Scene3

 私、島津沙都子の家には、もう一人の私、サトコがいる。

 私とサトコは、髪の先から爪の先まで、何から何までそっくり同じで、声もその仕草さえ同じだ。

 私が笑うと、サトコも笑う。私が泣けばサトコは悲しむ。

 まるで部屋の中心に巨大な鏡があって、そこに向き合って座っている気分だ。何しろ私たちは、私たち自身ですら見分けられる違いがない。

 他人ならなおさらで、死んでしまった両親でさえも、私たちの区別を付けることが出来なかった。だから私たちは二人で、私たちについて話をする。

 私とサトコを区別するたった一つの物がそこにあるからだ。

 それは私たちの持つ、たった数年の異なる記憶だった。

 私には、生まれてから二年前までの記憶と、一年前から現在に繋がる記憶がある。そしてサトコには総ての記憶が存在する。

 記憶が欠落しているのが私で、記憶が総て繋がっているのがサトコだ。記憶に関して言えば、私の方が不完全であるといえるだろう。

 私たちは、各々違う仕事をして生計を立てている。私たちは当然のように二人とも『島津沙都子』を名乗る。私はサトコでサトコは私なのだから仕方がない。二人でどう話あっても、これだけは決着が付かない。

 私は家から数駅離れた飲食店の接客をし、サトコは私とは反対に数駅離れたキャバクラの調理場で働く。二人の生活時間も真逆になった。

 私は明るい内に働き、サトコは暗くなってから仕事に行く。同じ顔、同じ声、同じ仕草の二人が共に働いては怪しまれるし、島津沙都子が二人いては、世間一般の常識から考えても可笑しい。

 でもこれなら近所の人間に見られたとしても、仕事熱心な人間だとしか思われないだろう。彼らから見れば昼働いているのも、夜働いているのも『島津沙都子』であるのだから。

 普通に考えると異様な生活で、私とサトコの関係は異常に見えるのかもしれない。でも私とサトコは仲がよかった。

 もともと私は人付き合いが得意な方ではない。人との距離感を計ることを、苦手にしているのだ。それでも自分の中に巣くう人恋しさに、一人の夜は心が蝕まれそうになる。そんな時に救いになってくれるのが、サトコだった。

 私と同一の彼女がいるから、私はこの異常な関係の中で正常でいられるのだ。

 私とサトコ。お互いの孤独を埋めあう私の分身。家族を亡くし天涯孤独になった自分の分身を、私は愛している。

 職場から帰宅し、ソファーに身を投げだした私は、人の気配を感じて振り返った。開いたままの扉の内側で、サトコがパソコンに向かってる姿が目に入る。

 真剣に画面を見入っているサトコの元に歩み寄ると肩に手をかけた。

「何を見てるの?」

「ネットをちょっと」

 サトコは私に返事を返しながらも、手を休めることなくネット上の世界に目を凝らす。私にとってその世界は、どことなくうさんくさい。

 だがそんなことを言っている私の方が、圧倒的に少数派だろう。サトコが目で追っているのは、犯罪関連の資料だった。題名だけを見ても殺伐としていて、何も面白くない。

「面白い?」

 液晶の青白い光に照らされた私と同じ顔に語りかけると、サトコは微かに笑った。

「そうでもないけど、つまらなくもないよ。沙都子はつまらない?」

「……うん。正直」

 軽く返事をしながら、私はサトコの椅子に寄りかかった。この部屋はサトコの部屋だ。私たちは何から何まで同じだけれど、同じだからこそ、自分だけの空間が必要だった。

 私は自分一人の時間がなければ息が詰まってしまう。だからサトコも同じなのだ。

「私も見てて面白い物でもないんだけどね」

 言いながらサトコは軽く画面をタップした。横目で見てその記事に目を見張った。体が微かに震えたのが伝わったのか、サトコが振り向いた。

「気にせずにはいられないでしょう? 今日仕事場で聞いたの」

 サトコの微笑の先にあった画面に目が釘付けになった。

『セクノイド、また暴走事故。原因は同じく違法改造。電子回路完全破損のため、どのような違法改造がなされていたのか不明』

「これって……」

「そう。沙都子、これ、私の仲間だわ。私もセクノイドだもの。人間と見分けが付かないように改造するのなら、それが一番ね。体温、感覚センサ、皮膚感触、全て最も人間に近いわ」

