Scene7

 静かな田舎町からの帰り道、進はため息をついた。

「初めてヒューマノイドだって自覚してる人に会ったけど、なんか悟ってたね」

 今日会ったヒューマノイドは、谷崎探偵事務所で情報を掴んだ最後の一人だった。残りは全く手がかりを得られていない。

 あとどれぐらいのヒューマノイドが残っているのかを知るすべもない進は、途方も無く遠い道のりを手探りで歩くことに少々疲れてきていた。

「思ったよりも淡々としてた。旦那さんも本人も覚悟してるんだ。人間じゃ無くても見送れればいいなんて、覚悟が無いと言えないよ」

 今日会ってきたのは、老夫婦だった。心筋梗塞で突然亡くなった妻を再生したのは、身体の不自由な夫だった。夫の寿命はもう三年もないのだという。

 妻の保険と、貯金全てをはたいて再生した妻はそれを知っていて、ヒューマノイドであっても、死ぬまでそばにいようと決めているといっていた。

 彼女はヒューマノイドである自分に絶望しておらず、笹井の手紙を読んで穏やかに笑ったのだ。

『私も主人も何も聞いておりません。自殺なさった方達はきっと、未来に希望を持っておいでだったんですわ。でも私は未来に死があることを知っています。それなのにこの人を置いて死ぬことなどありません。笹井様にお伝えくださいませ。中には私のようにこの身体になったことを福音ととるものもいるのですと』

 どこまでも静かに、微かに人間とは違うと違和感を感じさせられるような微笑みを浮かべつつ、それでも彼女は幸せそうだった。ヒューマノイドとして力もあるから、夫を抱えて旅行に行くのだと、夫婦は穏やかに笑っていた。

 みんなこんな風だったらいいが、そうはいかないだろう。現に進は大きな失敗をしてしまった。

 やはりあの大江真理の事が堪えている。夢にも見て飛び起きるほど、精神的に疲弊していた。

 気になってあの後、進は大江邸を尋ねた。玄関口に現れたのは真理よりも少し若い、お腹の大きな女性だった。その隣にはちょこまかと動く、三、四歳の女の子がいた。

 すぐに進はこれが智理の話していた娘の智美なのだと気がついた。

 とっさに進は、大江真理の友人なんですがと嘘をついてしまった。進の顔を知るよしも無い智美は表情を曇らせて、真理が死んだことを話してくれた。

 恐縮しながら、それでは色々とご苦労もあるでしょうというと、智美は明るく言ったのだ。

『父も寝たきりですし、夫とこの子と一緒に母と住むんです。兄も天国から見守ってくれていると思います』

 その言葉で理解した。やはり進のミスで真理は死んだのだ。だから智理は娘を呼び寄せた。

 進のせいで、あの何も知らなかった青年が死ぬことになった。それは進の中で重くのしかかっていた。

「幸兄、命って何かな」

 古くから様々な人によって問いかけられてきただろう、答えの無い質問に、小西が足を止めて振り返る。

「そんな哲学者のようなことを俺に聞くか? 俺は科学者だぞ?」

「分かってるけどさ」

 俯いたまま言葉を切った進に、小西は小さくため息をついた。

「生命科学的には、心臓が動いていることだろうよ。脳科学的には脳が自らを知覚できる状態にあることだろうな」

「それって記憶をもって生活していれば、生きてることになる?」

「理論的には。人によって考えは異なるが、記憶を持ったヒューマノイドは、脳科学的には生者かもな」

「命の定理が記憶なら、僕は人殺しか……」

 もしも進があの家を訪れなければ。真理に押し切られて智理に宛てられた手紙を見せなければ、真理は死ななかった。

 大江智理にとって、進は間違いなく死神だ。

「大江真理のことか?」

「うん」

 小西には、後日大江邸を訪れたことを話していた。その時も小西は顔色一つ変えず、淡々と『あまり考えるな』と言ってくれたのだが、やはり考えずにはいられない。

「人殺しじゃ無いさ。大江真理はとっくに死んでた」

「だけど!」

「お前は器物破損のきっかけを作っただけだ。そんなの罪じゃ無い」

「それでも智理さんからみれば、僕は人殺しだよ」

「確かに彼女はお前が憎いかもしれない。でも決めたのは彼女自身だ。違うか?」

 あくまでも冷静な小西に、進は俯いた。

「……違わない」

「遅かれ早かれ、大江真理は智理によって破壊されていたさ。違和感を感じる息子よりも、人間である娘と孫の方が可愛いに決まってるからな。お前が罪ならば、大江真理がいたら実家に帰らないといった大江智美も罪人だ」

