好きなら
4-1
俺は岩山の村で三日三晩ほど床に伏せっていた。
思った以上に凍傷が酷く、全身は痛々しく爛れていた。体温が戻ると、はっきりと痛みを感じる。横になっていても寝心地がすこぶる悪い。
「ナル……」
村民が用意してくれた狭いテントの中で、ユイナが傍に座って不安げにこちらを見ている。
「心配するな。ユイナの方こそ手が酷いことになってるじゃないか。自分の心配をしとけ」
口を動かすと顔が痛み、表情が歪む。やせ我慢していると、思いのほか滑稽な形相をらしく「酷い顔」と俺に聞こえるギリギリの声量でユイナが呟いた。
だが和やかな雰囲気はちぐはぐ。笑えない状態なだけに会話を弾ませては途切れたりと、明暗な雰囲気を行ったり来たりする。
グレイシアとの戦闘中、村でも噴火や爆音のせいで相当な騒ぎになっていたらしい。幸い怪我人はおらず、結果的に重傷を負ったのは俺だけだった。
少々の火山石だったら炎で除けるだけの力は持っているのだろう。さすが火の民をしのぐ種族と言えた。
だからこそ圧倒的な力の差を見せつけられた気もする。
エボルトで暮らしていた今までは過剰な戦闘能力など不要だった。しかし今は違う。世界が俺の知らないところで動き出している。
竜の襲来。西の断崖の上昇。人鳥獣。ワールドクリエイターの二巻。そしてグレイシアの出現。
特にグレイシアの力は異常だった。エボルトの里で全種族を総動員しても歯が立たないだろう。もう誰かに頼って暮らせる状況ではなくなっているのかもしれない。
もしかしたら今頃エボルトの里だって……。
「私、エミを連れてくる」
俺の思考を断ち切るように、ユイナは唐突に立ち上がった。
「おい待て。急に何を言い出すんだ。俺は大丈夫だしエミもわざわざ危険なところに連れてくる必要はない」
「ナルの痛々しいの見れられないから」
「別に死にはしねえよ。それにマンタに怒られるぞ。きっと俺より怖い形相で」
「マンタなら説明すればきっと分かってくれる」
「分かってくれるだろうな。で、ユイナはマンタが理解してくれるからまた身勝手に甘えるのか?」
「……もっと自分の体を大事にしてよ」
「ユイナもな」
ユイナは何か言いたげな口を真一文字に結んで押し黙った。薄青色の瞳が俺を睨みつける。
しかし俺も引く気はなかった。横になりながらも目を逸らさない。しばし沈黙がテント内の空気を尖らせる。
「ナルの馬鹿……」
ユイナは憤りを隠さないまま出ていった。俺の方が重症でも、ユイナの白衣から透ける肩の包帯がやたらと痛々しく見える。
「ありがたいんだけどな」
傷に触れないようゆっくりとため息をつく。正直なところグレイシアやナッシュの力の前では役に立てる気はしなかった。ユイナも感情的な
「……もう生身の人間がどうにかなる域じゃないのかもな」
無意識に大きなため息が漏れ、注意を払ったはずの傷が痛む。寝ているだけという時間は色々なことが頭の中を巡る。しかも決まって後ろ向きな思考。
今まで無能を嘆いたことなど一度もなかった。ましてや飛べなくなったことを恨んだことも。
初めて抱く嫉妬の念が自分でも嫌になった。
「おいどうした。ユイナが不機嫌そうな顔で出てきたぞ」
入れ違いでテントの中へ来たのはナッシュ。グレイシアの一件以来、頻繁に村を訪れては子供の相手をしている。長老曰く「ずいぶんとやんちゃになったのう」と年甲斐もなくにやついていた。あの白い
マンタの演舞など所詮は流行り廃りの人気。ナッシュにかかれば炎の刀を具現化することもたやすい。
「こうか?」などと見ただけで炎で凝縮された刀を再現する。たちまちマンタから人気を奪ってみせた。
目の前の男の乱暴な性格と繊細さにまた少し嫉妬する。
「ちょっとな。違う意見がぶつかり合った」
「格好良く言ってんじゃねえ。どうせただの痴話喧嘩だろ」
「それはちが……うっ!」
反射的に起き上がろうとし、激痛が全身に走る。
「安静にしてろ。何が襲ってきても俺が全部蹴散らしてやる」
これ以上頼もしいものはない。
ナッシュは先ほどユイナが座っていた場所にどかっとあぐらをかいて座った。なんだかんだ毎日こうして足を運んでは悪態をついてくるが、ナッシュなりの見舞いなのだろう。
お互い何を話せば良いのか分からず、出て行くタイミングを逃すのが毎度のパターン。
ナッシュが逆立てた髪を掻き始めたら手持ち無沙汰の合図である。
しかし怪我人は暇なせいか、今日は俺の方が少しだけ喋りたい気分だった。というより、
「なあナッシュ。お前がユイナに付き添ってやってくれないか?」
「なんだよいきなり」
「あいつ、けっこう頑固者なんだ」
「なんだナル。死ぬのか?」
「ナッシュの冗談が段々マンタに似てきたぞ」
ナッシュは苦笑し「やめてくれ。あんなハゲと一緒にするな」とマンタへの悪態が板についていきた。俺も「そうだな」と同意してしまう。
「まあお前に言われなくて俺がまとめて守ってやるよ」
ナッシュは呆れたため息を漏らすが、まんざらでもない様子で隆起した二の腕を摩って照れを隠す。初めて会った時とずいぶんと印象が変わった。ナッシュや村民からしても非常事態のはず。にも関わらずどこか嬉しそう。