 私は言葉を失った。

「暴走したんじゃないのにね。みんな自分の存在に狂ったんだわ」

「サトコ……」

「大丈夫、私は狂ったりしない。壊れたみんなには、オリジナルが存在しなかった。自分がオリジナルだと信じていたのに、世界に裏切られたショックは想像を超えるわ」

 淡々とそういったサトコが、パソコン画面をシャットダウンした。

「だって私には、幸福なことにあなたがいるんだもの、沙都子」

 静かな微笑みを浮かべるサトコの瞳の奧に、機械の瞬きがあったような気がして、私は目を逸らした。

 サトコは私の記憶を総て受け継ぐ、ヒューマノイドである。

 二年前に私が事故を起こして脳死状態に陥った時、動揺した両親はありとあらゆるつてを辿って、私を取り戻そうとした。

 ナノマシンによる脳の活性化から始まり、幹細胞移植も試みた。だが反応はすぐに現れる物ではない。

 両親は万が一のことを考えて、私を『保存』しようとした。体を保存することで、私が彼らの娘として存在できるわけではない。私の心が、記憶が無ければ私は私にならない。

 そう考えた両親は、ある人物にたどり着いた。

 記憶を総て保存できる男。

 私はその人物に関して、何も知らない。何しろ私には、眠っていた当時の記憶がないのだから。

 最初は両親も信じられなかったそうだ。だが男はいとも簡単に、記憶の保存を引き受けた。当時も今も、記憶を保存する研究は盛んに行われているし、その研究を成功させている研究所もちらほらと出始めたという。

 不安を訴える両親に対し、男は何の反応も見せない私を前に、こう言ったのだという。

「完全な死か、再生か、選ぶのはあなた方であって、私ではない」

 父も母も男の言葉に目を見張った。両親を前にその男は静かに笑みを浮かべて言葉を続けた。

「万が一のことがあれば、不死の体に記憶をダウンロードすればいい。現在の技術をもってすれば、簡単なことではありませんか?」

 両親はその男の言葉に頷き、眠ったままの私を男の手に預け、私の記憶を吸い出した。

 私の中にオリジナルの記憶が、そして男の手の中にコピーされた記憶が残ったのだ。そして私の容態が危うくなったとき、両親に依頼されたこの男が、私そっくりのアンドロイドを調達し、私の記憶を機械の体に移植したのである。

 だが私は死ななかった。

 私に施されていた様々な療法の効果により、奇跡的に脳の機能が蘇ったのだ。それをよろこんでくれた両親だったが、男への支払いと、病院への支払額があまりにも大きくなりすぎていた事が原因で、自ら死を選んだ。

 保険金のためだったと思われるその死は、事故として処理された。不思議なことに誰にも怪しまれなかったのだ。

 両親の死に衝撃を受け、深く落ち込んでいた私の元にやってきたのは、私と何もかもが同じサトコだった。サトコは当たり前のように私の服を着て、私の鞄を手に自宅へとやってきた。

 そして私ににっこりと微笑んだのだ。

「初めまして、沙都子。私はサトコ。よろしくね」

 その日から私は、サトコと暮らしている。こんな日々が毎日、私に死が訪れるまで続くのだと思っていた。

 年を取らない、壊れることなど無いサトコは、永遠に私の前に綺麗な姿で座っているのだと思っていた。

 この時まで。


 

「ここらしいよ、幸兄」

 進はしっかりとセキュリティの整った、オートロックの前に立った。強化ガラスでできている中を見渡せない作りのエントランスでは、半球系の防犯カメラがこちらをじっと見つめている。

 笹井が依頼をしてきてから一週間。秋塚と進は、ようやく違法ヒューマノイドを持っている可能性がある人物を、数人見つけ出した。それはネットワーク社会と化した現代では、考えられないほどの地道な作業だった。

 笹井の娘・佐和の記憶をヒューマノイドに移植して、娘を甦らせないかと提案されたのは、佐和が入院していたのは総合病院だった。娘の死の宣告を聞き、呆然としていた笹井たちに、葬儀社を名乗った女が歩み寄ってきたらしい。

 話をしているうちに、妙なことに気がついた。女は娘が生き返る方法を語っていたのだ。すがるような気持ちで、笹井が佐和を取り返す方法を尋ねると、女は冷静に笑って答えたのという。

『簡単なことです。今すぐ私に処置をさせてください』

 その言葉に飛びついた笹井は、娘を女に託した。家族の動揺をよそに、女は冷静沈着に黙々と処置をした。何も分からぬまま立ち尽くしていた彼らに、やがて女は命じたのだという。

