第6話 覚醒 05
◆
所変わって、都市カーンの外れにある、ルード軍基地。
海に面した場所に築かれていたその基地には海軍のみならず陸軍と空軍も常駐しており、諸外国からは【アドアニアの鬼要塞】との別称で呼ばれるほどの堅強さを誇っている。その異名を強調する出来事として、要塞の真上を通る鳥は全て撃ち落とされ、小鳥すらその場所には近寄らなくなったという、嘘みたいな事実があった。
その要塞の真ん中に位置する、半球状の金属の建物。空をそのまま映すほどに磨かれたその建物の中心部に位置する部屋。
その部屋に一人の軍人が入室する。疲れ果てた様子のその人物は、先刻にクロードを説得しようとしていたジェラス大佐であった。彼は説得に失敗したり、その原因となった部下が他の部下に責められるのを庇ったりなど色々と心労が溜まっており、少し休憩をしようと誰もいない会議室で一服しようと思って入室した。
――のだったが。
「なっ……」
持っていた火のついていない煙草を落とし、彼はさらなら疲労感を一気に与えられる。
その会議室には先客がいた。
女性――肩口で揃えた規律正しい銀髪は彼女の性格を表しているように感じさせ、蒼く美しい瞳は書類を走っている。見目麗しく、ジェラス大佐とは明らかに一回りや、下手をしたら二回りも下の、若い女性。彼から見れば少女と言っても間違いではないであろう。
「し、失礼いたしました!」
そんな明らかに年下な彼女に向かって、即座に彼は背筋を伸ばして敬礼する。
まるで――目上の者に対する態度のように。
「いえ、こちらこそ失礼いたしました。この会議室をお使いなのでしょう?」
物静かにそう言葉を放ち、女性は資料を持って立ち上がろうとする。
「い、いえ! 私用で使用しようと思っていただけですから、ぜひお使い下さい」
「そうですか。では遠慮なく」
彼女は座って引き続き書類に眼を通す。
「あ、あの……」
「何ですか? ジェラス大佐」
「わ、私の名前をご存知なのですか?」
驚きを示すと、彼女はしれっとした様子で告げる。
「あなたはこの基地では上から数えた方が早い方です。名前を存知ない方がおかしいかと」
「そうなのですか」
「そうなのです」
顔を上げないでそう返答を続ける彼女。ジェラス大佐は恐る恐る訊ねる。
「あの……どうしてあなたがここにいるのでしょうか?」
「いてはいけないのでしょうか?」
「いえ……しかし、アドアニアにいらっしゃるのは来週ではなかったのですか?」
「急遽早めたのです。式典は来週ですが、少し調べたいことがあったので」
彼女は書類の手を止め、一つの紙切れをジェラスに向ける。
「例えばこの件――『魔女の家』」
「それは……」
「成程。あなたが担当しているのですね」
口の端を少し上げ、女性は書類を戻す。
「魔女の家……『魔女』ですか」
ふふふ、と含み笑いを彼女は浮かべる。
「どうしてこのようなことを、軍が行っているのですか?」
「それは……この国で一番、有名ですから……」
「有名だったら、この家を資料として、軍に寄贈してもらおうと働き掛けるのですか?」
「あの、それは……」
ジェラスは黙り込む。実は彼自身も、どうしてあの家を資料とするのかよく判っていなかった。上に言われただけで、仕方なく部下に行わせていたが、何年も片が付かないので、昨日に初めて資料に目を通し、翌日に向かっただけであった。
故に彼は自信がなさそうに、自分が思いついた――あの時、クロードに告げた時に考えていた推測を口にする。
「恐らく、あなたがこの国で視察を行う際に、その家を見学させようとしたのではないのでしょうか?」
「私が? 何のためにそこに行くのですか?」
「あの魔女は、わが国がこの国に攻め入った原因の一つです。故に、魔女が生前暮らしていたあの家は、あなたも興味あるかと――」
「興味はありません」
通った声で彼女は否定の言葉を割り込ませる。
「私のためにそのようなことをするのであれば、そのようなものは全く必要としません。ですからそのような理由であれば、これは全く無駄なことです」
「わ、分かりました」
と、言いつつも、ジェラスは内心では自身の推察を口にした時点である程度矛盾を感じ取っていた。
魔女の家を手に入れよ、と彼が命を受けたのは、アドアニアに異動になった直後――魔女が処刑されてから間もない時であった。期間は問わないとあったため優先順位を低くしてやってきたのだが、最近になって急に上から急ぐように命じられたのだった。彼女が来るからではなかろうかと当たりを付けていたが、彼女にそのような興味がないことからそれは否定された。そもそも、彼女が要因であったら、命令を再びした時にその旨は伝えるであろう。それをしなかったということは、軍は他の何かの要件で魔女の家を手に入れようとしていた、ということである。しかも、彼女の来訪とは関係ない理由で。