 顔を上げて小西を見ると、小西は空を見上げていた。同じ方向を見ると、ゆっくりと飛行機雲が伸びている。

 しばし黙って青空を割っていく飛行機雲を見ていると、不意に小西の呟きが耳に入った。

「人ってのは不器用な生き物さ。大切だと思うものを全て抱えられない。どちらかを選ばねばならない時、やはりエゴが優先される」

 うっすらと漂う苦しみに、進は小西を振り返る。その表情に、進は昔の小西を思い出す。

 進と小西は、養護施設の中でも孤立しがちな存在だった。進は両親を殺されて施設に預けられたため、人に馴染めず最初は苦労したものだ。すぐに兄妹のような関係になった杏菜がいたから、まだ進の心は救われたが、小西はずっと孤独を抱えていたのだろうと思う。

 小西は育児放棄された虐待児だった。

 幼かった彼は親に放置されて死にかけた所を、置き去りにされたマンションの管理人に発見された。当時は新聞記事にもなり、ずいぶんとマスコミにも騒がれたようだったが、進は生まれていなかったから、その頃のことを知らない。一度だけ図書館で当時の新聞を見た事があったが、文字で書かれたその事件は何だか小西の実情とかけ離れているようで、黙ったまま閉じた。

 進が施設に引き取られた時、すでに中学生だった小西はそこにいた。口数少なく、発する言葉にも棘がある彼は、誰とも馴染めず、いつも本ばかり読んでいた。進にとっても、そんな彼は近づきがたい存在だった。だが近づきがたい存在だったのは、どうやら当時の進も似たようなものだったらしい。

 妙に礼儀正しいくせに、じっと人を値踏みしているような目で進に見られたと、ずいぶん大きくなってから杏菜に言われた覚えがある。

 そんな二人を結びつけたのは、進の悪夢だった。両親の死体を発見した進は、そのことでずいぶんとうなされた。うなされた上に、暴れることもあったようだ。

 その時、他の子供たちが遠巻きにしていたのに、助けてくれたのは小西だった。小西も施設に来たばかりの頃、ずいぶんとうなされたのだという。

 小西は無愛想ではあったが、進の苦しみを聞いてくれ、察してくれた最初の人だった。だから進は小西に懐いた。

 一緒にいたのは同い年で、学校も同じ杏菜の方が多かったが、杏菜が施設の女の子たちと遊んでいる時は、何となく小西の近くに来て、隣で本を読んだ。難しい字は教えてくれたし、みんなが思っているほど近寄りがたい人ではないとすぐに分かった。

 そういえば高校に入った頃から、少し表情に余裕が出てきた小西に、一度だけ高校は楽しいのかと聞いたことがある。

 小西は少し笑って『面白い奴と友達になったんだ。世間知らずこの上ない天才さ。色々な奴がいるから、面白いかもな』といっていた。そのことが研究者になる道を選ばせたのだろう。

 高校を卒業して施設を出て行ったあと、その人物と一緒に暮らして共同研究をしていると聞いた。まさかそれなのに研究所をやめて、こうしてフリーターをしているなんて、思いも寄らなかった。

 小西は本当にその友人を、大切に思っていると感じていたからだ。

「なあ進」

 小西の呼びかけで我に返った。

「何?」

「三つ子の魂百までも、だな。最近思い知ったよ」

 昔のような孤独をうっすらと醸し出しながら、小西はまだ空を見上げている。黙ったまま進は続く言葉を待った。

「最近よく、置き去りにされた時のことを思い出す。俺は部屋の片隅に座って母親を見上げてた。そこで待っててねといわれた時、直感したよ。ああ、もう帰ってこないんだ。俺は捨てられるんだって」

 新聞の記事によると、その前にも小西は母親の恋人から暴力を受けていたようだった。

 でも小西にとってそれは些細なことだったらしい。他人に暴力を受ければ憎めばすむ。でも憎むには母親は近すぎたと小西はいう。

 そしてその小西の母親は、恋人から受けた暴力の末に殺されているそうだ。

「母親はどんな世界を見ていたんだろうな。俺は幼心にそれが知りたかったんだ。もし母親と同じ世界を見て、その世界を理解できたら、俺は捨てられなかったんじゃ無いかって考えてたよ」

「幸兄……」

「だからかな。俺は未だに捨てられる恐怖にびびっちまうんだ。大切になった相手と同じように世界を見られないと、捨てられるという恐怖に支配されている。捨てられないために、必死で追いつこうともがくんだが、追いつけないと焦燥感でおかしくなる」