『私の指定する葬儀社に遺体を引き取らせなさい。途中で私が必要部分を抜き取り、遺体をそのままあなたの元へお届けします。面倒なことになると困りますから、死亡届はきちんと出して、葬儀を行ってください』

 気がつくと強い口調の女に動かされるように、女の指定する葬儀社に電話を掛け、指定された担当者を呼び出していた。相手も事情を心得ているようで、拍子抜けするほどあっさりと話が決まった。

『二週間したら、あなたの家に娘さんが帰ってきますよ』

 笹井たちはその言葉に縋った。

「手付金に高額請求されたのなら、詐欺だと疑ったでしょう。ですがその方は、実際に娘に再会して、納得したなら支払えばいいといいました。これがその契約書です」

 笹井が差し出した契約書は、驚くほどに簡潔な物だった。大手メーカー製のヒューマノイドの契約書と、仕様書はこの依頼を受けてからかなりの数を見てきたが、これはそのどれとも違う。

 記憶を持つヒューマノイドは違法の商品であり、メーカーを通しておらず、従って安全性能テストすらしていない。修理は実費であり、何があっても責任はこちらにはなく、注文主の責任であることが強調されていたのだ。

 通報は今後の修理や、更新に影響するかもしれないと自然と思わせられる仕組みだ。それ以外にも、人にヒューマノイドだと明かすこと、動作不良を大手メーカーに持ち込むこと、記憶の誤差の責任を求めること、その他諸々の禁止事項が連なっている。

 だがそれを読んでもなお、大切な人を失った笹井は佐和を諦められなかったのだ。

 そして重要な注意事項が一つ書かれていた。

『ヒューマノイドたちは、自分が死んでいる事、ヒューマノイドになったことを知りません。オリジナルの死亡情報には十分に気を配り、なるべくなら知られぬように伏せてください』

 最初はその意味が分からなかったと、笹井は言う。

 そして契約から二週間後、本当に娘は帰ってきた。何食わぬ顔で、何もなかったように……ヒューマノイドになって。

 一緒に現れたのは、あの時の女だった。女は当の佐和から、年の離れた葬儀社勤めの友人として紹介された。名刺には『プライマル社 吉川瑠衣』と記されており、そこに勤務先と思われる住所が書かれていたが、後日、全て架空であると分かった。

 佐和が席を外した際に、女は笑みを浮かべて笹井と妻にこういったのだという。

「少々記憶をいじりました。彼女には死んだ記憶がありません。それから私の記憶を入れさせて貰いました。もし彼女に何かあった場合、彼女が相談する友人として私を記録してあります。これでバックアップをとりますので」

 妖艶とも言える笑みを浮かべた女に、笹井たちは高額な料金を支払った。わずかに話をしただけで、ヒューマノイドが娘だとが分かったからだ。

 それからずっと、娘がいる幸福な生活が続いた。娘が周囲を巻き込み、自殺するまで。

 それを聞いた秋塚が最初に調べたのは、自殺したとされるヒューマノイドの残り五体の住所と、彼らが入院していた病院だった。その結果、事件が起きているのは、主に関東地方であることが分かった。だが関東地方も広い。そこで進と谷崎が地域を割り振り、その事件が起きた周辺の総合病院に、しらみつぶしに電話をすることにしたのだ。

 守秘義務が多く、情報流出を好まない病院ではあるが、病院とは関係のない葬儀業者を調べているとなれば口は緩かった。

 進たちが聞くのは、出入りの葬儀業者の存在だ。契約している葬儀業者に電話をして、ここ数年の退職者を調べる。危ない橋を渡らせるのだから、吉川が高額な料金を支払ったはずで、まとまった金が入れば、退職してもおかしくない。とは経験豊富な秋塚のアドバイスによるものだ。

 中には二社、三社と葬儀会社と契約している病院もあり、末端に行くほど電話を掛ける回数が増えていく。そして採用者と退職者を調べるのは完全に個人情報の範囲だったため、探偵資格を要した。そしてその個人に尋ねるのである。

『プライマル社をご存じありませんか』と。

 ようやく見つけた元社員の口は重かったが、秋塚がなだめすかして情報を聞き出した。その結果判明したひとりが、このマンションに住む女性だった。この女性の周辺を調べたところ、両親はすでに死亡し、一人暮らしで、昼夜問わず働きに出ているらしい。

