第368話 真実 29
ユーナ・ディエル――母親は、クロードの手を引いて森の中を小走りし、そして他国へと繋がる明るい街道まで出てきていた。そこには今まで見たことない二足歩行型ロボット――ジャスティスの姿を目撃して逃げる人々の姿があった。本来であれば避難放送や勧告などがあってから行動すべきであるが、しかしながら未知の兵器が唐突に襲撃を仕掛けてきた際にそこまで頭は廻らないだろう。また人間というものは群集心理に従うものであり、誰かが一人逃げ出したら、それを見て同じようにしてしまうことも至極自然なことであろう。
それが悪いとは言わない。
――だけど今回はそれを利用させてもらう。
母親の様子をジャスティスコクピット内で密かに見守っていたコンテニューは、彼女達が逃げる人々に合流した所でその姿を現わした。
突然の襲来に目を剥く人々。
一層駆け足で逃げる人もいた。
「逃げ場などあると思っているのですか?」
ある。
逃げ場などいくらでもあるし、ここから逃げる手段なんかいくらでも考えられる。そもそも逃げてはいけない道理などない。
自分で口にしていて矛盾だらけの言葉だが、逃げようとした人々の足を一瞬だけでも止めることが出来たので、目的は果たせたと言えよう。
そして彼は見せしめに、たまたま近くにいた女性を一人、人質として確保する。
たまたま近くにいた、母親を。
『嫌だあああああああああああああああああ! お母さん! お母さん! おかあさあああああああああああああああああああああんっ!!!!』
クロードが泣き声を上げる。
目の前で母親が突然に攫われた――というよりも掴み上げられたのだ。無理もないどころか当然の行動としか言いようがないだろう。
だけど、コンテニューはそれを許さない。
――正史がそれを許さない。
「その子を黙らせてください。耳障りです。じゃないと――止めない貴方達を対象に変更しますよ?」
そっちの方が楽ですしね――と嘯くと、周囲の大人は『静かにしてくれ!』とか『ごめんね……ごめんね……』とか『お願いだから我慢してくれ、頼む!』と一斉にクロードを抑え込み始めた。クロードは抵抗したが所詮は一一歳の子供、簡単にその口を塞がれ、唸り声を上げるのみになった。
『……』
一方で母親は一言も発しなかった。
悲鳴も上げない。
それは母親自身が「……あまり演技って得意じゃないの」と言っていたから、ならば恐怖で声も上げられないってことにしよう、という考えからの行動なのだが、それが周囲の人々には異様に見えたのだろう。
もしくは以前から畏怖されていたのか。
はたまた、子供が泣いているのに反応を見せていないように見えたからか。
母親が想定していた通りの言葉が、誰かの口から零れ出てきた。
『魔女……』
クロードの時には気が付かなかったが、迫害を受けていたのだろう。
あんな離れに家を建てたり。
滅多に町の方に降りて行かなかったり。
だけどクロードだけはそんなことを一人になっても皆から微塵も感じさせない様子だったのは、もしかすると母親が何かしていたのかもしれない。実の息子ではなくて孤児を拾ってきた、とかいう嘘でもついていたのか、あるいはクロードには悪口でも伝わらないように異能を使ったのか――それは分からないし、分からなくてもいい。
きっと母親ならそう言うだろう。
そんな母親に向かって、僕はこう言った。
「魔女? 何を言っているのですか? この女の人が? 馬鹿言っていますね。魔女だから離した方がいい、とか世迷言を口にするのですか?」
こう言わなくてはいけなかった。
そして――こう続けなくてはいけなかった。
「魔女だったら死なないはずですよね? だったら――潰してみましょうか」
コンテニューの言葉に、他の人は呆気に取られたような表情をしていた。
無理もない。
意味の分からない論理立てだったからだ。
「僕だって無駄な犠牲はしたくないんですよねえ。でも言うこと聞かなかったらどんな風になるかを目の当たりにした方が、皆さんは従いますよね? だったらうってつけじゃないですか」
無理矢理こじつける。
狂った人間のように振る舞う。
――違う。
自分はもう既に狂っているのだ。
母親を殺そうとしているのだから。
これが狂った人間ではなくて何という。
(……)
躊躇う気持ちがふつふつと湧き上がる。
だが、駄目だ。
やらなくてはいけない。
母親が望んでいるのだ。
あれだけ慟哭していた母親を、これ以上苦しめるのか。
自分の都合だけで――生かしたいという希望だけで――母親の幸せを無視するのか。
(……やらなくちゃ……)
口には出せない。
スピーカーで外に繋がっているから。
だから脳内だけで葛藤する。
(……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……やらなくちゃ……)
割り切れない。
迷いが振り切れない。
次の行動が取れない。
手が震える。
操縦桿から手を離す。
その手を頭に持っていこうとした時――
『落ち着きなさい』
声が、聞こえて来た。
外からではない。
頭の中に直接。
故にその発信元は、一人しかいない。
『……お母さん』
母親からだった。
ジャスティスの手の中にいる母親はこちらに視線を向けず、視線を下に向けたまま、こちらに伝えてきた。
そして。
母親は。
一言だけ。
告げた。
『……ごめんね、クロード』
――この言葉で、完全に迷いが吹っ切れた。
謝罪の言葉を口にさせてしまったということもあったが、何よりその背中を押したのは、母親が――クロード、と呼んでくれたことだった。
母親はこんな姿になっても――目の前に黒目黒髪のクロードがいるのに――それでも、そう呼んでくれた。
あんなことを強いたのに。
それでも、息子として認めてくれた。
「……それじゃあ皆さん」
操縦桿を握った。
もう手は震えていない。
大丈夫。
やれる。
非情になれる。
殺すんだ。
コンテニューじゃなく――クロードである自分が。
「下手に動かないでくださいね。そのまま、武力を放棄してルード国に投降してください。さもなくば――」
母親をジャスティスの手から地面に降ろし、
「――こういうように踏み潰しますからね」
そう言いながら、母親の真上に足を持ってくる。
「嫌だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
クロードの泣き声が響く。
――それは自身の内心だ。
押し殺した内心だ。
もう迷わない。
後はこの足を降ろすだけで全てが終わる。
この足を――
と、その瞬間だった。
『……ありがとう』
――ずっと疑問だった。
ここまでずっと母親は、笑顔を一つも見せなかった。
それは過去に遭った出来事から心が壊れた結果、ということは理解していた。
だけど、自身の記憶の中にいた母親の姿には、笑顔の姿がちらほらと散見されていた。
今となっては記憶違いだと分かる。
だけど、どうしてそんな記憶違いをしたのか?
その理由がやっと分かった。
踏み潰す直前。
ちょうど真正面にいるクロードと、上面から見下ろす形のコンテニュー。
二人にちょうど見える斜めの位置で、母親は向けていたのだ。
今まで一度たりとも見せていなかった表情を。
だから印象に残っていたのだろう。
母親が最期に向けていたのは、絶望でも、悲嘆でも、苦悶でもなかった。
コンテニュー側からでも、隙間から見えた。
母親が見せていたのは――優しい笑顔だった。
――グシャリ。
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