 それは高校の時の親友の話だろうか。

 そのせいで小西は仕事を辞め、こうしてふらふらしているのだとしたら、生まれてからほんの数年で、彼の人生を支配していた母親の罪は大きい。

「もう幸兄は小さな子供じゃ無いじゃん」

「まあな。本当は母親に縛られる必要ないんだよな。全くお笑い種だな。自由の由に、幸福の幸って名前付けといて、置き去りにするなって言うんだよな」

 どこまでも沈んでいくような暗さが、小西の苦笑でほんのわずかに和らぐ。そんな小さな変化に安心して、進は小西の正面に回って力説した。

「酷い親に縛られないでよ。幸兄は僕から見ても格好いいし、僕のこの平凡な容姿に普通の頭脳からすれば、天才じゃん。分かんない奴なら、最初から捨てちゃえばいいんだ」

「それはまた、大胆なご意見ありがとう」

「大胆なもんか。遅れても並んでも同じ道を一緒に歩いて行けることが幸せに決まってるよ。世界が違うから視界が開けるんじゃん。遅れたらその後ろを助けたらいいんだ」

 力の限り言い切ると、小西は吹き出した。

「めでたい奴だな。で、お前にそんな相手はいるのか?」

「今のところいないかな。世界観はまるで違うし、僕が押していかないと前に進まない、やっかいで世話の焼ける上役ならいるけど」

 今頃谷崎は事務所でくしゃみをしているかもしれない。

「ふ~ん。じゃあ恋人は?」

「……基本的に僕、モテないんだよね」

 平々凡々すぎて魅力に欠ける、というのが以前付き合っていた女性の言葉だった。しかも探偵業務優先にしてしまうから、頼りにもならないらしい。

「それなのに俺に説教か?」

 笑いを堪えながらからかう小西にむくれる。

「僕の理想論だよ。笑うこと無いじゃん」

 進をいい男だと言ってくれるのは、幼なじみの杏菜と、谷崎の妻、亜都子だけだ。

 恥ずかしくて顔から火が出そうだったが、それでも真っ直ぐに見つめていると、不意に小西は真顔になった。

 進はその変化に戸惑いながらも目を離せない。逸らされていた視線が、ふとこちらへ向けられた。そこには真摯な想いと何かしらの苦悩がある。

「進」

「何?」

「幸せに至る道はきっと、一つじゃ無い。それを忘れるな」

「幸兄?」

「年長者の言うことは素直に聞いとけ」

 笑いながら小西がタブレットを取り出した。何かを記しているようだ。邪魔をしないように、黙って手が止まるのを待つ。

「悪い、進。ちょっと用事が出来ちまった。ここでお別れみたいだけど、いいか?」

「もちろん。毎回毎回付き合わせてごめんね、幸兄」

 素直に頭を下げると、小西は穏やかに笑う。

「いいって。俺も助かったし、お前と話すのは楽しかったよ、進」

「僕も楽しいよ、幸兄。じゃ、また可能性が高い人物のピックアップが終わったら連絡するね」

 いつものように軽く言うと、小西はふと表情を曇らせた。その表情は施設の片隅で本を読んでいたあの頃の姿と何故か重なる。

「幸兄、何かあった?」

 一瞬だが動きを止めた小西だったが、何事も無かったように柔らかく微笑んだ。

「何も。そうだ進。これを預かってくれないか?」

 小西が差し出したのは、手のひらに載るぐらいの小箱だった。ほんの小さなアルミ製のそれを受け取ると、突然問いかけられた。

「手のひらの宇宙ってな~んだ」

「何それ? なぞなぞ?」

「まあな。この答えが分かる奴がいたら、渡してやってくれ」

「わけ分かんないんだけど?」

「いいって。そのうち分かるさ」

「ふうん」

 正解はあるのだろうか。それを進が聞いておかなくてもいいのだろうか。色々な疑問がよぎったが、それを質問することは出来なかった。小西の表情が妙に闇を帯びている気がしたからだ。

「じゃあな、進。お前は間違えるなよ」

 そう言い残した小西は、柔らかな笑みを浮かべて、進に背を向けた。

 遠ざかる背を見つめつつ、妙に不安な気持ちになった。今追いかけねば、もう二度と会えないような気持ちになったのに何故か足は前に進まなかった。またすぐに会えるはずだと思うのに、何がこんなに不安なんだろう。