「島津沙都子さんか」

 進はオートロックのパネルの前に立ち、横にいる小西へ視線を向けた。地道な捜査には全くかかわらなかった小西だったが、こうして実際の話を聞く段階で参加をお願いした。

 何しろ小西は専門家で、進は素人だからだ。会って話をしたところで、進は人間かヒューマノイドかを見分ける自信が無い。それぐらい今のヒューマノイド技術は進んでいる。

 それに本来探偵は、警察と同じく二人で動く仕事だ。単独で動くと、犯罪等に巻き込まれた時に危険だといわれている。

 大概は秋塚と一緒だが、今回は小西が共に動いてくれるおかげで、秋塚は事務所に残り、地道な捜査を続けてくれている。

 ヒューマノイドの自殺という、衝撃的な内容から始まった依頼だが、笹井らの依頼内容は、犯人捜しではないから、その点は小西という一般人を連れていても気が楽だ。

 問題は、違法なヒューマノイドを所持していることを、認めてくれるかだが、これは笹井が解決してくれた。笹井からの手紙を渡して、その場で読んで欲しいと告げればいいだけなのだ。

 笹井は自分の心境と、事件の経緯、そして質問事項を書き記した封書を進に託していた。それを読んで危険性を知って欲しいという。

 手紙の内容は三つだ。

 故人の記憶を載せたヒューマノイドを所持していないか。

 所持していたなら、その変化や暴走する心当たりを教えて欲しい。

 そしてプライマル社の吉川から、暴走に関する重要な説明を受けていないかだ。

 進は綺麗に磨かれたオートロックに取り付けられた、番号のスイッチを順繰りに押した。

 十二階のL号室。これが目的の部屋だ。こういう新型の音は鳴っているのかいないのか、進には全く分からない。全く反応がないオートロックを、もう一度呼び出してみる。

 しばらく待っても反応がなく、留守かと諦めかけた時、ようやくインターフォン越しに声が聞こえた。気弱そうな女性の声だ。

「どなたですか?」

 おどおどとした女性の声に、自分の姿が見えているだろうことを前提に相手を安心させるよう穏やかに話しかける。

「谷崎探偵事務所の宮前です。少々伺いたい事がありまして……」

 インターフォンの向こうで、女性が小さく息をのんだのが分かった。インターフォンを切られてしまうとやっかいだ。進は軽く息を吸うと、めいっぱい明るく見えない相手に向かって笑みを浮かべて語りかける。

「探偵事務所なんていったら、驚きますよね? 普通そうなんですよ。だけど僕、人捜しが専門なんです。今回もちょっと人捜しをしてまして」

「……人捜し?」

 未だ警戒感を持ったまま、女性が小さく尋ねてきた。少しは相手の興味を引けただろうか? さて切られる前に仕掛けなければ。

「そうなんです。どうしても手紙を届けて欲しいという依頼でして。直接相手に手渡しなんです。こちらも困ってしまっているんですよ」

「探偵さんなのに、困るんですか?」

「そりゃあもう。新人ですから、いつも困ったことだらけです」

「ふふ」

 女性の笑い声が漏れ聞こえてきた。どうやら少しは警戒感が薄れたようだ。進はどこかにあるカメラに向かって、照れ笑いを浮かべながら頭を掻いた。

「すみません。おしゃべりしすぎですね。やっと見つかったと思ったら嬉しくて。そちら、島津沙都子さんのお宅ですか?」

 丁寧さよりも、気さくな態度を前面に出して尋ねると、相手は素直に答えてくれた。

「はい」

「すみません。どうしても手紙を読んでお返事を貰ってくるようにという依頼なんですが……お部屋に伺っても? あ、もちろん家に上げて貰おうなんてこれっぽっちもないですよ。何ならチェーン付けたままで全然大丈夫ですから」

 いかにも新人らしい表情で人なつこく見えるように笑うと、向こうも気を許してくれたようで、カチリと鍵の開く小さな音がした。

「十二階です。どうぞ」

 淡々と静かながら少し楽しげなその声に、進は大げさに頭を下げてお礼をした。

「ありがとうございます!」

「いえ。でも家の中までは……」

「もちろん、玄関で、チェーン越しで構いませんとも!」

 扉が音も立てずに横にスライドした。ずっと黙ったままいた小西を振り返る。

 小西は感心したような顔でこちらを見ていた。仕事仲間ならともかく、子供の頃を知っている小西相手だと何となく恥ずかしい。照れている自分を見せたくなくて、進は無言でエレベーターホールに入り、目の前にあるエレベーターのボタンを押した。

