前段
第139話 前段 01
ガエル国。
大陸の端の方にある小さな国ではあるが、どの国からの侵略も受けておらず、独立国として保っている。それは農業国としての中立的な立場であることが理由である。ウルジスとルードが争いを本格的に始める前から両者に供給していた為に、ウルジス、ルード両国共に手を出しにくいという状況下にあった。
そしてガエル国内でも特徴的であるのが、ハーレイ領である。
農業国としての象徴ともいえる、豊かで長閑な、所謂田舎の光景とやらが広がっている領地である。森林広がり、畑作は勿論、稲作、果樹栽培などを行っているために食糧自給率はガエル国内でもトップである。
故にガエル国の首都ではないが、重要な地域であった。
そんな地域に、ルード国が攻め入る。
情報としては至極有り得そうな話だ。
だが、一方で罠の可能性も残っている。
その為、『正義の破壊者』の一部の人間は偵察も含め、念のため前日にウルジス領のとある村に身を潜めていた。
「……しっかし、ゆったりした空間ね、ここは」
アレインは周囲を見回しながら柔らかさを含む声を緑に投げた。
この村にいるのは彼女含め数人だけで、更にそれぞれバラバラに散っている。少しでも怪しまれないためだ。
明日、ルード空軍が現れるということは、必然的に近くにルード空軍が陣を張っているという可能性も視野に入れておく必要があるので、村人からリークされるわけにはいかない。それに加えて、何かルード空軍が罠を張っていないかを偵察する必要性もある。
そんな偵察の任についているのは、幹部の中ではアレインだけだった。ライトウは顔が割れすぎているし、カズマは何があった時のために遠目に配置してあるジャスティスの中にて待機している。本当はアレインも下がっていろとライトウに言われたのだが、何か自分が役に立ちたいと無理を推して志願したのだった。
(そう思ったのも、クロードのおかげなんだけどね……)
あの夜。
クロードに抱いてもらおうとしたあの夜。
結局泣いて、弱音を吐いて、クロードと共に寝ただけだった。文字通りの意味で裏の意味もない睡眠だった。
でも、あれだけ吐いて、あれだけ告白して、凄くすっきりした。
そして同時に気が付いた。
自分は焦り過ぎていた。
周りがやれることをやっていた。そのやれることが凄かっただけだ。
自分が周りの人間と同じことは出来ない。
ならば、自分が出来ることをやればいいだけだ。
(あたしには、この脚がある)
幼い頃からの自慢の脚力。
かなりの速さが出せるし、普通の岩なら蹴り砕くことも出来る。上半身も鍛えているといえば鍛えているが、あくまでそれは常人の範囲内であり、脚に比べれば戦闘に使用できるようなレベルに至っていない。それこそ一般女性レベルだ。
しかし、この脚は疲労も知らない、痛みも知らない、などという人外レベルのものだ。いつの間にか手に入れていたこの能力だが、これを生かせる方法をすればいい。
自分にはジャスティスを破壊する力はない。
ジャスティスを破壊できないが、攪乱は出来る。
情報を持って逃げおおせることも出来る。
だからこそ偵察任務を請け負ったのだ。
(とは言っても、この町にはまだルード国の誰も来ていないようね)
見渡す限りの緑色の光景に鈍色のジャスティスの姿がないことを確認し、とりあえず安心といった様子で彼女は一息ついた。
最悪の状況は既に町をルード軍が占領していた場合。
その場合は伝令に戻り、明日の為に他の進軍ルートを探さなくてはいけない。
更にはこの町を戦場にしないように図らないといけない。
この町を戦場にしたくないと思った理由はただ一つ。
(……なんか、思い出すわね、あの頃を)
アレインは懐かしさを感じていた。
それはあの孤児院――ライトウ、カズマ、ミューズ、コズエと過ごしたあの時のことを思いだしていたからだ。
あの場所も都会の喧騒から離れ、豊かな森林に囲まれた落ち着いた場所であった。
アレインはあの孤児院が大好きだった。
楽しかった。
ずっとあの場所で暮らしていたかった。
それを破壊したのが――ルード軍。
詳細にはジャスティス空軍。
その元帥であるヨモツが、明日、この場所に来る。
アレインの大切なモノを全て壊した元凶が来る。
「……っ」
ギリリ、と歯を鳴らす。
あいつだけは絶対に許さない。
絶対に。
絶対に――
「あの……大丈夫ですか?」
ハッと復讐へと身を沈めつつあった思考は、目の前の人物の心配そうな声によって現実に戻された。
「……っ!」
思わずバックステップで距離を取る。
同時に、目の前の人物の姿を初めて認識した。
周囲に人も民家も何もないため、その言葉の発信源はすぐに突き止められた。
麦わら帽子を被った、若い男性だった。
帽子に隠れていて少ししか見えないが髪の色は金色で、糸目だが顔はそこそこ整っている様子だ。薄汚れた白いTシャツにジャージという、見た目から農業に携わっていると思われる。がたいはごつくもなくどちらかと言えば線の細い青年だった。
そんな彼は「あ、すみません」と柔和な表情で謝ってくる。
「何だか思いつめた表情をしていたので、つい声を掛けてしまいました」
「いえ、こちらこそすみませんでした」
そう頭を下げて道を彼の横を通り過ぎようとして交錯した――その時だった。
「あの……『正義の破壊者』の方ですよね?」
「……っ!?」
再び距離を咄嗟に取る。
どうしよう。
バレた!?
