第281話 平和 02

 静寂。

 これだけの人数がいるのに、誰一人として言葉を発することが出来なかった。

 というよりも、彼の言葉を理解出来た人がいなかった、というのが正しい。


 ――平和について議論しよう。


「ん? どうしたみんな? 早速議論を開始してくれ」

「……いやいや! あまりにも唐突過ぎて何が何やらっすよ!」


 ミューズが悲鳴に近い声を上げる。なんだかんだいって彼の傍に長くいた為に衝撃的な出来事からいち早く我に返ることが出来たのだろう。


「そうか。会議室に連れて来たからてっきり会議をするって悟ってくれていたのかと思っていたのだが、みんな分かっていなかったのか」

「そっちじゃないっす! 前提前提!」

「ああ、そっちか。確かに話していなかったな」


 クロードは手を一つ叩いて続ける。


「これから俺は全世界を征服する。その後で平和になるためにどうすればいいか、みんなには考えてほしいんだ。何でも意見を言ってくれ」

「……クロード、あたしの言ったこと理解しているっすか?」

「理解しているとも」


 だが――と、クロードは両手を広げる。


?」

「んー……まあ、不要っすね。あははっ!」


 ミューズがあっけらかんと笑い声を上げると、未だに呆けている周囲の人々に向かって補足説明を行う。


「クロードの言うことは本当っすよ。これから彼が世界を支配するので、その後の世界についてはみんなで考えましょうって話っすよ。まんま、そのまんまで裏はないっす」


「――ふざけているのか!?」


 ドン、という机を叩く音と共に、唐突に若い男性の怒鳴り声が響く。

 声を発したのは、短髪を立てた非常に強面で筋肉質な、二十代後半くらいの男性。ミューズが一瞬怯んでしまうほどの容姿であり、怒声であった。

 対してクロードは平然としたまま、タメ口で問いを投げる。


「何をふざけていると思ったんだ?」

「全部だ! 全部!」


 再びテーブルが、ダン! という音を立てる。


「何が平和だ! どの口で言えるんだよ、ああ!?」

「俺が平和を求めることがいけないことか?」

「ああ、いけないね! 俺は絶対に許さねえからな!」

「君は平和が嫌いなのか?」

「んなわけねえだろうが!」

「では許す許さないは別として、だ。とりあえず君はどうすれば平和になると思うか、聞かせてくれないか?」

「っ! ふざけやがって……決まってんだろうがよっ!」


 青年は席を立ち、ツカツカとクロードの傍まで歩みを進めると、クロードとライトウの間でテーブルを力いっぱい叩きつける。


「てめえが死ぬことだよ! てめえが死ねばこの世は平和だ!」


「っ! 貴様――」

「ライトウ」


 ライトウが激高して刀に手を伸ばした所で、クロードがやんわりと手で制する。

 そのクロードの表情は相変わらず、無表情だった。


「うん。俺に攻撃を仕掛けると死ぬと言われている中で、その攻撃の中に威嚇も入っているかもしれないと分かっていながらもこのような行為に出るということは、余程の覚悟があるということだ。話を聞こう――で、君の意見は、俺が世界征服した後に俺が死ねば、世界は平和になるってことなんだよな」

「そ、そうだ!」


「成程……では、


 と。

 クロードは話を先に進めた。

 その場にいた誰もが拍子抜けするほどにあっさりと。

 怒るのでもなく。

 否定するのでもなく。

 ――むしろ肯定するような口ぶりで。


「ミューズ、メモしたか?」

「は、はい……え?」

「きちんとメモしてくれよ。会議は議事録が大事だとウルジス王も言っていたぞ」

「は、はいっす」


 急いでミューズがパソコンのキーを猛烈に叩く音が周囲に響く。

 それ程に静か。

 青年も毒気を抜かれたように目を見開いて棒立ちになる。

 そんな彼に、クロードは平坦なまま続ける。


「ここで一つの意見が出た。――クロード・ディエルが死ねば世界平和になる。この点について深く議論しようか」


 そう言って首だけを向けて、背部の青年に視線を向ける。


「では訊ねよう。君は俺が死んだら、どうして世界が平和になると考えたのかを」

「……っ」


 青年は言葉に詰まる。

 感情的に口走ったのは明らかだったからだ。


「確かに俺が死ねば――世界を征服した人間のトップが死ねば、一時的に世界は平和になるかもしれない。解放された、って。……だけどトップを失った場合、その代わりに誰がなるのかで再度争いが発生して、結果的に平和ではなくなるのではないか?」


