4-7
「もう、描きたいことがなくなっちゃった」
アルはあんなにワクワクしていたことが全く楽しくなくなってしまいました。
世界を彩っても、新しい生き物を作っても、同じことの繰り返しに思えたからです。
「もういいかな……」
世界を壊すことにも飽きてしまいました。
創ることが楽しくて、今度は壊すことが楽しくて、その先はもう無かったのです。
アルは目を閉じました。
目を閉じると、真っ黒な世界に包まれて、全部が消えて無くなっていました。
「どうしよう。また目を開けたらごちゃごちゃしてるのかな……」
ふと昔のことを思い出しました。
「そう言えば昔は目を開けるのが怖かったっけ」
想像した世界が真っ白に変わる瞬間に怯えていた日々はもうありませんでした。
「その次は目を閉じるのが怖くなったんだよね」
自分の過去を振り返るとくすくすと笑いがこみ上げました。
「いつからだったかな? 怖いって思わなくなったの。もう忘れちゃった」
思い出に浸ることなど初めてで、えらく新鮮な気分。ゆっくりと心の中が洗われていく感覚がアルに芽生えます。
「またひとつやることがなくなっちゃった」
思い出に浸るのももう終わり。
目を閉じたまま、過去から遡っていくと、いつの間にか今にまでたどり着いていました。
「そっか。もしかしたら僕はやり切ったのかな?」
アルはもう疲れてしまい、目を閉じたまま開けることはしませんでした。
あー…………気持ちいいなぁ
*
本をゆっくりと閉じると、深いため息が漏れた。
「ねえエミ。三巻ってある? 親父は持ってたりしなかった?」
エミは俺が読み終えるまで一言も発さずに座っていた。背筋の伸びた慎ましい姿勢を崩さず、会話に入ってもそのまま。
「ううん、これだけだよ。むしろ続きがあるなんて私がびっくりしたくらい」
「そっか……。エミはもう読んだの?」
「うん」
なぜエミがマンタのと再会を焦っていたのか、ようやく合点がいく。
「居ても立ってもいられなかったんだな」
「うん、ごめんね。結局そのせいでマンタとも険悪になっちゃった」
時間の経過がエミの情緒を落ち着かせる。人を気遣えるいつものエミがそこにいた。
「ねえナル。ワールドクリエイターってなんなの? どうしてお父さんが持ってたの?」
俺は首を傾げて曖昧なリアクションをとった。そもそもなぜ親父がこれを持っているのか。エボルトの里には三巻はおろか、二巻すら所持している者はいなかった。
ワールドクリエイターの話は飯の時間に散々した。しかし続刊の話題など一度も出なかった。
なぜ今になってこれを持ち出したのか。
焚き火がいつの間にか弱まり、炭となった薪が鈍く光る。かろうじて熱を帯びているが、放っておけばそう長くない間に火は消えるだろう。
「ワールドクリエイターって童話だよね。ただの物語だよね」
「物語の引きとしてだったら面白いと思う。引きならね」
エミが不安げな声を漏らすと、ふとナッシュの「故郷へ帰れ」という言葉が脳裏をよぎった。
今を維持する。終わらせない選択。
それもひとつの生き方なのかもしれない。
ここ最近は色々なことがあった。竜と遭遇するし崖は無くなるし。知らない土地にも来れた。死にかけもした。
今まで生きてきた人生の全部と比較してもこの数日の方が濃く、そして太い。
でも俺の人生は満たされているのか?