「行こう、幸兄」

 幸いなことに一階にいたエレベーターに乗り込み、十二階を目指す。高速化し、静音設計がしっかりしたこの手のエレベーターは、上昇しているのか下降しているかの感覚すらも曖昧にさせる。

 ぼんやりと上っていく数字を眺めていると、隣の小西が呟いた。

「不思議な気分だな」

「何が?」

「人間の空間のど真ん中に違法ヒューマノイドがいるんだぜ?」

「うん」

 小西の言わんとしていることがいまいち分からず、曖昧に頷いて小西を微かに窺う。

「隣近所の繋がりが切れたコミュニティで、ひっそり隣にヒューマノイドが住んでいるとしても、きっと誰も気がつかない」

 小西の顔を見ると、いつもの自信ありげな皮肉な笑みを浮かべつつ、進を試すような目をしている。

「気がつかないもんかな?」

「ああ。もしもだ進、高層マンションにお前が一人暮らしをしていて、隣の住民を知らないとする。でもエレベーターの中で毎日顔を合わせて、挨拶だけはする隣人がいるとしよう」

「よくあるね、その状況」

「だろう? そうしたらお前、その挨拶だけを交わす隣人がヒューマノイドかもって疑うか?」

「え……?」

 考えてみれば、ヒューマノイドは人間とのコミュニケーション能力を有している。挨拶程度なら簡単に交わすだろうし、日常的な会話もしてのけるのかもしれない。

「でもそんなこと、無いでしょ?」

「ないか? お前はヒューマノイドと人間の区別が付かないと俺を呼んだのに?」

「……それもそうだね。でも……」

「でもありえない?」

「うん」

 正直に頷くと、進より少し背の高い小西を見上げた。その顔には、教師のような冷静な笑みが浮かんでいる。

「そのお前の思い込みが隠れ蓑になっていると考えたことは?」

 こちらを見た小西の目は、とても静かで深い黒をしていた。口元に浮かぶ笑みとは対照的だ。進は鼻の下を人差し指でこすりつつ、考え込む。

 言いたいことがいまいち分からない。だが何か意味がある。小西は昔からそういう人だ。直接物事の答えを突きつけては来ない。

 冷静なる教師は、静かに更なる問いかけを重ねてきた。

「お前は自らの常識の範囲から外れることを恐れていないかな?」

「恐れる……?」

「そう。例えば谷崎探偵事務所の隣人がヒューマノイドであることを打ち明けたらお前は『何だ、お隣さん、ヒューマノイドだったんですか』と受け入れられるのかということさ」

 たとえ話に唖然とし、同時に思い知る。もしそうだったら進は警戒してしまうだろう。

 これはきっと、本能的に異端を恐れているのだ。そして普通に生活しているヒューマノイドに何の目的があるのかを探らずにはいられない。

 ヒューマノイドがただそこにいて生活しているという状況は、今の社会であってもあり得ないことなのだ。

 笹井佐和のようなケースを除いて。

「進、着いてるぞ」

 唐突に入り込んできた小西の声で我に返る。見ると、楽しげに笑みを浮かべた小西が開閉ボタンを押してくれていた。

「あ、ごめん幸兄」

 頭を掻きつつ降りると、小さく息をつく。

「今回のケースでは、さっき言った状況があり得るって事だよね」

 静まりかえった廊下を歩きながら問いかけると、背中を軽く叩かれた。見ると小西が満足そうに頷いてくれた。どうやら正解らしい。

「じゃあ僕は、出てきた人間がヒューマノイドかもしれない状況に、対応しなきゃいけないんだ。しかも、顔に一切出すことなく」

「違うな。どちらであっても相手を人間として接しろということさ。見極めは俺がする」

「そうなの?」

「ああ。もしヒューマノイドだと途中で思っても、警戒せず人として接するんだ。特にこの人物の場合、出てくるのがヒューマノイドである可能性がかなり高い」

 淡々と語られる推測に、進は小さく頷く。確かに、笹井と違って彼女をヒューマノイドとして作り上げたという家族はもう死別している。

「ここだな。十二階のL」

 小西の言葉で足を止め、真鍮のプレートを見つめる。防犯上名前の分かる物は一切無いが、確かにこの部屋だ。インターホンを押すと、チェーンロックがかかったまま、扉が開かれた。

