第140話 前段 02

 彼女は胸元から同じような『赤い液体』の入った小瓶を取り出した。


 先の偽物がない、という話はあくまで金儲けなどによる金銭的な詐欺行為についての話であり、仮に実際に飲んでいない人間が偽物を使用しても、当然、命を落とすなんていうリスクはない。

 しかし彼女が持っているのは間違いなく『正義の破壊者』から配給している『赤い液体』である。

 この液体を躊躇すれば偽物となる。

 その点で本気度を判断する。


(さあどうだ――)


「分かりました」


 彼はアレインの手の中の液体を何の躊躇いもなく飲み干した。


「はい。これでいかがでしょうか?」

「うん。あなたを信じるわ」


 アレインは彼の手を握った。

 彼は「良かったです」と笑みを深くさせた。

 その表情にアレインはときめいた。


(……ん? ……? ――そんなはずないわ!)


 アレインは心の中で強く否定した。


(何でこんな知らない村の、たった数分しか会っていない人間にときめいてしまったの!? というか私はクロード一筋の筈なのに……軽い女じゃないのに……)


「あの……どうかなされました?」


 自己嫌悪に陥りそうになるのが顔に出てしまったのだろう。そうまた心配そうに青年に問われてしまった。


「あ、うん。大丈夫です。ごめんなさい」

「良かったです。きっと大変なのでしょうね。お疲れ様です」


 労われてしまった。

 何ともいえない複雑な気分になってしまったので、少々雑目にアレインは質問を投げる。


「で、あなたは結局私を呼び止めただけ? それとも他に何かあるの?」

「あ、ありますあります。『正義の破壊者』の方にお伝えしたいことが」


 青年は首肯し、人差し指を前方に向ける。


「今朝ほど、あちらの空にジャスティスのようなモノを見ました。今まで見たことが無いので確証はないですが……かなり大量にいました」

「あっち?」


 青年が指差した方向。

 それは『正義の破壊者』でもルード空軍が進軍してくるであろうと予想していた場所であった。待機するならそこであろうと読んでおり、そこ以外にないかということを探るのが今回の任務だった。

 この青年は『正義の破壊者』の不利になるようなことは言えない。

 ならば事実であろう。


「それは有益な情報ね。分かったわ。ありがとう。では」


 アレインは足早に立ち去ろうと背を向ける。

 この青年に対してのときめいたという事実を忘れるべく、自分の中から消そうともがくために、この場から一刻も早く移動したかった。

 彼の前から離れたかった。

 ――だが。


「あ、待ってください」


 青年がそれを許さなかった。

 アレインは背を向けたまま訊ねる。


「……何か? 私、結構忙しいんだけど?」

「すみません。時間は取らせませんので」


 何なのよ――と内心で溜め息をつきつつ振り向くと、


「これ、受け取っていただけませんか?」


 青年がそう言って差し出してきたのは――何やら白文字が抜かれている、紐が付いている黒色の布。


「これは……?」

「お守りです。俺の手製ですが……これをずっと身に着けておけばいいことがある、っていうウチの伝承のものなのですが、効果は絶大だと思われます」


 青年はそのお守りをアレインの手に渡し、


「――あなたのご無事を願って」


 にっこりと微笑んだ。


「……っ」


 アレインは目を伏せて、手の中のお守りをぎゅっと握りしめる。


「……ありがとう。大切にするよ」

「こちらこそありがとうございます」

「それじゃあ、本当にありがとう」


 彼女自身も微笑みを見せて彼に再び背を向けた。


 ……ああ、分かった。

 どうして彼にときめきを感じたのか。


 何となく。

 本当に何となくだ。

 何故だか感じたんだ。

 彼女はクロード以外に浮気をしたわけではなかった。



 あの青年の笑顔。

 それは、――というのを不思議と感じさせる笑顔だったのだ。

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