「……ひとつ聞いていいか?」
「なんだよ。今日はしつこいな。やっぱ生い先短いか?」
「ナッシュは人を思いやるような善人ではないじゃんか」
「燃やすぞ」
「なのに何で俺らに構ってくれるんだ。ましてやよそもんに」
「まあ罪滅ぼしみたいなもんだ」
「それは長老に聞いた。風の民を守ってやれなかったって。でも償いとしてはもう十分だろ。俺もユイナも十分過ぎるほどナッシュに助けてもらった。癪だけど」
「黒焦げにするぞ。一言多いんだよ」
ナッシュは手のひらに火を灯すが、さすがに放ることはなかった。また二の腕をぽりぽりと掻いたり、後頭部を掻いたりとどこか落ち着かない。
何か言いたげ。しかも柄にもなくためらっているのが明らか。
「ユイナってよ、ナルの言う通り危なっかしいよな」
「え? ああ、まあ……」
「身の丈以上に頑張ろうとするし、自己犠牲の気も強え」
「……何言ってんの?」
「俺さ……。ユイナのことが好きみてえだわ」
テント内の時間が止まる。
ナッシュは二の腕を掻くのもやめて、絶対に俺と目が合わないように明後日の方を向く。
唐突な告白に俺の思考も一瞬にして停止した。
「あ、えっと……悪い。それって女としてって意味で良いんだよな」
「……ああ」
目を泳がせるナッシュ。動揺を隠しきれず乾いた唇を内へ巻いて潤す。あぐらをかき直したり道着の帯を結び直したりと、とにかく落ち着かない。なよっち過ぎて「俺がまとめて守ってやる」と宣言した時とはもはや別人だった。
「この村にはさ、別の種族との交流を煙たがる風潮とかないの?」
「異種族も何も外界との交流自体がねえ。そのくせ以外と社交的な連中が多い。きっとじじいの影響だな」
そんな堅苦しい話をしたいんじゃない。
「好きってことはさ……つまりどうしたいの?」
「嫁にしたいに決まってんだろ」
そこだけは男らしく堂々と口にした。これも村の風潮なのだろうか。
「だから一応確認しておこうと思ってな。この前ナルにユイナとはどんな関係だって聞いただろ。俺の聞きたいことはお前ならもう分かると思う。ユイナを異性としてどう思ってるかってことだ」
ナッシュの目が微かに殺気立つ。もちろん回答次第で俺を殺そうという物騒な話ではない。異性への想いとはそれほど向こう見ずなのだ。
「俺は物心がついた時からユイナと一緒だった。これからもきっと変わらないと思う」
「……」
ナッシュは言葉を挟まずに俺の言葉の続きを待っていた。今にも「で?」と急かんばかりにくっきりとした眼が俺を見つめ続ける。
こんな時、どう答えれば良いのだろう。はっきり想いを伝えるべきなのか。お茶を濁すべきなのか。
親父は前者を選んで風の民から見事に嫌われた。人間素直が一番と言うが、周りとの関係を円滑に保つ上では本音が正しいとは限らない。
きっとこんな面倒なことを考えるのは俺がナッシュにも情が湧いてしまったからだ。
いくら考えても正解など分からない。だったら結局は自分が後悔しない方を選ぶしかない。
俺はピリつく上半身をゆっくり起こした。起こしてしまえば何てことはなく、寝ている時と痛みの度合いはさほど変わらない。
だた少しナッシュの視線が痛いだけだ。
「俺は……ユイナのことが異性として好きだ」
「……そうか」
ナッシュは大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いた。
「まあ当然だな。そんだけ一緒にいるのは魅力があるって証拠だ」
「別にそう言うのではない。一緒にいるのは同じ里にいるからだし。で、ナッシュの方こそこれからどうするんだよ」
「じじいに言われたんだ。自分らしく生きてみたらどうだって」
「ずいぶんと切り替えが早いな。さっきまで罪滅ぼしとか言ってた奴が」
先ほどよりも手に宿る炎の火力が上がる。山ひとつ吹き飛ばせる炎を脅しの道具に使うのは卑怯すぎる。柄にもなくこの陳腐なやり取りを楽しんでいるのではないか。
この悪人面め。と思った矢先だった。
「お前らを見てて正直羨ましかった。初対面の人間を差し置いてベラベラと不毛な話をしたり、意味もなく戯れあったり。こいつらぶん殴りてえって本気で思ったわ」
「羨ましいのか殴りたいのかどっちだよ」
「両方だよ」
ナッシュは心底に下らなく、不毛なやり取りを欲していた。
羨ましくて殴りたい。奇しくも俺は矛盾してるとは思わなかった。
「こういうのライバルって言うのか? ナッシュに楯突いたら燃やされるじゃん」
「そんな器の小せえことするか。燃やすぞこら」
これは矛盾してると思った。
正面を向き合って話ができる知り合いが俺にはどれほどいるだろうか。狭い部屋であぐらをかいて恋愛について語る。
ユイナ……にはしない。マンタとも真剣には話さない。いつもお互いに茶化すばかり。
もしかしたら一人もいないかもしれない。
「なあナッシュ。ひとつ頼みがあるんだけど」
「なんだ」
俺があぐらをかき直すと、ナッシュも同じように脚を組み直して背筋を伸ばした。
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