4-4
人鳥獣が村を襲った夜、外の広場は賑わっていた。
「これ食うのか……」
捕獲した人鳥獣の肉を肴に宴が催されているのだ。村長いわく「相当に美味い」らしいが元の形を知っていると、どうにも食欲が沸かない。なにせ獣とは言え人の形を成している。
「どう見ても足だよな……」
豪快に焼かれた人鳥獣はこんがりと焦げ目をつけているが、原型は留めている。容易に部位が想像できた。
「腹減ったな」
怪我人のくせに一丁前に腹は減る。わざわざご丁寧にテントの中まで運んでくれただけに手をつけないわけにもいかない。
ましてや料理人に感謝しろと親父にしつけられて育っている。
俺は大皿に載せられた肉を鷲掴みにすると、思い切り肉を噛みちぎった。
「……うめえや」
一口目がまだ喉を通らないうちから、ふた口目を頬張る。
「昔はマンタと一緒にこうやって獣を捕まえて丸焼きにしたっけか」
何の能力も持たない地の民が戦場で生き抜くために、俺とマンタはひたすら剣の腕を磨いてきた。
子供だろうと関係なく森で獣を仕留め、腹を肥やして過ごす日々。怪我もたくさんしたけどそれはそれで楽しかった。
「マンタは昔から無傷にこだわってたな。俺が傷だらけで帰るといつもエミやユイナに怒られたっけ」
あの頃は俺らが最強。と根拠もなくはしゃいでいた。
いつからだろう。周囲と能力の差が大きくなり始めたのは。同年代の他の種族は大人と変わらぬ能力が身につけ始める。
ようやく戦場へ駆り出される歳の頃には、半ば強制的に残党狩りの役割を与えらえた。
今にして思えばエボルトの民が長年の経験で培った生き残るための戦い方なのかもしれない。
「マンタは……この肉は食べてないのかな」
テントの中から耳を澄ましても、外からマンタの声が聞こえてくることはない。人鳥獣の襲来の後、きっとすぐに村を出たのだろう。
「やっぱ美味いわ」
どう偏見を抱いても舌は正直。肉を欲して咀嚼が止まらない。噛みしめるたびに血肉となっていく感触が口内に広がる。俺は骨に付着した肉片までしゃぶり取ると、無性に暴れたい衝動に駆り立てられた。
外では夜も更けているのに子供たちが無邪気にはしゃぐ声が聞こえる。
自慢げに「これは僕が仕留めたんだぞ」「私の方がいっぱいやっつけたもん」と子供らしい不毛な言い争い。
余計に体が疼く。
「ユイナに会いてえな」
宴は夜通し催され、俺は一晩中楽しげな声に耳を傾けた。
三日が過ぎると、ナッシュとユイナがエミを連れて帰ってきた。
「ナル!」
エミは到着するなり一目散にテントの中に入ってくる。再開の挨拶も、黙ってエボルトを旅立ったお叱りもない。
「酷い凍傷……。大丈夫、私が治すから」
ただひたすらに自分の責務を果たすことだけを考えていた。
エミは焦りながらも俺の服を丁寧に脱がしていく。そこに照れはない。包帯をゆっくりと解き、俺の爛れた背中が露わになった。
その光景を見ていたユイナは何も言わず入り口の布を閉めて外に出る。自分の目的は果たした。あとはエミに任せる。と、行動が示す。治療現場など心地の良いものではないから当然だ。気が気でなかった三日間の埋め合わせはまだできない。
やましいことなどしていないのに、胸のあたりがちくりと痛んだ。
「……………」
エミは言葉にならない何かを呟き、俺の背中に手を添える。何を言っているかは未だに分からない。本人は能力発動のためと言っていた。心を込めるまじないみたいなものらしい。
「っ」
女の子の柔らかい手とは言え、肌に触れる瞬間だけは痛みが走る。思わず歯を食いしばった。
切りそろえられたエミの額から一筋の汗が鼻筋を伝う。優雅とはほど遠い。エボルトの民はエミの能力を神格化する部分がある。しかし実際の現場はもっと泥臭い。常人が看病するのと何ら分からない。
「もう大丈夫だよ」
緊張が伝わったのだろう。気遣いの言葉には優しさが溢れていた。霧にも似た淡い光が周囲に漂い始め、俺を包み込む。
ゆっくりと温められる感覚。心地良い寝床についたように身体が癒されていく。
「気持ち良いわ……」
「うん」
心地良い熱を帯びた後に、背中がむず痒くなる。治りかけのかさぶたを剥がす感覚に近い。最後はそよ風が背中を撫でるみたいな気持ち良さが残る。
変な表現だが絶頂という言葉が当てはまる。
「終わったよ……。どう?」
今までエミの治癒を何度か受けたことがある。そのたびにエミは具合を聞いてくる。
俺は肩を回したり、拳を握ったりして自身の体調を確認した。ゆっくり、丁寧に。徐々に乱雑に。
「大丈夫。全然痛くない」
「……良かった」
エミの表情が明るくなり、ピンと伸びていた背筋がへたんと丸まった。艶やかな黒髪を耳へかけ、大きく深呼吸をする。
「悪い、疲れたよな。少し休んでくれ」
俺は治癒が終わるとすぐに布の服を着た。恥ずかしいわけではないが背中には鳥獣に裂かれた傷跡がくっきり残っている。しかもエミの治癒を受けてもこの傷跡だけは残ったままだった。まあ古傷だから痛みはもうないのだけれど。
「マンタは? マンタは怪我してない?」
このやり取りもえらく久しぶりな気がする。エミは決まってマンタの安否を確認する。だがいつもみたいに「無傷だ」とは言えなかった。
「人鳥獣っていうのに背中を結構やられた」
「え……、今どこにいるの」
「岩山のどこかにいると思う。正確な位置は分からない」
「私、マンタを探してくる」
「今はよせ。長旅で疲れた上に俺の治癒で体力も消耗してるだろ。命に別条はない。エミが万全になってからでも遅くないから安心しろ」
「お願い。行かせて。せめて無事だけでも確認したいよ」
嘆願するように涙目になる。エミは顔を伏せながら俺の胸へ拳を押し付けた。ゆったりとした袖口には土汚れがついている。急いで来たものだから転ぶこともあっただろう。せっかく上質の絹で繕われた衣服が台無しだった。
普段の厳かな雰囲気はなく、一人の女の子がただ純粋に友人の安否を祈っていた。しかし
「今はナッシュもユイナもいる。二人に頼んでここに連れて来てもらう」
「行きたいの」
何がエミの焦燥を掻き立てるのだろう。往復の時間すら拒むのは明らかに冷静さを欠いている。
瞳を潤ませながらも決して意思を曲げようとしない。それを見て俺はハッとした。
理屈じゃなく純粋に会いたい。正しいじゃなくてしたいことをしたいんだ。俺となんら変わらない。
「分かった。俺がついていく。何かあったら俺を見捨てる覚悟は持っておけよ」
「……うん」
「エミ、絶対に今嘘ついたろ」
エミは露骨に目を泳がせた。こんな時くらいは即答で堂々と嘘をついてほしい。
「俺から離れるなよ」
「うん」
今度は即答した。本心だからだ。
俺とてユイナと話したい。しかし大切な友人の願いは俺の我がままを負かすくらい強かった。
エミは俺の衣服の袖をつまみ、半歩後ろをついて歩く。その指先にはほのかに力みがあった。さっきは背中に直接触れていたはずなのに、間接的な今のが恥ずかしい。
数日ぶりの自由のはずが、なぜか寝たきりの時よりも不自由に思えた。
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