第6話 素寒貧

 夕方のキャンパスを、ハナと一緒に駆ける。周りの学生が奇異の目で見てくるが、気にしない。

「まさか安西先輩が横領事件に関与していたとはね」

「だがこれで辻褄が合った。柳田は横領事件に関わった安西を利用して寮を消失させようとした。企業会館の建設の為に」

「やっぱり柳田が黒幕だったのね。黒井会長を騙して……」

「いや、あの狸野郎のことだ、柳田の意図も、断ったらどうなるかってのも気付いていたさ」

 そう、そして火災に巻き込まれた俺が、この事件を上手くひっくり返すのを期待していた。だから寮への立ち入りも認めた。



 理学部B棟の窓からは、既にちらほら明かりが漏れていた。この時間帯は既に通常講義は終わっている。これから院生たちは夜遅くまで実験に明け暮れるのだろうか。

 エレベーターに乗り込み、4階へ向かう。エレベーターの扉が閉まると、それまで無言だったハナが口を開く。

「あんた、初めて会った時よりか少し変わったわね」

「そうか?」

「うん」

 「どこが」と聞こうとしたが、ちょうどエレベーターが目的の階に到着し、扉が開く。

 開いた扉の先には安西が立っていた。

 安西も驚いたようで、目は大きく見開かれた。が、その表情もすぐに苛立ちのそれに移り変わった。

「安西さん、お話があります」

「今から実験用の薬品を取りに行くところなんだが……」

「後にしてください」

 自分で言ってなんだが、随分失礼な物言いだった。が、俺たちの鬼気迫る態度は安西にも伝わったようだ。

「いいよ。じゃこのあいだの研究室で話そう。まったく……あの事件が起きてから薬品の取り扱いは厳しくてね、8時以降は持ち出せなくなるんだ。それまでに話は終わらせてくれよ」

 安西は頭を掻きながらそう言った。

 

 以前と同じく、安西は丸椅子に、俺たちはソファに座った。違ったのはこの場に結城が居ないこと、そして、安西は激昂の中にあるということだけだ。

「ああそうだよ。俺もあの事件に加担していた!保管室から適当な実験の名目で薬品を寮に持ち出していたよ」

 目の前の机には黒井会長から渡された事件記録資料――安西の名前が記された――が開かれていた。

「それだけじゃない。あんたは総務課の柳田に脅されて寮の火災を……」

「確かに脅されたさ!実際に会ってな。寮に火をつけろ、さもないとお前の過去を暴露する、ってな!」

 安西は机を拳で叩く。これまでの事情を説明すると、安西はあっさり横領と、そして柳田とのつながりを認めた。

「だがな、俺はやってない。昨日も言っただろう、俺には明確なアリバイがある」

 安西は柳田の脅しを断った。これは嘘ではないのだろう。だがこれでは説明がつかない。

「それじゃあ誰が火をつけたんだ?」

「だから俺は知らないんだ。俺以外の誰かが柳田に脅されて火をつけたんじゃないのか?」

 ここまで来て、今更嘘を言うとも思えない。しかしこれでは辻褄が合わない。

「いいえ、それでは説明がつきません。柳田が安西先輩を実行犯の一人だと判断出来たのは黒井会長の助けがあったからです。黒井会長は教えたのは安西先輩だけだと仰っていました」

「嘘かもしれない」

「その指摘は否定できません。しかし会長はこちら側の人間です。今更嘘をついても何のメリットもないはずです」

 ハナの意見はもっともだ。あの証言に嘘はないだろう。そうだとしたらやはり事実が合致しない。

 そこで一つ、疑問に思う。

「ちょっと待ってください、柳田は安西先輩に放火を指示したが、安西先輩は実行しなかった。これじゃあ柳田は不審に思うはず」

「いや、奴は俺の犯行だと思ってる。現に俺に対して再度火をつけろと脅してきた」

「なぜ!?」

 ハナと同時に声を上げる。

「放火された部屋は、122号室だ。俺もその部屋に住んでたんだ。おそらく柳田は勘違いしたんだろう、俺が合鍵を使って放火したんだろうとな。もちろん、昨日言ったように合鍵は持っていない」

