第5話 急がば回れ
翌日、1、2限の講義が終わると急いで図書館へ向かう。
4ヶ月前、この大学で起きた横領事件は、それこそ問題となったが、そこまで世間の興味を引かなかった。全国新聞の記事に載っていた情報はどれも同じだった記憶がある。今朝ヒメに聞いてみたが、地元の新聞でさえあまり大きく報道しなかったらしい。
新聞閲覧コーナーを横切り、1階奥の受付カウンターを目指す。
「あら、どうしたのよそんなに急いで」
横から声がかかる。見ると、偶然にも新聞を広げてソファに座るハナがいた。
「ああ、急いでるんだ。後でな」
ハナのムッとした表情を尻目に、歩みを速める。
昨日の夜、葦田はこう言った。『あえて遠回りしなければならない』
『意思の履行に際して犠牲を厭んでなんかいられない』そして『彼ら』――。あの男の言葉がこの事件に関係あるとは思えない、が、万策尽きた今、少しでも気になれば調べてみる価値はあるかもしれない。
急がば回れ、か。回る道を見つけたのなら、後は急ぐしかない。
「すいません、新聞部のバックナンバーってどこに置いてありますか?」
カウンターの司書に聞く。
「それでしたら4階に『学内刊行物』の部屋がありますので、そこで過去5年間のバックナンバーが閲覧可能ですよ」
迷うそぶりも見せず簡潔に説明する司書。礼を言って4階へと向かう。
階段を上っている途中で、ハナが後ろから声をかけてきた。わざわざついて来たのか。
「ちょっとあんた、そんなに急いでどこに向かってるのよ」
「この大学での出来事を知りたいなら新聞部が発行している『満大月報』が一番詳しい。前にそう言ってたよな?」
「ええ、まぁ」
「俺たち、これまで色んな奴らに情報を聞いてみたけど、これといって役には立たなかった」
ハナがもの哀しげな目をして頷く。
「だが俺たちが聞いたのは物事の表面部分だけだったんだよ。あの火災には、もっと内面的な事情があるのかもしれない」
「内面的な事情?」
「総務課の柳田が激怒したのは俺たちに対してだけじゃない。あの口ぶりからすると過去に何かあったんだ。そして学生の多くは大学側、すなわち総務課の人間に対して特殊な感情を抱いていた」
「それら2つと男子寮での火災が繋がっているっての?」
「それを今から調べるんだよ!」
最後の2段を一気に駆け上がり、奥に進む。『学内刊行物』の部屋はすぐそこだった。中に入り、端から棚を調べていく。
「あった」
『満大月報 バックナンバー(月別)』
柳田の発言を思い出す。何か時期を示す言葉を。
「そうだ、思い出した」
今から3年前に相当するであろうバックナンバーをいくつか机に広げる。
「で、何を見つければいいの?」
「男子寮に関する記事だ。もしくは、大学側と学生側での軋轢や衝突があったか調べてくれ」
「わかったわ」
そこからお互いに無言になって満大月報のページを繰り続ける。学生の新聞だと高を括っていたが、思いの外ページ数は多く、調べ始めてから二十分は部屋に紙の擦れる音だけが響いていた。
「あった!3年前の5月14日、『男子寮にて取り壊し反対争議』これじゃない!?」
ハナの隣に駆け寄り、紙面を見る。
『【男子寮にて取り壊し反対争議勃発】 総務課が検討している男子寮の取り壊し計画に関して、自治委員会は今月10日、反対する学生の意見を取りまとめ、総務課に提出したことを発表した。総務課はこれに対し「厳正な対応を取る」とコメントしており、男子寮取り壊し計画の破棄、維持については明言していない。取り壊しの理由として大学側は寮運営の大幅な赤字・寮内における風紀の著しい悪化を挙げている。
男子寮の43代目寮長は「大学寮は貧困学生にはなくてはならないもの。男子寮の取り壊しは学問という学生の権利の侵害である。体制側の横暴には屈しない」と断固たる対応を重ねた。』
これだ。男子寮と総務課の因縁はこの時点で存在していたのか。
「男子寮は今もあるじゃない。ということはこの騒動は学生側の勝利に終わったてことかしら」
「もう少し後の新聞を見てみよう」
それからまた2人で爾後の新聞を調べていく。男子寮の記事は載っているが、何か真新しい動きはなく、学生側と大学側の話し合いが平行線を辿っているようだった。新たな動きが起きたのは同じ年の9月だった。
