第320話 ミューズ 03
「……やられたわー」
セイレンは天を仰いだ。
完全なる見落とし。
攻撃に特化して防御が完全に甘いという、自分自身の欠点を大いに利用された形だ。
自分の所への流入経路なんて当然最初から塞いでいた。ダクトはどこの部屋でも繋がっているからだ。特に地下なんてダクトがないと空気の入れ替えもままならないし、元々何かあった時に毒ガスを散布して消去隠滅させる為に、セイレンが色々な人を騙くらかして設置したモノであるので、全部屋に通じるようにはなっていた。
まさかそれを利用されるとは。
毒ガスを拡散させるために他の部屋へのルートを開放するやり方は頭の端に思いついていたのだが、充満させれば各部屋関係なく満たす量があるので死を防ぐには至らないので意味がないと判断し、ケアしていなかった。
まさかの展開ではあるが、しかしカバーするべきであったと今思えば後悔しかない。そのことを交渉の材料にして毒ガスの停止を迫るやり方もあったのだから。
ただいずれにしろ、彼女はそれを取らなかった。
理由は明白だ。
セイレンに解除する暇を与えない為だ。
それは二つの意味で。
一つは、セイレンがいる部屋のロックと毒ガスの通り道の解除をさせないこと。
そしてもう一つは――毒ガスの装置自体の解除だ。
「ああ……こっちが毒ガスを止める気がないことも知っていたのね……」
一度セットされた毒ガス散布は、何があっても止められない。
それ程までに強固にしていた。
――自分自身でも解除できない程に。
結果的にそれが文字通り――致命的となった。
「あたしゃあんたを買い被りすぎたのかもねえ……」
自分自身で解除できない仕様にしたのは、気を抜くとミューズに破られてしまうと危惧したからだ。それさえなければ少ない時間でも毒ガスは解除出来るレベルに落としていただろう。
なまじアドアニアでの戦闘の際に爆弾を解除したということと、自分の血を引いているということを頭に入れてしまったことが敗因だった。
「……いや、そうじゃないわね」
セイレンはパソコンから手を離して首を横に振る。
「あたしに理解出来ない感情を手に入れていたから、か」
愛。
セイレンが唯一読み違えた、たった一つの要素。
科学的に考えてしまえば、自分の命が無くなってしまえば相手にどう思われようが全く関係ないのでは、と思ってしまう。
自分よりも誰かを大切に思う。
その心が全く理解出来なかった。
――子供を産んでも分からなかった、感情であった。
「………………あ」
セイレンは気が付いた。
今更になって気が付いた。
ずっと自分が求めていたこと。
未知への探究。
ずっと彼女がしてきたのはその一心だった。
だから統一されたその世界が見たかった。
――だけど。
彼女の周囲には未知がまだあった。
道があった。
このような結末にならない道が。
彼女が世界平和を目指さなければ。
ジャスティスを生み出さなければ。
他人を大切に想う――愛を知っていれば。
「……馬鹿ね、あたしは……」
そう呟いたと同時に、身体が重くなる。
どうやら毒ガスが部屋に充満してきたらしい。
「嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない! 死にたくないよお! ……って言っても無駄かあ……」
げほっ――と。
一通り叫んだ後に身体の奥からこみ上げてきた、何かを吐き出す。
赤黒い液体――血であった。
「あー、こりゃ駄目だ……」
意識がどんどん混濁していく。
苦しい。
それでも――彼女はずっと先を見ていた。
誰とも共有できない道を。
未知を見ていた。
未知の道を求めていた。
「あーあ……見たかったなあ……世界平和のその先…………を…………」
自分勝手な人生を送った一人の科学者。
彼女は最期の最期まで他人のことなど露ほども思わずに――想わずに――自分の欲望が達成できない後悔を口にして、不満そうな顔で息を引き取った。
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