 反して。

 クロードはあくまで理性的に言葉を進める。

 相手がぐうの音も出ない程に。


「と、俺は考えたのだが、君はどう思うのだ?」

「俺は……俺は……」


 青年は下を向き、わなわなと身を震わせる。

 きっと怒りだけではなく、少し冷静になって周囲に注目されていることへの羞恥心もあるのだろう。

 だからだろう、彼はキッと顔を上げ、論理になっていない言葉をぶつける。


「それでも……俺は許さない! 俺の住んでいた国を滅茶苦茶にしたてめえをなあ! まあお前は知らねえだろうけどさあ!」


「――


 ピクリ、と青年は言葉を止め、肩が跳ね上がる。


「君はそこの村の住人か。ヨモツを撃破した後に宙に浮いてしまった中立地で、状況的に『正義の破壊者』に付かざるを得なかった、って所か」

「なっ……知って……」

「今知ったんだ――

「っ!? お、俺の名前まで……」


 青年がクロードから離れる。

 その目には恐怖。

 明らかな畏怖の感情が込められていた。


 ――だが。


「恐れることは無い。を見せてやろう」


 パチン、とクロードが指を鳴らす。

 同時に――


「!?」


 人々が驚きの声を上げる。

 信じられないと言った表情で他人の顔――から少し上に視線を向ける。


 そこにあったのは、アドアニア公用語で書かれた――名前と出身地。

 まるで半透明な板が頭上に刺さっているかのごとく、彼らの頭の上に表示されていた。

 それに触れようとする者、移動しようとする者、頭を振る者。

 様々な行動を見せる人々に対し、


「名前と出身地を分かるようにした。ついでにアドアニア公用語が分かるようにも。誰がどのような立場で発言しているか、これで分かりやすくなっただろう。まあ、出身地はいらなかったかもしれないけれどな」


 さて、と一つ手を打ってクロードは声を放つ。


「これで議論はスムーズになると思う。驚く気持ちは分かるが、今は議論に集中するようにしてくれ――ということで、ウォルブス・ハーケン。君に話を戻そう」

「……っ」


 クロードは目を細め、告げる。


「先の発言について、きちんとした回答をしてもらおう。俺がいなくなることで世界が平和になる、ってことについて、感情論だけではない論理的な理由を述べよ」

「それは……それ、は……」


 全員の視線が青年に集まる。

 青年は唇を噛みしめ、そして――


「理由は……ない……」


 絞り出すような声。

 そこには若干の震えもあった。


「俺のは……ただの感情論で、明確な理由は……だから先の意見は、その……取り下げさせてもらいたく……」

「そうか」


 クロードが一つ頷くと、青年は肩を落としながら自分の席へと戻る。

 責を感じたのだろう。

 これだけ皆の前でボコボコにされたのだ。トラウマになりかねない――


「――ああ、みんなに一つ言っておこうか」


 と。

 クロードは人差し指を立てる。


「先のウォルブス氏の意見だが、ある意味理に適っているぞ。だから俺は否定しなかった。というよりもんだけどな」

「え……?」


 驚愕の表情を浮かべる一同。


「だって世界征服した後にそれを成し遂げた人間がこの世を去れば、人々の恨みを一身に背負った人がいなくなるわけだから、少なくともその瞬間だけは誰も恨むことが出来なく、皆、平等だ。そこから不公平になるかは各国の手腕次第だが、少なくとも同材料でテーブルに付くことは出来る、というメリットはあるな。デメリットは先に言った通りに、新たな争いの火種になるってこととかあるけれど」


 スラスラと言葉を紡ぐクロードに、人々の口は開きっぱなしであった。

 自分の死という意見に賛同したのは論破する為だと思っていたのだが、彼の様子からはそうではないことが分かった。

 彼は言葉通り、世界征服の後の平和のことしか考えていない。

 感情論や倫理観を抜きにして、相手の意見を真剣に考えている。

 考えた上で、先の意見を受け入れている。


「ということで先の意見は一つの参考にしよう。まあ俺も死にたくないから、採用はしないと思うけれどな」


 クロードは肩を竦め「さて」と周囲を見回す。


「こんなのでもいいのか、といういい参考意見が出たのは良いことだ。他のみんなも是非とも意見を出してくれ。何でもいいぞ。さあ、どうぞ」

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