何で!?
いや、それどころではない。
逃げるべきか?
いや、逃げたら肯定することとなる。
ならばどうする?
判断が付かない。
こういう時、クロードがいれば――
(……違う!)
クロードに頼るんじゃない。
考えるんだ。
どうすればいいのか。
どうするのがいいのか。
大前提を考えろ。
目の前の青年は敵か味方か?
まずはそこを見極めてからだ。
見極めてから、再度判断しよう。
彼女は足を止め、青年に問う。
「……どういう意味ですか?」
「あ、やっぱりそうでしたか。映像であなたを見た記憶があったので」
失敗した。
自分も顔が割れているとは思っていなかった。
クロードとライトウの名前も顔も出回っているが、アレインのは出回っていなかったとミューズは言っていたのに。
盲信してしまったのが悪い。信用しないわけではないが、警戒はしておくべきだった。髪型を変えたりだけでもするべきだった。
――ただ。
まだこれだけでは彼が敵とは限らない。
仮に銃を手元から取り出されても避けられる自信はある。
(ぎりぎりまで見極めろ、私! もし無関係な人に手を掛ければ、それこそが敗北よ!)
ジャスティスを破壊する行為の邪魔になる存在以外は傷つけない。
そんな『正義の破壊者』の原則にも反する。
だからこそ、確実に判断するべきだ。
ひと呼吸置き、アレインは再び訊ねる。
「だったらどうなのですか? 私を脅しつけるつもりですか?」
「いや、まさかそんなはずはないですよ。その逆です」
青年は眼前で手を振る。
「俺は『正義の破壊者』の味方です。ルード国に敵対するっていうのに惹かれているんです」
「……ルード国に敵対じゃなくて――」
「違いましたね。ジャスティスに敵対ですね。失礼しました」
「……」
何か先手を取られたように腑に落ちないが、言っていることは正しい。
目の前の青年はグッと拳を握る。
「最近、俺達の作っている農作物についての値上げ交渉がひどくなっているんですよ。背後にジャスティスの存在をチラつかせてくるし……きっとルード国内部での農作物の自給の目処が立ったんだって大人達は言っていました。武力で訴えられれば勝てないです……だから何とかしてほしいと思っていた所に、あなた達が現れたんです」
「……あなたは『正義の破壊者』に入っているの?」
「一応は。あの『赤い液体』も飲みました。他の人に渡すための予備も持っています」
ごそごそと自分のポケットを探ると、彼は小瓶を取り出した。
あの小瓶は大量生産されており、また安易に飲めるように多くの人々に配っている。この小瓶は無償で配っているために偽物も多く出回ると心配されたが、金銭的なやり取りを発生させる場合は命を落とすという話も付いているため、結果としては偽物はほとんどないというのが実情であるようだ。
「あ、もし信用ならないならば、この『赤い液体』をこの場で飲んでもいいです。いや、飲みましょう」
「ちょっと待って」
アレインは彼の行動を止める。
それは別に彼を信用したからではない。
信用がまだ得られていないからこそ止めたのだ。
「――こっちを飲みなさい」
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