 鍵のかかっていない箱を開いて中を見ると、そこには笹井に見せられたのと同じような記憶回路が二つ入っていた。

「記憶回路?」

 手の中のそれは、何だか妙に進を不安にした。小西の歩いて行った方角を見ても、小西の姿はもう見えない。

「俺に何かさせようとしてるの、幸兄」

 呟きは強い春風の中に紛れて消えていく。

 他に目的の無い進は、考えた上で事務所に戻ることにした。

 小西を追ったとしても、何を尋ねたいか、どうしたいのか自分でも答えが出ないなら、次の機会までじっくり考えるしか無い。

 もしかしたら秋塚によって、新たな情報がもたらされている可能性もある。

 電車を乗り継ぎ、事務所に帰り着いたのは夕方近くだった。小西のことを考えていると、何だか妙な胸騒ぎがして落ち着かない。それでも通い慣れた道を誤ることは無い。

 いつものように何気なく事務所の扉を開くと、玄関に見慣れない靴が二足ある。来客中らしい。

 男性ものと女性ものの靴で、男性ものは高級な磨き込まれたもので、女性のものはおしゃれというよりも、歩きやすさに徹した靴だ。

 夫婦と言うには何となく違う気がする二つの靴に、首を傾げる。手がかかる笹井の依頼があるのに、依頼がまた入ったのだろうか。

「ただいま帰りました」

 応接室と事務所へと続く扉を開けて声を掛けると、そこにはやはり客がいた。振り返った男女に軽く頭を下げて、応接室の奥にある事務所で秋塚と今後の相談をしようとして、女性の顔に気がつく。