『【男子寮の取り壊し計画、白紙撤回 学生側の勝利に終わる】総務課は今月5日、学内掲示板にて男子寮取り壊し計画の白紙撤回を表明した。撤回に至った理由は明示されていないが、学生による反対運動の激化が引き金になったと見られる。またこれに際して自治委員会の荒木会長は「総務課の対応を尊重する。男子寮の学生諸君は自らを律し、風紀・風俗の改善に自主的に取り組むことを期待する」と述べるにとどまった。』
「男子寮の取り壊しは以前から議論されていたのね。でも一つ気になるのは寮内の風紀よ。総務課と自治委員会がここまで言及するなんて……あっ」
ハナが小さく声を上げる。
そう、横領事件だ。この大学には闇がある。この記事はそこに男子寮が一枚噛んでいるという仮説をもたらした。
これでやっと一つ前進だ。が、これだけじゃ足りない。この大学が孕む問題はこれ以外にもある。そこを調べなければ核心にはたどり着けない。急がば回れ、だ。焦る気持ちを抑え去年の12月号を棚から取り出す。探す間もなく、目当ての記事は1面に掲載されていた。
『【大学備品を盗犯 理学部学生ら逮捕者】
今月9日、学内の備品を不正に横領、販売していたとして理学部の学生ら10余人が逮捕された。逮捕された学生らは研究室内の薬品や実験器具を不正に入手し、学内で違法に販売していたとみられる。捜査に携わった警察関係者によると、備品の盗犯、販売に関わった学生以外にも、購入者や学外に横流しした学生など、関係者はさらに大きく膨らむものと見ている。』
盗犯事件は既に全国紙でも取り上げられていることもあって、記事の内容に目新しい点は見当たらなかった。が、記事を細部まで何度も読み返す。
「大学側が言ってた風紀の乱れってのはこの事と関係があるのかしら。でも今更それを知ってどうなるのよ」
隣から新聞を覗き込みつつ、ハナが問う。確かにそうかもしれない。が、さらに新聞を読み込む。
すると、見つけた。決定的とは言い難いが、手掛かりが。
一応他の月に刊行された新聞も見てから、ハナに向き直る。
「ハナ、もう一度黒井会長に会わせてくれ」
「えぇ?いきなりそんな事言われても困るわよ……」
と、そこでハナは言葉を切り、神妙な顔つきになる。
「何かわかったのね。でもなんでうちの会長なのよ」
「1月号の最後にはこう書かれている。『関係者はさらに大きく膨らむものと見ている』」
俺は紙面の一節を指で示す。
「だがな、それ以降新聞にはその続報は何も取り上げられていない。つまりその後逮捕者は出ていなかったことになる!」
「単なる誤報だったんじゃじゃないの?」
「だとしたら謝罪文ぐらい載せるだろ!あの新聞部がそういう適当な書き方をするとは思えない。あの火災事件の時は俺の事を徹底的に調べ上げた癖にな」
「じゃあ会長じゃなく新聞部に直接聞けば……」
俺は満大月報の1面を見せる。
「これは第2版だ!つまり上からの指示で口止めされて改稿したんだ!」
そう、満大月報12月号の一面、その下部には小さな字で『第2版』という文字が書かれていた。
「どのような事情があったのかは分からない。だが何もなければこんな不自然な記事にはならない」
そう、これは体制側への新聞部の密かな反抗なのかもしれない。なんたって個人情報という概念を持たない奴らだ。上からの指示でおめおめと引き下がる事はないだろう。
「新聞部は学生団体だ。ってことは大学じゃなく自治会の管轄だろう。どんなやり取りがあったかわからないが自治会からあの新聞部に話があったはずだ」
ハナは黙って新聞を読み返している。
「ハナ、頼む。お前の力が必要なんだ」
しばしの間。それからハナは新聞から目を離し、俺の目を黙って見る。
「わかったわ。でもこれが最後よ。もし見当はずれだったら自治会での私のキャリアも危うくなる。それに、あんたも退学ね」
「ああ、覚悟はできてる」
ハナは黙って携帯電話を取り出し、電話をかけた。
*
学生会館の自治会会長室。三日前と同じく、黒井会長は部屋の中央に座を構えて書類仕事に精を出していた。先ほど図書館で得た発見をハナが説明している時も、その手は止まることはなかった。
「……つまり、自治会がなんらかの形で新聞部に圧力をかけたのではないか……という仮説に至りました」
会長に向き合うハナは、心なしかいつものような凛々しさは感じられなかった。一方の黒井会長は相変わらず寡黙な風体を崩さなかった。が、ハナの説明が終わると同時に顔を上げた。そして
「なるほど、お見事だよ」
きた!
