アルの世界

5-1


 真っ白な世界の中に僕一人だけが存在している。

 すごく怖かったからたくさんの想像を巡らせて、ありもしない色とりどりの世界を作り出した。

 でも……。

 まぶたを上げた時、

 またこの夢で目を覚ました。

「夢でもなんでもないんだけどな……」

 夢から覚めても世界は相変わらず白い。目を細めて遠くを見るが、ここが広いのか狭いのかも分からない。

「でも気分はやっぱり良くない」

 手をかざして不規則に振り回し、もやっとした原型を作り出す。型を撫でていき輪郭が少しずつはっきりしていく。

「あ、これ良いかも」

 滑らかな曲線の体躯、胴体ほどの長さを誇る尾っぽ。首を細長くして、大きな口に強靭あな顎を加える。

「飛竜(ドラゴン)」

 背中に翼を携え、力強く羽ばたかせる。くすみがかった緑を基調に黒の半纏を付ける。細かい鱗を加えていけば……。

「格好良くできたかな」

 作っている時はドキドキして、不安とか恐怖を忘れてしまう。

 形を変えて、色を変えて、鳴き声なんかも付けて。

「思った以上に大きくなっちゃった」

 僕の背丈を何倍にもした巨体を見上げると、満足感でため息が漏れる。しかし同時に訪れるのは空虚感。ふと我に帰ると、周りはやっぱり真っ白な世界だった。

 こいつが自由に動き回れる世界を作ろう。

 一面に鬱蒼と緑を描き殴る。目線の高さほどに線を引いて緑と混ざらないように青を描いた。次に白い塊も散りばめる。

「空と大地のできあがりだ」

 飛竜は翼を羽ばたかせると、重い身体をふわりと浮かせた。けたたましい咆哮は耳を劈く迫力だったが、心なしか嬉しそうに見える。

 粒みたいに小さくなるほど遠くまで飛翔し、力強く空を舞った。

「やっぱり空は良いな」

 どこまでも自由に飛んでいく飛竜を見て、胸が踊る。

 僕は空と大地だけの殺風景に草木を植え、飛竜の仲間を生み、大地を潜る土竜を作った。

「これが僕の原点だ」

 いつまでも明るい世界。目を瞑って、また目を開けても変わらない世界。

 僕の目の前には僕が作った世界が広がっていた。

 思い通りに描ける。世界は思い通り。

 なのに、

 大好きをちりばめたはずの世界はいつしか退屈な世界になった。



 一歩先の地面は白く、踏み込めるのかも分からない。

 目の前も向こうも分からない真っ白な世界。

 音もない。色もない。

 寒暖も感じず、自分が存在しているのかも曖昧。

 俺はこの真っ白な世界を知っている。

「ホワイトキャンパス……」

 童話ワールドクリエイターで唯一の登場人物、アルがいる世界。

「ねえ……」

 隣で立っているエミが不安げな声を漏らす。凶暴な獣もいない。でかい地震が起きたわけでもない。

 しかしエミの表情は強張っていた。どっちに進めば良いのかも分からない。進めるのかも分からない。

 未知との遭遇は人をただその場に留まらせる。

「なんだよこれ。おい、マンタ、ナッシュ、何がおこっ……」

 こんなにも異常な世界を目の当たりにして、無反応もおかしい。

 だが後ろを振り返ると、俺の想像していた光景とは違っていた。

 後ろも一面真っ白。

 下も上も。

 マンタもナッシュも、ユイナもいない。

 先ほどまであったはずの世界は錯覚だったとすら思わされる。

 全身に鳥肌が立つ。

 ようやく悪寒という感覚だけが全身に広がった。

 危険すら存在しない空間はやたらと体の自由を奪う。心臓の音すら聞こえてこない。

 唯一断片的な記憶が脳みそをノックし、ずきんと側頭部のあたりが痛んだ。

「この先には何かあるのだろうか」

 無意識に漏れた言葉は自分でも予想外な好奇心の塊だった。何があるかは分からない。だから進む。進んだら分かるかもしれない。

 単純な公式だった。しかし、

「戻ろ」

 俺が真逆のことを言おうとした瞬間、わずかに早く発言したのはエミだった。

「この先になんて何もないよ」

「違う。この先に行かなきゃ始まらないんだ」

「ナル……?」

 価値観の不一致が互いの顔を見合わせる。

 怖いはずなのに、鳥肌が立って全身が強張っているはずなのに好奇心は増すばかり。地面すらない世界を踏み出そうと足が疼く。

「どうしたのナル。いくら何でもおかしいよ。マンタもユイナも見当たらないんだよ? 何が起こったのかどうなってるのかも分からないんだよ?」

「後ろに戻ったらみんなはいるのか? 後ろに戻ったら帰れるの?」

 衝動が何かに吸い寄せられる。

 エミは息を詰まらせて黙った。何もかも不確定な世界で答えなど出るはずもない。

 なら俺はどうして先に進みたいのだろう。

「いくぞ」

 始めの一歩を踏み出す。二歩目。

 先の見えない真っ白な世界で自身の平衡感覚だけを頼る。

 しかしどんなに歩いても俺はその場から前に進むことはなかった。地面が逆流してるみたいにその場を歩き続ける。

「ナル、やっぱりおかしいよ」

 違う。歩くなんて単純なことじゃない。もっと感覚的な。想像的な。

 世界の色も、ルールも理も全部自分で決めるみたいな。

「ねえエミ。目を閉じたらさ、どんな景色が見える?」

「どんなって……」

「目を閉じたらさ、どんな世界が見える」

「……真っ黒。今と反対」

 エミは猜疑心さいぎしんを見せながらも、言われるがままにゆっくりとまぶたを下ろした。視界を遮られ不安が増したのか、らしくないしかめっ面を浮かべる。

 両手はスカートの裾を掴んで離さない。

「そこにさ、太陽を浮かべるんだ。するとどうなる?」

「少し明るくなった」

「足元に茶色い土を敷き詰めて、真ん中に大きな木をぶっ立てる」

「巨大樹……」

「家をたくさん作って、そこで人々が暮らす。空を舞う民。手に炎を宿す種族。色んな種族がひとつの里で暮らしてる。エボルトの完成だ」

「エボルト……?」

「そう。ここは何もない世界じゃない。自分の想像で世界を作るんだ」

「自分の想像で……」

 エミの声から少しずつ震えが無くなっていく。かすかに漏れる息遣い。スカートを掴む両手が緩み、眉間の皺がなくなる。徐々に世界へ馴染んでいく。抽象的な感覚。そして確かなイメージ。

 思い出した。

「エミ、目を開けてみて」

 エミはためらいながらもゆっくりとまぶたをあげる。

「真っ白な世界……」

 ここは何もない真っ白な世界。


 ーホワイトキャンパスへようこそ。そしておかえり。ナルー


 どこからともなく何かが語りかけた。

「誰?」

 エミの表情にまた緊張が生まれる。あたりを見回し、違和感を見つけようとする。しかし一面真っ白な空間でわざわざ目を凝らす必要などない。

 俺たちの目の前にすぐその違和感は現れた。

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