 その顔は進が憧れた顔だった。小西のこと、最近の疲れのことが、その瞬間だけ頭から消えた。

「谷月明日美さんですよね!」

 思わず出してしまった大声に、女性が目を瞠った。

「はい」

 頷く彼女に、ついつい歩み寄る。

「握手してください。前に高円寺の小劇場でお芝居を拝見しました。その時も握手して貰ったんです」

 進が伸ばした手を、明日美はおずおずと握ってくれた。

「覚えていてくれる人がいるなんて、思わなかった」

 微かな微笑みに、進は力説する。

「当然、覚えてますよ。明日美さんが出てきたら舞台の空気が変わったんです」

 明日美は微かに微笑んだ。

「覚えていてくれてありがとう」

「今後も舞台に復帰されるんですか?」

「しばらくは無理みたい。役に入り込めそうにないの。疲れてるのかな、共感できなくて」

「あ、そうなんですか」

 微笑む明日美に、何か妙な違和感を感じた。あの夜に劇場の片隅で握手した時の明日美と比べると、妙に覇気が無い。

 今まで無視してしまった明日美の隣の人物に目を向けると、そこには明日美の夫が座っていた。確か福嶋隆という名前の科学者だったはずだ。

 そう、まさに今の事件と同じ、記憶回路の研究をしている人だ。

 今まで接客していた谷崎を見つめて問いかける。

「矢崎さん、依頼ですか?」

「お前を待っていたんだ、進。お前に会いに来たそうだ」

「僕に?」

 意味が分からず首を傾げる。進は明日美を知っているが、それは所詮観客と役者の関係でしか無い。それなのに二人に会いに来られる理由が全く推測できない。

 戸惑いつつも、勧められるままに二人の正面の席に座る。

「ええっと、僕が宮前進ですが……」

 困惑しつつ尋ねると、明日美が一枚の紙切れを出してテーブルに広げた。

「これを」

 手に取った紙には、短い言葉が書かれているだけだった。

『谷崎探偵事務所 宮前進』

 その下には電話番号と、住所が書かれている。手書きの文字だが特徴があり、どこかで見た覚えがある字だ。

「……これはいったい?」

 明日美と福嶋を交互に見ると、二人は一瞬目を見交わしてから、軽く頷いた。進に向かって口を開いたのは、福嶋の方だった。

「俺が作ったヒューマノイドが一体、失踪した」

「……ヒューマノイド……」

 またかと言いかけて口をつぐむ。何故同じような依頼が入ってきたのだろう。それが疑問だ。

「その話をしたら、谷崎さんが話してくれた。現在君は、生前の記憶を持ったヒューマノイドを追っているらしいね。笹井和志さんからの手紙も拝見したよ」

 相槌を打ちながら、谷崎を睨む。依頼人のことには守秘義務がある。こんな風に簡単に話されては困ってしまうではないか。後で言い聞かせねば。

 ため息は小さな吐息に紛らわせて、進は頭を掻いた。

「もしかして記憶を持ったヒューマノイドを探して欲しいなんて依頼じゃ無いですよね?」

 違うことの確認のためだったのに、二人は深刻な顔で頷いた。そのことに驚いた。

「本当にそうなんですか? ではお二人も吉川瑠衣のプライマル社に依頼なさったとか?」

 真面目に聞いたのに、福嶋に妙な顔をされた。

「吉川瑠衣は、俺の研究所の研究員だが、現在失踪している」

「え?」

 思いも寄らないところで、思いも寄らない人たちが繋がっていく。

「彼女はあなたの研究所の技術を利用して、ヒューマノイドを?」

「それはあり得ない。会社を経営していたとしても、彼女に記憶を完全移植することなど不可能だ」

「ということは、吉川瑠衣は、助手に過ぎないと? 組んでいる人がいて、その人がそれだけの技術を持っているとお考えですか?」

「そう考えた方が妥当だ。君の報告書を見せて貰った分を総合するとかなりの人数らしいから、俺と同等な仕事はこなすらしい」

 調査ファイルまで見せたのか。見知らぬ依頼人に。

 じっとりと蔑むような目で谷崎を見ると、谷崎は熱くも無いのに汗を拭きつつ窓辺に立った。全く守秘義務一つ守れない彼が、よく探偵になれたものだ。奇跡の資格保持者の称号に全く偽りは無い。

「だが俺と同じ技術を持った人間は、片手に収まるほどしかいない」

 研究に関しては相当な自信があるようだ。だが福嶋の話が本当ならば、違法ヒューマノイドを販売した犯人にはすぐにたどり着きそうだ。

 もっとも笹井の依頼は犯人捜しでは無いから、あまり進に関係した問題では無いのだが。

 考え込んでいる間も、福嶋は淡々と言葉を続けた。どうやら人の動きを気にすることの無い人物らしい。

「あなたがお探しのヒューマノイドは、誰が製作したんです?」

「俺だ」

「ではあなたは、自分で記憶を移植したヒューマノイドに失踪されたということですね。つまり僕への依頼は、そのヒューマノイドを探すことですか?」

「違う。君に心当たりが無いか聞きたかったんだ。気になるのは、この書き置きが君を指し示している事だ。君こそ、彼について何か知らないか?」

「彼? ヒューマノイドは男性なんですね?」

「ああ。一週間ほど前に失踪した。TYPE―U。俺と同じ歳の、俺と明日美の友人だ」

 二人が深刻なわけが分かった。今まで出会ったヒューマノイドとかかわる人たちは、絶対に失いたくない大切な人をヒューマノイドにしていた。きっとこの二人にとって、その人物は重要な存在だったのだろう。

 だが生前の事を知らねば、進には何も分からない。

「申し訳ないんですが、ヒューマノイドの友人はいません。生前の本名を伺ってもいいですか?」

 真面目に尋ねると、福嶋は押し黙った。もしもヒューマノイド自身が、理由があって進を調べたのだとしたら生前のことを聞く意味など無いだろうが、もしそうで無ければ十分に手がかりになる。本名さえ分かれば、進が過去に関わったことがある人物か調べられるからだ。

「僕は矢崎さんよりも格段に口の堅い自信があります。お二人が望まない限り、僕はその名を吹聴しません。捜査に用いるだけです」

 明るく誠実に、を心がけて告げると、考え込んでいた福嶋が、明日美を見た。明日美も小さく頷く。そのタイミングを見計らって、進は紙とペンを差し出した。

 漢字までちゃんと書いて貰わないと困る。大江真理の二の舞にはしたくない。

 やがて福嶋は重い口を開き、ペンを手にした。

「TYPE―UのUは、名前を気に入ってはいない彼の呼び名から付けたんだ。彼は自分の名前を、嫌みにしか見えないと言っていて、サインにもいつもUの字を使っていたから」

 福嶋が紙に書いた名前を見た瞬間から、周りの光景が妙に白く感じられた。通りであのメモの字に見覚えがあるはずだ。

 一瞬にして早まった鼓動が、耳の奥に響いている。何かを言わねばと思うのに、言葉が全く出てこない。

「自由の由に、幸福の幸。養護施設に入る羽目になった自分にはあり得ない名前だって言うのがあいつの口癖でね。だから自由の由の字をもじって彼は自分をユウと呼んでいたんだ」

 福嶋がペンを置く。

 そこには見慣れた名前が書かれていた。幼い頃から進のそばで手助けをしてくれて、今もなお進を助けてくれる、本当の兄のように慕っていた男の名前だ。

 小西由幸。

 進の中で少し陰のある、見慣れた笑みが浮かぶ。

「冗談でしょ?」

 声がうわずる。落ち着こうと思っているのに、声が震えてしまう。

「冗談?」

「だってそんな……彼は人間だ。さっきまで一緒にいたのに……」

 不意に小西の声が頭に響いた。

『じゃあな、進。お前は間違えるなよ』

 あれは何だったんだろう。一体何を間違うなと言ったんだ? 

