幽鬼森然

 次の日も、その次の日も、彼は同じ木の元にいた。

 初日のように物憂げであったかと思うと、横柄な態度で寝転んだりしている。

 三日目など、木の根本にあぐらをかいて酒を飲んでいたかと思えば、大木にもその酒を浴びせていた。

 ただし、優しげな顔で。

 イングリットは、ただただ見つめていた──いや、見惚れていた。

 四日目、彼はいなかった。

 期待を裏切られたような気持ち。

 そんな心に押され、彼女は彼が物憂げに見つめていた大木に近づく。

 何だか、してはいけないことをしているような気分だった。

 しかし近づいてみれば、ただの何の変哲もない大木だった。

 彼は、一体何をしていたのだろう。

 何の気もなく、大木に触れた。

 その時────。


 ────待っていた。


 頭のなかで澄んだ声がして、イングリットは思わず大木から飛び退く。

 剣さえ構えて警戒した。


 あなたをずっと、待っていた。


 また声がする──大木から、人の姿をしたものが現れた。

「……なにものっ」

 イングリットは思わず声を出す。

 男性とも女性ともつかない透明なは、少し悲しそうな顔をした。

 彼と同じ若葉色の髪、若葉色のまつげ、若葉色の目、若葉色の爪──特異なのは、先に若葉色の羽毛のある長い耳。

「──人妖かっ!? を惑わせているのっ?」

 だとしたらなんだというのだろう。見ず知らずの男の心配をして何になるというのだ。


 ……そうかもしれない。


 自嘲気味に呟くその人に、イングリットは毒気を抜かれる。

 だが警戒心は拭えない。何せ相手は人ではないのだから。


 あいつを、助けてやってくれないか……。


 少し申し訳無さそうな様子でそれは呼びかけてきた。

 あの人を、助ける? 私が? ──どうやって?


 君は、どんな色も取り込むことができる器の持ち主だ。


 一体何を言っているんだろう。


 あいつは、私がここにある限り、私にこだわり続けるだろう。それを、断ち切ってやってくれ。


 人妖自ら囚えている人間を開放してくれと言っているのか? 一体何だというのだ。

「何も知らないで頷いてやるほどお人好しじゃないわ」

 言い放ったところで。

「そこで何をしてる」

 聞きなれない声がした。

 振り返ると、あの緑色の青年だった。

 初めて目があった。──なんだかそらすことができない。

「……他に誰かいなかったか」

 イングリットは随分見つめ合っていたような気がしたが、実際は数瞬だったのかもしれない。

 青年は彼女に向かってただ淡々と聞いてきた。

「いるじゃない、何か悪霊みたいなのが……」

 指をさして振り返ったイングリットだったが、そこには何もいなかった。

 彼女は顔をしかめた。

「悪霊……」

 呟いた彼の方を再度見遣ると、なにか考えこむような仕草をする。

「なぁお前、もう帰れ。悪霊なんかに関わるもんじゃない」

 しばらくして彼が上げた声がそれだった。

 イングリットには反論する材料がなかった。

「そうよね。……帰るわ」

 少し歩を進めて、ふと彼女は振り返る。

「……あなたこそ、とり憑かれているんじゃないの?」

「……さあな」

 そう言って彼の浮かべた笑みは、何か少し寂しそうに見えた。

 次の日彼は来なかった。

 次の日も、その次の日も。

 悪霊じみた緑色も、姿を見せることはなかった。

 イングリットは、そのうち彼らの存在を忘れた。

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