第361話 真実 22

    ◆



「……あ」


 ふと、誰に言うのでもなく、研究室の真ん中で私はそう声を漏らした。

 研究自体は既に終盤に入っていたわ。先の命を守る方法としては、その効力を遮断できる物質を作り出すことが出来ていた。しかも副産物として硬度も非常に高く、同種の物質でなければ破壊出来ないようなものになっていた。経年劣化はテスト中ではあったけれど問題は無かったし、それでいて重さもそこまでないという、究極的な物質になったのは予想外だったけれども。……ちょっと配合比率を知る為に異能を使ったのは秘密ね。最初からやれ、って思うかもしれないけれど、そこはお母さん、間抜けだったから、気が付いたのは大分完成形に近づいた時だったのね。つまり頭が固かったのよ。

 そんな風に研究もついに完成までもう少しという所で、やっと再び心と時間に余裕が出来たのよ。

 だから本当に気まぐれだったのよ。

 唐突に、クロードに会いたくなった。

 そう思ったら一直線、誰にも断りを入れず、大して他に何も考えずに託児所に向かった。


「あれ……?」


 しかし託児所にはクロードはいなかった。今日はちょうどクロードしか預けられる子供がいなかったのか、他の子供もいない。

 私は託児所の担当者である若い女性に訊ねる。


「すみません。クロード、どこに行ったか知っていますか?」

「あ、あの、えっと、その……」

「……?」


 何故か戸惑っている女性に、咄嗟に嘘を見抜く異能を用いて訊ねる。


「クロードがどこに行ったか知りませんか?」

「お、おトイレに行きま――」

「嘘を付かないでください」

「ヒッ!」


 怯えた表情の女性に一歩詰め寄って追及する。


「クロードは何処ですか? 何故隠すのですか?」

「えっと……その……あの……」

「はい、か、いいえ、で答えてください。絶対に、ですよ。答えないと他の手段を取ります。――クロードは自分で部屋の外に行ったのですか?」

「い……いいえ……」


 嘘の色。


「連れて行ったのは私の夫ですか?」

「……いいえ……」


 本当の色。

 ここはある程度予測はしていた。もし夫が来ていたのならば私に連絡を入れるはずだし、そもそもそうであれば私に嘘をつく必要はない。

 なら他に誰が連れて行ったのか。

 そう考えた時、真っ先に思いついた人物がいた。


「まさか……セイレンが連れて行った……?」

「っ!!」


 露骨な反応。色を確かめなくても分かった。

 即座に託児所を出て、セイレンの研究室へと向かった。


 何故セイレンがクロードを連れて行ったのか?

 どうしてかポジティブなイメージは思い浮かべることが出来なかった。

 彼女と付き合っていく内に、彼女の内心に何かあることは薄々察知はしていた。だけども、デメテルと似ていることから、その要素に目を瞑ってしまっていた。

 そして。

 その悪い予感は当たってしまう。



 セイレンの研究室に飛び込んだ私の目に入ってきたのは、中央に鎮座された机の上に置かれた黒い箱に手を伸ばすクロードの姿だった。



「クロード!!」


 私は悲鳴にも近い声を上げながらクロードに駆け寄る。その声に振り向いたクロードは「あ、お母さん」と嬉しそうに微笑んでくる。

 ……良かった、生きていた。

 私はそう安堵しながらクロードを抱き寄せ、目の前の黒い箱を脆い物質――ガラスに変化させて机ごと蹴り飛ばす。

 パリン、と音を立てて黒い箱が割れる。


「あーあ。壊しちゃったー」


 横から聞こえて来た呑気な声に睨みを返す。


「セイレン……これはどういうことか説明してもらえるかしら?」

「どうもこうも実験よ実験」


 金髪で童顔の女性は澱みなく答える。

 いつものような白衣で。

 いつものような口調で。


「黒い箱に対しての実験よ。命を奪う黒い箱に関して、様々なことを知りたいじゃない?」

「どうしてクロードを……というよりもどうして黒い箱がここにあるのよ!? まだどこかの海の底にあるんじゃないの!?」

「あー、さっきの? あれは――よ」

「偽……物……?」

「そう。色々と本物に似せようと頑張ったら出来ちゃってねー。直接触れたら人の命を奪う所とかそっくりだったわー。あとは物凄いパワーが引き出せるのも新発見だったわー。こっちは色々とまだ実験中だけどねー」

「実験中……そんなの私、知らないんだけど?」

「そりゃそうよ。あなたに黙っていたものー」

「どうして……?」

「そりゃ当たり前じゃない。あなた、勘違いしている上に暴走したら面倒くさいもんねー」


 ねえ、とセイレンは問い掛けてくる。


?」

「え……?」


 最初にセイレンと会った時に、彼女が求めてきたこと。

 本心から平和を求めていると判断したから、私は彼女に協力することに決めていた。

 だけど、その世界平和の為の行動をしていたかというと、ここで問われた時まですっかりと忘れてしまう程に何もしていなかった。

 本末転倒。

 そう言われても仕方が無かった。


「まさか『黒い箱みたいな人に害するモノがあると世界平和にならないから、それを排除することが世界平和に繋がる』なんてこと考えていたりしないわよねー?」

「……」


 どちらかというと言われた通りの思考をしていたということにも、その時に気が付かされた。黒い箱があるとそれを元に諍いが起きる可能性がある。だから破壊しなくてはいけない。そのような思考であった。