 ようやく、一つの疑問に光明が見えた。なぜ俺の部屋が放火されたのか、という疑問に。だが同時にある疑問も生じてしまう。

「誰が放火したのかは分からない。だが犯人は安西先輩を実行犯に見せるためにオレの部屋、122号室に火をつけた。いったい何故だ?」

「安西先輩が放火するかもしれないのに、あえて自分が放火したのね。その一方で世間と柳田に対して、別々の犯人を生み出した。前者は爽平、後者は安西先輩」

 ハナが的確に話をまとめる。俺はもう一度安西先輩に真正面から向きなおる。

「あと一つ疑問がある。あんたは今さっき『再度火をつけろと脅してきた』と言ったな。柳田の言う通り、放火を実行するのか?」

 さもなければ罪を暴露され、退学処分を食らうだろう。

 安西先輩は自虐的な微笑みを浮かべ、かぶりを振る。そうしてポケットから一枚の紙を取り出す。そこにはこう書かれていた。

『あなたは最初の指示をしくじった上、2回目の指示については実行すらしなかった。あなたは私を見くびっているようだ。あなたの代わりになる人物がまだ居るということはわかっているのですよ。私はあなたを告発します』

 俺たちが読み終わるのを待って、安西先輩は口を開く。

「体制に反抗はしても、それに屈することは俺のプライドが許さなかった。なんと言われようと、あの寮を焼失させるわけにはいかない」

 思わず身を乗りだす。

「放火しなかったのか!?このままだとあんたは退学だぞ!?」

「確かにあれ以来寮に問題は起きていないわ。でもそれじゃあ……」

 1度目の放火で寮は焼失しなかった。俺が消火したから。そして2回目の放火指示にも安西先輩は従わなかった。

「だから最後にこうして一人実験室に残って研究を続けてるのさ。ここを退学させられる前に、少しでも実績を残しておきたくてね」

 安西先輩の目は自虐の色は薄れ、悲哀に満ちているようだった。

「柳田は安西さんを本当に告発するつもりなのか?」

「さぁな。でも俺はどっちでもいいんだ。元は4ヶ月前に逮捕されるはずだったのを奇跡的に見逃されたんだ。罪は清算されなければならない」

「柳田は絶対に告発するわ。それも非情にね」

 

 俺も同意だ。あいつのことだ。やると言ったら本当にやる。昨日の柳田の激昂した様子が思い出される。

 その時、突如ハナの携帯が鳴る。

「もしもし、あぁ、結城くん、どうしたの……うん、えっ!。……分かった。今安西先輩の研究室にいるの。うん、持ってきて」

 ハナは電話を折りたたみ、俺を見る。

「柳田の言ったことは本当よ」 

 


 十分後、荒い息をした結城が研究室に駆け込んでくる。その手には新聞らしきものが握り締められていた。ちらりと見えるその表紙から『満大月報 号外』の文字が見て取れた。

「号外だ!今大学中が大混乱だぞ」

 結城が紙面を机の上に広げる。一瞥しただけで、動悸が高まるのを感じる。

『【3年前の横領事件に新展開 関係者が浮上】

 満城大学総務課は昨日、4ヶ月前の備品横領事件について、新たな事実が確認されたと声明を発表した。ついては明日の正午にマスコミ・保護者向けの記者会見を開く計画だという。4ヶ月前に起きた横領事件では理学部の学生ら13名が逮捕された。が、公にはされていないがその他に事件に関与した疑いのある者がいたと予想される。詳細は明かにされていないが、この会見でそれが明かされるものとみられている』

「くそっ、やられた!柳田がリークしたんだ!」

 思わず机を叩く。

「どうするのよ!柳田はこの会見で安西先輩を告発するつもりよ!」

「一体なぜ記者会見なんて……」

 安西がうなだれ、深く椅子に腰掛ける。俺は自分の言葉に苦味を覚えながら呟く。

「おそらく見せしめだな。捕まっていない学生はまだいるんだろう。あんたが用無しともなれば他の奴らを雇うだろう。その為に白昼であんたを見世物にするんだ」

 そうなれば今度こそ男子寮は焼失し、安西は逮捕される。そして事件は迷宮入り。俺も退学処分だ。

 だが待て、『記者会見を開く』ということはまだ安西のことは公にはなっていない。

「ハナ、黒井会長の力でどうにかできるか?」

 ハナを見る。いつもの仏頂面が泣きべそをかいているように見える。

「無理よ。今回の記事は既に柳田の証言が基になっているはずよ。そうなったら自治会に出来るのは会見当日まで柳田のリークを抑えるぐらいなものよ」 

 ダメか。失意に沈む3人の中、事情をつかめていない結城はおずおずと尋ねる。

「で、いったい誰が火をつけたんだ?」

 そうだ、確かにまだ光明はある。真犯人を見つければいいのだ!

