4-5

「はぁはぁ……」

 星明りだけを頼りに岩山を登ると、頂上付近の平地にマンタはいた。

 真っ暗で辺りはほとんど何も見えなかったが、不規則に響く刀の風切り音がマンタの位置を知らせてくれた。

「マンタ!」

 おぼろげに見えるシルエットが立ち止まり、風切り音が止まる。

 エミは慌ててマンタに駆け寄ると、足場の悪い小石で蹴つまずきそうになった。そのままマンタの胸に倒れこむ。

「マンタ、背中の怪我は大丈夫?」

 エミは転びかけたことなど気にも留めず、マンタの顔を見上げた。

「エミ、来たんだ。そしたらもうナルは平気なんだね」

「おう、お陰さまで全快だ」

「ねえマンタ。背中、怪我したんでしょ? 見せて。私が治すから」

 エミは自分の足で立ち直すと、マンタの後ろへ回ろうとする。

「別に大丈夫だよ。かすり傷だし大したことない。現にこうして稽古もできるし」

「大したことなくても治させて。私はそのために来たんだから」

「エミはもう十分に役に立ってるから大丈夫だよ」

「……」

「エミ?」

「なんでマンタはいつも私を拒むの?」

 エミは口を真一文字に結び、、マンタを睨みつけた。

「本当に大したことはないんだよ。わざわざ僕なんかにエミの労力を使うことなんてないさ。長旅で疲れてると思うし、今日はゆっくり休むと良いよ。僕はエミが来てくれただけで嬉しいんだ」

 マンタは優しいはずなのに、エミを気遣っているはずなのに、どうして優しくないのだろう。

「ねえマンタ……」

「なに?」

 エミがマンタの背中を思い切り叩いた。じゃれ合いではない。体重を乗せた本気の一撃。

 マンタの顔が苦痛に歪む。それでも声には出さず歯を食いしばって耐えていた。

「痛くない」と言いたげだが、額からは脂汗が滲み、痛みに耐える拳に力が入る。名誉の負傷であるはずの服の汚れが惨めに見えた。

「もう絶対にマンタなんか治さない……」

 女の子らしからぬ吐き捨てるような口調。エミは足場の悪い暗闇の中を一人で駆け下りた。

「待てエミ! 俺から離れるなって言っただろ」

 おそらくはエミの耳に届いている。それでも戻ってこないのは、俺との約束なんてどうでも良いほど悔しいから。

「マンタ。お前は下手くそだわ」

「僕の傷よりエミの体力の方がずっと尊いよ」

「そんなの当たり前だろ。マンタごときとエミを比べんな」

「厳しいね」

「でもエミはそうは思ってない。死ぬほど単純な話だろ」

「ナルには分からないよ」

「かもな……。でもお前の身勝手なポリシーとか劣等感をエミに押し付けんな」

 言いたいことは山ほどある。しかし今はエミを追うのが最優先。この岩山でエミを一人にするわけにはいかない。

 ギリギリ。限界まで俺は足を運ぶのを待った。淡い期待を抱いた。一秒がやたらと長く、今すぐにでも駆け出したい。

 足を止める理由はただひとつ。

「追わねえのかよ」

 今のマンタには一秒の猶予も一生の猶予も変わらない。一度逃したチャンスは戻ってこない。運命の女神に後ろ髪はないのだ。

「死んでからじゃ遅えんだぞ」

「僕は死なないよ」

 強がりなのか、意地なのか。ここまでくると無事だから良いという問題でもない。

「言っておくけどエミが死んでからもで遅えからな」

 俺は目を瞑って暗闇に目を慣らした。幸い晴れた空のおかげで星明かりが辺りを照らしている。俺はエミを追いかけて岩山を駆け下りた。足音が迫ってくるのを期待したが、そんな気配はない。

「馬鹿野郎が」

 急げば急ぐくほど足を取られ、苛立ちが積もる。しかし今はマンタのせいにして冷静さを保つことを優先した。


「ユイナ、エミを見なかったか?」

 村へ戻ってみたが、エミは帰ってはいなかった。

「エミに何かあったの?」

 俺の血相を見て、ユイナの表情がすぐに引き締まる。端的に事情を説明すると、ユイナは小さく頷き、次に取るべく行動を理解した。

 もう夜も更け、村民は自身のテント内で静かに過ごしている。散々世話になりっぱなしなだけに、これ以上迷惑をかけるのは気が引けた。

「いこう」

「うん」

 ユイナは村長にだけ「ちょっと出てきます」と告げ、集落の広場へ戻ってきた。

「ねえナル。やっぱりエミのことが心配?」

「当たり前だろ。あいつは治癒能力があっても自分は治せないんだ。ユイナと違って普通の女の子なんだよ」

「やっぱりナルは失礼だね。女の子の扱い方が分かってない」

「うるせえ。気を使うつもりもねえよ」

 ユイナは「ナルらしいね」と苦笑し、静かに目を瞑った。飛行するために集中力を高める。

「私は空から探すからナルはナッシュにも知らせて。もしかしたらナッシュのところにいるかもしれない」

「こんな夜中の暗闇で飛んだら危ねえだろ」

「そこは心配するんだ。おかしな基準」

「今はばたばたしてるけど後でゆっくり話そうな」

「うん」

 ユイナの少し表情が綻ぶ。

 俺とユイナは逆方向に駆け出し、互いにエミの捜索に当たる。目もくれることはない。あんなに渇望したユイナとのおしゃべりはまだお預け。

 長い夜はまだ明ける様子もなく、時が止まったみたいに静かに世界を包み込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る