 同時に気が付く。

 今まで自分がしていた研究。

 いつの間にか逆転していた。


 人の手に渡る前に破壊するべき、ということから――人の手で扱えるようにすることに変化していたということを。


「まさかあなた……」

「そうよーん」


 邪気の無い笑みで、彼女は告げる。


――これが世界平和の先を見出す方法よ」


 すっかりと騙されていた。

 というよりも誘導されていた。

 最初から彼女は嘘は付いていなかった。

 だけど、口にしてこなかった。

 先の黒い箱を武力転用するとは。


「最初は黒い箱そのものを用いて何かしようと思っていたんだけど、副次的に色々と利用できるということが分かったのは大きな収穫よー。どれもこれも、ユーナ、あなたのおかげよ。ありがとうね」

「……っ」


 ずしりとお腹に来た。

 自身が意図していないとはいえ、結果的に世界を混乱させるキッカケを作ってしまった。

 それは間違いのない事実だった。


 ――破壊しなくてはいけない。


 それは黒い箱についてではない。

 この研究所そのものを。

 研究もろとも。

 それが私の責任だ――


 と。

 そう私が決心して動こうとした、ちょうどその時だった。



「――そうそう、もうほとんど完成はしているんだけどねー。もうちょっとだけ、実験をしたかったのよー。でも破壊されちゃったから出来なくなっちゃったー。ならクロード君はもうお役ごめんねだねー」



「お役ごめん?」


 ずっと大人しくしていたクロードがそこで声を出した。


「っ!」


 そこで私は異能を使ってクロードを強制的に眠らせた。

 強烈に嫌な予感がしたのよ。

 今までの話も聞かせるようなものではなかったと思うが、これからの話は絶対に聞かせちゃいけない、ってね。

 そして……その予感は当たったわ。



「そうよー。

 っていうのが実験だったのにねー」



「……………………え?」


 魂。

 父親。

 元に戻す。


 セイレンの言葉を処理するのに時間が掛かった。

 しかし数秒の後に脳が理解した。

 でも心が理解を拒んでいた。


「まさか……さっきの……あの……黒い箱は……」


 絞り出す様に紡いだ言葉に、無情にも変わらぬ声でセイレンは告げる。



「お察しの通り――よー」



 ――その瞬間。

 頭の中が真っ白になったわ。


 何をしたのか。

 どうしたのか。

 正直な詳細は覚えていない。


 とにかく破壊しなくちゃ。

 ……ううん、違う。

 破壊したい。

 壊したい。

 この現実を壊したい。

 嘘にしたい。

 嘘だと言ってほしい。

 もう何もかもを――壊したい。

 その一心だった。



「――あはははははははははは!」



 私の意識を戻したのは、セイレンの狂った笑い声だった。

 目の前の彼女はボロボロで、その周囲も無残に崩れ去っていた。建物自体も崩壊しており、外に晒されている程に。もう研究施設としては役割を果たせないだろう。

 そんな状況の中、どうしてセイレンはボロボロになるだけで済んでいるのだろうか?

 最初に思ったのはそんなことだった。

 そして次に思ったことはこうだった。


 殺さなくちゃ。


 彼女の細い首に手を廻す。

 異能を使うまでもない。

 女の細腕でも息の根を止められるだろう。


「いいねいいね! あたしを殺すのかいユーナ!?」

「……ええ」

「いいよ殺しなよ!」


 彼女は両腕を広げ、嬉しそうな声で叫ぶ。


「それが――!」


「……」


 ピタリ、と。

 私は彼女の首へ伸ばした手を止めた。


「……どういうこと?」

「あなたは非暴力で世界平和を望んでいるとかいいながらこの惨状よ! 結局世界は暴力でしか従えないってこと! あたしを殺せばそれはあたしの理論の証明になるのよ!」


 無茶苦茶な理論。

 何の証明にもなっていない。

 だけどこの時の私には、この言葉は手を止めるだけの理由になった。


「さあ殺しなさい! あたしを殺して世界は暴力でしか統一できないって証明しなさいよ! それこそ本望! それでこそ研究者の究極の答え! あははははははははははははははははははははははははははははははは!!」


「……しないわ」


「……へ?」


 呆けた声を放つ彼女に、私は言葉を鋭く放つ。


「あなたの思い通りにはしない。生きて、苦しみ抜きなさい。自分の思い通りにならないことを」

「そんな……何で? こう言ったらああなるはずじゃ……」

「分かっていないわね、セイレン」


 私はクロードを抱えながら、研究所があった場所に向かって手を翳す。

 これは異能を使って『空気を強烈な電磁波に変えた』のよ。

 瓦礫の下に埋まっているであろう、研究成果のデータを破壊する為に。

 この時にセイレンに何か悪影響があったのかもしれないけど、知ったこっちゃなかったわ。

 最後に火を放って、私はルード国を後にした。



 もう二度と、表舞台には上がらないと強く誓って。

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