 でもどうやって……?分からない。いや、諦めるな。結城達だって今まで俺を信じて頑張ってきたんだ。こんな結末にするわけには……。ふと、一閃の思考が頭をよぎる。

「安西先輩、友達はいますか?」

「……友達、か。研究仲間はそういう関係じゃないな。あぁ、一人いたかな。でもそれがなんだって言うんだ……」

「いいから!」

「……俺がまだ男子寮に居た時だから、最近はもう会ってないな。別れる時期には、あいつはちょっとおかしくなってたから……」

「で、名前は!」

 安西は頭をかきむしりながら遠い目で答える。

「俺の隣部屋だった奴……文道だ」



   *



 ここ数日、俺の周りは目まぐるしく動いていた。いや、俺が動き続けていたのかもしれない。高校時代では考えられなかった。

 だからなのか、椅子の背もたれがやけに心地よい。

「あらあら、夕ご飯はまだですよ。部屋に上がって着替えないんですか?」

 ヒメの顔を眺めるのも、なぜか久しぶりのような気がした。

「うん、ちょっと考え事したくてね。生活音ある方が捗るんだよ」

「そうですか。あ、今日の夕食は先日頂いたサツマイモを使いますよ」

「そっか」

 ヒメはいつもの笑みを見せ、「楽しみにしてくださいね」と言ったきり厨房へ入る。

 言うべきかどうか、迷う。約束を反故にする気は全くなかった。果たせなくとも家賃は必ず返済する。大学を除籍されたからといって仕事がないわけではない。

 ただ……あまりにも理不尽だろう、それは。しかし考えても考えても文道が犯人だということを立証できない。

 もはや疑わしいのは文道だけなのだ。しかし……

 先ほどの安西の言葉が蘇る。

『待て、文道は全く関係ない!あいつは横領には一切関わっていないんだ。それどころか男子寮がその母体だということにもだ。あいつは無関係だ』

 安西の言葉をどこまで信用すべきか迷う。友人だから庇っているのか。いや、本当の友人であればむしろ文道を説得し、真相を問い質そうとするだろう。安西は本当に何も知らないのだ。

 ということは、真相の解明にはやはり俺が考えるしかない。ヒメに迷惑をかけないためにも。



 まな板と包丁が触れる音とともに、醤油と出汁の香りが鼻をつく。あぁ、いい匂いだ。

「暇してるんなら洗い物ぐらい手伝いなさいよ、この居候」

 厨房のさらに奥からの声、ユリだ。もう帰ってたのか。

 今日は水曜日だ。しかし明日、ユリが通う中学校で大きな大会が開かれるらしく、授業が休みになるらしい。よって片道3時間の道のりを経て、ユリは平日にもかかわらず定食屋にいるのだ。

「お前こそ居間でテレビ見てるんだろ?お姉ちゃんを手伝ってやりなさい。そして俺は立派な下宿人だぞ」

 そういう年頃なのだろうが、この問答も慣れっこだ。だが、後者の方は言葉に自信を持てなかった。

「私今テレビ見てるからー」

「あれ、ユリ、宿題は終わったんですか?」

「後でやるー」

 気の無い返事が居間から聞こえる。

 ヒメは調理の手を止め、さらに何か言おうとする。が、俺が手で制して止めさせる。ここは現役大学生が教授すべき時だ。

「宿題をサボるのはいただけないな、ユリ」

 苛立ちを帯びた声が居間から響く。

「だから後でやるって……」

 テンションの落差に負けじと、こちらも声を張る。

「中学の勉強はな、文化的素養、まぁ教養ってのを身につける上でものすごく重要なんだ。進学しようと就職しようと、立派な人間になるには勉強を疎かにしてはいけないんだ」

「あんたは立派なの?」

「……」 

 そうじゃないからこそ勉強の大切さが分かるんだ、とは言えない。いかん、反論が思いつかない。

 テレビに飽きたのか、ユリが居間を抜け出して厨房に顔を出す。 

「げ、それサツマイモ?私サツマイモって土臭くて嫌いなのにー」

 見た目はそっくりだが、言動についてはいくら照らしてみても全く似ていない。もう少し姉の性分を受け継いでも良かったのではないか、と思う。

「好き嫌いはいけませんよ、ユリ。このサツマイモは先日爽平さんのご友人が畑で収穫してきたものですよ。それこそ品質に気を配って大事に大事に育てた……」

 ヒメはサツマイモを撫でながらまるで教師のように弁を振るう。まず友人、という間柄でもなし、畑ではなく花壇で栽培されたもので品質については農学部の研究次第、という点は伏せておく。

