第319話 ミューズ 02
◆
ルード国科学局局長セイレン・ウィズは信じられないモノを目にしていた。
彼女は現在もルード軍本部内の開発塔の地下の一室である、彼女の研究室に身を潜めていた。本当であれば遠隔で戦場のど真ん中に居ずとも対応が出来たのだが、突然襲撃された為に策を講じる時間もなかったので、直接、一番使いやすい自分のパソコンを使って対応しているのであった。
そんな彼女の網にかかった、
ミューズ。
彼女の娘にして、敵の――『正義の破壊者』の重要な役割を担っている人物。
娘だからといって特別な感情はない。
むしろ娘という観点での興味は「自分の血を引いている」というどのように動くのか、という一点のみしかなかった。
だからその実力を測る為に、アドアニアではゲームのような形でのテストをさせてみた。
結果は自分以下だということが分かった。
そこから興味は失せた。
故に二度目の今回は、完全に無理なゲームを課した。
三つの障害の排除。
一つ、ジャスティスの動きを止めているジャマーの解除。
二つ、『正義の破壊者』の通信を妨げている妨害電波の解除。
三つ、その部屋の通気ダクトにこれから入ってくる毒ガスの解除。
それらに一五分という制限時間を付けた。
しかし咄嗟に設定した為、これら三つは平等ではなかった。
一つ目は国内に設置してあったジャマーの特性をそのまま流用しただけで、解除には十分も掛からないだろう。二つ目の通信の妨げなんて初歩中の初歩で三分くらいで出来る。
問題は三つ目だ。
必ず誰しもがそれを選択すると睨んで、リアルタイムで妨害をしていた。この毒ガスの排出装置自体を止めることだけは実質不可能だ。更には部屋からの脱出とミューズのいる部屋のダクトまでの経路を閉じることも集中して妨害していたので、彼女が一五分を超えて生存することも不可能にしていた
つまり実質、相手は何も出来ずに絶望感を味わって毒ガスに倒れていくしかなかった。
――そのはずだったのに。
「どうして……毒ガスを後回しにしているのよ……?」
ミューズが選択したのは一つ目、二つ目の解除であった。
まず一つ目を想定通りの十分程度で解除し、二つ目の妨害電波の一部を解除して誰かに応援の言葉を投げかけていた。
自分に迫る毒ガスについては表面上の探査のみで解除している形跡など全く無かった。
『ははっ、予想外っすか? 攻められると弱いんすね』
スピーカー越しに嘲りの言葉が返ってくる。カメラの映像も不敵な笑みを浮かべている彼女を捉えている。
『言葉づかいに余裕が無くなっているっすよ』
「……そんなことはないわよー」
取り繕うが、正直内心の動揺は抑えきれなかった。
あまりにもミューズの様子が焦った様子ではなかったからだ。
つまり、毒ガスのリミットが近づいていることに何の意識も割いていないということだ。
「にしても余裕ねー。あと数分しかないってのに、毒ガスは最初から諦めていたのー? 普通の人はそこから解除するでしょー?』
『なーんだ。解除する順番が想定通りじゃなかったからびっくりしているっすね』
「……」
キーボードの打鍵を止めずに、にひひ、としてやったりといった顔をこちらに見せつけてくるミューズ。どうやらカメラの位置も割り出したようだ。
『どうせそっちは「命に係わる所から解除するはずよー。だからその部分だけ強固にしようかしらー。なにー。そこからやらないのー?」とか思っているっすよね?』
「ひどい偏見ねー。まあそうだけどー」
セイレンも負けじと笑みを見せる。
それは完全に動揺を隠すためであった。
だけど隠しきれていない。
その証拠として、こちらの様子はあちらから見えていないのにそのような所作をしたこと、そしてその事実に気が付いていないことである。
先に言われた「攻められると弱い」というのはまさしく間違っていないことであった。
想定外に弱い。
その代わり、想定外を生じさせないくらいにありとあらゆる想定が出来る人ではあるのだが。
だからこそ、彼女は理解出来なかった。
「命を始めから捨てたのー? あたしゃそういうの感心しないねえ。自分の命が何より大切でしょー? あたしの策を読み切った所で――」
『何言っているっすか? 命を捨てるとかあんたの策とか、そういうの――知ったこっちゃないっすよ』
ひどく。
あっけらかんと。
ミューズはそう言った。
『あたしはただ単に物事の優先順位を付けただけっすよ。その結果がこうなっただけっす』
「……それが有り得ないんじゃないの。だって普通は自分の命だけでも何とかしようとするでしょ? 他の二つは別に出来なくても自分の命に関わることじゃないんだから」
『確かに、あたしの命には関わらないかもしれないっすね、最初の二つ』
「だったら」
『でも――』
ミューズは首を横に振る。
『他の人の――あたしの命より大切な人の命には関わることっす』
