいるなら、死ぬ事も怖くない。

 次のターゲットは、我々の敵であったというのに、我々の作り物になったあの男にするとしよう。

 あれは利用しやすい。

 ふと首筋に柔らかな腕が巻き付いた。堪えきれなくなったような吉川の甘い声が耳朶をくすぐる。

「何を思い詰めておいでですか?」

「……さあ、何だと思う?」

「あなたの頭の中はいつも難解で、私には分かりません」

 甘えるような吉川の言葉に、男は黙って彼女の唇を塞ぐ。女の体温の生ぬるさに嫌悪感を感じつつ、それでも男は女を抱きしめる。

 微かな機械音と、空調の音だけに満たされていた空間に、欲情した女の甘い声が混じった。

 この駒を失うには早い。計画は最終段階に入りつつあるが、まだ彼女を使わねばならないのだ。そこに愛情など無くとも、利用できるのならば、能力も、技術も、感情も、身体も利用し尽くしてやる。

 それが終わったなら削除だ。

 気に病むことはない。もうかなりの数の人間を殺してきた。半分死んでいる奴らばかりだったが、もうとうに罪悪感などは消え去った。あるのは自らの目標のみだ。

 あの時、あの瞬間に、親友の記憶を残してくれた死神よ。

 お前に、もうすぐ、俺の命も捧げてやる。

 男は口元を歪め、女に向かって完璧な微笑みを浮かべた。

 さあ死神よ、悪魔よ、我が望みを叶えろ。

 受け取るがいい。

 神が作り賜もうた人間ではなく、異端の人ならざる者が捧げる、生け贄を。

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