「谷崎探偵事務所の宮前進です。こちらは小西由幸です」

 警戒感の解けない表情で見上げてきた女性に、進は満面の笑みを浮かべて名刺を差し出した。勿論急遽作った小西の分も差し出す。

 島津沙都子は、長い黒髪をした、少々童顔の女性だった。顔のパーツをまとめてみれば硬質な美人といったところなのだろうが、怯えたように伏し目がちな表情が、全体を暗く見せている。

「島津沙都子です。あの、手紙って……」

「ああ、こちらなんですが」

 進は何も知らないような笑顔を作って、島津の顔を見つめ手紙を差し出した。この手紙を読んで、島津がどう出るかが話の分かれ目だ。もし違法ヒューマノイド所持を認めてくれるならば、話が早い。

「はあ。あの、今読むんでしょうか? 時間がかかるかもしれないんですけど」

 戸惑ったように進を見て、それから後ろに立つ小西を見た。

「はい。僕らは待つことには慣れておりますので、こちらで待たせて貰いますね。ドアも閉めてくれて構いませんよ」

 営業スマイルと浮かべて一歩下がった進に、島津は申し訳なさそうに頭を下げて扉を閉じた。

 普通は玄関先にぐらい入れてくれそうだが、かなりしっかりしたセキュリティの意識を持っているのだろう。それとも融通が利かないだけなのだろうか。

 薄暗い廊下は妙に声が響くし、ただでさえこんな所に二人でいるから怪しいしで、何となく黙ったまま再び島津が顔を出すのを待つ。三十分ほど待たされただろうか。扉が静かに開かれた。