 よくよく考えれば、あれは自分が何かを間違えたと、進に伝えていたのでは無いだろうか。たとえ進では解決できなくても、やはりあの時追いかけるべきだったのかもしれない。

「さっきまで?」

 明日美が呆然と呟いた。

「はい。僕は事務所に帰るからと、少し前に分かれたんです」

「何故……?」

「ヒューマノイドの自殺事件で依頼人を連れてきたのは彼です。今回の依頼では、僕のアドバイザーとして、共に活動して貰っていました」

「そんな……だってずっとユウは家にいたわ。いなくなってから、必死で探してたのに……」

「でも僕は確かにさっきまで一緒にいました」

 明日美を見つめると、明日美は瞳に疑惑の色を浮かべていた。何故こんな風に言動を疑われるのか理解できない。

「明日美さん?」

 問いかけると、明日美は小さく首を振った。 

「そんなの信じられない。私たちよりも探偵を選んでそばにいるなんて、おかしいよ。そんなのユウらしくない。何かあったなら、私たちを頼ってくれれば良かったのに。だって隆はユウの親友だよ? どうして相談する前に探偵に行くの?」

 明日美の言葉に、含まれているのは微かな棘だった。

「僕が嘘をついているというんですか?」

「違う。でも他人に自分を打ち明けるような人じゃ無いもの」

 確かに小西はそういう所がある。全部自分で抱え込んで、それでも笑っているが、その笑みにはいつも陰がある。

 どう言っても信じてくれそうにない明日美と、黙ったまま進を見据えている福嶋に、小さくため息をつく。

「……ではこちらをどうぞ」

 説得するよりも見て貰う方が早い。

 進はタブレットを鞄から取り出して、テーブルの上に置いた。液晶に指を走らせて、捜査資料をタップする。

 日付順に並ぶ資料から、進にとっても辛い記憶である、大江智理との対話を開いた。

 そこに音声ファイルが入っている。ヒューマノイドがいる家庭との対話は、全て音声ファイルでとってあるのだ。

 高速で早送りして、小西の声を探す。ようやく見つけた小西の声に手を止め、そのままファイルを再生した。

『進。きっとヒューマノイドに対して違和感を持つのは、ヒューマノイドの周辺にいる人間の方なんだ。遅かれ早かれ、記憶を持つ違法ヒューマノイドを所有する人々の幸福は、崩壊する運命なんだ』

『どうして? 生きていて欲しいと望んだのは、周りなんだろう?』

『そうだ。だけどやがてヒューマノイドは、ただの記憶装置だと気がつく。愛する者の記憶を持っていても、彼らは元々のヒューマノイドが持つ数十種類の表情しか再現できないんだ。人間には無数の感情があり、それの伴う表情がある。だから人間側が違和感を抱くようになるんだ。それをヒューマノイドは敏感に察知する。人間の数百倍も速い速度でそれを捉える目を彼らは持っているからね』

 あの時の痛みを思い出して、ファイルを閉じる。これで十分、小西が共にいたと分かるだろうが、だめ押しに捜査ファイルとは違うファイルを開く。そこには何気なく撮った、動画が保存されていた。

 ファイルを開くと明るく溢れる午後の日だまりの中で、幻のように美しく桜が舞っている。

 現実離れした光景の中に、小西が立っていた。彼はパーカーのポケットに手を入れたまま、無言で桜を見上げている。

『なに黄昏れてんのさ』

 進の声に振り返った、小西の顔にズームしていく。これは先ほど再生した音声と同じ日に撮った映像だ。

 あの日は朝からさんざん歩き回った。途中で休憩をした時に、桜があまりに綺麗で、ついついタブレットのカメラを回してしまった。

『いい男は、どんなところに立っててもいい男だって事を、世間に証明してんのさ』

『いうなぁ~』

『お前な、俺を撮って何が楽しいんだよ? その辺の女子にモデルになってくれってナンパしてみたらどうだ?』

 からかうように笑う小西に、進が振っている手だけがかぶる。

『無理無理。幸兄みたいにイケメンじゃないよ』

『馬鹿め。イケメンってのは自分で作るもんだ。堂々としてりゃそのうちイケメンに見えてくるさ』

『わぁ。無茶苦茶な理屈だね』

『当たり前の理屈さ。ナンパしてこないなら休憩終わりだ。十件程度でへこたれるなよ、探偵』

『はーい。桜の下でかっこつけてる幸兄でした』

 映像が終わった。

「この音声と映像が四月二日です。この日、幸兄はあなたたちといましたか?」

 問いかけると、福嶋は明日美を見た。明日美は目を見開いてしばらく考えていたが、力なく首を振る。

「……分からない。毎日ユウと一緒にいたけど、時間の概念が無くなってたみたい」

「福嶋さんは?」

「俺は、あいつのためにヒューマノイドを完璧にしたくて、研究所に籠もってたんだ。明日美と同じで記憶が無い」

「でも僕には証拠がある。つまり彼は本物で、ずっと一緒に捜査していたということになりませんか?」

「ヒューマノイドとしての違和感を感じたことは?」

 研究者として尋ねられたから、静かに答える。

「全く。以前三人のヒューマノイドと会っていますが、彼らには違和感を感じても、幸兄にそれを感じたことはありません。福嶋さん、あなたが幸兄の言っていた桁外れの天才ならば、記憶を持ち、全く人間と区別の付かないヒューマノイドを作れますか?」

