第31話 別離 13

 いつも纏めている紅髪を乱して、ジャスティスの掌の上で眼を瞑ったまま反応していないマリーの姿がそこにあった。

 思わず、クロードはマリーの名を叫びたい衝動に駆られた。

 だが必死で堪え、


「へえ、そんなとこにいたんだ」


 何食わぬ顔をして、ふんと鼻を鳴らす。


「すっかり、忘れていたよ」

『……なんだと?』

「そういや、お前ら人質取っていたらしいな。そんなの、意味無いから忘れていたよ」

『……意味が無い? どういうことだ?』

「そのまんまの意味だよ」


 宙に浮いたままのクロードはその高さを維持し、ジャスティスに向かって歩みを始める。


 一歩。

 また一歩。


 まったく躊躇なく。


『ちょ、ちょっと待て! これが見えないのか?』


 ジャスティスは左手で、右手の中にいるマリーを指す。


「見えているさ。だから?」


 クロードは歩みを止めない。

 ジャスティス操縦者は焦りを隠さずに声に乗せる。


『だ、だからって……こいつはお前の大切な人物じゃないのか!』

「大切かどうかなんて、誰が決めたんだ?」

『そ、そいつらが言っていたことだぞ!』


 後ろ手で教室を指差す。


「……成程。クラスの奴らが、軍部にちくったんだな」


 視線をちらと教室に向ける。すぐさま、恐怖にひきつった声が聞こえた。


(俺が怖いなら、俺だけを売ればいい。なのにマリーを売りやがって……)


 心の中で憎悪を漲らせるが、しかし表には出さず、すぐに視線をジャスティスに戻す。


「じゃあ、あんたらの情報は正しいな」

『だったら――』



 髪を掻きあげ、クロードははっきりとこう告げてやった。


「今はそんな女なんか、全く知らねえよ。彼氏がいようがお前らに犯されていようが、俺には全く関係ない」

『我々はそんなことをしていない!』

「どうだかな。女を拉致したらやることは一つだろ?」

『貴様……我々軍人をなめているのか!』

「あんたはそうじゃないかもしれないけど、あんたの部下はそうじゃないかもしれないじゃないか。例えば、人の家を襲撃したりとかさ」

『それは……』


 少し言い澱んで、


『だ、だが、この少女はずっと私が拉致して、そしてこの掌に載せていた。そこに他の者が過ちを犯す余地はない! それどころか、彼女は睡眠薬で眠らせているだけだから、傷も付けていない。お前をおびき出し、そして、動きを封じ込めるための人質であるからな』

「べらべらと喋るな。言えば言うほど、嘘っぽいぞ」


 そう口にしながらも、クロードは内心、ほっとしていた。

 今のクロードは、嘘か真かを聞き分けることができ、そして彼の言葉に偽りはなかった。

 つまり、マリーはひどい目に遭わされてはいなかった。

 無表情を装いながら、クロードは一つ深い息を吐く。


「仮にそうだとしよう。問題はそこじゃないしな」


 クロードはまた一歩近寄る。


「要するに、お前はその女が俺に勝てるカードだと思っていたようだが、残念だったな。俺にとって女は時価だ。その時その時で大切か否かなんて簡単に変わる」

『お前……本気で言っているのか?』

「本気? 本心の間違いだろ?」

『お前、それって……大切に思っていないってことだろうが!』

「おや、どうしてあんたが激昂しているんだ? 説教なんてしたって、俺は歩みを止めないぞ」

『う、嘘だろ? こ、こうしたら止まるはずだ!』


 ジャスティスは右手を突き出し、掌に載せていただけのマリーを握り込む。


「う、うう……」


 気絶しているマリーから苦しそうな声が小さく漏れる。


(この野郎)


 思わず、叫びそうになる。

 駆けそうになる。

 しかし、どちらも行ってはいけない。

 ここでボロを出すわけにはいかない。

 これほど、一歩が重かったことは、一度もなかった。


「だからどうしたんだよ」


 クロードは耐え切った。

 歩みを止めず、平気な顔をして、ジャスティスにまた近づく。


 七メートル。

 近づく。


 五メートル。

 近――



『うわあああああああああああああ!』



 ジャスティス操縦者が狂った。

 人質が意味を持たないことを、ここでようやく実感したのであろう。

 狂った彼は、思わぬ行動に出た。


 握っていたマリーを、クロードに投げつけたのだ。


 紅髪が風に揺られながら、クロードに向かってくる。頭から突っ込んでくるのではなく、肢体を完全に投げ出した形で飛んでくる。

 その彼女を、クロードはまるで野球ボールを取るように、いとも簡単に捉える。正面から抱きかかえるような形になった彼は、マリーが定期的に呼吸を繰り返していることを確認する。どうやら投げられた衝撃でショック死などしていないようだ。眠っていたおかげであろう。


『動くな!』


 スピーカーから裏返った声が響く。

 見るとジャスティスはこちらを見ながら、いつの間にか手にしていた銃を校舎に向けていた。


『動くと今度は、こいつらを殺すぞ!』


 甲高い悲鳴が聞こえる。ふざけんなルード軍という罵声が飛び交う。嫌だという鳴き声が微かに聞こえる。

 阿鼻叫喚。

 中には、クロードに助けを求める者もいた。


「助けてくれ、クロード!」

「う、動かないでくれ!」

「お願いだ! なあ、俺達友達だろ?」


 ひどく都合のいい話だった。

 クロードに対し、皆はどのような態度を取って来たのか。恐れ、慄き、ジャスティスに囲まれているのを野次馬根性で見ていたじゃないか。掌返しもいい所である。


 ――しかし。

 クロードはそれでも、見捨てようとは思わなかった。

 どうにかして助けようと思った。


(本当……甘すぎて反吐が出るな。自分のことだけど)


 ふん、と鼻を鳴らし、クロードは言う。


「別にいいけど?」

『……何?』

「つうかさ、そんな有象無象な奴らを人質に取った所で何も意味無いぞ。そのつもりでここを俺の処刑場として選んだんだろうけどさ。いい加減気付きなよ」


 クロードは片手で頭を掻きむしり、掌を軽く見て小さく息を吐く。


「俺の人質になれるほどの大切な存在なんて、この世にはないんだよ」


 そう言って。


「――こんな風にね」



 クロードは抱えていたマリーを――

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