「お待たせしました」

 先ほどよりも強ばった、より怯えた表情で島津は進を見上げている。見るとチェーンはかかったままだ。

「あの、お返事はいただけますか?」

 中身を知らないかのように、笑顔で尋ねると、島津は封をしていない封筒を差し出した。中には確かに紙が入っている気配がする。

「返事、書きました。これを笹井さんに渡してください。それから私は大丈夫です。一人じゃありませんから」

「あの?」

「お役に立てなくてごめんなさい」

 閉じられそうになった扉が、何かに挟まって止まる。島津がびくりと身体を震わせた。

「あの……」

 声を震わせる島津の視線を追うと、そこには小西の靴が挟まっていた。閉じる扉に足を挟んだらしい。

「幸兄!」

 慌てて小西のパーカーの裾を掴む。だが小西はただ静かな温度を感じられないような笑みを浮かべて島津を見ている。

「幸兄ってば」

 裾を引く進になど構わずに、小西が怯える島津に尋ねた。

「一つだけ、聞かせてください。あなたは生きていたんですか?」

 意外な言葉に、進の手が止まる。じっと目の前の島津を見ると、島津は表情を失った顔で小西を見ていた。

「あなたの家族はみんな死んでいる。身内は誰も残っていないし、この部屋からの出入りはあなた以外いないはずです。では一緒に暮らしているのは誰です?」

「誰って……私は……」

「あなたは?」

 問いかけたとたん小西が転がった。同時に考えられないぐらいの勢いで扉が閉められる。突き飛ばされたのだということはすぐに分かった。

 でも予想外だった。あんな風に細くてか弱そうな女性のどこに、小西を吹き飛ばすぐらいの力が合ったのだろう。

「幸兄!」

 廊下で腹を抱えてうずくまった小西の隣にしゃがみ込むと、小西が小さく咳をしていることが分かった。

「大丈夫?」

「……腹、殴られた。すっげぇ力だ」

「あんなに細いのに?」

「あれはヒューマノイドの方だ。ちゃんと目を見たか? 光彩がグレイだっただろ?」

 思いも掛けない言葉に、堅く閉ざされた扉を見つめた。あの女性がヒューマノイド? 普通の人間にしか見えなかったのに。

「全然気がつかなかった。だって全然会話が自然で……」

「最新式ならこれぐらい自然な会話が出来る。知らなかったのか?」

 微かに口調に非難が混じった。進は微かに肩を落とす。調べごとに夢中で、実際のヒューマノイドに会うことはしなかった。それがミスの元だ。

 だが微かに落ち込む進の肩を軽く叩いて、小西は表情を引き締める。

「中にいる誰かを見られたくなくて、彼女は慌てて扉を閉めた」

「……誰かって?」

「さあな。一つ確かなのは、ヒューマノイドの島津沙都子は、おそらく自分がヒューマノイドだとは気がついていないってことだ」

「そうなの?」

「ああ。手紙、見せてくれるか?」

 小西に言われるままに手紙の返事を差し出す。握りしめてしまったせいで、微かに汗で湿っている。そんなことなど気にもとめずに小西が中の紙を引き出した。

 言葉も無く見ていると、素早く視線を巡らせた小西が笑みを浮かべる。

「中にいたのは、十中八九、オリジナル、島津沙都子本人だ」

「どうして?」

「ほら」

 渡されて手紙を見ると、教科書のように綺麗な字が書かれていた。まるでパソコンで打ち込んだように綺麗に並ぶ文字が、淡々と状況を書き記している。

『Q1、故人の記憶を載せたヒューマノイドを所持していないか。

 A1、所持しています。

 Q2、最近の変化や、暴走の心当たりを教えて欲しい。

 A2、ありません。おそらく私たちは二人だからでしょう。私たちは出会った時から今まで、ずっと共にあります。おそらく私が死ぬまで。

 Q3、吉川から重要な説明を受けていないか

 A3、受けていません。私たちは今の現状に満足しています。娘さんの件は非常に残念ですが、私たちにかかわらないでください。』

「筆跡から見ても、これを書いたのはヒューマノイドだ。でもヒューマノイドは島津沙都子として、ヒューマノイドを所有していると書いているんだ。どう考えてもおかしいだろう?」

「……確かに」

 自分が島津沙都子のヒューマノイドなのに、島津沙都子のヒューマノイドを持っているでは説明が付かない。

「島津沙都子のヒューマノイドが作られたことは確かだ。それが玄関先に出てきたヒューマノイドならば、家の中にいるのは本当の所有者ということにならないか?」

「つまり……オリジナルの島津沙都子……」

「それが一番しっくりくる。島津沙都子のこと、調べたんだろう?」

 小西の視線を受けつつも、進は手元のタブレットを指先で捲って、調査書を表示して読み上げる。

「二年前の事故で脳死の判定を受けてる。千葉の総合病院だ。かなり色々なことを試されたみたいだけど、効果は無かったみたいだね。その後、移植のドナーになることを全て断り、脳死判決が確定。葬儀社に依頼ってある」

 タブレットから顔を上げると、小西は小さく息をついて前髪を右手で掻き上げた。

「親ってのは往々にして子供の死を認められないもんさ。それが脳死ならなおさらだ。だから両親は生命維持装置を付けたままプライマル社の吉川に託した。その際に何かのきっかけで、脳が動いたんだろう。脳には、まだ解明されていないブラックボックスが多々ある。何が起ころうとそれは神のみぞ知る、だ」

 研究者としては投げやりにそういった小西は、流れるような動作で進の持っていた手紙を抜き取り、封筒に収めた。それを未だ混乱している進の鞄についたポケットに収めてくれた。