 重苦しい沈黙が空間を支配した。福嶋でもそれは難しいようだ。この場ではやはり探偵である自分が話すべきだろうと、口を開く。

「僕はよく幸兄を知ってる。あれは昔から変わらない幸兄でした。ヒューマノイドではあり得ない。あなたがあくまでもヒューマノイドのユウを探すというのであれば、僕に手伝えることはありません」

 一緒にいたのは人間だった。表情にも、口調にも不自然さは一切無かった。

 間違いなくあれは、人間の小西由幸だ。

「君は一体?」

「僕は幸兄と同じ施設で育ちました。幸兄と同じく孤児です」

「養護施設にいる弟のような存在は、君だったのか」

 呻くように言った福嶋に、小さく頷く。小西が他に親しくしていたのは杏菜ぐらいだ。弟は進しかあり得ない。

 でも意外だった。小西は福嶋に進の存在を話していたのだ。養護施設のことすらも伏せて話すのが普通の小西にとっての彼は、本当に大切な親友だったのだろう。

「幸兄は施設では心を開いていなくて、僕と幼なじみの杏菜しかそばに寄せないような張り詰めた人でした。でも高校になって親友が出来て、幸兄は変わっていきました」

 顔を上げて、福嶋を見つめる。

「きっとその親友って、あなたなんでしょう、福嶋さん。そして著名な研究者であるのもあなただ。何故そのあなたが、幸兄が人間であることに気がつかなかったんですか?」

 責めるような口調になっただろう。でも尊敬していた小西のあの暗い別れの言葉を思い出すと、言わずにはいられなかった。

 何故親友のあなたが、何故一番近くにいたあなたが、理解してやらなかったのかと。

 小西の焦燥を、孤独を、トラウマを。

 黙ったまま動きを止めた福嶋をじっと見つめていて思い出した。小西の親友が福嶋だとしたら、別れ際の話は小西と福嶋の間にある確執のことにならないだろうか。

「福嶋さん、幸兄が母親から育児放棄されたのを知っていますか?」

 淡々と尋ねると、福嶋は強ばった顔で首を振った。やはり彼は知らなかった。

「空き巣に入られたように散らばった家の中に閉じ込められて、餓死寸前で救出されたことを知っていましたか? 幸兄は母親にゴミのような家の中に、ゴミみたいに捨てられたんです」

 おそらく小西は、この二人にそれを告げなかったのだろう。

 いや、告げられなかったのだろうか。

 この二人が大切だった故に。

 その気持ちは、同じように施設で育った進には分かる。

 進はタブレットで探偵業組合のネットワークに接続した。ここには過去五十年分の犯罪記録を検索できるシステムがある。

 そこで小西のことを調べたことは無かったが、小西の名前を打ち込むと、簡単に事件の概要が画面に現れた。

「事件の概要です。見ますか?」

 黙って頷いた福嶋に、タブレットを渡すと、明日美も横から覗き込む。進は黙って二人の目線がタブレットから上げられるのを待つ。

 しばらくして長いため息と共に、福嶋が顔を上げた。その目をじっと見つめて言葉をかける。

「その事件のせいで幸兄は、母親と同じ世界を見られなかったから捨てられたと思い込んでた。幸兄は大切な人と同じように世界を見られないと、捨てられるという、逃れられない被害妄想とトラウマの中でもがいてた。それを知っていましたか?」  

 静かに俯き、言葉を発しない二人に、不意に違和感を感じる。

 妙だ。

 驚いたり不安そうな顔をしていたりするけれど、二人の表情は妙に似通っている。表情の変わるタイミングが似ているのだ。

 そんな表情を、進はここ一ヶ月で幾人か目撃してきた。

 その意味に気がついた時、肌が粟立った。

 この二人は、ヒューマノイドでは無いのか? そうだとしたら、いったい小西は何を考えているのだろう。

 この妙な思い込みを、この異常な状況を。

 探し出して聞かねばならないだろう。

「僕は個人的に幸兄を探してみます。だからお二人も幸兄を探してみてくれませんか。あなたたちしか分からないような事があるはずです。どうしても心当たりが無ければ、事務所では無く僕という探偵個人と契約してください。一緒に探します。どうしますか?」

