第26話 別離 08

 マリーを助けて。

 

 抑揚もなく紡ぎだされた、短い頼みごと。

 それだけで、クロードの心は大いに動揺する。


「どういうことですか?」


 心情を表に出さないように訊ねると、マリーの母親は淡々と答える。


「マリーは今朝、学校に行く途中に攫われたらしい。犯人からの電話で分かった」

「犯人が判っているんですか? 一体、誰なんですか?」

「判らない。名乗らなかったから」


 当然のこと。それすらも訊ねるとは、動揺している証拠である。それを自覚し、一呼吸置いてクロードは彼女に問う。


「では、その電話は何を伝えてきたのですか?」

「娘は預かった。返してほしくば、魔女の息子を学校まで連れて来い、と」

「……ああ、やっぱりそういうことか」


 マリーに関して何か隠していると知ってから、自分の所為で何かあったのだということは薄々気が付いていた。

 そして、学校を指定場所にしたということは、大々的に魔女の息子であるクロードを始末したことをアピールしたいのであろう。ならば犯人は自ずと判る。


「何処まで俺を掻き乱すんだ……ルード軍」


 歯の奥をギリギリと鳴らす。

 こちらに向かってくるのではなく、誘き出す。

 しかも、関係のない人質を使って。


(……いや、関係はあるのか)


 マリーはクロードが懸想している相手である。そこまでは分からなくても、クロードと一番仲の良い人物は誰かと問われれば、彼女の名前が出て来るだろう。

 だから、これはクロードの所為なのだ。彼女の母親に責められても文句は言えない。


「……そういえば」


 クロードは疑問を呟く。


「どうしてそのことを俺に伝えず、隠していたんだろうか……?」

「それは嫌だったから」


 クロードの小声を拾い、マリーの母は事務的な声色で答える。


「嫌だ? 俺に伝えるのが?」

「そう」


 彼女は首肯する。


「伝えたら、クロード君は確実にマリーを助けに行く。そうなったら、多分、クロード君は死んでしまう。そんなのは駄目」


「……いやいや」


 クロードは呆れたように額に人差し指を付ける。


「俺なんかよりもマリーの方が大切でしょう。何でそうなるんです?」

「マリーと同じくらい、クロード君も大切」

「お世辞じゃなくて、正直に話して下さい」

「お世辞じゃなくて本心だよ」


 彼女は首を横に振る。


(……嘘をついてない、のか)


 だからこそ、クロードは理解できなかった。


「どうしてそんなことをするのです? 俺は他人でしょう」

「他人じゃない。クロード君は親友の息子」


 そこで彼女は少し表情に翳りを付ける。


「あたしはユーナがひどい扱いを受けていたのを知っていた。だからせめて息子のクロード君には、普通に暮らしてほしかった。でも、マリーがこのままじゃ、どんな目に遭わせられるか分からない。助けてほしい。だけど、ここで助けに行けと言ったら、それは絶対に実現できなくなっちゃう。だからあたしは、クロード君に頼むかどうか迷って、言い出せなかった」

「……そういうことですか」


 言葉を聞いて、クロードは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 クロード自身も、彼女のことは本当の母親のように思っていた。幼い頃はそれ故に、時たまお母さんと呼んでしまうこともあった。だけど、それはクロードだけの片想いだと思っていた。そんな風に思われるのは迷惑ではないかと思っていた。

 正直に嬉しかった。

 だから――


(――よし)


 クロードは、あることを決意した。

 ずっと迷っていた、あることを。


「……ありがとうございました。質問はもう終わりです」


 その言葉の直後、マリーの母親は、ハッと意識を取り戻したように眼を見開く。


「あんた……」

「ああ、その様子はやはり覚えていますか。忘れろ、とは言っていませんからね」


 空想上でよくある洗脳系の能力とは違い、クロードが能力を使用している間の記憶は残っている。


「また一つ実験できました。ありがとうございます」

「あんた……訊いたのね?」

「聞きました。強制的に」


 右手で髪の毛を掻き毟りながら、彼は言い放つ。


「こんな非人道で非道な能力が俺には備わっています。だからこそ、もう関わらないで下さい」

「そんなことを……」

「ああ、安心して下さい」


 クロードは掻き毟るのを止め、その右手を思い切り振り降ろした後、歩みを始める。そして、マリーの母親の横を通り過ぎる時に、彼はこう口にする。


「必ず、このようなことをした軍、そして命令を下したアリエッタは始末しますから」

「……クロード君!」


 マリーの母親はクロードの方へと向き直る。


「あんたには、普通の生活を……」

「そんなものは、もう無理ですよ」


 彼は振り返らない。


「俺にはこの能力がある。だから、憎きものを破壊できる。例えば――母さんを殺した、ジャスティスだとか」


 ジャスティスを破壊する者。

 ジャスティスブレイカー。


 ……悪くない。


「それを邪魔する者は、誰であろうと容赦しません。あなたでも、そして……

「あんた、何を考えて――」


 マリーの母親が彼を捕まえようと一歩踏み出した。


 ――その瞬間だった。



 


 小さく何かが弾けた様な音が鳴った。


「何で……?」


 絶句したマリーの母親の声が聞こえる。

 恐らく、その視線の先には、クロードの家が移っているだろう。



 



「何で……燃えているのさ!?」


 その質問に、クロードは顔を見せずに、背中を向けながら両手を広げる。


「俺が燃やしました」

「何してんのさ! あんた、この家はユーナとの思い出が……」

「どうせ俺がいなくなったら燃やされるでしょう。だったら、自分の手で燃やした方がまだマシです」

「だからといって、燃やすなんて……」

「ああ、安心して下さい。その火は、ウチ以外には燃え移りませんから」


 クロードの言う通り、周囲に木々がなぎ倒されているのにも関わらず飛び火していない。


「そんなことは関係ない! 待ちなさい、クロード君!」

「言ったでしょう」


 ――バリン。


 そこでタイミング良く、窓ガラスが割れる。


「……ッ!」

「俺の邪魔をする人は、誰であろうと容赦しないと」


 クロードはゆっくりと歩を進める。


「この家も、邪魔なんですよ。思い出ばかりで、守りたくなる」

「だったら……守ればいいじゃない!」


 その言葉にクロードの歩みが静止される。そして彼は、大きな溜め息と共に言葉を紡ぎ出す。


「だから守ったんですよ。他人に汚されず、自分の手で」

「そんなの守ってなんか――」

「そういう守り方もあるのですよ。守るために、切り捨てる」

「……」

「だからこそ」


 そこでようやく、クロードは振り向いた。


「先のことで先にあなたに謝っておきます」

「え……?」


 放心の彼女に対し、彼は短く頭を下げる。



「――



「……え?」

「それじゃあ」


 そう言うと、クロードは駆け足で山を下って行った。

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