「それは偉いですね…」

 対するユリは上っ調子の生徒のようだ。

「蔑ろにしてはいけませんよ。先ほど爽平さんが言っていた勉強と同じくらい、田畑を耕すというのは人間形成の上で重要なんですから。ほら、cultureという言葉にも【耕す】という意味があります。土まみれになってこそ人は成長するんです」

 勝手に引用されたが、おそらくこれがヒメ家の教育だったのだろうか。しかしcultureという言葉にそんな意味まであったとは知らなかったな。

「わざわざ土に汚れてまで、私は人格者になろうとは思わないなー」

 確かに土をいじって人格が育つという論理には賛同しかねる、が……


「誰かもそんなこと言ってたな……」

 ふと何気なく呟いてしまった。さて、誰がそんな事を言ったんだっけ。

「あら、爽平さんのお知り合いにもそのような素晴らしい方がいらっしゃるんですね」

 ああ、あの男だ。

「そのサツマイモを俺にくれた奴だ」

『自分の手を汚してこそ、それは自分の糧となる』確かあいつはそう言っていた。ふと気になって自分の手を見てみる。何も汚れていない。それはそうだ、定食屋に帰ってきてしっかり手を洗ったからな。衛生面に関してヒメはなかなか小うるさい。

「それにしても、あの日の爽平さんは汚れまみれでしたね」

 厨房で、ヒメが微笑する。

「そうだな。あの日は火を消すためにわざわざ壁まで壊したからなぁ、身体中漆喰と灰まみれだったなぁ」

「うわぁ、きったない」

 そう、あの時は無我夢中だった。が、なんとか火を消す事ができたんだっけ。あれは詰まるところの『自分の手を汚してこそ自分の為になる』ということなのだろうか。

「本当に幸運でしたね。受水槽が隣にあった事と、隣室の文道さんが壁に穴を開けた事。それであの策を思い付いたんですよね」

「そうだな……あいつのおかげで壁に穴を開けるなんて発想が……」  

 途端に、脳に一閃が横切る。何か見落としているような……。

 考えを巡らせようとしたその時、突如ブザーが鳴る。厨房脇の持ち帰り用出窓からだ。

「俺が行くよ」

 はぁ、と溜息を漏らし、俺は椅子から立つ。ヒメやユリが居る厨房から出窓の方へ回るのは少々面倒だ。一番近い俺が対応するか。

 のそのそと小部屋へ向かう。が、外には誰もいなかった。

「あれ、お客さん居ないぞ?」

 誰かが悪戯でもしたか。外には下校中の女子中学生が数人組で歩いているだけだ。会話が盛り上がっているのか、身をよじらせながら笑っている。が、よく見るとその手に黄色い物を握っている。

「あれ、防犯ブザーね」

 隣から、ひょっこり顔を突き出してユリが言う。

「防犯ブザー?」

「うん、最近この辺りで不審者が出るらしくってね、昨日から周りの学校で生徒に配ってるんだって。私ももらったし」 

 そう言ってユリはポケットから青色の防犯ブザーを取り出した。もらって数日も経たないはずなのに、すでにプラスチックの外装にはキャラ物のシールが貼られていた。生意気言いつつも、中学生女子であることに変わりはないか。

「たぶん間違ってピンを外しちゃったんじゃない?昨日も教室で友達のベルが鳴っちゃってね、びっくりしちゃったんだから」

「なるほど」

 すると先ほどの甲高い機械音は呼び出し用ブザーではなく防犯ブザーの音だったのか。この家に来て数日しか経っていない俺にしてみれば、どちらも同じに聞こえてしまう。 

 ここで、また頭に一閃が走った。何か見落としている、というより、気付いていないような気がする。

「あらユリ、その話は初耳ですよ」

 厨房から、鋭い一言が飛ぶ。

「そういう大事な事は家の人にもきちんと説明しろと先生に言われませんでしたか?」

「あ~、ごめんごめん、すっかり忘れてたよ」

 ユリは愛想笑いで応じたが、隣にいる俺には「いつまでも子供じゃないんだから」と不服を漏らすのが聞こえた。

 2人のやり取りを頭から排し、記憶を探る。

 

 そこでようやく閃きが起きる。 

 どうして今まで気が付かなかったのだろうか。

 一瞬の閃きを逃さないよう精一杯脳を回転させる。考えろ。あの時を思い出せ。犯人なのは間違いない。どこかに不審点があったはずだ。

 埃まみれの消火活動、ブザーの聞き間違い……記憶が、穴を埋めていく感覚だ。

 そこで、一つの考えにたどり着く。ヒメとユリはしばらく押し黙っていた俺を心配そうに見つめていた。

 そしてさらに考える。証拠を掴まなくては。 

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