深緑再会

 ローブを綺麗に洗って乾かした次の日の夜に、イングリットは大木の所へやってきた。

 彼が居るのはいつも夜な気がしたからだ。日中は町を警備しているのだろう。そしていない日は夜番なのかもしれない。

 しばらく大木にもたれて待つ。

 今夜は晴れ渡って、空では無数の星々が輝いている。天には一体いくつの星があるのだろうか。

 満月でこそないが月も丸く大きい。

 木々や自分の影が地面に落ちるほどの、明るくて暗い夜。


 ──フィレンを救ってやってくれ。


 ふいにあの声がした。

 いつの間にか、目の前にいつかのあの霊体がいる。これがフィレンの言っていた冒険者の霊なのだろうか。

 中性的な顔立ちで性別が分からない。身長が高いのと大雑把な口調とで男性な気がしてきた。

 声も、どちらともとれないものだった。

「一体何から彼を救うというの?」

 イングリットは疑問を口にする。霊体は即答した。


 あの子は育ての親が木になったからっていつまでも気にして、暇さえあればここに来てばかりだ。


「それの何が悪いっていうの?」

 イングリットは畳みかけるように問いかける。


 このままでは、絶対に探し出すと言っていた妹を探すことも、幸せな家庭を作ることもできない。


「妹?」


 十八年前の夜、フィレンの家族は人狼に殺された。妹は見つかっていない。


 十八年前の夜。それはあの、未曾有の魔物襲撃のことなのだろうか。百鬼夜行とも言われているあの事件の夜に。


 もういない私にこだわり続けるのは間違っている。


「でもそんなの彼の勝手だわ。それに私に彼を動かせる口八丁はないもの。あなたの願いは聞けそうにないわ」


 フィレンはもともと魔力容量が小さかった。だから私の魔力の三分の一しか分けられなかった。


 話が飛んだ。だけれど、何か嫌な予感がする。


 三分の二残った私の魔力は、この木を介して魔王に力を注ぎ続けている。


「なっ……なら、こんな木斬ってやるわよ!」

 イングリットは自身の渾身を込めて恐ろしいスピードで大木に斬りかかった。だが。

 ──木はびくともしないどころか、木肌に剣先が吸い込まれることもなかった。

「これは」

 イングリットはようやく気づいた。これは、

「私にできなくたって、フィレンさんなら斬れそうなのに」

 彼の得物は相当大きな大剣だった。しかも、抑制環リストレインリングがあるとはいえ初級程度の強化魔法なら使えるはず。


 ──……斬れなかった。


 霊体は無表情に言った。

 ……きっとそれは、斬ろうともしなかった、なのではないだろうか。

「……いったいどうしたらいいっていうのよ」

 霊体は彼を救ってくれと言った。そしてこの木の話をした。

 ということは、この木をどうにかできれば、霊体は成仏か何かできるのかもしれない。


 残り三分の二を、きみが貰ってくれないか。


 イングリットは怪訝な顔をした。

 予想と全然違う上に、魔力容量が少なかったにしてもありはしたフィレンには三分の一しか受け取れなかったという。

 なら、魔力容量が完全に無い自分に、受け取れるはずがなかった。


 人間は、勘違いしている。『色無し』なんて呼ばれてる連中は、これから何にでも染まれる無限の可能性の持ち主だ。しかも君は、完全にどこもかしこも空きだらけだ。


 イングリットは俄かには信じがたいことを言われて戸惑う。

 私が、精霊の加護ブレスを受けることができる──?

 ほしいと思ったことがないなどと言えば嘘になる。色がないせいで受けてきた数々の嫌がらせや偏見も、これで、なくなるというのか。


「私があなたの魔力を受け取ったら、この木は枯れるってこと?」


 私はそう予想している。


 予想なのか、と、少し頼りなさを感じてしまった。

 精霊の加護ブレスを受けることができる、その事態はとても甘く熱い誘惑だった。

 しかし彼女は我に返る。

 霊体はフィレンを救ってくれと言った。とすればきっと、木が枯れればこの霊体すらいなくなるのではないだろうか。

 育ての親への愛。

 それは親のいないイングリットには全く分からない感情。

 だけど、フィレンの瞳にあった感情なら、イングリットは知っている。

 ──あれは、恋の光だ。

 自分のフィレンへの想い。何故だろう、ほんの少ししか接点がないのに、くすぶる想い。

 色無しに偏見無く接してきた、ただ一人の人間。

 たとえこの霊体が男性でも、フィレンは彼に恋をしている。確実に分かった。

「……お? よう、元気か?」

 後ろでフィレンの声がした。緑色の霊体はかき消えた。

 振り返ると、平和そうな顔の彼がいた。

「……これ、返したくて。ありがとうございました」

 まず第一の要件をクリアすべく、彼女はローブを彼に差し出した。

「捨てたってよかったんだぜこんなボロボロ。まあ、ありがとな」

 彼は苦笑しながら受け取った。

 そして第二の要件をクリアすべく、彼女は彼にキスをした。

 かなりの身長差だ。そうとう無理やり彼の顔を引き寄せた。

 彼はただ硬直して何も返してくれなかったけれど、イングリッドはそれで充分だった。

 長いような、短いような、甘い時間。

 この行為はイングリットの自己満足だけれど、彼女は本当にそれだけで満たされた。

 ゆっくりと唇を離すと、彼女は彼から離れ、大木に抱き着くように寄りかかる。

「……ちょっ、……は? 何してくれたんだガキ」

 そう言う彼の顔は赤く染まっていて、明らかに狼狽している。

 その様子が可笑しくて、イングリットは吹き出した。

「フィレンさん、初めて? ……ふふっ、私もですから」

 自分とは反対に余裕そうにしているイングリットを困ったように睨みつけながらフィレンは

「……マセガキっ」

 とだけ呟いてそっぽを向く。

「この木の人とは、しなかったんだ」

 イングリットの言葉に、フィレンは一気に顔の熱がひくのを感じた。

「お前には、何か、見えるのか……?」

 イングリットは満面の笑みを浮かべた。

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