ハナと同時に身を乗り出す。
「説明してください。俺には、事情を知る権利がある」
黒井会長はわずかに思案し、頷いた。
*
「あの事件はね、とても一言で言い表せるほどのものではないんだよ。事件に関わった学生を決して悪だと言うことは僕の立場からは出来ない」
「どういうことですか?」
ハナが尋ねる。
「彼らはね、全員が苦学生だったんだ。それこそ、犯罪を犯さなければならないほどに切迫した身だった。学生寮の1部屋を数人で共有したり、1日中アルバイトに明け暮れたり……」
「でも、そんなのは彼らの事情だろ」
「そうさ。だから自分のため、犯罪に手を染めるのも彼らの事情さ」
言葉を失う。
「でも、そこまで逼迫した状況に陥る前に必ず救済の手があるはずです。大学の補助金や奨学金だって……」
「それはどうかな?ここ満城大学は数年前から改革の途に歩んでいる。ハナさんもよく知っているだろ?」
「……財政難に伴う、財政緊縮策」
「そう、君達も学生生活を始めて身に染みてきているだろう。この大学には今金がない。その皺寄せは社会保障、詰まるところ苦学生への経済援助へ向かうことになった」
「そんな!」
ハナは声を上げる。
「さすがに君も感情的にならざるを得ないか。でも考えてみてくれ。大学は営利企業ではない。資金の獲得経路は制限されている。その中でキャッシュフローを生み出すには入学者の増加・産学連携しか道はない」
なるほど、この大学の露骨な入学者数の増加、施設拡充や多角化経営は生き残りを賭けた戦略か。企業から金を引っ張ってこれる者を優遇し、資本を積極的に投下する制度を整えた……
「そして足を引っ張る制度、すなわち苦学生への援助を停止した」
「その通り」
黒井会長は重々しく頷き、振り向いて窓の外を見下ろす。そこからは男子寮がわずかに見えるはずだ。
「それからだ。男子寮が弱者の受け皿となった。イギリスで救貧法が成立する前の教会、といった感じかな。アパートの家賃すら払えない学生たちが身を寄せ合って互いに助け合いながら生活をしていた」
「そこで、横領事件が起こった……」
「馬痩せて毛長し。彼らにはそれしか方法が思いつかなかったのだろうね。主犯にあたる人物はいなかった。そこに苦学生だけのコミュニティという土台があっただけだ」
「そんなに上手くいくものなのかしら」
「実際、数年間は大学側に感知されることはなかったし、彼ら寮生同士、ヨコの結束も固かった。キリストは居なかったが、ユダも居なかったんだ。高度に組織化され、しばらくすると安定的に金を稼げるようになっていた。そのおかげで大学院に進む者も居たくらいだ。寮生以外にあの事実を認知していたのは前任の自治会会長ぐらいだった。彼も1年の頃は男子寮に住んでいたからね。その伝で話を聞いたんだろう」
「しかし寮生の全員が犯行に加担していたわけじゃないんですよね?すぐに誰かが気付くはずじゃ……」
ハナが小さく呟く。
「気付いていたさ。あえて言わなかったんだ」
黒井会長の声がわずかに大きくなる。
「確かに実行犯は寮生の一部だ。だがあの寮に誰かを内部告発するという考えは存在していなかったと思うね。なぜか。もし事が明るみになったらそれは自分たちの居場所を失うことにつながる」
そうだ、新聞記事から察するに男子寮への大学の態度は強硬だ。争議の只中にあって悪事が発覚すれば、それは大学側に手綱を預けることにもつながる。そして、それは今でも同じだ。
「それに言っただろう、彼らは組織化され、多くの資金を得ていた」
含みのある言い方だった。それ故、何を意味しているのかも分かった。
「買収していたのか、他の寮生たちを」
黒井会長は質問に答えず、顔をわずかに伏せる。
「彼らの活動が最盛を極めた時かな、総務課が男子寮の取り壊しを計画したのは。大きな争議に発展したよ」
「自分たちのコミュニティを潰されるわけにはいかない。生活の糧を失うことになるからな」
「そう。彼ら寮生は徹底抗戦を貫いた。彼らのやり口は良かったよ。取り壊し反対運動を反体制運動にすげ替えたのさ。僕が言うのもなんだが、若者の多くは『体制』という言葉に生理的嫌悪感を抱くものだ。彼らはその嫌悪の情を上手く自分たちの利害とくっつけた。その時に『自治』という名目で総務課から寮のマスターキーを取り上げたのも見事だったよ」