「……は?」
『好きな人が出来たんすよ、あたし』
唐突な告白。
状況を端的に表せば、娘が母親に好きな人がいることを告げた場面である。
だがそんなほのぼのとした状況ではないし、ここで言う言葉ではない。
『あたしは見つけたっす。生きてほしい人が。愛している人が。あたしの命をもってしても、ね』
「……いやいやいやいや、意味わかんないって」
セイレンは頭を抱えて小刻みに振る。
「だって普通に考えて自分のが大切でしょうが! どうして他人の命が大切とか意味わかんないことを――」
『……それが意味わかんないって、可哀想な人っすね』
ピタリ、と。
セイレンの動きが止まった。
「……可哀想……?」
『そうっす。人を好きになったことがないんすね。誰も愛していないし、誰からも――愛されない』
「……そんなもの」
呟くように。
セイレンは激高するわけでもなく、静かに言葉を紡ぐ。
「必要のないモノが無いからって可哀想って言われる筋合いはないわ」
『でも、あたしの理論が分からないっすよね? 知らないから』
それって――とミューズは問う。
『本当に必要のないモノなんすか?』
「……」
痛い所を付かれた。
正直、返す言葉が無い。
彼女の行動を理解出来ていないのは事実だ。それ故に想定外の事態となってしまった。
どうして、自分よりも他人の命を優先することが出来るのだろうか――?
『まあ、あんたには理解出来ないと思うっすけどね』
娘からバッサリと斬り捨てられた。
これ以上ないくらい、バッサリと。
ミューズが言ったこと。
それは即ち――セイレンを超えた、ということと同義であった。
彼女が知らないことで、彼女の想定を超えることを行う。
小さなことではあるが、確実に
「……ま、それがどうしたっていうことだけどねー」
言い負かされた気分ではあり、実際にそうではあるが、それだからといって状況が好転するわけではない。
結局は同じだ。
「あと一分で毒ガスがミューズちゃんの部屋に入ってくるわよー。さてさてそこまでに解除できるかしらー?」
セイレンは煽りを掛けるが、もう結果は分かっている。
彼女は毒ガスを解除出来ずに、この部屋でその命のともしびを苦しみながら消す。
残念ながら他の二つは解除してしまったので、何も出来なかったという絶望感を味あわせることは出来なかったのだが。
(残念ながらおさらばね)
セイレンは手元にキーボードから手を離し、椅子に寄り掛かって彼女の様子を見る。
相も変わらず必死で打鍵を行っているが、しかし、自分のパソコンを見ても分かるが、彼女の部屋までの途中のダクトを閉じたり、扉が開いたりしている様子が無いことは見て取れた。
彼女は何も変更出来ていない。
変更に取り掛かる前の段階ですら至っていなく、何も試している様子はない――
「……………………え?」
強烈な違和がセイレンを襲った。
画面上で彼女の命を守るための手段は幾つかある。
毒ガス散布事態を止めること。
エアダクトを遮断して入らなくすること。
部屋の扉のロックを解除して外に出ること。
だからその三つを徹底的に封鎖した。
何かあったらすぐに対応できるようにした。
だけど、彼女からその点をいじるようなアクセスの足跡は全く無かった。
そこで疑問が一つ生じる。
何もいじっていない。
いじった形跡も無い。
現在進行形で無い。
ならば、ミューズは――
「今……何をしているの…………?」
――カチャリ。
その時、音がした。
何の音だ――という疑問はすぐに分かった。
閉められた音だ。
そう。
――セイレンがいるこの研究室の扉の鍵が。
「っ!?」
どうしてセイレンの部屋の鍵が勝手にしまったのか?
当然、バグではない。
中に誰もいないので他に掛ける人もいない。
では誰か?
――ミューズに決まっていた。
「まさか……っ!?」
気が付いた。
ようやく気が付いた。
彼女はパソコンに再び向かい、状況を確認する。
確認するのは先の場所ではない。
そう、調べるのは――
――毒ガスが
「なっ!!?」
表示された結果に、セイレンは絶句した。
彼女は完全に勝ったと思い込んだ。
だからこそ気が付かなかった。
『だからあたし言ったっすよね……?』
ミューズの声。
それは完全に――勝利者の声だった。
彼女がやってのけたことは三つ。
一つ目、ジャスティスの動きを止めているジャマーの解除。
二つ目、『正義の破壊者』の通信を妨げている妨害電波の解除。
そして――
『本気のあたしを舐めるなっす。あたしが本気を出せば三つ対処できるっすよ――ってね』
三つ目は――セイレンの現在位置を割り出し、その部屋に同じ毒ガスを流入させる経路を作り出すことであった。
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