「……魔女の家、ですか」
今度はひどく静かに、彼女はそう呟く。
「そうですが……どうなされました?」
「寄贈などしてもらわなくて結構です」
「はい……え、はい?」
「必要などない、と言っているのです。ああ、興味がないというのは訂正ですね。気にはなります。何故ならアドアニア国民に不安を与えている、魔女の住処だったのですから」
「それは……その通りですが……」
「ならばむしろ、魔女の家などとアドアニア国民に不安を与えるなら、資料にするよりも消え去った方が国民のためです。そう思いませんか?」
そう言うとジェラスの反応も聞かずに、彼女はその資料を真っ二つに破った。
「魔女の家。そんなものは潰してしまいましょう。国民のために」
「で、ですがあの家には人が……」
「魔女の息子ですね」
破られた資料に残っていた顔写真の部分を指差すと、彼女はそれを今度は横から半分に裂く。
「魔女の息子であれば、人々から畏怖されているでしょう。それならば彼も、この世から消すべきです」
「ですが、彼は一般人でして……」
「魔女の息子が『一般』ではありません。そして『人』でもありません」
そう言いきって、彼女は命を下す。
「ジェラス大佐。魔女の家を破壊して下さい」
「いえ、それは……」
難しい。
何故なら、一応は一般人の家である魔女の家を何の理由もなく破壊することは、器物損害などの罪に問われることが間違いないからである。
そう提言しようと彼はしたのだが、
「――私の視察には、軍事演習も含まれていますよね?」
唐突に、彼女はそう訊ねてくる。
「はい。その予定となっておりますが……」
「軍事演習には勿論」
彼女は下唇をひと舐めする。
「ジャスティスも用いられますね?」
「はい。その通りですが……」
そこでジェラスは、彼女が何を言いたいのか、ようやく気が付いた。
「……まさか、あなたが考えていることは……」
「そういうことです」
彼女は立ち上がり、バインダーの中からジェラスに一枚の紙を渡す。
「式典のための軍事予行演習として、ジャスティスの使用を許可します」
「そ、それは……」
ジェラスは驚愕の表情を浮かべる。それを見て、女性は微笑む。
「大丈夫ですよ。あなたが行う必要はありません」
「……というと?」
「ジェラス大佐」
一つ咳をついて、彼女は言の葉を紡ぐ。
「あなた程の方が、たかが家を寄贈させることすらできなかったとは、私は思っていません。きっと経験のために部下にその交渉を行わせたのでしょう。しかし、その部下はあなたのそのような期待にも関わらず失敗した。――そんなところでしょうか?」
「……」
言葉が胸に刺さり、ジェラスは下唇を密かに噛む。その様子を知ってか知らずかは分からないが、女性は微笑みを続ける。
「全く仕方ない部下ですね。ですがチャンスを上げましょうよ。彼か彼女かは判りませんが、その部下を式典での演習者に加えます。急に選ばれた部下は必死に練習しました。夜にこっそりジャスティスを起動させてまで。そして彼は夢中になり過ぎて魔女の家の近くまで行ってしまいます。そこでふとしたはずみで――」
「ジャスティスで踏み潰す、と」
「きちんと分かっていますね」
そう言って、にっこりと女性は微笑む。
その笑顔に、ジェラスは背筋が凍った。
先程、彼女が口にしたことを実行すれば、アドアニア国民からのルード軍に対する批判は避けられない。だからこそ、実行した部下と、ジャスティスの管理者の幾人かが見せしめに処刑される。彼らの責任として。
そしてジェラスも――
「ああ、ジェラス大佐。『使用する』部下の名前を教えて下さいね。適当な方の下に異動させますから」
(……もう駄目だ)
その言葉で、ジェラスは完全に悟った。
彼女は冷酷で残酷で、かつ、犠牲を伴いながらも適切な対処を行う。そこに情など何もない。そのような彼女に逆らうことは、底の見えない崖下へと飛び込むようなものである。
「……分かりました」
ジェラスは屈した。
その返事を聞くと、彼女は満足そうに頷き、再び自分の席へと戻って行った。
これだけのやり取りで幾人かの命が無くなるというのに、平気な顔で。
(流石、魔女と呼ばれているだけは――)
「どうかしましたか?」
「いいえ。何もありません」
内心を見透かされたかと冷や汗を掻きながら、ジェラスは恭しく頭を垂れ、畏怖を込めて彼女の名前を口にする。
「――アリエッタ元帥」
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