それで新聞記事の内容に合点がつく。あの記事では明言こそしてはいなかったが、学生側の情を汲み、大学側の奸悪さを大に伝えるような主張があった。メディアは体制ではなく大勢に乗ずる、ということか。
そしてマスターキー。管理人と柳田が随分含みのある言い方をしていたが、これが原因だったか。
「だが悪は栄えない。しばらくすると彼らの悪行も白日の下に晒された。まさに一大スキャンダルだったよ」
4ヶ月前、総務課職員により備品横領の事実が確認されたこと。俺たちが合格通知を受け取った直後に起きた事件。
「でもあんた……の前任の会長は全員を告発しなかった。なぜだ?」
「無論、暴利を貪る学生は居たし、逮捕されたのもそういう奴らだ。だがな、罪を憎んで人を憎まず、とも言うだろ?彼らのほとんどは情状酌量の余地があった。他の学生のことも考えると、わざわざ事を大きくしたくはなかったんだよ」
「新聞部への圧力は大学の体面でもあったが同時に学生の為でもあった、と?」
「ああ、新聞部もさすがに納得してくれたよ。多少の反抗は、まぁ目を瞑るのが礼儀ってものかな」
それまで押し黙っていたハナが口を開く。
「話はわかりました。でもそれは寮が火事になる直接な原因にはなり得ないんじゃないですか?」
黒井会長は外の景色から目を離し、机の引き出しから書類を取り出す。
「去年、総務課の柳田という人物から依頼があった。『横領事件に関与した学生の1人を紹介しろ』とね。なぜ彼がそのことを知っていたのかは分からない。しかしこの事が関係しているとは思う」
黒井会長は向かって右に据え付けられた棚に向かい。本と本の間から1枚の紙を取り出した。キャンパスノートの切れ端に、新聞のスクラップが貼られている。記事のタイトルはこうあった。
『【男子寮にて争議勃発 警察と学生の一部が衝突】』
「これは横領事件が発覚した翌週の記事だ」
こんな事件まであったとは。見落としていた。
「一体なぜこんなことが起きたんですか?」
と、ハナ。黒井会長は椅子に座り直し、淀みなく喋る。
「警察から圧力があったんだろう、総務課が横領事件の繋がりが他にないか男子寮に乗り込むことを許可したんだ」
「それは当たり前のことですよね?何で衝突なんて起きるんですか」
ハナが食ってかかる。
「大学にはね、未だ治外法権てものがあるんだよ」
「治外法権?」
それは……歴史や社会の授業で習った覚えがある。
「厳密にはそんなもの明文化されてるわけじゃないけどね。大学は『学問の自由』ってのを維持するため、その自治を全うする義務を有する。そこに警察権なんてものは存在しない、ってのが大学原理主義者の意識にはあるんだ」
「じゃあ、総務課と争ったのはそういう人たち?」
「だろうね。ただ、一部を除いて」
そこで黒井は意味深な表情を浮かべる。
「横領事件に関わった奴らもか。寮には事件の証拠が残っているから」
「その通り」
「ま、騒乱はほんの数時間で鎮圧されて寮の捜索は実施された。が、何の成果もなかった。証拠を処分する時間は稼げたんだからね。新聞部のスクープは確実に幻のものになってしまったんだ。それにこの事件でだいぶ負傷者も出てね。関わったサークルの幾つかはお取り潰しになったりもしたよ」
黒井は滔々と述べる。
「じゃあこの事件で柳田はまだ逮捕されていない学生がいると察したわけね」
この事件で柳田は横領事件がまだ終わっていないことに気がついた。そして俺と同じように新聞部の記事から、その確信を得たのだろう。
「それで、教えたんですか?」
俺は気になっていたことを質問する。
黒井会長は飄々としながら、机の引き出しを探る。
「僕には選択肢がないよ。事実、彼らは不正をしたんだ。過去を無かっとことにしてまで庇う必要は無い」
黒井会長は書類を机の上に広げた。
身を乗り出して書類を見る。そこには見覚えのある名前が記載されていた。
『理学部大学院1年 安西歩』
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