いつ死ぬかも分からない。何が起こるかも分からない。
俺はアルとは違う。まだまだ刺激で溢れている。
アルとは違うんだ。
「どうしたのナル。怖い顔してる」
エミが顔を覗き込んでくるのにも気付かなかった。
「いや、なんでもない。こともないか」
ワールドクリエイターは好きだけど、同じ末路を辿りたいとは全く思わない。むしろ四巻が最終巻など許せない。俺から言わせれば未完だ。
「納得いかないだろ」
「ナル?」
「エミ、少し俺の我がままに付き合って欲しいんだけど」
砂利土を踏みしめるザクという音が規則的に響く。
「なんか不思議な感覚だね」
「ん? 何が?」
俺とエミは岩山の山頂を目指して暗闇の中を歩いていた。
「さっき登ったはずなのに全然違う景色に見える。こんなに明るかったっけ」
「急いで登って急いで降りちまったからな。景色を楽しむ余裕はさすがにないだろ」
人工的な明かりは一切なく、星空だけが視界を照らす。
暗くてよく見えないが、東の方にはエボルトの里へ続く森と草原があるはず。今は見渡しても空と地上の境目すら見えない。
「ありがと、ナル」
「いきなりどうしたんだよ」
「ちょっと楽になった。マンタに非道いこと言っちゃったことちゃんと謝る」
「マンタなんかに謝る必要ないって。あ、間違えたマンタ野郎」
「それ、ナッシュも言ってたね。流行ってるの?」
「うん、流行ってる。エミも使うと良い」
エミは「分かった」と素直に頷き、呼吸を浅くしながらも山道を一歩ずつしっかりと登った。時折り歩きづらそうにスカートの裾を持ち上げて、足首のあたりが見え隠れする。
擦り傷が所々できているが、エミは自分を治癒はしない。
本人いわく「試してみたけどできない」とのこと。理由は本人にも分からないらしい。
「疲れたら言えよ。おぶってやる」
「うん、遠慮するね」
さやわかな笑顔で丁重に断れるのはリラックスしているからなのだろう。少し歩調が早くなった気がする。
「でもどうして急に登山?」
「てっぺんから向こう側の景色を見たくなったんだ」
「それだけ?」
「ああ、それだけ」
「変なの」
エミは苦笑すると、俺の半歩前へ出た。対抗して追い抜くと「あ、ずるい」と子供っぽく頬を膨らませる。
幼く見える時はエミが最も楽しめている時。エミは他愛のないことが好きだった。
そして平穏なひと時を誰よりも大切にしている。
「よし、そろそろ頂上だ」
「まだ暗いね」
「そうだな。勇み足で来たから夜明けの時間とか全然考えてなかった」
まだ地平線も見えない。夜は以外と長いんだと間抜けなことを考えた。エミは俺の唐突すぎる衝動に文句も言わず着いてきた。むしろ理由すら聞かずに。
「楽しそうだな」
「そうかな?」
「さっきまで悲壮感で酷い顔してたぞ」
「ナルひど……。どうしてだろう。一度マンタの顔を見たら安心しちゃったのかも」
「喧嘩したのに?」
「本当にいじわるだね……。うんとね、ナッシュが向かってくれたし。ナルもこうして気遣ってくれるし」
「えらくナッシュのことを信頼してるね。あいつ悪人だよ」
「本当はそんなこと思ってないくせに」
俺が口ごもると、エミは唇を突き出して誇らしげに鼻を鳴らした。主導権を握れたのが嬉しいらしい。
血色も良くなり、足場の悪い岩道でも足取りは軽やか。純粋に俺との登山を楽しんでいるように見えた。
かく言う俺もこの腑抜けた時間が割と楽しい。
いつまでもこの時間が続けば良い。そんなことをエミは思っているのだろうか。
「……なんか頂上ですごい音がしない?」
もう十数歩も進めば頂上というところでエミが立ち止まる。周囲は無音。聞き漏らす方が難しい。
星明かりとは別の光が付いたり消えたりを繰り返している。
こんなことができる人物は一人しかいない。
「ナッシュか……。行ってみよう。エミは絶対に俺から離れるな。今度約束を破ったら何でもひとつ言うことを聞かせるぞ」
「うん、もう大丈夫」
左の腕をぎゅっと掴まれる。臨戦態勢に入るには邪魔だが、俺は右手一本で背中に背負った剣を引き抜いた。
徐々に近づく破裂音で体に力が入る。緊張が伝わったのか、エミの手が先ほどよりも腕に絡まった。
「離れるなとは言ったけど。けっこう邪魔だな」
「ナル非道いね」
さらに腕を抱き寄せられる。俺は観念して歩きづらい姿勢のまま頂上へ向かって歩き始めた。
万が一。身の危険が起きた際にはエミを突き飛ばせるよう神経だけは尖らせる。
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