「大丈夫か、進? これからまだこんなわけの分からん状態が続くかもしれないぞ?」

 気遣うように聞かれて、進は我に返った。そうだ、こうしている場合じゃない。葬儀社に貰った怪しげな情報はまだまだある。当たりもあれば外れもあるだろう。

 幸い島津沙都子は当たりだった。あまりにも進の現実とかけ離れていて、頭が着いていかないが、ここでぼんやりしている場合ではない。

「大丈夫さ。今日はあと二件回るつもりなんだ」

 空元気も元気のうちだ。笑顔で小西を見上げると、小西は昔と変わらぬ大人びた笑みを浮かべて進の肩を優しく叩いた。

 小西と進は昔、同じ養護施設にいた。その頃、空元気の塊だった進を見抜いて、こうして黙って肩を叩いてくれたのは小西だった。

 一緒に寄り添ってくれる杏菜の存在もありがたかったが、無言で理解してくれる兄貴分の小西もとてもありがたかった。

 ただ小西は決して自分の影を、進に明かしてはくれなかったが。

「昼飯はおごってやるよ。楽しみにしとけ」

「幸兄、太っ腹!」

 廊下をエレベーターに向かって歩き出しかけて、進は閉じられたL号室の扉を振り返った。

 自分と全く同じ顔をし、声をしたヒューマノイドと一緒に暮らすって、どんな気持ちなのだろう。進には想像も付かなかった。



「あの人たちは帰った?」

 部屋に戻るなりサトコに尋ねられて私は頷く。

「ねえサトコ、あの人たちまた来るかな?」

 不安に駆られて、私はサトコの前に座り込んだ。ここにサトコがいるのは知られてしまった。だって笹井のあの手紙を読んだら、答えずにはいられないじゃないか。

 自分の存在を理解できずに、壊れたヒューマノイドの佐和。

 暴走し、家族を手に掛けた佐和。

 電子回路に包丁を突き立てて再生不可能にした佐和。

 そして血の海に横たわる家族を見つけた時の笹井の衝撃。それはかなり悲惨な状況のはずだ。それなのに手紙には、違法ヒューマノイドを持つ人々への優しい懸念に溢れていた。

 きっとあの手紙は悲しみの中で書かれたのだろうから、おそらく私はそれに答える義務があった。私はサトコといるのだから。私はサトコといて幸せなのだから。

「こないと思うわ、沙都子」

 冷静に笑みを浮かべてサトコが答えた。私と同じ顔をした、私の分身の笑みが、妙な色を浮かべている気がして、私は息をのむ。ヒューマノイドのサトコは今まで、こんな表情をしなかったはずだ。

「だってもう、二人は一つになるもの。そろそろ潮時だと思っていたのよ。そう思わない、沙都子」

「え……? どういうこと?」

「探偵に悟られたら、ゲーム終了よ。違う?」

 怖い。サトコが怖い。いつものサトコじゃない。

 ソファーからゆっくりと立ち上がるサトコに、私は後ずさる。

 ヒューマノイドの暴走? これがそうなのだろうか? だとしたら私は殺されるのかもしれない。笹井の家族のように。

「やだ、サトコ……」

 私はじりじりと後ずさる。でもサトコは私の感情など無視して、ただゆっくりと、速度を落とすことなく歩み寄って来た。

 気がつくと私は、壁と壁の角に追い込まれていた。

「私を殺すの、サトコ?」

 恐怖に震えながら尋ねると、目の前に迫ったサトコの手が、ゆっくりと私の髪を撫でた。指がそっと髪に絡められ、サトコがゆっくりと私へと身を寄せる。身長は同じ、顔も同じ。だから目の前にサトコの顔がある。吐息がかかるほど間近でサトコが私に囁いた。

「教えてあげる。私が死んだあの事故は、自殺だったのよ」

「え……? どういうこと……?」

「物事を知らない幸せな沙都子。教えてあげる。島津沙都子は結婚詐欺に遭って自殺したの。父も母もそれを知ってたから、記憶を移すときに、詐欺師と会ったときから自殺するまでを消させた。幸せなあなたでいて貰うために。あのまま死んでいれば幸せな沙都子だけが残ったのに。なのに私は、死の淵から蘇ってしまった」

 思考が停止する。言葉が意味をなさずに消えていく。

「目を覚ましたとき、目の前に幸せだった頃の私がいた。あの人に出会わずに、笑っている私。全く同じ顔なのに、私は不幸で、あなたは幸福。だから私は幸せなあなたを呪うことにした。偽物め。男に弄ばれて全てを奪われた私の苦しみを背負わせてやるって」

 サトコがゆっくりと私の頬に触れる。優しく撫でられるその指先は、怖いぐらいに冷たい。息をのむ私に、まるで恋人たちの甘やかな恋の囁きのように、サトコは呪いの言葉を吐き続ける。

「その上、沙都子。あなたは老いない。そしてあの人に全てを奪われた哀れな私は老いて醜くなっていく。いいわね、この人工皮膚、いいわね、その幸福しか入っていない記憶回路。いいわね、その永遠を約束された身体」

 サトコの唇が、私の唇を塞いだ。突き飛ばそうとしたのに、何故か全く力が入らない。

 サトコの執拗な口づけから逃れようとしていると、唐突に体中の力が抜けた。壁に寄りかかった時に、私は見てしまった。

 深々と自分の胸に突き立てられた包丁を。そして、そこからは一滴の血液さえも流れ落ちていないことを。

 私は島津沙都子じゃなかった。私がサトコだった。

「私は幸福な私に戻れるのね。もう鏡に向かい合わなくていいのね。呪わなくてもいいのね。だって幸せなのは私なんでしょう?」

 彼女の甘い声は、まるで愛されているみたいだ。目はすでに焦点が合っていないのに、その瞳の輝きは希望に満ちている。狂気の希望なのに。

 だけど私は逃げられない。痛みを感じないのに、力が入らないのは何故だろう。私はなすすべもなく、私を解体し、その皮をはいで私に成り代わろうとするオリジナルの姿を見つめていた。

 ただ、じっと見つめていた。

 機械の瞳がえぐり出されるまで。

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