 二人はしばし悩んでいたようだったが、やがて決意したように進を見つめた。感情の薄そうな表情の中、真剣であることは分かる。

「すまないが、そうしてもらえるとありがたい」

「では僕が依頼をお受けします。その代わり情報の共有はしたい。何か分かったら包み隠さず、僕に教えてください。共に動くならそれだけは譲れません」

 きっぱりと命じるように言い切って立ち上がると、福嶋と明日美も重い腰を上げた。

「分かった」

「僕は施設で幸兄に助けられました。だから少しでも恩を返したいと思っていますから」

 福嶋から差し出されていた手を握り返し、続いて差し出された明日美の手も握る。二人の手は温かい。ちゃんと人の体温を感じる。

 でもどことなく違和感があった。

 画一化した表情の変化、細かな感情の反映されない硬質な表情に妙な違和感を感じてしまう。これがあの時小西が教えてくれた『不気味の谷』なのだろうか。

 それとも進が神経質になっているから、そんな風に感じるだけだろうか。本当は二人とも人間で、進の妙に高ぶったような気持ちが、現実を歪めているのだろうか。

 ふと思い出して、進は鞄からあの小箱を取り出した。もしかしたら小西は、この状況になることを分かっていて、この箱を託したのかもしれない。

 小箱を手に載せ、小西に言われた通りに目の前の二人に問いかける。

「手のひらの宇宙ってな~んだ?」

 突然の問いかけだったのに、二人は表情も変えずに間髪入れず答えた。

「記憶回路」

 あまりに揃った言葉に、進の背を怖気が走る。

 やはりそうだ。

 今まで見たどんなヒューマノイドよりも精巧でどう見ても見た目では人間としか思えない彼らだが、この二人は……ヒューマノイドだ。

 もしかしてこの問いかけは小西によってプログラムされていたのでは無いだろうか。それでも答えたからには、この二人に託すのが正解だ。

 声が微かに震えそうになるのを押さえつつ、低く声を繕う。

「これをどうぞ。質問に答えた人にこれを渡せと、幸兄に言われています。きっとあなたたちなのでしょう」

 差し出した小箱に戸惑う二人を真っ直ぐ見つめながら、小箱を押しつけた。二人は困惑しつつもその小箱を受け取って、玄関に消えた。

 とたんに力が抜けてソファーに座り込む。

「大丈夫か、進?」

 久しぶりにねぎらって貰った進は、谷崎に力なく微笑み返す。

「大丈夫です。ちょっと疲れたから、今日は休ませて貰いますね」

 言いながらソファーから立ち上がった。

「進?」

「すみません、谷崎さん。報告書はまた後日出しますから……」

 気遣わしげに掛けられる谷崎の声と、気がかりそうな秋塚の視線を振り払うように、進は早足で部屋を出た。動揺を悟られたくないのに、手が滑って思い切り大きな音を立てて扉を閉めてしまう。

 その音に自分でも驚きながら、全身から抜けてしまいそうな力を必死で奮い起こす。廊下を見渡した。もうあの二人の姿はどこにも無い。

 鍵を開ける手がおぼつかなかったが、ようやくの思いで隣の部屋の扉を開けた。

 進の部屋は、探偵事務所の隣だった。事務所を挟んで反対隣り二室をつなげた広い部屋が谷崎の部屋で、上の階に秋塚が住んでいる。

 自分の部屋に入ると、扉を閉ざし、鍵を掛ける。誰にも会いたくなかった。

 電気も付けずに部屋の片隅に座り込み、膝を抱えた。視線の先には、昔撮った小西と進と杏菜が写っている、施設前の写真があった。

 写真の中では高校生の小西は、記念撮影だというのに、にこりと笑いもしていない。小学生の進と杏菜は、満面の笑みだというのに。

 そういえば先ほどまで一緒にいた小西は、穏やかな中にも、言葉にしがたい諦観を持っていたように思えた。表情はあの頃と変わらないのに。

 写真の中の小西を見据えて心の中で問いかける。

 ちゃんと渡したぞ。これでいいんだろ。

 もちろん小西は答えてくれない。でも問わずにはいられない。

 何を考えてるのさ。どうしたいんだよ、幸兄。

 相談しろよ、ちゃんと聞くからさ。抱え込むなよ。

 親友とか友達じゃ無いけど、一緒に育った兄弟みたいな存在なんじゃ無かったのかよ。

『幸せに至る道はきっと、一つじゃ無い。それを忘れるな』

 幸兄はこれが幸せに至る道なのか? 僕には理解ができないよ。

 進はきつく目を閉じて、膝に顔を埋めた。

 何かが動き出している。しかも望まない方向に。

 それを感じつつも、どうすることも出来ない自分が歯がゆかった。

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