#2「生きる価値」

八月上旬、蝉たちの鳴き声がピークに達するとき

地面に一匹の蝉がひっくり返っていた。

どうやら起き上がれないらしい。

必死に足を動かすがどうにも形勢逆転できない。

この蝉はこのまま死んでしまうのだろう。

まるで百円で買った飲み物を五分足らずで飲み干してしまうほどの

命の呆気なさに虚しさだけが残った。


しかし、それが自然の掟だ。

生物の赤ん坊の中には母親のいない自然で

生きてかなければならない生物もいる。


だが人間は違う。

江戸時代はやく六十年の命も

今では百年の命も可能な時代になった。


医療の発達は

治せなかった病を治すことのできる病へと変化し、

命はより安全な道へと擁護されていった。

それは人々の中で『長生きすることが幸せ』と浸透させた。



ただ、それは幻想の答えでしかない。

そもそも生物が生きる意味は繁殖することにあり、

長生きすればいいという答えは生物学的には間違っている。

人は本来、死ぬべき命が死なずして自然の掟に逆らっている。

その代償は老人から若者へと自殺という形で移行している。

命の価値は人によって軽視されることもある。

しかし、世の中は異常な状態が正常な状態になっている。


だから提唱する。



命の危険が少なくなった今、命の価値が曖昧になっている。

今こそ、命の価値を見直すべきだ。

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