外伝 剣豪が生まれた場所 -05
◆
キングスレイが長期遠征で家を離れている時だった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
スティーブは肩で息をしながら、鍛冶場の土間に座り込んだ。
彼は一流の鍛冶職人だ。疲労はあっても鍛冶の途中でそんな行動はしない。
故にこれは異常だ。
その様相に気が付いたのは、水分補給の為にちょうどその時に鍛冶場に入ってきた妻だった。
普段おっとりとした彼女は血相を変えて駆け寄る。
「あなた! 大丈夫!?」
「はぁ……何でもねえよ……」
「嘘言わないでくださいよ。長時間やったわけではないのにこんなに汗だくで……具合悪いのですか?」
「ああ、そんなことはねえ……って、お前に誤魔化しても仕方ねえな」
スティーブは肩で息をしながら顎で前方を示す。
そこにあったのは黒い塊。
「まさかあれは……」
「ああ、お前は搬入の時に買い物に出ていていなかったからな。初めて見たと思うが絶対に近寄るなよ?」
スティーブは真剣な声で告げる。
「あれは――命を吸う魔石だ」
「あれが……」
妻も話は聞いていた。
だが眉唾物だと思っていた。
命を吸う魔石なんて、そんな物質がこの世にあったらそれだけで世界は変わるだろう。
しかしながら、目の前の夫の様子を見て、それが嘘だとは思えなかった。
「叩いても熱しても冷やしても、何してもびくともしねえ……しかも近くにいるだけで疲労感が半端ねえ……
命を吸い取られるって表現も納得だな」
「そんな……」
妻の顔が青ざめる。
「だったらそんなことしないでください!」
「はん! それは無理だな!」
スティーブは鼻で笑い飛ばした後、優しく微笑む。
「……分かってんだろ? 俺がここで諦める人間じゃねえって」
「分かっているからこそ、止めるんじゃないですか」
だってそうでしょう、と妻は夫の目を見る。
彼の眼は、まっすぐ、キラキラとしていた。
命を失うかもしれないという恐怖感ではない。
未知の物質。
思い通りにならない物質。
それが目の前にあるということは、即ち可能性が目の前にあるということなのだ。
「俺は最高の剣を作る」
最高の剣。
「どんなに斬っても折れない、劣化しない、夢のような剣が作れるかもしれねえんだ!
だったら挑戦するっきゃねえだろ!」
「でも……本当に命の危険があるかもしれないんですよ!?」
「だからどうした!」
スティーブは頭を振った。
「俺は文字通り命を張って鍛冶をずっとしてきた。そんなの今更だろう!?」
「今更ですけど……はあ」
妻はそこで溜息を吐く。
「以前はそんなに頑固ではなかったのですけど、今回は引くつもりはないのですね?」
「ない!」
「それは……あの子のためですね」
妻は悟った。
夫は今まではある程度は妥協して生きてきた。それは生活のためでもあり、
作る剣が飛ぶように売れて、政治的にも権力を意図せずに持ち始めた頃から、
彼のモチベーションはみるみる下がっていった。
これでいい。
これで満足だ。
そんな夫の様子を、妻は少し寂しく思っていた。
しかし、彼が来てから一変した。
「……最初はな、あいつ、引き取るつもりなかったんだよ」
スティーブは、ぽつりと語った。
今まで、妻に対しても言っていなかったことだ。
「最初はな、冷やかしのつもりだったんだよ。戦闘のど真ん中で一個師団やっている若い奴がいるって。そいつが命令違反で収容されているってね。どんな顔をしているか見に行っただけだったんだよ。でも……あいつを見て、一目で分かったんだよ。ああ――こいつ、強いな、ってな」
そっからある意味興味を惹かれたのかな、とスティーブは頭を掻く。
「極めつけが空腹とか極限状態のときに『剣が欲しい』って言いやがったんだ。こいつはもう、なにくそ! って思ったよ。剣のせいにするんじゃねえ! って怒鳴ろうかと思った」
だけどな、とスティーブは苦笑する。
「そういう気持ち、すぐに無くなっちまったけどな。逆にこいつに見合う剣を作ってやりたいと思っちまった。あいつは世界一の剣の使い手になる。俺はそう直感した。だからそんなあいつの手には俺の剣があってほしい。俺は――世界一の剣士の剣を作った鍛冶屋になりてえんだよ」
スティーブは既に世界最高峰の鍛冶屋と言われている。
しかしそれでは彼は満足しなかった。
それは、何をもって世界一なのか、分からなかったからだ。
「だけど俺はまだあいつに相応しい剣を作ってやれてねぇんだよ。あいつの力に見合う剣をな。だけど……目の前のコイツはそんな剣になるっていう素材だ。間違いねえ。俺には分かるんだ!」
そう言って彼はふぅーっと大きく息を吐く。
「文字通り全身全霊――俺の命を懸けてでも、この剣を完成させる! 誰にも邪魔はさせねえ! それはお前であってもだ!」
「……邪魔なんかしませんよ」
「ならいい――おい、お前何を!?」
彼が止める暇も無く妻は黒い塊まで近寄ると、その手でむんずと掴んだ。
「馬鹿野郎!」
「きゃっ!」
スティーブが力任せに妻の身体を黒い塊から離す。
「邪魔をするなって言っただろ! お前の体調が悪くなるとこっちの体調も悪くなるんだよ!」
「ふふふ……その言葉、私にとっては嬉しいことしか言っていないですよ。そして分かったでしょう?」
妻は薄く笑みながら告げる。
「強い思いがあれば、こんな魔石になんて負けないんですよ」
「強い……思い……?」
「あなたへの、そして、あの子への思い。そんなの、命を吸い取ろうとするこんな石ころよりも強いに決まっているじゃないですから」
「んな馬鹿な……いや、ちげえ!」
唐突にスティーブは頭を振る。
「あれだけ離れていても命を吸い取るって感じる程の強烈な感覚に襲われるってのに普通にしている……強がりでも有り得ねえのはこの俺が体感している……ってことは……」
ガン、と。
スティーブは唐突に自身の顔を殴った。
「あなた!?」
「覚悟が足りねえってことだよ! 俺の!」
だらり、と額から血が流れ顔面を赤く染める。
しかし、スティーブはそんなことを全く気にも止めずに慟哭する。
「俺は何だ! 本気とか口だけで恥ずかしい! 何が命を懸けて、だ! あーもうすっきりした!」
天井に向かって吠えていた彼は突如、ニッと笑みを浮かべた。
「ありがとうな。これで踏ん切りがついた。中途半端な覚悟はそりゃ命を取られても仕方ねえよ! っていうかもってけよ! こんな命!」
スティーブはガッと魔石を掴むと、そこに向かって槌を叩きつけた。
「かかってこいや!」
そこから彼は、鬼気迫る表情で寝る間も惜しんで作業に打ち込んだ。
幾夜も、幾夜も。
命をすり減らして――
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